第118回天皇賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

第118回天皇賞(だい118かいてんのうしょう)は、1998年11月1日東京競馬場で開催された競馬競走である。サイレンススズカが圧倒的な1番人気に支持されたが、競走中に故障を発症し、安楽死処分になされた。優勝馬はオフサイドトラップ。年齢は全て旧表記にて表記。

レース施行時の状況[編集]

天皇賞(秋)本馬場入場時のサイレンススズカ(1998年11月1日、東京競馬場にて撮影)

2000mで施行されて以来、多くの馬が出走し易い中距離ということもあって数多くの有力馬が出走してきた天皇賞(秋)ではあったが、1990年代半ばから外国産馬の活躍も目立つようになってきたこととは裏腹に、当時の同競走は外国産馬に開放されておらず、実力馬が揃うことが少なくなってきていた。そのような経緯もあり、当年は同競走を最大目標と定めていた内国産馬サイレンススズカのためのレースといっても過言ではなかった。

同馬は、序盤からハナを奪う(先頭に立つ)と、そのまま天性のスピードに任せてハイペースで飛ばしながら後半さらに、恵まれた瞬発力で突き放すという常識破りのレース振りでこの年に入ってからJRAGI宝塚記念を含む無敗の6連勝中であり、すでに稀代の逃げ馬としての地位を確立していた。中でも前走の第49回毎日王冠(特記記事あり)では、NHKマイルカップを無敗で勝ったエルコンドルパサーと、同じく無敗で朝日杯3歳ステークス(現:朝日杯フューチュリティステークス)を勝ったグラスワンダーの無敗のマル外勢(外国産馬)相手に1000mを57秒7のハイペースで飛ばしながら後半さらに突き放して悠々と勝利、倒した相手・パフォーマンス共に申し分のないものであった。さらに他に勝った競走でも、金鯱賞では平地競走重賞では珍しい大差勝ちを収め、宝塚記念では名牝エアグルーヴや同年の春の天皇賞優勝馬メジロブライトも退けており、もはや中距離においては日本はおろか世界を見渡してもサイレンススズカを相手に勝てる馬はいないのではという声もあがるほどであった。事実、アメリカ合衆国の競馬雑誌でもサイレンススズカのことは取り上げられており、サイレンススズカ陣営はこの競走後ジャパンカップに出走し、更にはアメリカ遠征を考えていた。

同競走はフルゲート(18頭)に満たない12頭のみの出走となったが、これには中距離でサイレンススズカを相手に勝てないという考えから、多くの陣営がこの競走を回避したためである。また、外国産馬のエルコンドルパサーとグラスワンダーにはこの競走への出走資格はなく、前年のこの競走の優勝馬であるエアグルーヴは、サイレンススズカ・エアグルーヴ両馬の主戦騎手であった武豊の騎乗兼ね合いの問題や、ハードなローテーションになるリスクを避けてエリザベス女王杯一本に出走することにした。結果として、この競走に出走するGI優勝馬はサイレンススズカとメジロブライト、シルクジャスティス、休み明けのダートGI馬グルメフロンティアの4頭だけとなり、他の有力馬としては宝塚記念でサイレンススズカに食い下がったステイゴールドや8歳ながら調子を上げてきたオフサイドトラップがいる程度であった。

当日のサイレンススズカの単勝オッズはその圧倒的なパフォーマンスに加え、逃げ馬には有利な最内枠を引いたこともあり1.2倍(支持率61.9%)の圧倒的1番人気となり、新聞雑誌各紙はアクシデントがない限りサイレンススズカは負けないという評価がほとんどであり、どのくらいのタイムで勝利し、どのくらい後続を千切るのかが見所とする評論家も少なくなかった。またレース前に、この競走でサイレンススズカに騎乗する武豊は「今回もオーバーペースで逃げるつもりです」と宣言していた。離れた2番人気はメジロブライト、3番人気はシルクジャスティスと続いた。

出走馬と枠順[編集]

枠番 馬番 競走馬名 騎手 オッズ 調教師
1 1 サイレンススズカ 牡5 武豊 1.2(1人) 橋田満
2 2 メジロブライト 牡5 河内洋 6.2(2人) 浅見秀一
3 3 テイエムオオアラシ 牡6 福永祐一 139.9(12人) 二分久男
4 4 ローゼンカバリー 牡6 横山典弘 71.4(9人) 鈴木康弘
5 5 ゴーイングスズカ 牡6 南井克巳 78.3(10人) 橋田満
6 オフサイドトラップ 牡8 柴田善臣 42.4(6人) 加藤修甫
6 7 サイレントハンター 牡6 吉田豊 56.1(8人) 大久保洋吉
8 サンライズフラッグ 牡5 安田康彦 29.2(5人) 安田伊佐夫
7 9 シルクジャスティス 牡5 藤田伸二 8.4(3人) 大久保正陽
10 ステイゴールド 牡5 蛯名正義 16.7(4人) 池江泰郎
8 11 ランニングゲイル 牡5 四位洋文 82.4(11人) 加用正
12 グルメフロンティア 牡7 岡部幸雄 46.6(7人) 田中清隆

