シンボリクリスエス

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シンボリクリスエス
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1999年1月21日(15歳)
登録日 2001年7月5日
抹消日 2003年12月28日
Kris S.
Tee Kay
母の父 Gold Meridian
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産 タカヒロ ワダ
馬主 シンボリ牧場
調教師 藤沢和雄美浦
競走成績
生涯成績 15戦8勝
獲得賞金 9億8472万4000円
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シンボリクリスエス日本競走馬種牡馬アメリカで生まれ日本で調教を受けた外国産馬である。天皇賞(秋)有馬記念を連覇するなど活躍し、2年連続でJRAの年度代表馬に選出された。

デビュー以前[編集]

導入の経緯[編集]

本馬はアメリカ合衆国ケンタッキー州ミルリッジファームで1月21日に生まれた[1]。本馬の母ティーケイ(Tee Kay)は米G3の勝ち馬だが、血統的にそれほど特筆すべきところはなく、母系を辿っても活躍馬はほとんど出ていなかったため売りに出されたところを、和田孝弘によって約30万ドルで購入され、アメリカのミルリッジファームに預けられていた。本馬はその2番仔にあたる。和田は、サンデーサイレンスに変わる新たな種馬を見据えた形でこの馬を生産したと語っている[2]

馬名[編集]

シンボリ牧場の冠名である「シンボリ」と父馬「クリスエス」からとられた。デビューから3歳時の有馬記念まではときどき、シンボリ牧場が過去に所有していた「シンボリクリエンス[3]」と間違われることがあった。

競走馬時代[編集]

2歳・3歳時(2001年〜2002年)[編集]

2001年10月13日東京競馬場の芝1600mの新馬戦でデビュー。単勝4番人気であったが勝利を飾る。

明けて2002年、セントポーリア賞、ゆりかもめ賞、500万下条件戦と惜敗が続くが、山吹賞で2勝目を挙げると、青葉賞では武豊を背に優勝。前年から外国産馬の出走が可能となった東京優駿(日本ダービー)へ駒を進めた。武豊がタニノギムレットを選んだため岡部幸雄が騎乗した東京優駿(日本ダービー)では最後の直線で先頭集団に取り付いたが、馬場の真ん中外目から追い込んできたタニノギムレットに差されて2着に敗れた。

休養をはさんで迎えた秋競馬、初戦の神戸新聞杯では皐月賞優勝馬ノーリーズンを寄せ付けずに優勝。その後菊花賞へは向かわず、東京競馬場の改修工事のために中山競馬場での変則開催となった天皇賞(秋)に出走。単勝3番人気に支持され、ナリタトップロードテイエムオーシャンなどの古馬たちを相手に優勝した。この勝利は鞍上岡部幸雄の史上最年長のGI勝利となり、結果的にこれが最後のGI勝利となった。

続く中山の2200メートルでの変則開催となったジャパンカップではオリビエ・ペリエに乗り替わり、単勝1番人気に推された。レースでは日本馬では最先着だったが、単勝9番人気のファルブラヴと同11番人気のサラファンといった人気薄の海外古馬勢にハナ・クビの3着に敗れた。馬連1-8は25,600円、馬単1-8は45,850円、三連複1-7-8は35,730円の大荒れとなった。

有馬記念では、単勝人気は無敗で秋華賞エリザベス女王杯を制した3歳牝馬のファインモーションに次ぐ2番人気に甘んじたが、レースでは直線逃げ粘るタップダンスシチーを鋭い差し脚で強襲し、ゴール寸前で交わして勝利した。タップダンスシチーが13番人気であったため、馬連1-8は14,830円、馬単1-8は20,630円、三連複は40,570円の万馬券と、ジャパンカップに引き続き馬連・馬単・三連複ともに万馬券となった。

2002年のJRA賞(年度代表馬・最優秀3歳牡馬)に選出される。

4歳時(2003年)[編集]

当初は3歳限りで引退、種牡馬入りというプランもあったのだが、2003年も現役続行。前年の疲労や距離適性を考え、天皇賞(春)は回避し、前年の有馬記念からぶっつけで宝塚記念に出走した。鞍上にケント・デザーモを迎え、単勝1番人気に支持されるが、レースでは直線早めに先頭に立つも伸びを欠き、同期の菊花賞馬ヒシミラクルの5着に敗れた。その後は秋に備えて休養に入る。

ふたたび休み明け初戦で迎えた天皇賞(秋)ではペリエ騎乗で臨み、東京2000mでは不利だとされる大外枠ながら、単勝1番人気に応えて史上初の連覇を達成した。

次走のジャパンカップでは、単勝1.9倍で1番人気に推された。レースは不良馬場の中、タップダンスシチーに逃げ切られ、2着ザッツザプレンティにも届かず、前年に引き続き1番人気で3着という結果に終わる。後日、ペリエは馬に全く気合いが入っていないこと、藤沢は天皇賞に勝ったことで人馬ともに浮かれてしまっていたことを敗因に挙げた。

