スーパークリーク

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スーパークリーク
1990年大阪杯優勝時(左ゼッケン1番)
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1985年5月27日
死没 (現役種牡馬)
ノーアテンション
ナイスデイ
母の父 インターメゾ
生国 日本北海道門別町
生産 柏台牧場
馬主 木倉誠
調教師 伊藤修司栗東
厩務員 末宗靖雄
競走成績
生涯成績 16戦8勝
獲得賞金 5億6253万5200円
  

スーパークリーク日本の元競走馬、現種牡馬である。1988年菊花賞、1989年天皇賞(秋)、1990年天皇賞(春)に優勝。1980年代後半に巻き起こった第二次競馬ブーム期において、オグリキャップイナリワンと共に「平成三強」と呼ばれた。

馬齢は2000年以前に使用された旧表記(数え年)で記述する。

目次

[編集] 経歴

[編集] 幼駒時代

1985年、北海道門別町の柏台牧場に生まれる。幼駒時代から左前脚が外向していたが、調教師伊藤修司は「歩かせてみると良い動きをする。脚に難はあるが、これぐらいなら何とかなるはずだ」と、素質を嗅ぎ取っていた[1]。当歳の夏に出品されたセリ市では主取り(購買者なし)となり[2]、翌年夏のセリでも買い手がつかなかったため、これを惜しむ伊藤は馬主の木倉誠に購買話を持ちかけた。木倉と、柏台牧場の経営者・相馬和胤が旧知の間柄だったこともあって[1]、秋のセリ市で購買されたが、落札額は開始価格から10万円上乗せしたのみの810万円という安値だった。その後、「今は小川(Creek)でも、いつか大河になって欲しい」という意味を込め「スーパークリーク」と命名された[2]

[編集] 戦績

[編集] 3歳-4歳(1987-1988年)

3歳夏のデビューを目指し一時函館競馬場に入るも、重度の下痢をしたことから、12月の阪神開催までデビューは遅れることになった[3]。12月5日に初戦を迎えると、直線で終始内側に斜行を続けながらも2着。2戦目で初勝利を挙げた。この時、鞍上を務めた田原成貴は「この馬はひょっとすると大変な大物かも知れない」と述べている[4]

翌4歳シーズンは条件戦を4着、重賞初出走のきさらぎ賞を3着とした後、デビュー2年目の武豊が初騎乗したすみれ賞で、2勝目を挙げる。以後は東京優駿(日本ダービー)を目指したが、その前哨戦・青葉賞(当時は指定オープン)に向けた調教で左前脚を骨折。ダービーを断念し、長期の休養を余儀なくされた。

半年の休養後、休み明けの神戸新聞杯3着を経て、デビューからの目標としていた菊花賞への優先出走権確保のため、トライアル競走京都新聞杯に出走した。しかしレース要所で進路を失い、また他騎手が振るった鞭が顔に当たるというアクシデントも重なり[5]、6着に敗退。優先出走権獲得は成らなかった[注 1]

当年の菊花賞は36頭が登録(出走枠18頭)し、スーパークリークは獲得賞金順で出走資格19番目、同賞金のガクエンツービートと共に回避馬待ちであった。武には他に騎乗可能な3頭の登録馬があったが、「クリークがだめなら参加できなくても仕方ない」と、クリーク騎乗の意思を堅持した。[注 2]これを受け、クリークの配合を考案した岡田繁幸が、自身が運営するクラブ所有馬マイネルフリッセの出走辞退を表明[注 3]。さらにもう1頭の回避馬が出たことで、ガクエンツービートともども抽選無しでの出走が叶った。レースは第4コーナーからクリークが先頭に立つと、直線では後続を大きく引き放し、2着に入ったガクエンツービートに5馬身差を付けての優勝を果たした。人馬ともに初のGI勝利であり、武は史上最年少でのクラシック勝利(19歳8ヶ月)、さらに父・邦彦との菊花賞親子制覇も達成と、様々な記録が伴った。

