ダンスインザダーク

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ダンスインザダーク
Dance in the dark.jpg
ダンスインザダークと武豊(1995年)
英字表記 Dance In The Dark
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1993年6月5日(21歳)
サンデーサイレンス
ダンシングキイ
生国 日本の旗 日本北海道千歳市
生産 社台ファーム千歳
馬主 (有)社台レースホース
調教師 橋口弘次郎栗東
厩務員 池平勉
競走成績
生涯成績 8戦5勝
獲得賞金 3億7955万1000円
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ダンスインザダーク (Dance In The Dark) は、日本競走馬、現在は種牡馬として供用されている。1996年菊花賞などに優勝、同年のJRA賞最優秀4歳牡馬を受賞した。主戦騎手武豊。種牡馬としてデルタブルースなど4頭のGI級競走優勝馬を輩出している。

馬名の由来は母名ダンシングキイと、黒鹿毛の馬体からの連想である。

デビュー前期[編集]

1993年、北海道千歳市社台ファームに生まれる。父は後に13年連続のリーディングサイアーとなるサンデーサイレンス、母はアメリカから輸入されたダンシングキイ。6月と遅生まれであったが、管理調教師となる橋口弘次郎によれば、当歳秋の時点で馬体に「大物感」があり、クラシックを狙える馬と感じたという[1]。競走年齢の3歳を迎えた1995年には全姉ダンスパートナー優駿牝馬(オークス)に優勝、半兄エアダブリンも活躍を見せており、血統面でも大きな注目を集める存在となった。同年夏には社台ファームで武豊が騎乗、その動きに強い印象を受けた武は、関西に戻ったのち直ちに橋口の元へ赴き、自ら主戦騎手に立候補した[2]

戦績[編集]

3歳時(1995年)[編集]

ダンスインザダークと武豊(ラジオたんぱ杯3歳ステークスにて)

橋口は初戦の段階から東京優駿(日本ダービー)を見据えたローテーションを企画、12月3日の阪神競馬第4競走で初戦を迎えた。レースは後方待機から、直線で終始内側に斜行を続けながらも先行馬を差し切って勝利を挙げた。続いて、デビュー前から予定していたラジオたんぱ杯3歳ステークスに向かう。本競走には、同じく武が騎乗して新馬戦を勝ったサンデーサイレンス産駒・ロイヤルタッチも出走していたが、武は本馬を選択した[注 1]。当日はやはりサンデーサイレンス産駒のイシノサンデーに次ぐ2番人気に支持された。しかし最後の直線でロイヤルタッチ、イシノサンデーに突き放され、両馬から3馬身半差の3着に終わった。

4歳時(1996年)[編集]

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翌年4歳初戦は、クラシックに向けてきさらぎ賞から始動。再戦したロイヤルタッチと競り合い、クビ差の2着となる。次走・弥生賞皐月賞トライアル)ではイシノサンデーを3着に退けて快勝。橋口によれば「遅生まれの分、成長が遅かった」が、この勝利で「きさらぎ賞で対戦した有力馬には負けないという確信を得た」と語っている[1]

続いてはクラシック初戦・皐月賞へ臨む予定であったが、競走6日前に熱発(発熱)が判明し、回避を余儀なくされた[注 2]。これを受けて、目標とした東京優駿へは直行というプランもあったが、状態の回復が早く[3]、トライアル競走のプリンシパルステークスに出走。2着に2馬身差を付けて快勝し、6月2日、東京優駿を迎えた。

当日は皐月賞に優勝したイシノサンデー、同2着のロイヤルタッチを抑えて1番人気に支持された。レースでは2-4番手を追走、直線で先頭に立つと後続馬を突き放した。しかし後方から追い込んだフサイチコンコルド(7番人気)にゴール前で一気に交わされ、クビ差の2着に敗れた。武は交わされた瞬間「えっ、嘘だろう」と思ったといい[4]、橋口は「頭の中が真っ白ですよ。あのとき周囲に人がいなかったら、その場にへたりこんでいたでしょうね」と回顧している[5]。フサイチコンコルドはここまで2戦2勝。プリンシパルステークスにも出走予定があったが、熱発で回避していた。橋口は「僕はずっと前からあの馬(フサイチコンコルド)は強いと言い続けていましたから、プリンシパルステークスに出てきていれば、当然マークした所なんですけどね」と悔いた[3]

