メイショウサムソン

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メイショウサムソン
Meisho SamSon 20060528R1.jpg
2006年5月28日 東京競馬場
英字表記 Meisho Samson
香港表記 名將森遜
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 2003年3月7日(11歳)
オペラハウス
マイヴィヴィアン
母の父 ダンシングブレーヴ
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産 林孝輝
馬主 松本好雄
調教師 瀬戸口勉栗東
高橋成忠(栗東)
厩務員 加藤繁雄(瀬戸口厩舎)
中田征男(高橋厩舎)
競走成績
生涯成績 26戦9勝
1戦0勝(日本国外)
獲得賞金 10億6594万9000円
※歴代7位(引退時)
勝ち鞍 GI皐月賞東京優駿(2006年)
天皇賞(春)天皇賞(秋)(2007年)
GIIスプリングステークス(2006年)
大阪杯(2007年)
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メイショウサムソン: Meisho Samson 名將森遜)は日本の元競走馬で、現在は種牡馬

デビュー前[編集]

父がオペラハウス、母は未勝利馬ということから地味なイメージでなおかつ母の父もダンシングブレーヴと、最近のスピード重視の競馬の中にあってはスタミナ型の重厚と言える血統のためか目立たない馬であった。瀬戸口勉の勧めにより松本好雄が700万円で購入した。「サムソン」は旧約聖書士師記に登場する怪力の持ち主として知られる士師(カリスマ的指導者)に由来する。直木賞作家の新橋遊吉が「こんな名前どうか」とオーナーの松本に書き送った中の一つにこの名前が含まれていた。

戦績[編集]

2歳時(2005年)[編集]

2歳夏の小倉競馬場でデビューするが、新馬戦はアタマ差2着に惜敗。次の未勝利戦も3着で3戦目で初勝利を挙げる。続く阪神競馬場で行われた野路菊ステークスでも出走馬中最速の上がり3ハロン(35秒0)で勝利する。その後は萩ステークスにも出走するが、2歳王者になるフサイチリシャールの4着に敗れる。さらに東京スポーツ杯2歳ステークスでもフサイチリシャールの2着に敗れる。その後、中京2歳ステークスを1分47秒5のレコードで快勝して2歳時を終えた。2歳時の通算成績は7戦3勝。この時点では翌2006年のクラシック路線の一翼を担うことは期待されるも、決してその中心的な存在とは言えなかった。

3歳時(2006年)[編集]

3歳になりきさらぎ賞から始動するが、芝の状態が良いと石橋が考えた大外へコースを取り結果ドリームパスポートの2着に敗れる。レース後、勝ち馬に乗っていた安藤勝己は「どこを通ってもいっしょだった」とコメントしており、石橋は「勝ち馬に併せる競馬をするべきだった、馬体を併せれば・・・」とメイショウサムソンの持ち味を引き出すことが出来なかったことを認めている。続いて出走した皐月賞トライアルスプリングステークスでは既に後塵を拝していたフサイチリシャール、ドリームパスポートが1、2番人気に支持され、メイショウサムソンは4番人気にとどまる。しかし、直線では一足早く抜け出すと相次いで追い込んできた2頭をぐっと頭を伸ばして抑えこみ、重賞初制覇を飾った。スプリングステークスの後にフサイチリシャールに騎乗していた福永祐一が「メイショウサムソンが思った以上に強くなっていた」と雑誌のコラムに書いている。

これで皐月賞の優先出走権を獲得して勇躍本番に挑むが多くの競馬ファンや予想家は前走の勝利をレース展開に恵まれたフロックと考えており、単勝馬券は6番人気の穴馬扱いであった。しかし、レースでは落ち着きを見せて5番手で折り合いをつけると、第4コーナーでは3番手に上がり他の人気馬よりも再び早く抜け出す。今度は直線で前走ほどの接戦にはならず内ラチ沿いを猛追してきたドリームパスポートを抑えこみ、クラシックの栄冠を手に入れた。石橋にとっては騎手生活22年目でのGI初制覇であり、瀬戸口にとってはネオユニヴァースに続く2回目の皐月賞制覇、そして定年を翌年に控えてのクラシック制覇となった。

