リードホーユー
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| リードホーユー | |
|---|---|
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 黒鹿毛 |
| 生誕 | 1980年4月21日(29歳) |
| 死没 | (生存) |
| 父 | マラケート |
| 母 | トモノヒカル |
| 母の父 | ラークスパー |
| 生国 | |
| 生産 | 森田芳男 |
| 馬主 | 熊本芳雄 |
| 調教師 | 服部正利(栗東) |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 8戦3勝 |
| 獲得賞金 | 1億1198万5800円 |
リードホーユーは日本の競走馬。主な勝ち鞍は1983年の有馬記念。同期には三冠馬のミスターシービー、日本馬で初めてジャパンカップを優勝したカツラギエース、短距離戦線で無類の強さを誇ったニホンピロウイナーなどがいる。 田原成貴に初めて八大競走勝利をもたらしたことでも有名。史上唯一、重賞勝利が有馬記念だけという馬である。
目次 |
[編集] 戦績
1982年、3歳時から素質は評価されていたが、外埒へ斜行する悪癖のため、新馬勝ちの後はなかなか2勝目を挙げられなかった。翌1983年の春は条件特別を勝ってクラシック挑戦権を手にする寸前までいったものの、故障によって春のクラシック戦線から離脱することになる。故障から復帰した秋、京都新聞杯でカツラギエースの2着となり、カツラギエースとともにミスターシービーの三冠阻止の切り札として期待された。しかし、三冠最終戦の菊花賞では果敢に先行策で粘り込みを図ったものの、ミスターシービーの4着に終わる。次走の有馬記念で重賞初勝利を挙げ、ミスターシービー不在の中、世代(1980年生まれ)の強さをみせた。ところが、レース後に致命的な故障が判明し、無念の引退。現時点では唯一の「重賞勝ちが有馬記念のみ」の馬となっている。なお、重賞初勝利が有馬記念というのも現時点ではストロングエイトとの2頭のみである。
[編集] 引退後
種牡馬入りしたが、さしたる産駒も出ず、すぐにシンジケートは解散となった。その後、食肉用のセリに出されそうになったが、何とか救われ、乗馬クラブで主に乗馬用の種牡馬として過ごす。現在は種牡馬も引退し、功労馬として余生を送っている。
[編集] 主な産駒
- ビクトリアレット(しもつけオークス、しもつけ菊花賞、とちぎダービー2着)
- キューティハート(CBC賞4着)
[編集] 血統表
| リードホーユーの血統 (スウィンフォード系/Bois Roussel 5×5=6.25%(母内) ) | |||
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父
*マラケート Malacate 1973 鹿毛 |
Lucky Debonair 1962 黒鹿毛 |
Vertex | The Rhymer |
| Kanace | |||
| Fresh as Fresh | Count Fleet | ||
| Airy | |||
| Eyeshadow 1959 鹿毛 |
My Babu | Djebel | |
| Perfume | |||
| Pretty One | Bull Dog | ||
| Irvana | |||
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母
トモノヒカル 1971 鹿毛 |
*ラークスパー Larkspur 1959 栗毛 |
Never Say Die | Nasrullah |
| Singing Grass | |||
| Skylarking | Precipitation | ||
| Woodlark | |||
| ゴッドネス 1959 鹿毛 |
ハクリヨウ | *プリメロ | |
| 第四パッカナムビューチー | |||
| アバロンコート | Underwood | ||
| *イヴオンヌフオツクス F-No.3-d | |||
[編集] 外部リンク
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