ドージマムテキ

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ドージマムテキ
英字表記 Dojima Muteki
香港表記 堂山無敵
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1990年3月31日
死没 2010年11月7日(20歳没)
テュデナムキング
ドージマビクトリー
母の父 クレバーフェラ
生国 日本の旗 日本北海道新冠町
生産 堂島牧場
馬主 堂島和夫
吉田照哉
調教師 戸山為夫栗東
鶴留明雄(栗東)
森秀行(栗東)
競走成績
生涯成績 50戦4勝
地方2戦0勝
海外5戦0勝
獲得賞金 2億6700万8000円
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ドージマムテキ香港名「堂山無敵」)は日本競走馬。主な勝鞍は、京王杯オータムハンデ。 1990年代半ばから後半にかけて、短距離からマイル路線の名脇役として息の長い活躍を見せた。

以下、馬齢は旧表記(数え年)とする

目次

[編集] 経歴

1993年1月にデビュー。新馬戦、ジュニアカップとデビューから2連勝しクラシックの有力候補として注目されたが、皐月賞15着、東京優駿17着と大敗。これ以降は、短距離路線を中心に走ることとなり、同年秋にマイルチャンピオンシップ3着、スプリンターズステークス6着と好走。翌1994年もダービー卿チャレンジトロフィーで2着になるなど短距離のレースで安定した成績を残した。1995年には京王杯オータムハンデでこの年の皐月賞馬ジェニュインヒシアケボノら破って重賞初制覇を飾った。

以降も香港を含め短距離戦線で安定した成績を残した。1998年後半以降は2ケタ着順が続き力の衰えを窺わせるようになったが、反面豊富な海外遠征経験を生かして、帯同馬としての活躍を見せるようになった。

10歳、11歳時には同じ森秀行厩舎に所属していたアグネスワールドと共に欧州遠征。アグネスワールドの2度の海外G1制覇に陰ながら貢献した。

晩年は森厩舎のスタッフから「ジイさん」の愛称で呼ばれ、馬なり1ハロン劇場ではシーキングザパールの御目付け役の「ジィ」として、しばしばネタにされた。11歳時のモーリス・ド・ゲスト賞を最後に現役を引退。

功労馬として、生まれ故郷の堂島牧場で余生を送り、2010年11月7日に同地で死亡した。

[編集] 香港での登録名

1995年12月には香港に遠征した際、登録名が何故か堂山無敵であった。翌1996年に遠征した際も堂山無敵から改められることはなかった。

[編集] 競走成績

1993年(9戦2勝)

  • 1着 - ジュニアカップ
  • 2着 - 京都4歳特別
  • 3着 - マイルチャンピオンシップ

1994年(8戦0勝)

  • 2着 - シルクロードステークス

1995年(9戦2勝)

  • 1着 - 京成杯オータムハンデ、BSNオープン
  • 2着 - 毎日王冠

1996年(8戦0勝)

  • 2着 - 香港国際ボウル、シルクロードステークス

1997年(6戦0勝)

1998年(7戦0勝)

1999年(8戦0勝)

2000年(2戦0勝)

[編集] 血統表

ドージマムテキ血統 オーエンテューダー系/タカクラヤマ(ラシヨウモン)4×4=12.50% Rockefella4×5=9.38% Djebel5×5=6.25%)

テュデナムキング
1980 鹿毛
*テュデナム
Tudenham
1970 黒鹿毛
Tudor Melody Tudor Minstrel
Matelda
Heath Rose Hugh Lupus
Cherished
ヨシカネ
1969 栗毛
*チャイナロック
China Rock
Rockefella
May Wong
スモールドオター タカクラヤマ
ミスパンシー

ドージマビクトリー
1980 黒鹿毛
*クレバーフェラ
Clever Fella
1967 鹿毛
Le Levanstell Le Lavandou
Stella's Sister
Hindu Curry *ヒンドスタン
Royal Clane
ドージマジョオー
1971 鹿毛
*シプリアニ
Cipriani
Never Say Die
Carezza
トーダイメリー ラシヨウモン
*ダイワニシキ F-No.20-a

4代母ダイワニシキは1952年ニュージーランドから競走馬として輸入された、いわゆる豪サラである。母母母父のラシヨウモンは1953年菊花賞5着馬。永田雅一の持ち馬で、ヴェネツィア国際映画祭でグランプリを受賞した映画「羅生門」から名を取った。父方に入っている全兄タカクラヤマ(父母母父)との珍しい全兄弟クロスがある。

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