「日本におけるLGBTの権利」の版間の差分

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====政党アンケート====
====政党アンケート====
2012年12月の総選挙に際し、「レインボープライド愛媛」が各政党に対して行った「性的マイノリティに関するアンケート」(注:[[みんなの党]]は未回答)。
2012年12月の総選挙に際し、「レインボープライド愛媛」が各政党に対して行った「性的マイノリティに関するアンケート」(注:[[みんなの党]]は未回答)。
;Q1 人権問題として同性愛者や性同一性障害者らの性的少数者について取り組んでいくことをどう思われますか?
;Q1 人権問題として同性愛者や性同一性障害者らの性的少数者について取り組んでいくことをどう思われますか?
【A】人権問題として積極的な取り組みが必要だ:''[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]、[[日本維新の会]]、[[公明党]]、[[日本共産党|共産党]]、[[社民党]]''<br />
:【A】人権問題として積極的な取り組みが必要だ:''[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]、[[日本維新の会]]、[[公明党]]、[[日本共産党|共産党]]、[[社民党]]''
:【B】人権問題として取り組まなくてよい:''[[自由民主党]]''

B】人権問題取り組まなくてよい:''[[自由民主党]]''<br />
:C同性愛に人権という考えはあないように思う
:【D】個人的な問題であり差別や偏見を被るとしたら同性愛という立場を自ら選択したことに原因がある:
【C】同性愛に人権という考えはあてはまらないように思う:<br />
:【E】答えられない/分からない:''[[国民新党]]''

【D】個人的な問題であり差別や偏見を被るとしたら同性愛という立場を自ら選択したことに原因がある:<br />
【E】答えられない/分からない:''[[国民新党]]''


;Q2性的少数者の人権を守る施策の必要性について
;Q2性的少数者の人権を守る施策の必要性について
【A】社会の理解が不足している課題なので積極的な啓発や施策が必要だ:''民主党、日本維新の会、公明党、共産党、社民党''<br />
:【A】社会の理解が不足している課題なので積極的な啓発や施策が必要だ:''民主党、日本維新の会、公明党、共産党、社民党''
:【B】差別や偏見は特段に無いと思うので積極的な取り組みは必要ない:

B差別や偏見は特段に無いうので積極的な取り組み必要ない:<br />
:C人権問題して扱のではない:
C人権問題としてものではない:<br />
:D同性愛や性同一性障害を助長していくような施策は必要無い:
D同性愛や性同一性障害を助長していくような施策は必要い:<br />
:E】性同一性障害者への施策は必要だが、同性愛者へは必要がない:''自由民主党''
E性同一性障害者への施策は必要だが、同性愛者へは必要がない:''自由党''<br />
:F答えられない/分からない:''党''

F】答えられない/分からない:''国民新党''


;Q3 同性結婚について
;Q3 同性結婚について
【A】同性でも婚姻制度を適用できるようにすべきだ:''日本維新の会、社会民主党''<br />
:【A】同性でも婚姻制度を適用できるようにすべきだ:''日本維新の会、社会民主党''
:【B】現在の結婚に変わる制度、異性同性を問わず利用できるパートナー制度が出来るべきだ:''日本共産党''

B現在の結婚に変わる制度異性同性を問わず利用きるパートナー制度が出来るべき:''日本共産党''<br />
:Cこうした制度異性間のものるべきで特に必要ない:''自由民主党''
:D】答えられない/分からない:''民主党、公明党、国民新党''

【C】こうした制度は異性間のものであるべきで特に必要ない:''自由民主党''<br />

【D】答えられない/分からない:''民主党、公明党、国民新党''<br />


===政党と差別の歴史===
===政党と差別の歴史===

2014年1月19日 (日) 02:49時点における版

日本の旗日本におけるLGBTの権利
日本国
同性間の
性交渉
違法ではない
性自認/性表現 性別適合手術後の法的性別変更は、2008年より有効
同性間の
関係性の承認
なし
同性愛者を
公表しての
軍隊勤務
差別保護 法的にはなし。一部の都市で条例による保護がある[1]

日本では同性愛は違法ではなく、日本文化や日本国内で広く信仰されている宗教においても、LGBTの人々に対する強い反発は、諸外国と比べてほとんどない[2]。現在のところ同性間のリレーションシップを承認する法律はないものの、同性間カップルが養子縁組を結ぶケースは昔から比較的多いといわれている[3]

概要

日本の伝統的な宗教である神道や、仏教儒教などは同性愛や異性装を明示的に禁止しておらず、日本の歴史においてそれらは肯定的なものと捉えられていた[4]。その後、明治時代初頭の1872年、西洋の政治・文化の影響などで同性愛行為のうち鶏姦肛門性交)のみが違法とされたが(鶏姦罪)、8年後の1880年に制定された旧刑法(施行は1882年)からはこの規定はなくなった(後述[5]

欧米諸国では同性愛を罪とするキリスト教や19世紀ドイツの衛生思想の影響で、同性愛者が激しく弾圧されたことや、戦後のマッカーシズムの「ゲイ狩り」などへの反動としてゲイ解放が興った[6][7][注記 1]。対して日本は、同性愛者の迫害や逮捕などの歴史を持たず、政府などによる表立った差別も殆どみられなかったため、社会の抑圧に反発する形での強い同性愛者の意識・権利の向上を目指すゲイリベレーションも、歴史的に見て一部を除いて低調である。

欧米圏で同性結婚シビル・ユニオンなどの制度が順次確立されつつある一方で、日本国内では養子縁組制度が代替的な役割を果たしてきた。このためゲイ団体からも同性結婚の実現などを求める政治的要求はそれほど強く出されておらず、米国などのように同制度の制定をめぐり、長年にわたって政治的争いがおこるような事態にもなっていない。

