ダイナガリバー

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ダイナガリバー
欧字表記 Dyna Gulliver[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1983年3月23日[1]
死没 2012年4月26日(29歳没)
ノーザンテースト[1]
ユアースポート[1]
母の父 バウンティアス[1]
生国 日本の旗 日本北海道千歳市[1]
生産者 社台ファーム千歳[1]
馬主 (有)社台レースホース[1]
調教師 松山吉三郎[1]
競走成績
タイトル 優駿賞年度代表馬(1986年)
最優秀4歳牡馬(1986年)[1]
生涯成績 13戦5勝[1]
獲得賞金 2億5994万6300円[1]
勝ち鞍
GI 東京優駿 1986年
GI 有馬記念 1986年
GIII 共同通信杯4歳S 1986年
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ダイナガリバー(欧字名:Dyna Gulliver1983年3月23日 - 2012年4月26日[1]日本競走馬種牡馬。主な勝ち鞍に1986年東京優駿有馬記念共同通信杯4歳ステークス。特徴的な顔と馬名から流星の巨人と呼ばれた。[2]

半兄に、マイラーズカップなど重賞3勝を挙げたカズシゲがいる。また、社台グループにおける初の日本ダービー優勝馬となった。

競走馬時代[編集]

3歳時(1985年)[編集]

デビューは1985年8月函館での新馬戦。1番人気に支持されながら2着に終わったが、折り返しの新馬戦で1番人気に応えて勝利した。この2戦は吉永正人が騎乗している。

その後、ソエがでて間隔が開き、12月の中山でのオープン特別・ひいらぎ賞に出走。久々の出走に加えて初の2000mという事で3番人気だったが、レースでは2着のマウントニゾンに1馬身1/4の差を付けて快勝した。このレースからラストランまで増沢末夫が騎乗する事になる。

4歳時(1986年)[編集]

共同通信杯 - 皐月賞[編集]

4歳になり、ダイナガリバーは共同通信杯4歳ステークスから始動した。1番人気に支持されたこのレースでは先行して抜け出すというレースぶりで1分48秒7のレースレコードで快勝した。

しかし、次走に予定していたスプリングステークスが降雪のため、翌週に延期された。無理して使っても中1週で皐月賞に挑む事になるため、スプリングステークスをパスしたダイナガリバーはぶっつけで皐月賞に挑む事になった。

皐月賞では朝日杯3歳ステークスの勝ち馬ダイシンフブキに次ぐ2番人気に支持されたが、調整に狂いが生じていたのか動きに鋭さがなく、ダイナコスモスの10着に大敗した。

日本ダービー[編集]

第53回日本ダービーは23頭立て、晴れの良馬場という絶好のコンディションで行われた。

社台グループの総裁・吉田善哉は「ダイナガリバーでダービーを獲る」と高らかに宣言したのにもかかわらず、皐月賞の大敗が響き、NHK杯を快勝した関西の秘密兵器ラグビーボール、皐月賞馬ダイナコスモスに次いで3番人気に甘んじた。

1000mを62秒5とスローで流れたこのレースで道中前めにつけ、直線で先頭に立つと、追ってきたグランパズドリームを半馬身抑えて優勝した。騎乗した増沢はこの時48歳7か月5日であり、史上最年長のダービージョッキーとなった。

セントライト記念 - 菊花賞[編集]

ダイナガリバーの秋初戦はセントライト記念だった。1番人気に支持されたがレジェンドテイオーの4着に敗れた。続く京都新聞杯も2番人気に支持されながらタケノコマヨシの4着に終わり、「ダイナガリバーは右回りでは走らない」「ダイナガリバーはダービーでもう仕事を終えた」と競馬関係者に思われるようになった。ところが、5番人気に人気が落ちたクラシック最終戦の菊花賞では持ち前の先行力を生かして粘り、勝ったメジロデュレンからクビ差の2着に入り、地力をみせた。

有馬記念[編集]

有馬記念では、前年の2冠馬ミホシンザン、牝馬3冠馬メジロラモーヌ天皇賞・秋優勝馬サクラユタカオーに次いで4番人気に支持された。平均ペースで流れたこのレースで道中4番手につけると、直線で内ラチ沿いをしっかりと伸び、同じ馬主のギャロップダイナを2着に引き連れて優勝した。表彰式では吉田がダイナガリバーとギャロップダイナの両馬の手綱を手に取った事で話題になっている。