その後、引退レースの有馬記念に向けて調教が行われたが、藤沢としてはめずらしくいつもよりかなり強めの調教を行う。そして迎えた本番は単勝1番人気に支持された。レースは最初の900mが52.2秒、100mからゴールまでの1ハロンごとのタイムで12.9秒が最も遅いという息をつくところがないハイペースになるが、道中は馬群の中段でスタミナを温存し、最後の直線で瞬く間に先頭に立つと後続をグングンと引き離し、2着のリンカーンに有馬記念史上最大の9馬身差をつけ、ダイユウサク1991年にマークしたレコードをコンマ1秒破る快走で、スピードシンボリシンボリルドルフグラスワンダーに次ぐ史上4頭目の有馬記念連覇で有終の美を飾った。騎乗したペリエはレース後に「自分が今まで乗った中で、パントレセレブルに匹敵するくらいのベストホースだと思います」と本馬を絶賛した[4]。同日最終レースの終了後、中山競馬場にて引退式が行われた。

2003年のJRA賞では年度代表馬と最優秀4歳以上牡馬に選出。2年連続の年度代表馬は啓衆社賞・優駿賞時代を含めるとシンボリ軍団の先輩であるシンボリルドルフ以来4頭目の栄誉であった。

競走成績[編集]

年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量
[kg]
距離(馬場) タイム
(上り3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
2001. 10. 13 東京 2歳新馬 9 1 1 6.5(4人) 1着 岡部幸雄 53 芝1600m(良) 1:36.5(34.9) -0.1 (アサクサキニナル)
2002. 1. 27 東京 セントポーリア賞 14 8 14 3.6(2人) 2着 横山典弘 55 芝1800m(不) 1:53.3(36.5) 0.1 タイムレスワールド
2. 9 東京 ゆりかもめ賞 16 8 16 1.7(1人) 3着 横山典弘 55 芝2400m(良) 2:30.8(34.7) 0.2 トウカイアロー
3. 10 中山 3歳500万下 16 5 9 1.8(1人) 3着 岡部幸雄 55 芝1800m(良) 1:48.0(34.2) 0.6 マイネルリバティー
4. 6 中山 山吹賞 16 8 15 2.8(2人) 1着 岡部幸雄 55 芝2200m(良) 2:14.3(34.7) -0.3 (マイネルアムンゼン)
4. 27 東京 青葉賞 GII 18 2 3 2.2(1人) 1着 武豊 56 芝2400m(良) 2:26.4(34.1) -0.4 (バンブーユベントス)
5. 26 東京 東京優駿 GI 18 6 11 6.2(3人) 2着 岡部幸雄 57 芝2400m(良) 2:26.4(35.2) 0.2 タニノギムレット
9. 22 阪神 神戸新聞杯 GII 16 5 9 2.1(1人) 1着 岡部幸雄 56 芝2000m(良) 1:59.1(35.1) -0.4 ノーリーズン
10. 27 中山 天皇賞(秋) GI 18 4 8 6.5(3人) 1着 岡部幸雄 56 芝2000m(良) 1:58.5(34.4) -0.1 ナリタトップロード
11. 24 中山 ジャパンC GI 16 4 7 3.4(1人) 3着 O.ペリエ 55 芝2200m(良) 2:12.3(35.7) 0.1 ファルブラヴ
12. 22 中山 有馬記念 GI 14 1 1 3.7(2人) 1着 O.ペリエ 55 芝2500m(稍) 2:32.6(34.6) -0.1 タップダンスシチー
2003. 6. 29 阪神 宝塚記念 GI 17 3 5 2.1(1人) 5着 K.デザーモ 58 芝2200m(良) 2:12.3(37.0) 0.3 ヒシミラクル
11. 2 東京 天皇賞(秋) GI 18 8 18 2.7(1人) 1着 O.ペリエ 58 芝2000m(良) R1:58.0(33.6) -0.2 ツルマルボーイ
11. 24 東京 ジャパンC GI 18 3 5 1.9(1人) 3着 O.ペリエ 57 芝2400m(重) 2:30.3(37.1) 1.6 タップダンスシチー
12. 28 中山 有馬記念 GI 12 8 12 2.6(1人) 1着 O.ペリエ 57 芝2500m(良) R2:30.5(35.3) -1.5 リンカーン

※タイム欄のRはレコード勝ちを示す。

種牡馬時代[編集]

種牡馬入りを見据え、2003年となった時点で社台グループに権利の半分が譲渡された[5]。翌2004年から種牡馬として社台スタリオンステーションで供用され、初年度産駒が2007年にデビューした。

2005年に誕生した産駒は見栄えの良い馬も多く、セレクトセールの初日にマストビーラヴドの2005[6]が同年の最高価格となる2億1000万円で落札され、大きな話題を呼んだ。

