サンシャインフォーエヴァー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
サンシャインフォーエヴァー
英字表記 Sunshine Forever
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1985年3月14日
死没 2014年1月7日(29歳没)
Roberto
Outward Sunshine
母の父 Graustark
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産 John W.Galbreath
馬主 Darby Dan Farm
調教師 John M.Veitch(アメリカ
競走成績
生涯成績 23戦8勝
獲得賞金 2,084,800ドル
テンプレートを表示

サンシャインフォーエヴァー (Sunshine Forever) はアメリカ合衆国で生産、調教された競走馬および種牡馬である。アメリカの芝路線で活躍し、1988年エクリプス賞最優秀芝牡馬に選出されている。

経歴[編集]

競走馬時代[編集]

1987年8月にジェリー・ベイリーが騎乗しデビュー。ダート競走を中心に5走使われたが1勝もできなかった。

1988年からは路線へ転向。騎手もアンヘル・コルデロ・ジュニアへ乗り替わり安定した成績を残すようになる。4月に初勝利を挙げると一般競走にも勝利し連勝。重賞初挑戦となったサラナクステークス (G2) では2着と好走。一般競走勝利をはさんで、6月のヒルプリンスステークス (G3) で重賞初制覇、続くレキシントンステークス (G2) にも勝利し重賞を連勝した。秋にはマンノウォーステークスターフクラシック招待バドワイザーインターナショナルとG1競走を3連勝。ブリーダーズカップ・ターフでは2着に敗れたものの、この年のエクリプス賞最優秀芝牡馬に選出された。

1989年も現役を続けたが6戦未勝利に終わり、この年を最後に引退した。

種牡馬時代[編集]

引退後はダービーダンファームで種牡馬入りした。しかしサンフアンカピストラーノハンデキャップ優勝馬サンシャインストリートを輩出した程度に終わり、1996年に日本へと輸出、CBスタッドで繋養された。だが日本でも地方競馬で重賞優勝馬を1頭出しただけでこれといった活躍馬はおらず、2004年に種牡馬を引退。その後功労馬保護団体オールドフレンズによってアメリカへと買い戻され、同地で余生を過ごしていたが、2014年1月7日に死亡した[1]

おもな産駒[編集]

  • 1995年産
    • Sunshine Street / サンシャインストリート(サンフアンカピストラーノハンデキャップ)
  • 1998年産

ブルードメアサイアーとしての産駒[編集]

エピソード[編集]

種牡馬入りの際、日本の早田牧場から購入のオファーがあったが、所有者のダービーダンファームは優れた競走成績を残した本馬に高値をつけたため交渉は決裂。そこで早田牧場が代替種牡馬として購入したのがいとこのブライアンズタイムである。ブライアンズタイムは日本で種牡馬として大きな成功を収めたが、その後輸入された本馬の種牡馬成績は前述の通りブライアンズタイムには遠く及ばなかった。

血統表[編集]

サンシャインフォーエヴァー血統ロベルト系 / Sir Gallahad III5x5=6.25% Nearco5x5=6.25%(父内)Blue Larkspur5x5=6.25%(父内))

Roberto
1969 鹿毛
Hail to Reason
1958 黒鹿毛
Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Nothirdchance Blue Swords
Galla Colors
Bramalea
1959 黒鹿毛
Nashua Nasrullah
Segula
Rarelea Bull Lea
Bleebok

Outward Sunshine
1974 栗毛
Graustark
1963 栗毛
Ribot Tenerani
Romanella
Flower Bowl Alibhai
Flower Bed
Golden Trail
1958 黒鹿毛
Hasty Road Roman
Traffic Court
Sunny Vale Eight Thirty
Sun Mixa F-No.4-r

血統背景[編集]

ブライアンズタイムとは父が同じロベルト、母アウトワードサンシャインはブライアンズタイムの母ケリーズデイの全妹とほぼ同じ血統構成となっている。ほかにはアメリカの成功種牡馬ダイナフォーマーとも父が同じ、母の父が全兄弟、同じ牝系と似通った血統である。

脚注[編集]

  1. ^ サンシャインフォーエバーが死亡”. SANSPO.COM (2014年1月8日). 2014年1月8日閲覧。

外部リンク[編集]