日本ダービーと有馬記念を制した事が決め手となり、ダイナガリバーは1986年度の優駿賞年度代表馬に選出されている。

5歳時(1987年)[編集]

5歳となり天皇賞(春)を目指して、日経賞に出走したが3着に終わった。この頃、秋に凱旋門賞に挑戦するためフランスに遠征する計画が持ち上がっていたが、天皇賞前に骨折してしまい、この計画は頓挫してしまった。

秋には骨折が癒え、毎日王冠から復帰したが12着と大敗、続く有馬記念も14着と惨敗し、この有馬記念を最後に引退した。

競走成績[編集]

以下の内容は、netkeiba.com[3]およびJBISサーチ[4]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬) 馬体重
[kg]
1985.08.04 函館 3歳新馬 芝1200m(良) 5 4 4 001.60(1人) 02着 R1:12.5 -0.8 0吉永正人 53 カツタイフウオー
0000.08.25 函館 3歳新馬 芝1200m(良) 5 2 2 001.50(1人) 01着 R1:12.2 -0.2 0吉永正人 53 (バーニングダイナ)
0000.12.21 中山 ひいらぎ賞 OP 芝2000m(良) 10 3 3 010.60(3人) 01着 R2:04.1 -0.2 0増沢末夫 54 (マウントニゾン)
1986.02.09 東京 共同通信杯4歳S GIII 芝1800m(良) 9 1 1 001.60(1人) 01着 R1:48.7(49.3) -0.3 0増沢末夫 55 (マウントニゾン) 470
0000.04.13 中山 皐月賞 GI 芝2000m(良) 21 6 15 004.90(2人) 10着 R2:03.9(38.6) -1.8 0増沢末夫 57 ダイナコスモス 476
0000.05.25 東京 東京優駿 GI 芝2400m(良) 23 3 6 006.60(3人) 01着 R2:28.9(48.6) -0.1 0増沢末夫 57 グランパズドリーム 470
0000.09.28 中山 セントライト記念 GIII 芝2200m(良) 9 1 1 001.60(1人) 04着 R2:15.0(36.5) -0.5 0増沢末夫 56 レジェンドテイオー 472
0000.10.19 京都 京都新聞杯 GII 芝2200m(良) 13 3 3 004.00(2人) 04着 R2:14.6(48.8) -0.3 0増沢末夫 57 タケノコマヨシ 484
0000.11.09 京都 菊花賞 GI 芝3000m(良) 21 6 14 009.00(5人) 02着 R3:09.3(49.0) -0.1 0増沢末夫 57 メジロデュレン 484
0000.12.21 中山 有馬記念 GI 芝2500m(稍) 12 5 6 007.70(4人) 01着 R2:34.0(37.4) -0.1 0増沢末夫 55 ギャロップダイナ 482
1987.04.05 中山 日経賞 GII 芝2500m(良) 7 6 6 002.60(2人) 03着 R2:34.6(35.6) -0.8 0増沢末夫 58 ミホシンザン 488
0000.10.11 東京 毎日王冠 GII 芝1800m(良) 12 4 4 007.90(4人) 12着 R1:47.8(46.2) -1.7 0増沢末夫 59 ダイナアクトレス 470
0000.12.27 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 16 5 9 011.70(5人) 14着 R2:36.0(35.4) -2.1 0増沢末夫 57 メジロデュレン 460

種牡馬時代[編集]

1988年からレックススタッド種牡馬となり[5]桜花賞優勝馬ファイトガリバーを含む5頭の重賞馬を出した[5]内国産種牡馬が冷遇されていた時代において、アンバーシャダイと並ぶノーザンテーストの代表産駒として700頭を越える繁殖牝馬と交配を行い健闘した[6]

2001年のシーズンを最後に種牡馬生活を退いて去勢され、ノーザンホースパーク功労馬として余生を過ごした[5]

2012年4月26日疝痛で死亡した[7]。29歳没。社台スタリオンステーションと桜舞馬公園にダイナガリバーの墓がある[8][9]

主な産駒[編集]

太字は勝利したGI級競走。

ブルードメアサイアーとしての主な産駒[編集]