年末には有馬記念に出走。当日は4番人気に支持され、オグリキャップ・タマモクロスに続く3位に入線する。しかしレース最後の直線で外側に斜行し、メジロデュレンの進路を妨害したとして失格処分を受けた。

[編集] 5歳-6歳(1989-1990年)

翌1989年は、年頭から発症した後脚の筋肉痛が抜けず、春シーズン全休となる。10月に京都大賞典で復帰すると、エリモジョージのコースレコードを13年ぶりに更新して勝利を収める。迎えた第100回天皇賞では2番人気に支持され、1番人気オグリキャップとの競り合いをクビ差制し、GI2勝目を挙げた。しかし1番人気に支持された第9回ジャパンカップでは、世界レコードを記録したホーリックスから3馬身半差の4着、年末の第34回有馬記念では、直線で先頭に立ちながらゴール寸前でイナリワンに交わされ、ハナ差の2着に終わった。

最後のシーズンとなった1990年は、緒戦の大阪杯を楽勝、春の天皇賞ではイナリワンを半馬身抑えて優勝し、史上初の天皇賞秋春連覇を達成した[注 4]。次走は第31回宝塚記念 が予定されていたが、筋肉痛で回避を余儀なくされ、取り沙汰されていたフランス凱旋門賞出走も白紙となった[6]

秋は京都大賞典から復帰し、グレード制導入以後は初となる同競走連覇を達成。しかし直後に左前脚の繋靱帯炎が判明し、天皇賞(秋)を回避。そのまま復帰は叶わず、年末に引退を発表した。翌1月に中山競馬場京都競馬場でそれぞれ引退式が執り行われた。

[編集] 引退後

引退後は種付け権1株600万円・総額3億6600万円のシンジケートが組まれ、北海道浦河町・日高スタリオンステーションで種牡馬となった。オグリキャップ、イナリワンと同年の種牡馬入りで期待も集めたが、ステイヤー血統で自己のスピード能力を伝えることができず、ハダシノメガミ(スイートピーステークス2着)や、ハギノハンター(中央準オープン勝利)を輩出する程度に留まった。母の父としては、2006年阪急杯を勝ったブルーショットガンを出している。

[編集] 全成績

年月日 レース名 頭数 人気 着順 距離(状態 タイム 3F 着差 騎手 斤量 勝ち馬/(2着馬)
1987 12. 5 阪神 新馬 10 4 2着 芝2000m(良) 2:03.1 (36.6) 0.1秒 田原成貴 54 ファンドリデクター
12. 26 阪神 新馬 16 1 1着 芝2000m(良) 2:03.7 (36.4) 3/4身 田原成貴 54 (ロンググラシアス)
1988 1. 5 京都 福寿草特別 10 1 4着 芝2000m(稍) 2:06.5 (36.9) 0.5秒 田原成貴 55 マイネルフリッセ
2. 24 京都 きさらぎ賞 GIII 8 4 3着 芝2000m(良) 2:04.5 (35.0) 0.2秒 南井克巳 55 マイネルフリッセ
3. 19 阪神 すみれ賞 9 3 1着 芝2200m(稍) 2:18.8 (35.9) 1/2身 武豊 55 (パワーウイナー)
9. 25 阪神 神戸新聞杯 GII 10 4 3着 芝2000m(重) 2:05.5 (37.0) 0.4秒 武豊 56 ヤエノダイヤ
10. 16 京都 京都新聞杯 GII 16 4 6着 芝2200m(良) 2:15.6 (37.0) 1.1秒 武豊 56 ヤエノムテキ
11. 6 京都 菊花賞 GI 18 3 1着 芝3000m(良) 3:07.3 (35.7) 5身 武豊 57 (ガクエンツービート)
12. 25 中山 有馬記念 GI 13 4 失格 芝2500m(良) 2:34.1 武豊 55 オグリキャップ
1989 10. 8 京都 京都大賞典 GII 10 1 1着 芝2400m(良) R2:25.0 (34.7) 3/4身 武豊 59 ミスターシクレノン
10. 29 東京 天皇賞(秋) GI 14 2 1着 芝2000m(良) 1:59.1 (34.6) クビ 武豊 58 (オグリキャップ)
11. 26 東京 ジャパンカップ GI 15 1 4着 芝2400m(良) 2:22.7 (36.3) 0.5秒 武豊 57 ホーリックス
12. 24 中山 有馬記念 GI 16 2 2着 芝2500m(良) 2:31.7 (36.3) 0.0秒 武豊 57 イナリワン
1990 4. 1 阪神 大阪杯 GII 9 1 1着 芝2000m(稍) 2:02.9 (37.3) 3/4身 武豊 59 オサイチジョージ
4. 29 京都 天皇賞(春) GI 16 1 1着 芝3200m(良) 3:21.9 (35.9) 1/2身 武豊 58 (イナリワン)
10. 7 京都 京都大賞典 GII 6 1 1着 芝2400m(重) 2:26.9 (34.9) 1/2身 武豊 59 (リアルバースデー)

