ダイナアクトレス

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ダイナアクトレス
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1983年5月4日(26歳)
ノーザンテースト
モデルスポート
生国 日本北海道千歳市
生産 社台ファーム
馬主 (有)社台レースホース
調教師 矢野進美浦北
厩務員 馬渕照男
競走成績
生涯成績 19戦7勝
獲得賞金 3億1550万8700円
  

ダイナアクトレス日本競走馬繁殖牝馬。牡馬との混合重賞で5勝を挙げ、1987年1988年JRA賞最優秀5歳以上牝馬に選出された。馬名は馬主の冠名「ダイナ」に、英語で「女優」を意味する「Actress」を加えたもの。本馬の共同馬主の一人に女優南田洋子がいたことに由来する。

  • 馬齢は2000年以前に使用された旧表記法(数え年)で記述する。

目次

[編集] 経歴

[編集] 出生~3歳

1983年社台ファーム千歳で生まれる。幼駒時代から非常に気性の荒い馬であったが、父は当時のリーディングサイアーであるノーザンテースト、母は1978年優駿賞最優秀4歳牝馬モデルスポートという良血馬で、デビュー前から注目を集めていた。

1985年、母と同じ矢野進厩舎に入り、8月11日函館でデビュー。初戦を5馬身差で圧勝すると、続くすずらん賞、函館3歳ステークスをそれぞれ6、5馬身差で制する。函館3歳ステークスの競走後、深管不安により3戦のみでシーズンを終えたが、圧倒的なスピードに、翌4歳シーズンには牡馬相手となる皐月賞東京優駿(日本ダービー)への出走も検討された[1]

[編集] 4歳(1986年)

迎えた1986年春、前年の最優秀3歳牝馬メジロラモーヌに勝利することを念頭に、陣営は牝馬クラシック路線を選択。桜花賞への前哨戦として、すみれ賞で復帰した。しかし発走前に枠入りを執拗に嫌がり、さらに枠内で後ろ脚を蹴り上げてゲート側面の台に乗り上げ、パニック状態となる[2]。馬体検査の結果、異常なしとされてレースに臨んだが、最下位と大敗した。競走後には枠入り不良を理由に、日本中央競馬会(JRA)より1ヶ月間の出走停止と調教再審査を言い渡され、桜花賞へ出走する機会を失った。

続く優駿牝馬(オークス)での巻き返しを期して、美浦トレーニングセンターを離れ、オークス開催場の東京競馬場での調整が図られた。しかし馬が環境変化に順応できず、ストレスの掛かるゲート練習が続いたために体調を崩し[3]、メジロラモーヌとの初対戦となったサンスポ賞4歳牝馬特別(オークストライアル)では、同馬から1馬身半差の2着、続く優駿牝馬(オークス)でも同じく3着に敗れ、クラシック制覇は成らなかった。

休養を経ての秋初戦ローズステークスでメジロラモーヌとの3度目の対決になるはずだったが、競走前の最終調教で股関節を痛めて出走を取り消し、そのまま4歳シーズンを終えた。その後メジロラモーヌは史上初の牝馬三冠を達成。当年を限りに競走生活から退いている。

[編集] 5歳(1987年)

半年の休養を経ての復帰戦・京王杯スプリングカップでは9番人気という評価だったが、ニッポーテイオーの2着と好走する。続くGI安田記念では、苦手の重馬場ながら5着と健闘し、健在を示す。しかし1番人気に推された阪急杯では騎手との折り合いを欠き、14着と大敗した。

秋初戦の京王杯オータムハンデキャップで、騎手が岡部幸雄に乗り代わる。ダイナアクトレスはこのレースで、1分32秒2という芝1600メートルの世界タイレコード(当時)を記録し、約2年振りの勝利を挙げた。続く天皇賞の前哨戦、毎日王冠でも牡馬の一線級を降して重賞2連勝を飾る。しかし本番の天皇賞では重馬場を苦にして8着と敗れた。

次走はジャパンカップに向かったが、古馬の筆頭格であるニッポーテイオーがマイルチャンピオンシップに向かったほか、メリーナイスサクラスターオーといった4歳のクラシック優勝馬もこれを回避したため、上位人気を外国馬が独占し、ダイナアクトレスは9番人気という評価になった。しかし後方待機から直線で追い込み、1番人気のトリプティクなどを抑えて日本馬最先着となる3着となった[4]。2番人気に推された有馬記念では7着に敗れるが、牡馬に混じって通年の活躍が評価されて当年の最優秀5歳以上牝馬に選出、母仔二代の年度表彰受賞馬となった。