レース展開[編集]

絶好のスタートを切り、予想通りハナを奪ったサイレンススズカはグリーンベルト(インコース)に向かって一直線に伸びて行き、最初の1ハロンこそ13秒と比較的ゆったりと行ったものの、2ハロンあたりから加速し、2ハロン、3ハロンをそれぞれ10.9秒、10.7秒というハイラップを刻んでいった。

前走でサイレンススズカに喧嘩を売った馬がつぶれているためか、同馬を追いかける馬はおらず、第2コーナーあたりで早くも同じ逃げ馬のサイレントハンターに8馬身ほどのリードをつけ、3番手にはそこからさらに6・7馬身ほど遅れてオフサイドトラップが続いており、テレビ中継のカメラがアングルを目いっぱい引かなければすべての出走馬が映りきらないほど縦長の展開になるという異様な展開となった。

その後もサイレンススズカは1000m通過タイムが距離が200m短い前走の毎日王冠よりもさらに速い57秒4というかなりのハイペースで飛ばし続け、3コーナーの手前では後続のサイレントハンターに10馬身以上のリードをつけていたため、過去のサイレンススズカのパフォーマンスを知っている者の多くはサイレンススズカの圧勝を予想する者も少なくなく、多くの者の注目の内容はどの馬が勝つかではなく、どのくらいのタイムで勝つかに注目が変わりつつあった。

しかし第3コーナーに差し掛かったその時、突然サイレンススズカが沈み込むように失速。この時、左前脚手根骨粉砕骨折を発症し、競走中止した。しかし転倒することはなく、サイレンススズカは必死に外へ馬体を運んで行ったため、後続の馬と接触することはなく、2番手のサイレントハンターが外を回されるという不利を受ける程度に止まった。

その後サイレントハンターが先頭で直線に入ったところで、今度は3番手だったオフサイドトラップが進出。サイレントハンターを交わすとステイゴールドの猛追を何とかしのぎ切りゴールイン。史上初の旧8歳(現7歳)での天皇賞(秋)優勝となった。そして2番手には例によっていう感じでステイゴールドが入り、これでこの年に入ってG1競走3回連続2着という珍事も起こった。

一方の3コーナーで故障を発症したサイレンススズカは診断の結果予後不良の診断が下され、その場で安楽死処分となった。

レース結果[編集]

全着順[編集]

着順 馬番 馬名 勝ち時計
1着 6 オフサイドトラップ 1.59.3
2着 10 ステイゴールド 1 1/4
3着 8 サンライズフラッグ 3
4着 7 サイレントハンター アタマ
5着 2 メジロブライト 1/2
6着 5 ゴーイングスズカ 1 1/2
7着 11 ランニングゲイル 1/2
8着 9 シルクジャスティス クビ
9着 3 テイエムオオアラシ 3
10着 4 ローゼンカバリー クビ
11着 12 グルメフロンティア 8
中止 1 サイレンススズカ

払戻金[編集]

単勝式 6 4240円
複勝式 6 580円
8 450円
10 300円
枠連 5-7 3680円
馬連 6-10 12210円

レース後[編集]

レース後の武豊の落ち込みは相当なものであり、このレースでテイエムオオアラシに騎乗していた福永祐一は、「あんな落ち込んだ豊さんを今まで見たことがなかった」と証言している。

武豊はオフサイドトラップの勝ちタイムが1分59秒3について、「サイレンス(スズカ)がそんなに早くバテる訳ない。やっぱり千切っていたね」と無念のコメントを残している。この時のスーパー競馬で解説をしていた大川慶次郎は、「無事に走っていれば7・8馬身は前で走っていたのではなかろうかと」と語り、「これで競馬には絶対がないから怖いんですよね」という言葉を残している。

対照的に、オフサイドトラップが幾度も故障に見舞われながらも競走馬として長く現役であり続け、この競走でG1勝利まで辿り着き、優勝馬と1番人気馬の対比が、どんなに素晴らしい能力を兼ね備えていても最後まで無事に走り切らないと意味がないという『無事是名馬』という格言を証明するようなレースになった。勝利したオフサイドトラップの柴田善臣は、勝利騎手インタビューで「数少ないオフサイドトラップファンの皆さん、応援ありがとうございました」とファンに呼びかけた。

武豊は、翌年スペシャルウィークでこの競走を制しており、この時「ゴールの瞬間、まるでサイレンススズカが後押しをしてくれたようでした。」と語っている。ちなみに、その時も2着はステイゴールドであった。

レースにまつわるエピソード[編集]

  • フジテレビの『スーパー競馬』でレースの実況を務めた塩原恒夫は、サイレンススズカが故障し、競走を中止した直後の東京競馬場観客席の雰囲気を『沈黙の日曜日』と表現した(奇しくも父サンデーサイレンスは沈黙の日曜日という意味である)。また、同番組司会の斎藤陽子はショックのあまり涙ぐんでいた。