サニーブライアン

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サニーブライアン
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1994年4月23日
死没 2011年3月3日(17歳没)
ブライアンズタイム
サニースイフト
母の父 スイフトスワロー
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産 村下ファーム
馬主 宮崎守保
調教師 中尾銑治美浦
厩務員 森田徹
競走成績
生涯成績 10戦4勝
獲得賞金 3億4030万6000円
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サニーブライアンとは日本競走馬種牡馬である。1997年皐月賞東京優駿(日本ダービー)をともに人気薄で制した二冠馬。同年のJRA賞最優秀4歳牡馬(部門名は当時)。全レースで大西直宏が騎乗した。母の全兄に東京優駿2着のサニースワロー(このときの騎手も大西)がいる。

目次

[編集] 現役時代

[編集] 皐月賞まで

1996年10月5日、東京競馬場新馬戦(1800メートル)にて3番人気でデビュー。同競走にはウイニングチケット全妹スカラシップもいたが、スタートから先頭に立ち、逃げ切りで勝利した。その後3歳500万円以下の百日草特別で5着、続くGIII府中3歳ステークスに出走し、スピードワールドに次ぐ単勝2番人気に推されたが小倉3歳ステークス優勝馬のゴッドスピードに敗れた。

その後、3歳500万円以下条件のレースを2度使うも勝つことができず、2勝目をあげたのは年明け6戦目の中山芝2000メートルのオープン特別・ジュニアカップだった。スタートから先頭に立ち、スローペースに落としそのままゴールし、オープンクラスとなった。次走のGII弥生賞ランニングゲイルの3着に入り、GI皐月賞の優先出走権を得た。太りやすい体質であったサニーブライアンは皐月賞の優先出走権をすでに持ちながら、中2週若葉ステークス(皐月賞指定オープン)に出走、生涯最初で最後の1番人気となった。結果は逃げることができず、シルクライトニングの4着に敗れた。この敗戦により皐月賞では人気を格段に落とすこととなった。

[編集] 皐月賞

9戦目の皐月賞では11番人気、大外18番枠となった。スタートがあまり良くない馬のため、大西直宏は外から包まれない大外を事前に望んでおり、まさに思惑通りとなった。道中掛かり気味に飛ばすテイエムキングオーにいったん先頭を譲るが、第3コーナー辺りからふたたび先頭に立つと、そのまま2着のシルクライトニングをクビ差振り切り勝利した。同レースの上位人気馬メジロブライトやランニングゲイルが後方一気の脚質のため、サニーブライアンの勝利は「後方待機する馬が牽制しあい、また不利を受けたことによるフロック」というのが大方の見方であった。

[編集] 東京優駿

東京優駿(ダービー)の前にもプリンシパルステークス(オープン特別)出走を予定していたが、調教中未勝利馬に蹴られて外傷を負ったため同レースを回避し、ダービーへ直行することになった。弥生賞で3着に入り皐月賞の出走権があるにもかかわらず若葉ステークスに出走(4着)し、さらに皐月賞勝利後はダービートライアルのプリンシパルステークスに出走しようとした中尾銑治調教師によるローテーションは、当時「使いすぎ」と言われた。中尾は「使わないと馬が太くなりすぎる」と説明したが、評論家の大川慶次郎は「皐月賞を勝つほどの馬なら、自分で体を作るはず」と、安易にレースを使おうとする調教師の姿勢を批判した[1]

出走前の併せ馬では、当時“芦毛の怪物”と言われ、また調教横綱としても知られていたスピードワールドに先着したことが話題になる。それを見た大川慶次郎は「この馬はやはり強い」と思い直し、ダービーの予想で印を打った。大川はかねてから「皐月賞はフロックだった」との評価に対し、「G1にフロックがあるのだろうか?」との疑問を抱いており、この併せ馬を目の当たりにして「やはりG1にフロックはない」と確信したという[2][3]

それでもダービーでは単勝6番人気(発走直前に競走除外されたシルクライトニングの方が上位人気だったため、実際には7番人気)と相変わらず低評価であった。そのような中、レース前に同騎手が「1番人気はいらない。1着がほしいんです」と語っている。枠は皐月賞と同じ18番で、再度大外枠を希望していた大西直宏は自身が枠番抽選で大外18番を引いたとき、勝利を確信したという。

皐月賞以降、大西は「逃げ宣言」を繰り返していた。もし仮に、同じく出走している逃げ馬サイレンススズカが逃げていれば、同馬がハイペースで飛ばしこれに巻き込まれてしまうことが濃厚だったが、「もし先手を奪いに行っても、サニーブライアンは絶対に退かない。それでは共倒れになると思った。」とレース後に鞍上の上村洋行が答えたように、サイレンススズカらが逃げを控えたことで、レースではスタートから先頭に立ち、「ややスローペースの単騎逃げ」体勢を作ることに成功した。この展開に『Grade-A』で実況を担当していた杉本清は「おのおの方、油断めさるな、何といっても皐月賞馬だ」と実況している。そして東京競馬場の長い直線でスパートし、スタートから一度も先頭を譲ることなく2着のシルクジャスティスら後方に待機していた集団を1馬身抑えてクラシック二冠目を勝利した。ゴール入線直前、三宅正治フジテレビの中継で「これはもうフロックでもなんでもない、二冠達成」と実況した。