[編集] 特徴・エピソード

[編集] 血統背景とスピード能力

当時としても珍しい徹底した長距離血統であるが、これは柏台牧場の方針である「天皇賞(春)や菊花賞を意識した馬作り」を基に、同場長と懇意であった岡田繁幸が配合を考案した[7]。この血統的特徴のため、デビュー以降は方針として2000m 未満のレースには出走しなかった[8]。しかし中距離戦である天皇賞(秋)で1着となっているように優れたスピード能力も示し、1990年代以降顕著となる「長距離馬にスピードが要求される時代」の嚆矢となった馬とも見られている[注 5][注 6]

[編集] 性格・身体的特徴

物事に動じない性格であり、幼駒時代から泰然自若としていたという[2]。種牡馬入り後は種馬場の前場長より「長い間種牡馬を見ているが、こんなに落ち着いた種牡馬も珍しい」と評されている[9]。また、競走馬として「先頭に立つと気を抜くところがある」と、武が天皇賞(秋)優勝後に語っている。

身体的には前述の通り左前脚に歪みがあり、これを原因とした脚部不安もつきまとった。完調で走ったのは秋の天皇賞のみであったともいう[10]。ほか、顔が大きいことがよく知られており、競馬漫画家のよしだみほが幾度が自作の中で題材として扱っている[注 7]

[編集] 武豊との関係

デビュー以来「天才」と称され、数々の記録を樹立した武豊のGI初勝利馬でもあり、武自身も非常に思い入れの深い馬として、しばしば名を挙げている。クリークの現役時代から「僕が初めて惚れ込んだ馬、僕の期待に応えてくれた大事な馬です。他の誰にも渡したくありません」等と語っており[11]、後に自身のキャリアを回顧し、「強烈だったのはスーパークリークとの出会いですね。あの馬がいなかったら、僕はこんなにたくさんのGIに乗れなかったと思う。本当に強かった。ある意味で僕の原点かな、この馬と一緒に全国区になったというか」と語っている[12]。また、クリークともども当時はアンチファンが多く、「秋の天皇賞でオグリキャップを負かした後、嫌がらせの手紙が山のように来た」とも明かしている[13][注 8]

[編集] 血統表

スーパークリーク血統  ニジンスキー系ノーザンダンサー系)/Hyperion4×5=9.38%、Nasrullah5×5=6.25%

*ノーアテンション
No Attention
1978 鹿毛
Green Dancer
1972 鹿毛
Nijinsky Northern Dancer
Flaming Page
Green Valley Val de Loir
Sly Pola
No No Nanette
1973 芦毛
Sovereign Path Grey Sovereign
Mountain Path
Nuclea Orsini
Nixe

ナイスデイ
1979 鹿毛
*インターメゾ
Intermezzo
1966 黒鹿毛
Hornbeam Hyperion
Thicket
Plaza Persian Gulf
Wild Success
サチノヒメ
1957 黒鹿毛
Sayajirao Nearco
Rosy Legend
*セントマキシム
Sainte Maxime
Rockefella
Sou'wester F-No.1-l