1番人気で迎えた第73回東京優駿は稍重の馬場の中、道中は先行集団につけ直線で逃げ粘るアドマイヤメインをクビ差で差しきり、2分27秒9のタイムで優勝した。前年のディープインパクトに続き、この時点における二冠馬となった。なお、小倉競馬場デビュー馬の東京優駿制覇はこれが史上初のことであった。

夏は放牧に出されず厩舎で過ごした。夏を厩舎で過ごしたメイショウサムソンは秋の初戦に菊花賞に向けての緒戦として神戸新聞杯に出走した。最後の直線では類稀なる勝負根性を見せ、並んでいた2頭を交わし先頭に立ったものの最後には大外から一気に追い込んできたドリームパスポートに交わされ2着となった。菊花賞では三冠を期待され1番人気に推されたが逃げるアドマイヤメインを猛追するも届かず、レースを制した伏兵・ソングオブウインドとドリームパスポートにも差され4着に終わり、三冠制覇はならなかった。レコードタイムが連発する速い馬場に対応できなかったという見方もあった。続いてのジャパンカップではディープインパクトとの初対決だったが、小雨が降る中、瞬発力が必要となる競馬となり6着に敗れ、第51回有馬記念では接触する不利もあり、5着に敗れた。秋は春頃に見せた早めに抜け出して前で粘るという競馬ができなくなっていて、先着争いに加わることすらできなくなっていた。有馬記念後は放牧に出された。

4歳時(2007年)[編集]

2007年2月をもって瀬戸口が定年退職となり、高橋成忠厩舎へ転厩した。放牧を終えて、転厩初戦として臨んだのは大阪杯であった。単勝1.9倍に推されると、レースでは以前のようなかかり癖を見せずに粘るシャドウゲイトをねじ伏せ、東京優駿(日本ダービー)以来の勝利を挙げた。休み明けが弱いとされていた同馬だけに、「放牧で心身ともに成長した」と鞍上の石橋は語った。

次走の第135回天皇賞(春)では、高速馬場への適性や長距離適性が疑問視され、阪神大賞典を優勝したアイポッパーに次ぐ2番人気での出走となった。レースでは第4コーナーで先頭に立つと持ち前の勝負根性で後方から詰め寄って来たエリモエクスパイアとの叩き合いを制し、GI3勝目を挙げた。レース当日は時計の出やすいかなりの高速馬場でメイショウサムソンにとって不利になるという見方がマスコミなどの間でされていたが、3分14秒1という好時計で勝利を収め、その不安を払拭した。なおこの勝ち時計は歴代の天皇賞(春)の優勝馬の中で(当時)2番目に速いものだった。しかも、レコードを記録した前年よりも3000mの通過タイムが速い(前年は途中でペースが落ち着いたが、このレースでは途中からペースが上がっている)ため、かなり早仕掛けであったにもかかわらず最後まで粘り切るという非常にタフなレースであった。あまりの激しいレースに、ゴール後ほとんどの馬がコーナーまで走らなかった。ちなみに大阪杯の優勝馬が天皇賞(春)を制したのはスーパークリーク以来17年ぶりのことであり、三冠を達成できなかった春のクラシック二冠馬(皐月賞・東京優駿)が春の天皇賞を制したのは史上初のことであった。

続いての第48回宝塚記念ではファン投票で1位に選出されながら2番人気で出走。レースではじっくり中盤で控え直線半ばでカワカミプリンセスをかわして先頭に立つものの、最後にメイショウサムソンをマークしていたアドマイヤムーンとの叩き合いの末交わされ2着に敗れた。なお、この2頭の叩き合いで3着には2馬身の着差をつけていることから、負けてなお強しという結果となった。