2007年の種牡馬デビュー後、産駒がなかなか勝てなかったが、8月11日にギンザフローラルが産駒の初勝利をあげた。最終的には18頭の勝ち上がりで18勝という成績で2007年度のフレッシュリーディングサイアーを獲得したが、配合された牝馬のレベルを考えると、2勝馬が出なかった成績には疑問も投げかけられている[7]。しかし年が明けた2008年には2勝目、3勝目を、さらにはダンツキッスイなど重賞勝利をあげる産駒も出始め、同年のジャパンダートダービー、更に翌2009年フェブラリーステークスサクセスブロッケンが制したことで、GIサイアーの仲間入りを遂げた。

年度別種牡馬成績(中央+地方)[編集]

出走 勝利 順位 AEI 収得賞金
頭数 回数 頭数 回数
2007年 71 191 20 20 85 0.80 2億2857万6000円
2008年 229 1179 106 146 11 1.72 15億8396万5000円
2009年 306 1908 135 229 3 1.96 24億1343万8000円
2010年 350 2168 138 223 4 1.80 25億3520万1000円
2011年 381 2475 149 242 3 1.71 25億4798万5000円
2012年 438 2984 163 281 4 1.48 25億994万1000円
2013年 438 3187 177 324 3 1.42 24億3021万2000円

主な産駒[編集]

太字はGI級競走

サクセスブロッケン
ストロングリターン
アルフレード
エピファネイア

特徴[編集]

戦績

15戦して1度も掲示板を外しておらず、ハイペースでの中長距離戦を得意とした。高速馬場で数々の実績を上げているが、重馬場では良績を残せていない。

血統

血統内には日本の馬にはあまり包含されていない種牡馬が比較的多く、またノーザンダンサーミスタープロスペクターの血が入っていないため、配合しやすいのが種牡馬としての強みである。サンデーサイレンスの肌馬との交配も、Hail to Reasonの(4×7)×4が発生するもののそれほど濃いインブリードではないため、比較的無理のない範囲で配合可能である。

性格

ペリエ曰く堂々として気高い馬だそうである。レース前に担当ではない者がシンボリクリスエスを連れて行こうとしたところ噛み付いたという。これは連れて行こうとしたものが同馬を馬だということで見下した扱いをしたためだとペリエは言っている。その後担当者が連れて行こうとしたところ今度は素直になったという。

エピソード[編集]

青葉賞優勝後、調教師の藤沢はこの馬にダービー制覇を期待していたが、青葉賞で騎乗した武は藤沢に「この馬秋になったら強くなりますよ」と語ったという。それを聞いた藤沢は「秋かよ」と内心思っていたそうである。そして、実際に迎えたダービーでは、シンボリクリスエスは武豊騎乗のタニノギムレットに差し切られている。

血統表[編集]

シンボリクリスエス血統ロベルト系Royal Charger 5×5=6.25%)

Kris S. 1977
黒鹿毛 アメリカ
Roberto 1969
鹿毛 アメリカ
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
Sharp Queen 1965
鹿毛 アメリカ
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Bridgework Occupy
Feale Bridge

Tee Kay 1991
黒鹿毛 アメリカ
Gold Meridian 1982
黒鹿毛 アメリカ
Seattle Slew Bold Reasoning
My Charmer
Queen Louie Crimson Satan
Reagent
Tri Argo 1982
黒鹿毛 アメリカ
Tri Jet Jester
Haze
Hail Proudly Francis S.
Spanglet F-No.8-h
近親など
  • 母Tee Kayは重賞1勝(GIIIマーサワシントンハンデキャップ)を挙げている。
  • 近親には母の全妹Tritheniaを2代母として持つWell ArmedドバイワールドカップなどGI2勝)がいる。

脚注[編集]

  1. ^ ノボトゥルーも本馬と同じ牧場で生産されている。
  2. ^ ポニーキャニオン『シンボリクリスエス 歴史を紡いだ勇者』
  3. ^ 1992年の中山大障害(春)(秋)を制している。
  4. ^ Yahoo!スポーツ 競馬 最強ヒストリー
  5. ^ 「天皇賞馬シンボリクリスエス、来年からシンボリと社台の共同所有馬に」(日刊スポーツ、2002年11月29日)
  6. ^ ラインクラフトの半弟。ダノンマスターズで登録されている。父と同じ藤沢和雄厩舎に預託され、2008年3月に8戦目で初勝利をあげた。
  7. ^ 「藤井正弘の血統トピック」の2008年1月8日付けの記事、「オープン馬不在の2歳新種牡馬王者」によると、OP馬不在の2歳新種牡馬チャンプは「過去に例がない」とのこと。
  8. ^ 5戦1勝。2008年11月8日に中央の登録を抹消され、1年以上経った2010年3月31日に種牡馬登録された。形式上は産駒初の後継種牡馬となる。

外部リンク[編集]