調教
調教 (ちょうきょう、Training) とは、人間・動物に対して行われる訓練を指す。
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[編集] 概要
一般的にはサーカスにおいて猛獣や動物を見世物にする際に行われる訓練を指す。その調教を行う人間を調教師と呼ぶ。これは、衆人環視でも暴れないように人に馴れさせる(馴致)ことや人間の命令を聞くようにするために行われる。
また、人に馴れやすい家畜の一部にも行われることがある。近年ではウマ(競馬の競走馬、馬術)、ドッグショーにおける犬、または水族館のアシカやイルカショーの曲芸などで行われている。また、ペットの犬が言うことを聞かない場合などに、専門の調教(この場合躾ということが多い)を行うことがある。
動物の意思と反することや手法の苛烈さ(たとえば競走馬の発馬調教において、ロープを用いて発馬機にくくりつけたり鞭で打ちつける手法が用いられる[1])。例外的にイルカやシャチに関しては、芸を自ら楽しんで行う為[2]、調教の際に苛烈な罰を与える事はない(褒美の餌の量や与え方で躾をしている)。これらの動物の処遇に関して動物虐待と指摘する向きもある。
[編集] 人間に対して
もともと動物向けの言葉なので、人間に用いる場合は侮蔑的な揶揄を含んだ言葉になる。そのため調教という用語を用いずにトレーニング、訓練という言葉を用いることが殆んどである。かつて行動主義心理学の立場においては刺激と行動を制御しようという考えが盛んであった。そのため信賞必罰を原則として、施行者にとって良い反応であれば、被訓練者に報償を与え、悪い反応であれば罰を与えるという古典的条件づけを行うことで人間の行動も制御できるというS-R連合理論が生み出された。いわゆる躾(しつけ)も経験則的にこの考えに基づいたものである。
[編集] SMにおける調教
SMの世界では、前述の侮蔑的な意味を踏まえて人間に対し調教を行う。これは世間の一般常識に慣らされてしまっている相手に対し、SM的手法による性的快楽を促すためのものである。
例えば具体的には羞恥心は誰もがもっているものであるが、その羞恥心によって性の喜びを享受しきれない場合もある。例を挙げるなら緊縛されたり鞭打たれたり浣腸されたりすることで快感を覚えることが変態性欲であり、それが異常だと思っている相手を、緊縛や鞭打ち、浣腸(その結果の、他人の眼前での排泄なども含む)という行為で快感を覚える現実の自分自身を恥じないようにする、そんな一種の教育をSM世界での「調教」と呼ぶ。
またあるいは、被虐者が責め手のきびしく淫猥な責めプレイなどに耐えかねて、その羞恥や苦痛、恥辱から脱したい、もしくは周囲の人間に救いを求めたい、などと思いかけた際に、その思いを上まわる快楽やSMプレイへの欲求を被虐者の心身に修得させ、改めてSMの世界に引きずり込むことも、同様の「調教」といえる。
ただしあくまでSMプレイの範疇であり、精神的に追いつめると意図しない結果を招くこともある。一般的に肉体的精神的苦痛を受けた人間は、苦痛を与える人間に従順になりある程度の命令に従うようになる。その傾向が強くなると暴力ですら好意的にとらえ相手に依存感情を持つ場合すらある。これはSMとは関係ない人間の適応機制の一種であり、防衛反応の一種である。
[編集] 脚注
- ^ 『吉田竜作の竜馬が来る』 大阪スポーツ 2007年10月7日
- ^ イルカショーはイルカの飼育環境内での単調になる生活に逆に刺激を与える効果があり、むしろ動物福祉でいうところのエンリッチメントであるという見解もある。『イルカ』中央公論新社、村山司、2009年 178-179頁