メイショウサムソンはその血統(後述)から凱旋門賞挑戦が検討されており、6月28日凱旋門賞への挑戦が正式に決まった。鞍上は武豊に乗り替わる予定となっており7月31日に高橋成忠と武豊がシャンティー調教場を下見し、8月4日リチャード・ギブソン厩舎への滞在が決まった。また、帯同馬には同じく高橋成忠厩舎所属の松本の所有馬で以前から調教パートナーを務めていたメイショウレッドが選ばれた。8月15日に出国検疫のために美浦トレーニングセンターに入厩し、8月22日8時15分発のJL6461便で成田空港から渡仏し、その後同調教場で調教を行い、前哨戦となるフォワ賞 (G2) への出走も視野に入れていた。

8月17日に当馬が馬インフルエンザに感染していたことが明らかになったものの、当初陣営は出走に前向きな姿勢だった。フランスギャロの対応次第で出走ができなくなったが、後日衛生条件をクリアすれば受け入れる態勢はあるとの報告があった。だが、翌8月18日に遠征を断念することが協議の結果明らかになり、8月26日に正式に断念することを高橋が発表した。なお、馬インフルエンザは後に陰性となったがしばらく美浦に滞在し、8月31日に栗東へ帰厩した。

秋のローテーション秋古馬三冠レースに出走することが9月13日に発表され、前哨戦を使わず緒戦となる10月28日第136回天皇賞(秋)に出走することになった。鞍上は断念された海外遠征と同様、武豊が3競走のすべてで騎乗することとなった。なお10月12日に発表されたトップ50ワールドリーディングホースでは、120ポンドの評価を得て27位タイとなった。

そして迎えた天皇賞(秋)では4ヶ月ぶりの実戦ながら1番人気に支持され、アドマイヤムーンや前年の覇者・ダイワメジャーらを寄せ付けずに快勝した。これまで同馬はGI競走を僅差で勝ってきたが馬場状態が稍重ながら1分58秒4という極めて優秀なタイムであり、2着のアグネスアークに2馬身半差の着差をつけていることからGIレースでは初めて圧勝と言える内容であった。ただ、レースではコスモバルクとエイシンデピュティが大きく斜行しアドマイヤムーンやダイワメジャーらに致命的な不利を与えてしまったこともあり、有力馬に騎乗していた騎手からは不満の声が多く聞かれた(審議の結果、エイシンデピュティは降着となった)。調教師である高橋も「外の馬が変な形になっていて、勝つには勝ったけど後味の悪い感じもします」とコメントを出している。とはいえ、ロスの少ない内側を通っていたメイショウサムソンの外に持ち出していた馬はどの道差しきるのは難しかったとの声も多かった。同馬はこの勝利により勝ち抜け制度が廃止された1981年以降4頭目となる天皇賞春・秋の連覇を達成した。11月4日に発表されたトップ50ワールドリーディングホースでは、天皇賞(秋)を制したことにより122ポンドの評価を得て17位タイとなり、先月より順位を上げた。

次走の第27回ジャパンカップでは圧倒的な1番人気を得たがメイショウサムソンはスローペースで進むレースを後方から追走するという展開になり、逆に大方の予想では後方でレースを進めると予想されたアドマイヤムーンポップロックが先行するという展開となった。直線では、両2頭が内側のロスの少ないコースを通って早めに抜け出したのとは対照的に同馬は外目を回るという騎乗も響いて、直線で差を詰めるものの前の2頭には粘りきられて3着と敗れた。このレースではスローペースで進むレースを後方から勝負するという展開になり、本馬の持ち味である粘り腰を生かすレースをすることが出来なかった。また、このレースで勝ったアドマイヤムーンはメイショウサムソンが勝った天皇賞のようにロスの少ない内側を走っており、逆にメイショウサムソンは前走とは違ってロスの大きい外側を回っていた。11月30日に発表されたトップ50ワールドリーディングホースは前回と同じ122ポンドの評価を得たが、順位は18位タイとなった。