東京競馬場でダービーを観戦していた生産者の村下夫妻は、サニーブライアンがダービーを1着でゴールした瞬間、うれしさのあまり2人で抱き合って喜んだ。周りには大勢の人間がいたが、そんなことはまったく気にならなかったという。サニーブライアンが先頭で直線に入った瞬間から夫妻は、「ほれっ、サニー、もう一息だ!ほれっ!ほれっ!!」と叫び続けていた[4]

馬主の宮崎守保は、サニーブライアンがダービーを勝利したとき、サニーブライアン1頭しか現役競走馬を所有していなかった。このような例でダービーを勝利したのはJRA史上初のことであり、ほかの馬主たちからは「奇跡」と言われた。

大西騎手は勝利騎手インタビューで再度、菊花賞でも逃げて三冠を目指すことを宣言した。

[編集] 引退

しかしその後レース中に骨折していることが判明し、三冠馬の夢は断念せざるを得なくなった。ただこの年の有馬記念でシルクジャスティスが古馬相手に勝利したことでサニーブライアンの二冠の価値は高まった。翌1998年のGI天皇賞(春)に目標を切り替え骨折の完治後に調教を行い、アメリカジョッキークラブカップから始動するとまで発表されたが、今度は屈腱炎を発症。翌1999年の天皇賞(春)を目指すという話も当時各誌で言われていたが、結局復帰することなくそのまま引退し、種牡馬となった。カツトップエースの再来とも呼ばれたが、二冠馬となり、東京優駿が最終出走となる点まで一致することとなった。

サニーブライアン以後、2009年ロジユニヴァースまで関東馬のダービー制覇はなく、また、関東所属の騎手としても、ロジユニヴァースに騎乗した横山典弘まで12年間、関東所属のダービージョッキーは現れなかった(大西は2006年に騎手を引退している)。

[編集] 競走成績

年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム(上り3F タイム
勝ち馬/(2着馬)
1996. 10. 5 東京 3歳新馬 13 6 8 5.2 (3人) 1着 大西直宏 53 芝1800m(良) 1:50.4 (35.2) -0.4 (スカラシップ)
11. 2 東京 百日草特別 12 5 6 3.5 (2人) 5着 大西直宏 54 芝1800m(重) 1:50.3 (38.4) 0.9 クリスザブレイヴ
11. 17 東京 府中3歳S GIII 13 2 2 7.4 (2人) 7着 大西直宏 54 芝1800m(良) 1:50.6 (36.4) 0.9 ゴッドスピード
12. 15 中山 ひいらぎ賞 15 6 11 14.5 (3人) 5着 大西直宏 54 芝1600m(良) 1:37.0 (37.0) 0.8 スピードワールド
1997. 1. 6 中山 若竹賞 16 4 7 5.7 (4人) 2着 大西直宏 55 芝2000m(重) 2:04.7 (38.4) 0.1 ファンネルマーク
1. 18 中山 ジュニアC 7 3 3 5.2 (4人) 1着 大西直宏 55 芝2000m(良) 2:03.7 (36.5) -0.1 (トキオエクセレント)
3. 2 中山 弥生賞 GII 14 3 4 15.5 (5人) 3着 大西直宏 55 芝2000m(良) 2:03.3 (36.9) 1.1 ランニングゲイル
3. 22 中山 若葉S 16 1 1 3.5 (1人) 4着 大西直宏 56 芝2000m(重) 2:04.3 (38.5) 0.4 シルクライトニング
4. 13 中山 皐月賞 GI 18 8 18 51.8 (11人) 1着 大西直宏 57 芝2000m(良) 2:02.0 (36.5) -0.1 (シルクライトニング)
6. 1 東京 東京優駿 GI 17 8 18 13.6 (6人) 1着 大西直宏 57 芝2400m(良) 2:25.9 (35.1) -0.2 シルクジャスティス

[編集] 引退後

競走馬引退後はアロースタッドで繋養され、重賞勝ち馬2頭を輩出した[5]

種牡馬としては、産駒の勝ち上がり率の高さが注目されていた。とくにデビュー初年度は地方競馬で産駒が驚異的なペースで勝ち上がり、フジテレビ『スーパー競馬』で井崎脩五郎がトピックとして持ち出すほどであった。結局、フレッシュサイアーランキングフサイチコンコルドに次ぐ第2位となったが、これはバランスオブゲーム新潟2歳ステークスを勝利したためで、勝ち上がった産駒の数および産駒の勝利数はサニーブライアンの方が多かった。なお、地方競馬限定では2位のマーベラスサンデーに収得賞金ベースでダブルスコアの1位であった。

