ネヴァーセイダイ
| ネヴァーセイダイ | |
|---|---|
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 栗毛 |
| 生誕 | 1951年 |
| 死没 | 1976年 |
| 父 | Nasrullah |
| 母 | Singing Grass |
| 母の父 | War Admiral |
| 生国 | |
| 馬主 | Robert Sterling Clark |
| 調教師 | Joe Lawson |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 12戦3勝 |
ネヴァーセイダイ (Never Say Die) は、アメリカ出身の競走馬、種牡馬。イギリスのクラシック二冠馬。
目次 |
経歴 [編集]
1953年4月に競走馬としてデビュー。初戦と2戦目でともに7着に敗れた後、3戦目で初勝利を挙げた。その後3戦したが未勝利に終わり、6戦1勝という成績で1953年のシーズンを終えた。
1954年のシーズンは3戦して勝利を挙げることができなかったが、陣営は3戦目のレース出走後、ネヴァーセイダイの体調が急激に向上したと判断し、ダービーステークスへの出走を決定。この時ブックメーカーが提示したオッズは出走馬22頭中10番目に低い33:1であったが、優勝した。オッズ33:1での勝利は、当時としては1908年のシニョリネッタ、1913年のアボイユールの100:1に次ぐ史上3番目の高配当での勝利であった。また、この時ネヴァーセイダイに騎乗していたレスター・ピゴットは史上最年少でのダービーステークス優勝を達成した。ダービーステークスの2週間後、キングエドワードⅦステークスに出走したが直線で他の出走馬の尻に噛みつく行動に出た挙句、4着に敗れた[1]。7、8月を休養にあてたネヴァーセイダイは9月に入りセントレジャーステークスに出走、ブックメーカーのオッズは出走馬中最も低い100:30であった。レースでは2着馬に12馬身差をつけて優勝。この時ネヴァーセイダイ騎乗したC・スマークが「スマークほど楽にクラシックを勝った騎手はいない」と言われるほどの大勝であった。
ネヴァーセイダイはセントレジャーを最後に競走馬を引退して種牡馬となり、イギリスで供用された。1962年にイギリスのリーディングサイアーとなった。1960年代の日本では産駒のネヴァービートが種牡馬として成功を収めたのをきっかけに「ネヴァーセイダイ系」のブームが起こり、多くの産駒が種牡馬として輸入された。しかし、本馬の産駒が減ってしまった各国においては後継が輩出されず、多くの後継種牡馬が輸入された日本でもその後継が輩出できなかったため、現在では牝系に残ってはいるものの父系としての本馬の系統はほぼ途絶えた状態となっている。
主な産駒 [編集]
血統表 [編集]
| ネヴァーセイダイの血統 (ナスルーラ系 / Chaucer 5×5=6.25%) | |||
|
父
Nasrullah 1940 鹿毛 |
Nearco 1935 黒鹿毛 |
Pharos | Phalaris |
| Scapa Flow | |||
| Nogara | Harvesac | ||
| Catnip | |||
| Mumtaz Begum 1932 鹿毛 |
Blenheim | Blandford | |
| Malva | |||
| Mumtaz Mahal | The Tetrarch | ||
| Lady Josephine | |||
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母
Singing Grass 1944 栗毛 |
War Admiral 1934 黒鹿毛 |
Man o'War | Fair Play |
| Mahubah | |||
| Brushup | Sweep | ||
| Annette K. | |||
| Boreale 1938 栗毛 |
Vatout | Prince Chimay | |
| Vashti | |||
| Galaday | Sir Gallahad III | ||
| Sunstep | |||
脚注 [編集]
- ^ レスター・ピゴットは制御を怠ったとして年内の騎乗停止処分を言い渡された。
参考文献 [編集]
- 原田俊治『世界の名馬』 サラブレッド血統センター、1970年