12月6日第52回有馬記念‎ファン投票の最終結果で2位となる10万2560票を獲得したことが発表された。約3000票差でウオッカに1位を譲ってしまったがこの結果に高橋成師は「女の子にはを持たせないとね。ここでの写真判定は負けていい」といった発言をし、グランプリへの意気込みを語っていた。しかしレースではスタート直後に武が手綱をしごいても前に馬が行かず、前走以上に控えたポジションになってしまった。また向正面で既に大外を回っており、最終コーナーでもそのまま大外を通ったことなども響いたのか肩ムチを入れても直線でスピードに乗らずに結局経済コースとスローペースの展開を生かしきった伏兵・マツリダゴッホの8着と惨敗した。なおこのレースまでにGI競走を4勝している同馬だが、このレースでは条件馬のレゴラスにも先着を許すことになった。鞍上の武豊は敗因について「理由は全然わからない」とコメントし、調教師の高橋は「まさか、ウオッカをマークする形になるとはね…。展開かな。前残りで流れに変化がないレースだった。調子がまずいということもなかった。原因がよく分からない」とコメントしている。この敗北で4歳シーズンでは初めて複勝圏と掲示板から外れることになった。

レース後の12月26日にドバイへの遠征計画を発表。ドバイシーマクラシックドバイデューティーフリーへの予備登録を行うことを表明した。

5歳時(2008年)[編集]

1月5日に2007年度のJRA賞が発表されウオッカと共にJRA賞特別賞を受賞し、1月16日に発表された2007年度のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングでは122ポンドでポップロックと並び17位タイとなった。なお1月22日に締め切られたアジアマイルチャレンジのシリーズ登録を行っている。1月29日、オーナーの松本が2008年限りで現役を引退し2009年から種牡馬として社台スタリオンステーションに繋養されることを明らかにした。なお遠征計画を出していたドバイミーティングには1月31日にドバイシーマクラシックへの選出馬となったことが発表されたが、2月15日に開かれた説明会で3週間の京都競馬場滞在(出国検疫5日間を含む)、航空便のシンガポール乗り継ぎなどが伝えられ、翌16日に京都競馬場で調教師の高橋と協議した松本が検疫や輸送などの条件が厳しいとの理由でドバイ遠征を断念することになった。それとともに当初2008年の緒戦となる予定だった京都記念への出走も取りやめ、前年同様4月6日の大阪杯から始動する。しかし、レースでは直線に入ってから後退し6着だった。

連覇のかかった春の天皇賞では、大阪杯での凡走から調子を不安視する声も少なくなかった。結果は直線に入ってアサクサキングスから大きく不利を受けるもアタマ差の2着とまずまずの結果で、レース内容も、直線で一度交わされたアドマイヤジュピタを猛追して一度は先頭に立ちながらゴール寸前で差し返されるという今までの不安を払しょくするようなレース内容であった。その後オーナーの松本より再び凱旋門賞への挑戦の趣旨が語られ、5月8日にJRAの発表で凱旋門賞の一次登録を行なったと伝えられた。

6月12日には第49回宝塚記念‎ファン投票の最終結果で2位となる6万6597票を獲得したことが発表され、次走は宝塚記念に出走。1番人気に支持され、直線で手応えよく追い込むも、直後に直線でアサクサキングスに馬体をぶつけられ、これが響いて前を行くエイシンデピュティをアタマ差交わせずに2着と惜敗した。アサクサキングスから二度も不利を受けたことに同馬に騎乗した四位洋文に対し、鞍上の武豊は珍しく怒りをあらわにした。

宝塚記念後、前年に挫折した凱旋門賞の挑戦についてオーナーの松本ら関係者の間で協議の末、7月12日正式に凱旋門賞挑戦すると発表され、その後8月1日に遠征日程が発表された。同時に帯同馬としてファンドリコンドルを引き連れることとシャンティー調教場のミケル・デルザングル (Mikel Delzangles) 厩舎に滞在することも明らかになった。フランス政府から「出国前14日間の隔離」を求められたため、8月5日から8月20日まで競馬非開催の福島競馬場国際厩舎で輸出検疫受け、検疫後の8月20日に成田空港から出国し約12時間後シャルル・ド・ゴール空港へ到着した。