競走前、陣営はイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスへの出走計画を立てていたが、この敗戦により中止となり、ダンスインザダークは休養に入った。

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夏は社台ファームで休養に充てた後、9月に帰厩。翌月の京都新聞杯から始動し、ロイヤルタッチ、イシノサンデー等を退けて勝利を収めた。11月3日にクラシック最終戦・菊花賞を迎える。

当日は本馬が1番人気、復帰緒戦で敗れていたフサイチコンコルドが2番人気となった。ダンスインザダークは中団からレースを進めたが、周回2周目の第3コーナーから最終コーナーにかけて、失速してきた先行馬に進路を塞がれ、直線では後方12番手という位置取りとなった。しかも直線入口では、再内で前が詰まった状態。しかし武は馬群を避けて徐々に外に持ち出すと、最後は先頭を行ったロイヤルタッチを一気に交わし、1着で入線。春の雪辱を果たす形でクラシック最後の一冠を制した。推定上がり3ハロンは33秒8という、長距離競走としては破格のタイムであった。橋口は進路を失って下がった瞬間を「これは駄目だ、掲示板もないかと思いました」と述懐し、「武騎手でなければ勝てていません。別の騎手なら3着だったでしょうね」と、直線での武の手綱捌きを賞賛した[6]

菊花賞の翌日、屈腱炎を発症している事が判明。そのまま引退が決定した。当年の年度表彰では、フサイチコンコルド、4歳馬として戦後初めて天皇賞(秋)を制したバブルガムフェローを抑え、最優秀4歳牡馬に選出された。バブルガムフェローとは同郷であり、武が最初にダンスインザダークに跨った時から、生産者の吉田照哉に「関東に1頭凄いのがいる」と聞かされていたというが[7]、春に故障休養していたこともあり、対戦のないまま終わった。

競走成績[編集]

年月日 競馬場 レース名 頭数 人気 着順 距離状態 タイム
上り3F
タイム
騎手 斤量 馬体重 勝ち馬/(2着馬)
1995. 12. 3 阪神 3歳新馬 11 1 1着 芝1600m(良) 1:35.3 (35.6) -0.1 武豊 54 498 (マチカネヒガノボル)
12. 23 阪神 ラジオたんぱ杯3歳S GIII 15 2 3着 芝2000m(良) 2:03.3 (35.5) 0.6 武豊 54 504 ロイヤルタッチ
1996. 2. 4 京都 きさらぎ賞 GIII 10 2 2着 芝1800m(良) 1:48.2 (34.7) 0.0 武豊 55 500 ロイヤルタッチ
3. 3 中山 弥生賞 GII 13 2 1着 芝2000m(良) 2:02.7 (35.1) -0.2 武豊 55 498 (ツクバシンフォニー)
5. 11 東京 プリンシパルS OP 13 1 1着 芝2200m(良) 2:13.9 (34.8) -0.3 武豊 56 500 (トピカルコレクター)
6. 2 東京 東京優駿 GI 18 1 2着 芝2400m(良) 2:26.1 (35.0) 0.0 武豊 57 502 フサイチコンコルド
10. 13 京都 京都新聞杯 GII 11 1 1着 芝2200m(良) 2:14.1 (34.5) -0.1 武豊 57 506 (カシマドリーム)
11. 3 京都 菊花賞 GI 17 1 1着 芝3000m(良) 3:05.1 (33.8) -0.1 武豊 57 502 (ロイヤルタッチ)

種牡馬時代[編集]

引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬となった。代表産駒にデルタブルースツルマルボーイザッツザプレンティスリーロールスなどがおり、サンデーサイレンスの後継種牡馬の1頭となっている。2004年の全日本種牡馬リーディング2位、2006-07年オセアニア種牡馬リーディング4位の実績がある。

しかしツルマルボーイが4シーズンで種牡馬としての供用を打ち切られ、ザッツザプレンティはシーズン3年目の種付け頭数が5頭となり、その後の2010年に種牡馬引退、デルタブルースは引退後乗馬になることが発表されるなど、ダンスインザダーク自身は有力な後継種牡馬を輩出できていない状況にある。なおダンスインザダーク産駒では、他にダイタクバートラムタガノマイバッハらが種牡馬入りしている。

