エイトサーティ

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エイトサーティ
英字表記 Eight Thirty
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1936年
死没 1965年4月7日
Pilate
Dinner Time
母の父 High Time
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産 George D. Widener
馬主 George D. Widener
調教師 Bert Mulholland
競走成績
生涯成績 27戦16勝
獲得賞金 155,475ドル
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エイトサーティEight Thirty1936年 - 1965年)とは、アメリカ合衆国サラブレッド競走馬、および種牡馬である。怪我に苦しめられながらも5歳まで走り、トラヴァーズステークストボガンハンデキャップ連覇などの活躍を見せ続けた。1994年アメリカ競馬殿堂入りを果たした。

経歴[編集]

若駒時代[編集]

エルデンハイムファームで生産された、サラブレッドの競走馬である。馬体の色は栗毛で、前脚が2本とも白く覆われていた。

デビュー前から後脚に怪我を抱えるハンデを背負いながらも、エイトサーティは1938年の2歳時に競走馬としてデビューを果たした。この年はフラッシュステークスで後のケンタッキーダービージョンズタウンを破るなど、ステークス競走2勝の成果を挙げた。しかし主要な競走では後の最優秀2歳牡馬のエルチコが立ちはだかり、ユナイテッドステーツホテルステークスでは3着、サラトガスペシャルでは2着に敗れている。アルバーニステークスでも1位入線しているが、進路妨害とみなされて失格になっている。

アルバーニステークスの後に怪我が悪化したため、1939年の3歳シーズンの始まりはその走りは精彩に欠くものであった。このため、エイトサーティはエルチコやジョンズタウン、シャルドンといった同期の有力馬が揃ったクラシック三冠戦線への参加が見送られた。

しかし、夏頃に出走したデラウェアパーク競馬場のダイアモンドステートステークスで久々に優勝を飾ると、そこからエイトサーティは本領を発揮し始めた。夏のサラトガ開催にてウィルソンステークス、トラヴァーズステークスホイットニーステークスと大競走を席巻し、さらにサラトガハンデキャップでは当時の一線級の古馬を相手にしながら優勝している。

しかし、ホイットニーステークスの後に再び怪我が悪化してしまい、同期のライバルとの対決もないまま、そのシーズンはそこで締めくくられた。

古馬時代[編集]

4歳シーズンには6ハロントボガンハンデキャップに出走、これをレコードタイムに迫る時計で優勝し、短距離でもその能力が生かせることを広くアピールした。その後もサバーバンハンデキャップを勝ち、ブルックリンハンデキャップとバトラーハンデキャップこそ3着・着外に終わるが、その次走マサチューセッツハンデキャップで同期の年度代表馬シャルドンを3着に破り、トラックレコードのおまけ付きで優勝した。

夏には再びサラトガ開催に赴き、ウィルソンステークスの連覇を勝ちとった。しかしまたしても怪我の悪化に苦しめられ、翌戦のサラトガハンデキャップで3着に敗れた直後にそのシーズンを終えている。

最後の年となった1941年の初戦はトボガンハンデキャップで、ここでは129ポンド(約58.5キログラム)のトップハンデを背負わされるが、楽々と連覇を成し遂げた。続くメトロポリタンハンデキャップでは132ポンド(約59.9キログラム)の酷量を課せられるが、9ポンド以上の斤量差があるはず他の8頭を尻目に快勝を決めた。

この後またもや怪我が再発し、エイトサーティはついに引退に追い込まれた。後脚に痛みを抱えながらの出走というハンデを背負いながらも、27戦して16勝、3着までを逃したのは3度のみと堅実な成績を残している。

同期のシャルドンに年度代表馬表彰などはすべて奪われていたものの、後の1994年にアメリカ競馬名誉の殿堂博物館によってその競走成績を評価され、殿堂馬の一頭として選定されるに至った。

引退後[編集]

スペンドスリフトファーム種牡馬となり、1958年に種牡馬を引退するまでに45頭のステークス競走勝ち馬を出すなど、同期のライバルたちに比べて成功を収めることができた。

代表的な産駒に、ピムリコスペシャルやトボガンハンデキャップを制したセーラー(Sailor 1952年生・牡馬)、デルマーダービー優勝のほかにダート6ハロン・7ハロンの世界レコードを樹立したボレロ(Bolero 1946年生・牡馬)、サラトガスペシャルなどに優勝した後に種牡馬としてケンタッキーダービー馬ヴェネチアンウェイを出したロイヤルコイナージ(Royal Coinage 1952年生・牡馬)などがいる。後継の種牡馬は出たものの、現在ではすでにエイトサーティの父系は残っていない。

母の父としては、ベルモントステークス勝ち馬ジャイパー(Jaipur 1959年生・牡馬)や、1953年の最優秀2歳牝馬イブニングアウト(Evening Out 1951年生・牝馬)などを出している。

1965年4月7日、エイトサーティは老衰により28歳の生涯を閉じた。遺骸は同馬の母・ディナータイムのものと共に、スペンドスリフトファームの一流功労馬を収めるライオンズサークル墓地へと埋葬されている。

評価[編集]

主な勝鞍[編集]

※当時はグレード制未導入

1938年(2歳) 7戦3勝
クリスティーナステークス、フラッシュステークス
2着 - フューチュリティステークス、サラトガスペシャル
1939年(3歳) 10戦7勝
ダイアモンドステートステークス、ウィルソンステークス、サラトガハンデキャップ、トラヴァーズステークスホイットニーステークス
2着 - ケントハンデキャップ
1940年(4歳) 8戦4勝
トボガンハンデキャップサバーバンハンデキャップ、マサチューセッツハンデキャップ、ウィルソンステークス(連覇)
1941年(5歳) 2戦2勝
トボガンハンデキャップ(連覇)、メトロポリタンハンデキャップ

表彰[編集]

血統表[編集]

エイトサーティ血統(ロックサンド系(エクリプス系) / Rock Sand 3x5=15.63%、 Fairy Gold 3x5=15.63%、 Domino 母内4x5x5=12.50%、 Springfield 5x5=6.25%)

Pilate
1928 栗毛 アメリカ
Friar Rock
1913 栗毛 アメリカ
Rock Sand Sainfoin
Roquebrune
Fairy Gold Bend Or
Dame Masham
Herodias
1916 芦毛 イギリス
The Tetrarch Roi Herode
Vahren
Honora Gallinule
Word of Honour

Dinner Time
1929 栗毛 アメリカ
High Time
1916 栗毛 アメリカ
Ultimus Commando
Running Stream
Noonday Domino
Sundown
Seaplane
1922 鹿毛 アメリカ
Man o' War Fair Play
Mahubah
Bathing Girl Spearmint
Summer Girl F-No.11-g

参考文献[編集]

  • Etched in Stone : Thoroughbred memorials (2000 著者: Lucy Zeh、 出版: Blood-horse Inc. ISBN 1-58150-023-8
    • p.63-64を参照

外部リンク[編集]