フランス到着後はシャンティー調教場に移動、フォワ賞を使わずに直行で凱旋門賞に向けての調整が行われ、9月24日には日本から武豊が0泊3日の強行日程で駆けつけて1週前追い切りを行った。そして迎えた10月5日第87回凱旋門賞に出走し、レースはスタート直後に不利を受け、後方からレースを進め最後の直線で再び伸びかけたところを他馬にぶつけられ伸びず、ザルカヴァに敗れて10着という結果に終わった。結局レースではスムーズ運べず、欧州の激しい競馬(日本では審議の対象になってもおかしくないくらい激しい)に涙を飲む形となった。レース後は軽い捻挫をしていたが大事には至らなかった。

凱旋門賞後は10月8日にファンドリコンドルと共に成田空港へ到着し、5日間の輸入検疫を受けるために一旦競馬学校へ入厩したが、天皇賞(秋)へ出走登録を行ったため10月14日に東京競馬場へ移動して3週間(11月4日まで)の着地検査を受けることになった。しかし10月29日に調整不足を理由として天皇賞(秋)を回避することが発表された[1]。そして検疫終了後約3ヶ月ぶりに栗東トレーニングセンターへ帰厩した。帰厩後はジャパンカップに出走登録を行うことを表明したものの当馬の主戦騎手である武豊が同じく主戦騎手を務めるウオッカも同競走に出走登録を行う意向だったため武豊がどちらに騎乗するか注目されたが11月14日に引き続き当馬に騎乗することが発表された。しかし武豊はジャパンカップ1週間目前の11月23日落馬負傷により右尺骨骨幹部を骨折し、ジャパンカップへの騎乗が不可能となった。その翌24日に鞍上は前年の宝塚記念以来となる石橋守が騎乗する事が発表された[2]。そして11月30日の第28回ジャパンカップに出走。内ラチにピッタリ沿って直線を迎えるも全く伸びず6着に敗れた。

12月28日、最後のレースとなった有馬記念では果敢に先行策をとり第4コーナーでダイワスカーレットに詰め寄ったが、直線では手ごたえがなくなり失速。8着と敗れた。

年が明けた2009年1月4日に京都競馬場で引退式が行われ、1月7日にJRA競走馬登録を抹消した。

競走成績[編集]