種牡馬入り時点で全盛のヘイルトゥリーズン系のブライアンズタイムを父に持つ二冠馬ということもあり、交配相手の牝馬はそれなりに数が確保されていたとはいえ、サンデーサイレンスの大成功によるヘイルトゥリーズン系の種牡馬・繁殖牝馬の急増に加え、母父スイフトスワローはノーザンダンサー系、母母父ファバージテスコボーイで知られるプリンスリーギフト系と、それぞれ日本で一時代を築いた系統の種牡馬を血統に持つ馬であり、過剰なインブリードの発生を避けるという観点からは繁殖牝馬との配合の難しさがあったようで、本馬を超える産駒は出なかった。

交配された牝馬の質を考えると、堅実に走る馬を多く出している一方、勝ちきれない産駒が多いのも事実である。優秀な上がり3ハロンのタイムを記録する馬も多いのだが、良い脚を長く使えない傾向がある。京都競馬場などの直線が長いコースでは、馬群の後方を進み、3コーナーから4コーナーにかけて上がっていく競馬をして、直線で一杯になって格下の馬に差し返されるレースも見られる。

2007年度は産駒のほとんどが地方競馬に入厩しており、交配相手に恵まれているとは言い難い種牡馬であったが、勝ち上がり率は高水準をキープしていた。産駒は芝ダート問わず、良馬場(重・不良馬場で勝利した馬は出ていない)の短距離〜中距離で活躍する傾向がある。中央競馬において2400メートル以上のレースで勝利したのは、チョウノゾミとスピードアクアの2頭のみ。ただし長距離レースは出走数もほとんどないのが現状で、芝2600メートル以上のレースの出走馬は1頭もいない。

2007年に種牡馬を引退して去勢され、11月上旬からは浦河町の乗馬体験型宿泊施設であるうらかわ優駿ビレッジAERUで余生を過ごした。2011年3月3日疝痛のため死亡した[6]

[編集] おもな産駒

[編集] 血統表

サニーブライアン血統 ロベルト系Nasrullah5×5=6.25%)

*ブライアンズタイム
Brian's Time
1985 黒鹿毛
Roberto
1969 鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
Kelley's Day
1977 鹿毛
Graustark Ribot
Flower Bowl
Golden Trail Hasty Road
Sunny Vale

サニースイフト
1988 鹿毛
*スイフトスワロー
Swift Swallow
1977 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Homeward Bound Alycidon
Sabie River
サニーロマン
1974 鹿毛
*ファバージ
Faberge
Princely Gift
Spring Offensive
ファイナルクイン *ファイナルスコア
ツキカワ F-No.1-l

[編集] 近親馬

母サニースイフトは中央競馬で4勝を挙げた活躍馬でオークスにも出走(19着)。その全兄に東京優駿2着のサニースワロー(本馬とは同馬主同厩舎。主戦騎手も同じ)がおり、4代母ツキカワ1951年桜花賞馬。それ以外には牝系を遡っても近親に目立った活躍馬は出ていない。

サニーブライアンの弟や妹たちも宮崎守保の所有馬として次々と中央競馬でデビューしているが(父カンパラ×母サニースイフトのサニーカンパラーン、全妹にあたるサニーペガサス、サンシャインフォーエヴァー産駒のサニーサンシャイン、トニービン産駒のサニークラッシック、コマンダーインチーフ産駒のサニーコマンダー、アフリート産駒のサニーネイティブ、アジュディケーティング産駒のサニーケーティング)、兄とならぶような大きな活躍をした馬はいない。その原因として中尾銑治調教師は「サニー(ブライアン)が走りすぎちゃったからね」と、ジョークを交えて話している[7]。しかしながら、毎年のように中央競馬でデビューする子供を産むサニースイフトの子出しの良さには、関係者一同大いに感心しているという。

2009年7月5日に行われたラジオNIKKEI賞 (GIII) において、サニークラッシック産駒のサニーサンデー(父マーベラスサンデー)が2着に入線した。その後2009年11月21日に行われた福島記念 (GIII) で重賞初制覇した。

[編集] 脚注

  1. ^ 大川慶次郎 『大川慶次郎の重賞回顧』 nifty
  2. ^ 大川慶次郎 『大川慶次郎の重賞回顧』 nifty
  3. ^ ちなみにその翌年、やはりスピードワールドと併せ馬を敢行したセイウンスカイが皐月賞を勝利。美浦トレーニングセンター内で「スピードワールドは非常に縁起の良い馬」と言われる。
  4. ^ 木村幸治 『名馬牧場物語』 洋泉社、1998年 ISBN 9784896913194
  5. ^ そのうちの1頭、2003年愛知杯で産駒の重賞初制覇を果たしたカゼニフカレテは、引退後は乗馬として金勝牧場(滋賀県)で繋養されている。
  6. ^ 97年の2冠馬・サニーブライアンが死亡 デイリースポーツオンライン 2011-03-04閲覧
  7. ^競馬エイト産業経済新聞社

[編集] 関連項目

  • カツトップエース1981年に本馬同様人気薄で皐月賞を逃げ切り勝ちし、フロック視されたがダービーも逃げ切り勝ちで二冠を達成。しかし、故障のためダービーを最後に引退したという点が共通するため、比較される。
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