[編集] 6歳(1988年)

翌年も現役を続行し、3月のスプリンターズステークス(当時GII)を勝利、続いて前年ニッポーテイオーに敗れた京王杯スプリングカップを、今度は同馬を破って勝利する。しかし安田記念では再びニッポーテイオーの2着に敗れた。秋になって第39回毎日王冠から始動するも、発走直前にシリウスシンボリに蹴飛ばされるというアクシデントもあり、オグリキャップの5着に敗れた[5]。天皇賞はタマモクロスの4着と好走、その後は2年連続のジャパンカップ出走が予定されていたが、脚部の疲労が見られたため、この競走を最後に競走馬引退となった。この年は重賞2勝、GI競走の2着1回という成績で、年明けには2年連続の最優秀5歳以上牝馬に選出された。

[編集] 引退後

故郷・社台ファームで繁殖生活に入ったダイナアクトレスは、初年度産駒から重賞2勝を挙げたステージチャンプ(父リアルシャダイ)、第2仔にやはり重賞2勝のプライムステージ(父サンデーサイレンス)を輩出し、改めて名牝としての評価を確立した。他の産駒も繁殖として成功を見せており、1993年に出産したランニングヒロイン(父サンデーサイレンス)はジャパンカップアルゼンチン共和国杯勝ちのスクリーンヒーローを、1995年に出産したトレアンサンブル(父トニービン)は、2006年の中山大障害、2008年の中山グランドジャンプを制したマルカラスカルを出産している。また、プライムステージの産駒アブソリュートは2009年の東京新聞杯を制し、モデルスポートから母仔4代に渡っての重賞勝利を達成している。

ダイナアクトレスは2005年に繁殖牝馬を引退し、現在は社台ファームのスタッフの自宅に引き取られ余生を過ごしている[6]

[編集] 競走成績

年月日 レース名 頭数 人気 着順 距離(状態 タイム 3F 着差 騎手 斤量 勝ち馬/(2着馬)
1985 8. 11 函館 新馬 5 1 1着 芝1000m(良) 59.0 (35.7) 5身 東信二 53 (グリーンアデッカ)
9. 8 函館 すずらん賞 5 1 1着 芝1000m(不) 1:00.0 (36.6) 6身 東信二 53 (メイショウタイテイ)
9. 22 函館 函館3歳S GIII 9 1 1着 芝1200m(良) 1:10.3 (35.5) 5身 東信二 53 (ダイナカンパリー)
1986 3. 22 中山 すみれ賞 8 2 8着 芝1200m(稍) 1:14.0 (36.1) 4.0秒 東信二 55 ゲイリーマッハ
4. 27 東京 4歳牝馬特別(東) GII 15 4 2着 芝1800m(良) 1:51.0 (36.1) 0.2秒 柴崎勇 54 メジロラモーヌ
5. 18 東京 優駿牝馬 GI 22 2 3着 芝2400m(良) 2:30.3 (38.2) 0.7秒 柴崎勇 55 メジロラモーヌ
10. 12 京都 ローズS GII 13 取消 芝2000m(良) 岩元市三 55 メジロラモーヌ
1987 4. 26 東京 京王杯スプリングC GII 18 9 2着 芝1400m(良) 1:22.1 (34.5) 0.3秒 東信二 54 ニッポーテイオー
5. 17 東京 安田記念 GI 19 4 5着 芝1600m(重) 1:36.3 (37.7) 0.6秒 東信二 55 フレッシュボイス
6. 7 阪神 阪急杯 GIII 18 1 14着 芝1400m(良) 1:23.7 (37.8) 1.4秒 岩元市三 55 セントシーザー
9. 13 中山 京王杯オータムH GIII 10 1 1着 芝1600m(良) R1:32.2 (34.5) 3 1/2身 岡部幸雄 56 (アイランドゴッデス)
10. 11 東京 毎日王冠 GII 12 2 1着 芝1800m(良) 1:46.1 (34.5) アタマ 岡部幸雄 55 (ウインドストース)
11. 1 東京 天皇賞(秋) GI 14 2 8着 芝2000m(重) 2:01.2 (36.9) 1.5秒 岡部幸雄 56 ニッポーテイオー
11. 29 東京 ジャパンカップ GI 14 9 3着 芝2400m(良) 2:25.1 (35.2) 0.2秒 岡部幸雄 55 ルグロリュー
12. 27 中山 有馬記念 GI 16 2 7着 芝2500m(良) 2:34.3 (36.1) 0.4秒 岡部幸雄 55 メジロデュレン
1988 3. 20 東京 スプリンターズS GII 13 1 1着 芝1400m(良) 1:21.9 (35.2) 1 1/2身 的場均 56 (セントシーザー)
4. 24 東京 京王杯スプリングC GII 9 1 1着 芝1400m(良) 1:21.4 (35.1) アタマ 岡部幸雄 56 (ニッポーテイオー)
5. 15 東京 安田記念 GI 12 2 2着 芝1600m(良) 1:34.4 (35.5) 0.2秒 河内洋 55 ニッポーテイオー
10. 9 東京 毎日王冠 GII 11 2 5着 芝1800m(稍) 1:50.1 (36.9) 0.9秒 岡部幸雄 56 オグリキャップ
10. 30 東京 天皇賞(秋) GI 13 3 4着 芝2000m(良) 1:59.6 (35.3) 0.9秒 岡部幸雄 56 タマモクロス