父ノーアテンションも競走馬時代はステイヤーであった。詳細は同馬の項を参照。母は地方競馬で1勝。母の父インターメゾ、祖母の父サヤジラオは、いずれも英長距離の大競走セントレジャーステークスの優勝馬である。母の従兄弟に大阪杯、金杯(西)の優勝馬ケイタカシ、日経新春杯の勝ち馬ケイシュウがいる。

[編集] 脚注

  1. ^ 当時の京都新聞杯は5着まで優先出走権を付与。現在トライアル競走となっている神戸新聞杯は、当時はトライアル指定を受けていなかった。
  2. ^ このエピソードが基になって、「JRAヒーロー列伝 No.30 スーパークリーク」には「逆指名。」のキャッチコピーがつけられた。
  3. ^ 競走後に岡田は会報で所有権者に謝罪しているが、会員からは「強い馬がレースに出るべき」という岡田の理念と、配合・相馬眼の確かさを絶賛された(『競馬感涙読本』p.88)。一方で、同馬を管理した中村均との関係は一時悪化した。
  4. ^ 春秋連覇は1988年にタマモクロスが達成している。
  5. ^ ライターの山河拓也は、「スーパークリークは無尽蔵のスタミナだけを頼りに勝負した馬ではない。むしろ、溢れるスピードが要求される『長距離戦・新時代』の扉を叩いたステイヤーだった」と評している。(『日本名馬物語』p.273)
  6. ^ 競馬記者・コラムニストの横尾一彦は「2つの長距離GIを制すだけでなく、中距離のスペシャリストが顔を揃えた2000mの天皇賞(秋)をも制する優れたスピードを示している。まさに『真のステイヤーはマイルをも克服する』という、"現代競馬の申し子"のようなサラブレッドだった」と評している。(『優駿』1994年4月号 p.78)
  7. ^ 「顔の大きさを利用して他馬を抜かせない」といったものや、同じく顔が大きいことで知られたビワハヤヒデとの「巨顔対決」など。よしだは自著の中で「クリークは顔が大きいと言われるたびにユタカ(武豊)が『そんなことはないですよ』庇っていた」と述懐し、「本当に本当にクリークのことが好きだったんだねえ」と感想を述べている。(よしだ p.57)
  8. ^ オグリキャップは第二次競馬ブームの中核的な存在であり、非常に人気が高かった。

[編集] 出典

  1. ^ a b 『週刊100名馬』Vol.5 p.5
  2. ^ a b c 『優駿』1994年4月号 p.78
  3. ^ 『優駿』(日本中央競馬会)2006年8月号
  4. ^ 『優駿』1994年4月号 p.79
  5. ^ 『日本名馬物語』 pp.262-263
  6. ^ 『優駿』1994年4月号 p.80
  7. ^ 『競馬感涙読本』p.88
  8. ^ 『日本名馬物語』p.262
  9. ^ 『優駿』1994年4月号 p.81
  10. ^ 『競馬名馬読本』p.107
  11. ^ よしだ p.56
  12. ^ 『Sports Graphic Number PLUS』p.51
  13. ^ 『Sports Graphic Number PLUS』p.52

[編集] 参考文献

  • 『優駿』1994年4月号(日本中央競馬会、1994年)
  • 『優駿』2006年8月号(日本中央競馬会、2006年)
  • 『別冊宝島143 競馬名馬読本』(宝島社、1991年)
  • 『別冊宝島402 競馬感涙読本』(宝島社、1998年)
  • 『Sports Graphic Number PLUS - 競馬黄金の蹄跡』(文藝春秋、1999年)
  • よしだみほ『私設現代名馬館』(ぶんか社、1996年)
  • Gallop臨時増刊『週刊100名馬 Vol.5 - スーパークリーク』(産業経済新聞社、2000年)
  • サラブレ編集部・編『日本名馬物語 - 蘇る80年代の熱き伝説』(講談社、2008年)
先代:
サクラスターオー
菊花賞優勝馬
1988年
次代:
バンブービギン
先代:
タマモクロス
天皇賞(秋)優勝馬
1989年
次代:
ヤエノムテキ
先代:
イナリワン
天皇賞(春)優勝馬
1990年
次代:
メジロマックイーン