ヒカリデユール
| ヒカリデユール | |
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阪神競馬場にて 1983年2月27日
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| 英字表記 | Hikari Duel |
| 品種 | サラブレッド系種 |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 黒鹿毛 |
| 生誕 | 1977年3月6日 |
| 死没 | 不明(1992年廃用) |
| 父 | デュール |
| 母 | (サラ系)アイテイグレース |
| 母の父 | ゲイタイム |
| 生国 | |
| 生産 | キタノ牧場 |
| 馬主 | 佐々洋 →橋本善吉 |
| 調教師 | 飯野貞次(大井) →出川己代造(船橋) →出川龍一(船橋) →野島豊(愛知) →須貝彦三(栗東) |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 45戦10勝 (地方競馬38戦7勝) (中央競馬7戦3勝) |
| 獲得賞金 | 2億3518万2800円 |
ヒカリデユール(発音はヒカリデュール)は、日本の競走馬、種牡馬。1982年秋に地方競馬から中央競馬に移籍、同年に有馬記念に優勝するなど活躍し、1982年度優駿賞年度代表馬および最優秀5歳以上牡馬に選出された。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 出自
母方の先祖を辿っていくと、5代目にオーストラリアから輸入された牝馬・バウアーストックに辿り着く。理由は定かではないが、同馬は輸入時点で血統書が存在しておらず、「サラブレッドであろう」という推測の元に「サラブレッド系種」(サラ系)とされ、以降その子孫も同様の扱いを受けた[1]。ヒカリデュールもそうした子孫の内の1頭である。
[編集] 戦績
[編集] 地方競馬時代
デビューは大井競馬場。初出走以来、頻繁に出走を続け、敗戦と勝利を繰り返しながら賞金を重ねていった。4歳時には南関東三冠競走で4、4、2着。5歳時には東海公営の重賞・東海桜花賞(中京競馬場)に優勝している。6歳時の1982年秋に中央競馬・栗東トレーニングセンターの須貝彦三厩舎へ移籍。地方での通算成績は38戦7勝、重賞勝利は東海桜花賞のみと圧倒的な能力を持っていたわけではなかった。しかし地方時代の関係者は、従前に中央へ移籍し、重賞戦線で活躍していたカズシゲよりも通用すると評価していた[2]。
[編集] 中央競馬時代
中央初戦は鞍上に河内洋を迎え、朝日チャレンジカップに出走した。およそ3ヶ月振りの競走、前二走は地方競馬の競走で3着という成績から、評価は11頭立て7番人気というものだった。しかしレースになると、重馬場で行われた中で最後方からの差し切り勝ちを収め、移籍初戦での重賞制覇を果たす。以降、河内が主戦騎手として定着する。次走は天皇賞(秋)に出走、5番人気ながらメジロティターンのレコードタイム優勝から1馬身半差の2着と好走した。
続く国際招待競走のジャパンカップでは、来日した外国勢の顔触れが、日本の筆頭格が軒並み惨敗した前年第1回競走を遙かに凌ぐもの[3]となり、日本からの出走馬は15頭中わずか5頭。その中で優勝馬ハーフアイストから0.3秒差、日本馬最先着の5着となった。年末の有馬記念ではアンバーシャダイ、メジロティターンに続く3番人気に支持される。しかしレースではスタート直後に他馬に挟まれる不利があり[4]、後方2番手からの競馬となる。最後の直線に入った時点でもほぼ最後方の位置におり、手綱を取った河内自身も「これは駄目だ」と感じていた[5]。しかしヒカリデュールはそこから一気の追い込みを始め、短い直線で抜け出したアンバーシャダイをゴール直前でアタマ差かわして優勝、八大競走制覇を果たした。さらにこの秋シーズンの活躍が評価され、この年の年度代表馬に選出される。地方出身馬の年度代表馬は オンスロート以来20年振り、サラ系出身馬としては史上初であった。
翌年も現役を続行し、平場オープン戦を3着、大阪杯1着と調子を上げ、迎えた春の天皇賞でも3番人気に推される。河内も「きっと期待に応えてくれるはず[6]」と自信を持ってレースに臨んだ。しかしながら、2周目の向正面手前で故障を発生し競走中止。前第1指節複骨折で競走能力喪失と診断され、競走馬引退となった。
[編集] 種牡馬として
引退後は、1984年から馬主の橋本善吉が所有するトヨサトスタリオンステーションで種牡馬となり、1987年には35頭と交配したが、サラ系というハンデもあって産駒成績に恵まれず、1992年に廃用[7]。スタリオンの引退後の処遇についての意識が薄く、その後の行方については明らかになっていない。
[編集] 血統表
| ヒカリデユールの血統 (プリンスキロ系/Pharos・Fairway5×4=9.36%) | |||
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父
*デュール Duel 1961 黒鹿毛 |
Round Table 1954 鹿毛 |
Princequillo | Prince Rose |
| Cosquilla | |||
| Knight's Daughter | Sir Cosmo | ||
| Feola | |||
| Lea Moon 1955 黒鹿毛 |
Nasrullah | Nearco | |
| Mumtaz Begum | |||
| Lea Lark | Bull Lea | ||
| Colosseum | |||
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母
(サラ系)アイテイグレース 1967 栃栗毛 |
*ゲイタイム Gay Time 1949 栗毛 |
Rockefella | Hyperion |
| Rockfel | |||
| Daring Miss | Felicitation | ||
| Venturesome | |||
| (サラ系)アイテイオー 1960 黒鹿毛 |
*ハロウェー Harroway |
Fairway | |
| Rosy Legend | |||
| (サラ系)キタノヒカリ | トサミドリ | ||
| (サラ系)バウアーヌソル F-No.8-e | |||
種牡馬としてはサラ系が敬遠されたが、祖母アイテイオーは1963年の優駿牝馬優勝馬であり、3代母(曾祖母)キタノヒカリは朝日杯3歳ステークス優勝馬、その兄弟には朝日杯3歳ステークス、菊花賞、天皇賞(春)優勝馬キタノオー、菊花賞優勝馬キタノオーザがいる。他のサラブレッドになんら見劣りしない非常に優秀な血統であり、キタノ牧場の今井春雄も「良血と言って良いはずです。サラ系という言葉さえなければ」と語っている[8]。主な産駒として1989年の栄冠賞を獲得したベストドリームが挙げられる。中央入りした産駒にはマイネトロイマー、キリサイボーグ、シロキタブライト、リュウダイアナなどがあるが、オープン入りした産駒はない[7]。
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- 瀬戸慎一郎『悲劇のサラブレッド』(講談社、1993年)
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