年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量
[kg]
距離(馬場) タイム
上り3F
時計
勝ち馬/(2着馬)
2005. 7. 31 小倉 2歳新馬 12 4 4 14.0(4人) 2着 石橋守 54 芝1800m(稍) 1:53.5 (35.3) 0.0 グロリアスウィーク
8. 20 小倉 2歳未勝利 9 8 8 4.3(2人) 3着 石橋守 54 芝1800m(良) 1:48.3 (35.7) 0.4 エイシンチャンドラ
9. 4 小倉 2歳未勝利 14 6 10 2.2(1人) 1着 石橋守 54 芝1800m(良) 1:50.5 (35.5) -0.4 (キングエンペラー)
9. 18 阪神 野路菊S OP 11 8 11 3.1(1人) 1着 石橋守 54 芝1600m(良) 1:36.0 (35.0) -0.1 (タガノマーシャル)
10. 29 京都 萩S OP 8 7 7 3.4(2人) 4着 石橋守 56 芝1800m(重) 1:50.0 (34.8) 0.9 フサイチリシャール
11. 19 東京 東スポ杯2歳S GIII 11 6 6 18.7(5人) 2着 石橋守 55 芝1800m(良) 1:47.3 (33.8) 0.4 フサイチリシャール
12. 17 中京 中京2歳S OP 10 7 8 3.0(2人) 1着 石橋守 57 芝1800m(良) R1:47.5 (34.9) -0.3 (トップオブツヨシ)
2006. 2. 12 京都 きさらぎ賞 GIII 12 6 7 3.4(1人) 2着 石橋守 57 芝1800m(良) 1:47.5 (35.0) 0.1 ドリームパスポート
3. 19 中山 スプリングS GII 16 8 16 14.5(4人) 1着 石橋守 56 芝1800m(良) 1:48.9 (36.2) 0.0 (フサイチリシャール)
4. 16 中山 皐月賞 GI 18 3 5 14.5(6人) 1着 石橋守 57 芝2000m(良) 1:59.9 (35.1) -0.1 (ドリームパスポート)
5. 28 東京 東京優駿 GI 18 1 2 3.8(1人) 1着 石橋守 57 芝2400m(稍) 2:27.9 (35.1) -0.1 アドマイヤメイン
9. 24 中京 神戸新聞杯 GII 16 1 2 1.6(1人) 2着 石橋守 56 芝2000m(良) 1:58.1 (35.0) 0.0 ドリームパスポート
10. 22 京都 菊花賞 GI 18 6 12 2.0(1人) 4着 石橋守 57 芝3000m(良) 3:03.4 (34.9) 0.7 ソングオブウインド
11. 26 東京 ジャパンC GI 11 8 11 16.0(4人) 6着 石橋守 55 芝2400m(良) 2:25.9 (34.5) 0.8 ディープインパクト
12. 24 中山 有馬記念 GI 14 5 8 21.4(4人) 5着 石橋守 55 芝2500m(良) 2:32.7 (35.4) 0.8 ディープインパクト
2007. 4. 1 阪神 大阪杯 GII 11 3 3 1.9(1人) 1着 石橋守 59 芝2000m(良) 2:01.4 (34.4) -0.1 シャドウゲイト
4. 29 京都 天皇賞(春) GI 16 3 6 4.5(2人) 1着 石橋守 58 芝3200m(良) 3.14.1 (34.7) 0.0 (エリモエクスパイア)
6. 24 阪神 宝塚記念 GI 18 8 17 4.2(2人) 2着 石橋守 58 芝2200m(稍) 2.12.5 (36.6) 0.1 アドマイヤムーン
10. 28 東京 天皇賞(秋) GI 16 1 1 2.9(1人) 1着 武豊 58 芝2000m(稍) 1.58.4 (34.6) -0.4 (アグネスアーク)
11. 25 東京 ジャパンC GI 18 5 10 1.8(1人) 3着 武豊 57 芝2400m(良) 2.24.7 (33.9) 0.0 アドマイヤムーン
12. 23 中山 有馬記念 GI 15 1 1 2.4(1人) 8着 武豊 57 芝2500m(稍) 2.35.2 (37.2) 1.6 マツリダゴッホ
2008. 4. 6 阪神 大阪杯 GII 11 6 7 3.4(2人) 6着 武豊 59 芝2000m(良) 1.59.2 (35.0) 0.5 ダイワスカーレット
5. 4 京都 天皇賞(春) GI 14 5 8 4.8(2人) 2着 武豊 58 芝3200m(良) 3.15.1 (34.9) 0.0 アドマイヤジュピタ
6. 29 阪神 宝塚記念 GI 14 2 2 2.1(1人) 2着 武豊 58 芝2200m(重) 2.15.3 (36.9) 0.0 エイシンデピュティ
10. 5 ロンシャン 凱旋門賞 GI 16 5 5 10着 武豊 59.5 芝2400m(良) Zarkava
11. 30 東京 ジャパンC GI 17 1 2 6.5(3人) 6着 石橋守 57 芝2400m(良) 2.26.0 (34.4) 0.5 スクリーンヒーロー
12. 28 中山 有馬記念 GI 14 6 9 8.4(4人) 8着 武豊 57 芝2500m(良) 2:32.5 (37.3) 1.0 ダイワスカーレット

※1 タイム欄のRはレコード勝ちを示す。

対戦成績[編集]