エピソード[編集]

  • 生まれたときにバランスの取れた雄大な馬だったので、社台ファームの吉田善哉が生まれたばかりの同馬を見て「ダービー馬が生まれたぞ!」と言った逸話がある。
  • しかし顔の鼻までかかる左右不対称の白い部分(大流星)があった。馬産地では「顔に鼻までかかる大流星がある馬は大成できない」が迷信として広まっており、当初は「サクラ」の冠名で知られる全演植が購入するはずだったが、調教師の境勝太郎が「この馬を買われても私は預かりません」と言い、全に購入を断念させた経歴がある。同馬がダービーを勝ったあと、全が境に「あの馬やっぱりダービー勝ったじゃない」と言ったところ、境は「あの馬は松山師の所に行ったから勝てたんだよ。私の所に来てたら勝てなかったよ」と返したが、全の死後に出した著書では「今だから言えるが完全な負け惜しみだった」と書いている。
  • 有馬記念の口取り写真には同レースで引退する同馬主の2着馬・ギャロップダイナと2頭で記念写真を撮影した。
  • 馬房内で首を左右横に大きく振らす癖(船揺すり。熊癖とも呼ばれる)があり、それが原因で鼻を強打し、怪我をしたことがある。

血統表[編集]

ダイナガリバー血統ノーザンテースト系 / Lady Angela4×3=18.75%〈父内〉、Hyperion5×4×4=15.63%) (血統表の出典)

*ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛
父の父
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
父の母
Lady Victoria
1962 黒鹿毛
Victoria Park Chop Chop
Victoriana
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah

ユアースポート
1972 鹿毛
*バウンティアス
Bounteous
1958 鹿毛
Rockefella Hyperion
Rockfel
Marie Elizabeth Mazarin
Miss Honor
母の母
ファインサラ
1966 鹿毛
Correlation Free America
Braydore
*レディスラー Hasty Road
Surabaja F-No.16-h

全妹に中央競馬で2勝しエリザベス女王杯で4着したダイナシルエット、半妹ショーアップの子には障害レースで3勝し中山グランドジャンプでも3着したテレジェニックがいる。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ダイナガリバー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年8月16日閲覧。
  2. ^ ダイナガリバー「夢を叶えた流星の巨人」OH03-H039 | カードショップ うるま屋 powered by BASE”. カードショップ うるま屋. 2024年4月26日閲覧。
  3. ^ ダイナガリバーの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2022年8月8日閲覧。
  4. ^ ダイナガリバー 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年8月8日閲覧。
  5. ^ a b c 優駿』2002年2月号 108頁
  6. ^ ダイナガリバー | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2022年6月29日閲覧。
  7. ^ ダイナガリバーが死亡 86年のダービー・有馬記念を制覇”. 日本経済新聞 (2012年4月26日). 2021年3月25日閲覧。
  8. ^ 島田明宏 (2019年10月24日). “社台SSを訪ねて”. netkeiba.com. 2023年8月16日閲覧。 “吉田善哉の森。右手前には社台グループ初のダービー馬ダイナガリバーの墓が見える。”
  9. ^ ダイナガリバー”. 競走馬のふるさと案内所. 2023年8月16日閲覧。 “供養先: 桜舞馬公園(オウマイホースパーク)”
  10. ^ ナリタタイセイ”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。
  11. ^ エアインハート”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。
  12. ^ テスコガリバー”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。
  13. ^ インターライナー”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。
  14. ^ ファイトガリバー”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。
  15. ^ ゴーイングスズカ”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。
  16. ^ アローセプテンバー”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。
  17. ^ レインボーブレイズ”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。
  18. ^ トラベラー”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。
  19. ^ ガンバレバー”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。
  20. ^ マジックワルツ”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。
  21. ^ マンショウ”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。
  22. ^ ハクシュカッサイ”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。
  23. ^ メイショウバトラー”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。
  24. ^ マルヨサンデー”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。
  25. ^ ピクシーストーン”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。
  26. ^ ドリームカトラス”. JBISサーチ. 2017年10月21日閲覧。

参考文献[編集]

  • 優駿』 2002年2月号、日本中央競馬会、2002年2月1日。 
    • 坂口誠司『馬産地トピックス Topics from Hokkaido』

外部リンク[編集]