第3回東京優駿大競走

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第3回東京優駿大競走(だい3かいとうきょうゆうしゅんだいきょうそう)は、1934年4月22日東京競馬場で施行された競馬競走である。東京競馬場の移転の結果、府中における最初の日本ダービーとなった。本命馬ミラクルユートピア不在のなか、大久保亀治騎手のフレーモアが3戦無敗で優勝。尾形景造調教師の管理馬が上位3頭を独占した。

レース施行時の状況[編集]

まず第2回東京優駿大競走の2着馬メリーユートピアの弟にあたるミラクルユートピアが、好タイムでの2連勝に続いて、前年のダービー馬カブトヤマとの戦いとなった帝室御賞典をもレコードで制し、ダービーの最有力候補に挙げられた[1][2]。ミラクルユートピアを恐れた他馬の陣営により、出馬登録頭数は11頭に留まった[注 1][2]。しかし、ミラクルユートピアは右前肢の捻挫脱臼によりこれの出走を取消[1]。これを受けて2連勝中のシアンモア系のフレーモアが浮上し、1番人気に押し上げられた[2][3]。2番人気にはテーモアが続いた[3]

1933年11月に東京競馬場が目黒から府中に移ったため、本競走が府中の東京競馬場で施行された最初の東京優駿となった[1]。また、馬番と枠番との独立性が撤廃され、馬番通りの枠順で施行されることとなった[1]

出走馬と枠順[編集]

1934年4月22日
天気:晴、馬場状態:不良
馬番 人気 競走馬名 騎手 調教師
1 9 ヤングパレード 牡3 井川為男 布施季三
2 2 テーモア 牝3 伊藤正四郎 尾形景造
3 5 ユキイエ 牝3 伊藤勝吉 伊藤勝吉
4 4 アンヨウ 牡3 稲葉秀男 東原玉造
5 8 ヤヘヒカリ 牝3 山倉清一 尾形景造
6 6 アキユーメン 牝3 中村広 布施季三
7 3 デンコウ 牡3 二本柳勇 尾形景造
8 取消 ミラクルユートピア 牡3 中村一雄 中村一雄
9 10 アトランタ 牝3 赤石孔 赤石孔
10 7 パースプライ 牡3 徳田伊三郎 小山内重蔵
11 1 フレーモア 牡3 大久保亀治 尾形景造

出典:[4]

当日の競馬場模様[編集]

当日の天気は晴天であったが、前日の雨の影響により不良馬場での施行となった[3]

競走結果[編集]

発馬からまもなくフレーモアが先頭に立ち、マイペースの逃げを打った[2][3]。フレーモアの脚色は最後まで衰えず、テーモアの追撃を振りきって優勝した[3]。無敗での東京優駿勝利は初[2][3]。フレーモアは土田荘助の自家生産馬で、これが個人牧場およびオーナーブリーダーによる最初の東京優駿勝利である[1][3]。また、尾形景造調教師の管理馬は上位3頭を独占する結果となった[2][3]

競走着順[編集]

着順 競走馬名 タイム 着差
1 フレーモア 2:45.0 2.1/2
2 テーモア
3 デンコウ
4 アンヨウ
5 ユキイエ
6 ヤングパレード
7 ヤヘヒカリ
8 アキユーメン
9 アトランタ
10 パースプライ
取消 ミラクルユートピア

出典:[4]

影響[編集]

同1934年の中山競馬倶楽部は、東京競馬場のダービーの人気に対抗して中山大障害競走を創設した[1][2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 同年の東京優駿を不出走とした競走馬には、スパーシヨン、ミスヘレン、イリヨク、ハクセン、キンチヤン、ジユピターユートピア、ゼンジなどがいる[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 『日本ダービー50年史』中央競馬ピーアール・センター、1983年11月、53頁。 
  2. ^ a b c d e f g 『Gallop臨時増刊 日本ダービー70年史』産業経済新聞社、2004年5月12日、23頁。 
  3. ^ a b c d e f g h 『日本ダービー50年史』中央競馬ピーアール・センター、1983年11月、52頁。 
  4. ^ a b 『日本ダービー50年史』中央競馬ピーアール・センター、1983年11月、170頁。