  • アドマイヤムーンとは5戦して、3勝2敗。その5戦の何れもメイショウサムソンとアドマイヤムーンのいずれかが1着となっている。
    • メイショウサムソン(皐月賞、東京優駿、天皇賞秋)、アドマイヤムーン(宝塚記念、ジャパンカップ)
  • ドリームパスポートとは14戦して、6勝8敗で負け越しているものの、レースの勝ち星という点ではメイショウサムソンが3勝と上回っている。逆にドリームパスポートはメイショウサムソンに先着し、かつ勝利したレースはきさらぎ賞と神戸新聞杯の2勝。

種牡馬時代[編集]

2009年より北海道安平町社台スタリオンステーションにて種牡馬入りした。初年度の種付料は250万円。サンデーサイレンスの血を持たないため、サンデーサイレンスを父に持つ牝馬に好まれている。[要出典]2012年に初年度産駒がデビュー。7月31日門別競馬第7競走JRA認定アタックチャレンジ2歳未勝利でブエラが中央・地方通じての産駒初勝利をあげた。この年は新種牡馬ランキング6位になったものの、中央では30頭が73戦して未勝利に終わった。

2013年11月30日イーストスタッドへ移動。2014年からは同地で種牡馬生活を送る[3]

主な産駒[編集]

特徴[編集]

叩き良化タイプでもありオペラハウス産駒らしく堅牢な馬である。道悪を苦にしないパワー、持続力勝負や接戦に強さをみせる一方で、レコード勝ちを収めているように高速馬場でのスピード決着にも強い。抜け出すとソラを使う(集中力を欠いて失速する癖)時もあり、馬体を合わせないと伸び切れないため競馬の幅が狭く、一線級の相手との瞬発力での勝負だとあっけなく負けてしまうことも多かった。

そして、その欠点を補うためか、古馬になってからはまくりぎみに仕掛けて早めに先団に取り付き、粘りきる戦法を用いる戦法もとるようになった。実際、2007年の天皇賞(春)では3200mの長丁場であるにも関わらず、まくりあげて直線入り口で先頭に立つとそこから後続馬の追撃をしのいで勝つという非常にタフな競馬をしている(同レースでは、レコードを記録した2006年のレースよりも3000mの通過タイムが速い。つまり非常に早仕掛けであった)。2007年の大阪杯では大型馬らしく59kgの斤量も問題なくこなした。このようなパワー、持続力という個性、代々欧州にルーツをもつ種牡馬を配合されてきた血統的背景からは日本の馬場よりもむしろ欧州の馬場への適性が高いと思われており、実現はしなかったが第86回凱旋門賞への挑戦はファンを大いに期待させた。

また、暖かい春先から夏場にかけては好成績をあげているが、気温が下がってくる秋から冬にかけてはあまりいい成績を残せていない。

血統表[編集]

メイショウサムソン血統サドラーズウェルズ系ノーザンダンサー系) / Northern Dancer 3×4=18.75%)

*オペラハウス
Opera House 1988
鹿毛 イギリス
Sadler's Wells 1981
鹿毛 アメリカ
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Fairy Bridge Bold Reason
Special
Colorspin 1983
鹿毛 イギリス
High Top Derring-Do
Camenae
Reprocolor Jimmy Reppin
Blue Queen

マイヴィヴィアン 1997
鹿毛 北海道静内町
*ダンシングブレーヴ
Dancing Brave 1983
鹿毛 アメリカ
Lyphard Northern Dancer
Goofed
Navajo Princess Drone
Olmac
ウイルプリンセス 1983
鹿毛 北海道静内町
*サンプリンス
Sun Prince
Princely Gift
Costa Sola
エール *フォルティノ Fortino
ガーネツトF-No.3-l

近親[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 2006年に第85回凱旋門賞へ出走したディープインパクトも同様に帰国後天皇賞(秋)への出走登録を行ったが回避している。「滞在競馬場での着地検査中に限れば、滞在競馬場でのみ出走が許可される」という規定を利用したものである。
  2. ^ 競馬ブックweb
  3. ^ メイショウサムソンがイーストスタッドに移動”. 競走馬のふるさと案内所 (2013年12月4日). 2013年12月8日閲覧。

外部リンク[編集]