2011年10月にブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動、2012年からは同ステーションで種牡馬を続行する。

産駒の特徴[編集]

産駒はダートでの実績には乏しいが、芝の中〜長距離を得意とし、特に3000m以上の距離では良績を残している。また、重馬場や深い芝を得意とするパワータイプの産駒も多い。他の有力種牡馬に比べると、産駒は出走頭数や出走回数が共に多く、順調にレースに使える馬は揃っているが、出走頭数や出走回数の割に勝利数や獲得賞金額が伸び悩んでおり、勝ち上がり率も低い傾向がある。

GI級競走優勝馬[編集]

ツルマルボーイ(1998年産)
デルタブルース(2001年産)
スリーロールス(2006年産)

グレード制重賞優勝馬[編集]

地方重賞優勝優勝馬[編集]

母の父としての産駒[編集]

ダンスインザダークとスペシャルウィーク[編集]

武はダンスインザダーク引退から2年後、同じサンデーサイレンス産駒のスペシャルウィークで東京優駿を制し、念願のダービージョッキーとなった。武によれば両馬は「体型も乗り味も全体の雰囲気も」非常によく似ていたといい、初めてスペシャルウィークに乗った際の印象として、「牧場で初めてダンスインザダークに乗った時のことを思い出しました」と述べている[8]。また、同馬を管理した白井寿昭は、自身が管理したダンスインザダークの姉・ダンスパートナーに似た印象を持ったとしている。スペシャルウィークの母の父マルゼンスキーは母の父であるニジンスキーの仔であり、血統構成も似ている。

血統[編集]

血統表[編集]

ダンスインザダーク血統(サンデーサイレンス系) / (Almahmoud4×5=9.38%、Blue Swords・Bluehaze5×5=6.25%、Native Dancer=5×5=6.25%)

*サンデーサイレンス
Sunday Silence 1986
青鹿毛 アメリカ
Halo 1969
黒鹿毛 アメリカ
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well 1975
鹿毛 アメリカ
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss

*ダンシングキイ
Dancing Key 1983
鹿毛 アメリカ
Nijinsky II 1967
鹿毛 カナダ
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
Key Partner 1976
黒鹿毛 アメリカ
Key to the Mint Graustark
Key Bridge
Native Partner Raise a Native
Dinner Partner F-No.7

父については同馬を参照のこと。母は不出走馬だが、活躍している主な近親は母系は4代母Dinner Partner、3代母Native Partnerから広がっており、本馬の直近の近親にも数々の活躍馬が出ている。

主な近親[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ロイヤルタッチはダンスインザダークが新馬戦を制した直後(阪神競馬第5競走)にデビューしており、ともに競走後は「次のラジオたんぱ杯も頼む」と依頼を受けていた。しかしダンスの方が「1レース分」依頼が早かったため、本馬を選択したという(島田 1997、p.191)。
  2. ^ この前週の桜花賞では有力馬であった僚馬ロゼカラー伊藤雄二厩舎のエアグルーヴが同様の理由で回避しており、「熱発」は1996年上半期の競馬界における「流行語」ともされた。(『優駿』1996年8月号 p.13)

出典[編集]

  1. ^ a b 『優駿』1996年8月号 p.52
  2. ^ 島田(1997)p.189
  3. ^ a b 『優駿』1996年8月号 p.53
  4. ^ 島田(1997)p.204
  5. ^ 『優駿』1996年8月号 p.54
  6. ^ 『優駿』1996年12月号 p.25
  7. ^ 島田(1997)pp.188-192
  8. ^ 島田(2007)p.42

参考文献[編集]

  • 島田明宏『「武豊」の瞬間 - 希代の天才騎手10年の歩み』(集英社、1997年)ISBN 4087831094
  • 島田明宏『武豊インタビュー集スペシャル - 名馬編』(廣済堂出版、2007年)ISBN 4331654117
  • 『優駿』1996年8月号(日本中央競馬会、1996年)橋口弘次郎「秋に期す」
  • 『優駿』1996年12月号(日本中央競馬会、1996年)辻谷秋人「橋口弘次郎調教師 来たるべくして来た、その日」
  • 『週刊Gallop』2009年2月1日 - 2月15日号(産業経済新聞社)松谷匠哉「記憶の中の名馬 ダンスインザダーク」

外部リンク[編集]