[編集] 評価・特徴

前述の通り牡馬クラシック出走も検討され、社台グループ総帥の吉田善哉より「ノーザンテーストの最高傑作になるかも知れない」と評された[7]ほどの大器であったが、GI競走に優勝することはできなかった。管理した矢野進は「一度でいいから万全の状態でラモーヌと戦わせてみたかった。あれだけの馬だから、GIのひとつは獲らせてやりたかった[8]」と回想している。

最大の長所として旺盛な闘争心と勝負根性が挙げられる[9]が、気負い過ぎての敗戦もあり、5歳秋以降に手綱を執った岡部幸雄は、本馬を「国際級の実力を持つ牝馬」と評した上で、「ちょっとしたことで明暗が分かれかねない紙一重の部分があった」と述べている[10]。また自著の中で、若駒への教育の重要性を説く材料として取り上げ、「馬それぞれで、競馬を教えることができるタイプと難しいタイプがいるが、アクトレスなど感触としては前者だった[11]」「最初から強い競馬をするのではなく、将来を考えた競馬をさせていれば、アクトレスの競走馬生活はまた違ったものになっていたのではないかと思う[12]」と述べている。

[編集] 血統表

ダイナアクトレス血統  ノーザンダンサー系/Lady Angela4×3=18.75%(父内) Menow4×5=9.38% Nearco4×5=9.38%)

*ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Lady Victoria
1962 黒鹿毛
Victoria Park Chop Chop
Victoriana
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah

モデルスポート
1975 黒鹿毛
*モデルフール
Model Fool
1963 黒鹿毛
Tom Fool Menow
Gaga
Model Joy War Jeep
Model Beauty
*マジックゴディス
Magic Goddess
1968 栗毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Like Magic Sun Again
Grand League F-No.1-x

父は11年連続の中央競馬リーディングサイアーを獲得した名種牡馬。母は前述の通り1978年の最優秀4歳牝馬であり、牝馬東京タイムズ杯ダービー卿チャレンジトロフィーを制している。1歳上の全兄に当たるサクラテルノオーは1勝に終わったが、良血を買われて種牡馬となり、1995年の新潟3歳ステークス優勝馬タヤスダビンチを輩出した。

[編集] 出典・脚注

  1. ^ 『日本名馬物語』166頁。
  2. ^ 『日本名馬物語』169-170頁。
  3. ^ 『日本名馬物語』170頁。
  4. ^ 社台グループ総帥の吉田善哉はこの成績を殊の外喜び、以後常々「世界最強牝馬トリプティクに先着したダイナアクトレス」と紹介していた。(吉川 388頁。)
  5. ^ 同じく被害にあったレジェンドテイオーは発走除外となった。
  6. ^ "ヒーロー大金星21年かけ雪辱/ジャパンC". 日刊スポーツ. 2008年12月2日 閲覧。
  7. ^ 『日本名馬物語』p.167
  8. ^ 『日本名馬物語』175頁。
  9. ^ 『日本名馬物語』168頁。
  10. ^ 岡部 119頁。
  11. ^ 岡部 121頁。
  12. ^ 岡部 119頁。

[編集] 参考文献

  • 吉川良『血と地と知 - 馬、吉田善哉、社台』(ミデアム出版社、1999年)ISBN 4944001592
  • 岡部幸雄『勝負勘』(角川書店、2006年)ISBN 4047100609
  • サラブレ編集部(編)『日本名馬物語 - 甦る80年代の熱き伝説』(講談社、2007年)ISBN 4062810964
先代:
タカラスチール1986年
JRA賞最優秀5歳以上牝馬
1987年1988年
次代:
ルイジアナピット1989年