そうした中でも1971年、東郷健が同性愛者であることを公言して選挙に初立候補した。彼は同性愛者を中心とした社会的少数者の人権を守ることを目的とした政治団体「雑民党」を結成し、幾度となく選挙に立候補して同性愛者の権利と存在を訴えた(後述)。1970年代後半から80年代前半にかけては、当時の若い世代のゲイ達が「日本同性愛者解放連合」「フロントランナーズ」「プラトニカ・クラブ」など、いくつかのゲイ団体を結成し(参照)、数年間活動した。1984年には、国際的LGBT団体「国際ゲイ協会(IGA)日本支部」(現ILGA、代表・南定四郎)が発足し、1986年5月「第1回アジアゲイ会議」を開催した。1986年には「動くゲイとレズビアンの会」が誕生し、1997年には東京都による「府中青年の家貸し出し拒否」(1990年)を巡る裁判に全面勝訴した(後述)。また1994年8月28日にはゲイ・パレード(ILGA日本を中心とした実行委員会主催)が日本で初開催された。

1994年には厚生省が同性愛を治療対象から除外したWHOの見解を踏襲し、文部省も指導書の性非行の項目から除外した。日本精神神経学会も1995年にWHO見解を尊重すると表明した。

年表

日本における同性愛全体の年表は「日本における同性愛#年表」参照。

  • 1880年(明治13年) - 1872(明治5)年の「鶏姦律条例」及び、翌年の「改定律例」では男性同士の鶏姦(肛門性交)が犯罪とされたが(後者の第266条では懲役刑)、1880年制定の旧刑法には鶏姦禁止規定は盛り込まれず、1882年1月1日同法施行で鶏姦罪消滅。
  • 1952年(昭和27年) - 会員制ゲイ雑誌「アドニス」創刊。
  • 1960年(昭和35年) - 男性同性愛専用ページが常設された「風俗奇譚」創刊(61年から女装専用ページも常設) 。
  • 1971年(昭和46年)
  • 1974年(昭和49年) - ゲイ雑誌アドン(5月号)、さぶ(11月)創刊。
  • 1976年(昭和51年) - 11月、ゲイ団体「日本同性愛者解放連合」結成、10人近いグループで数年間活動。
  • 1977年(昭和52年)
    • 3月、ゲイ団体「フロントランナーズ」結成、6人前後で数年間活動。
    • 5月、既成のゲイ雑誌に不満を持つ人たちが、ゲイリベレーションを編集趣旨としてゲイマガジン「プラトニカ」発刊。のち同誌を母体に「プラトニカ・クラブ」結成も、79年に最終4号を出して解散[3]
  • 1978年(昭和53年) - TBSラジオ『スネークマンショー』の「ウェンズデースペシャル」というコーナーをゲイの「タック」が担当。ニュースレターが出され、OWC(アワーズワークコミュニティ)というゲイグループも生まれた。
  • 1979年(昭和54年)
    • 東郷健が「雑民党」の前身の「雑民の会」を設立。
    • 3月、プラトニカクラブから数人が参加して「JGC」(ジャパン・ゲイ・センター)結成し、ミニコミの「GAY」を8号まで、「CHANGE」を2号まで出すも82年解散。JGCはミニコミをメディアや文化人に送付したり、差別的な報道に抗議したりした[3]
  • 1981年(昭和56年) - 日本在住の外国人ゲイによる「イングリッシュ・スピーキング・オルタネート・ライフスタイル サポートグループ」結成。途中で日本のゲイにも参加してもらおうと「東京ゲイサポートグループ」に改名し、84年頃から機関誌「COMING OUT」を発行し、TEL相談、月数回のイベント開催を行う[3]
  • 1983年(昭和58年)
    • サークル「CLASS」結成。それ以前から別名で活動していた、ティーン中心のゲイサークル。友達同士のような関係をつくり、ゲイの悩みを皆で解決していくことを目指した。会員数は40人程(当時)で東京・赤羽と大阪(所在地は尼崎)に本部があった[3]
    • 赤塚不二夫「ニャロメのおもしろ性教育」(西武タイム)発売。同書7章で同性愛などが肯定的に取り上げられる。
  • 1984年
    • IGA(国際ゲイ協会,現ILGA)日本支部発足。アドン編集長南定四郎氏がIGA(欧州に本部を置くゲイの国際団体)から依頼を受け、日本支部として活動開始。
    • 同年9月、IGA大阪発足、のちOGC(大阪ゲイ・コミュニティ)に改称。
  • 1985年(昭和60年) - 東大阪市長瀬に「上方DJ倶楽部」発足。DJ形式でトークなどの様々な催しをカセットテープに収録し、ゲイのイメージ向上とアピールを目指した。
  • 1986年(昭和61年)
  • 1990年(平成2年) - 「東京都府中青年の家」に宿泊した「動くゲイとレズビアンの会」のメンバーがキリスト教団体らから差別中傷されるなどトラブル発生。同施設所長や都職員も不適切な対応。その後、翌年に予定していた二回目の宿泊の申し込みを拒否される。
  • 1991年(平成3年)
  • 1994年(平成6年)
    • 厚生省が同性愛を治療の対象から除外したWHOなどの見解を踏襲。
    • 文部省が指導書の「性非行」の項目から同性愛を除外。
    • 8月28日、ゲイ・パレードが日本で初開催される(フィリピン《同年6月》に続きアジアで2番目)。
    • 11月、ゲイ雑誌「Badi」創刊。
    • GAY-FRONT関西(現G-FRONT関西)発足。これ以前から「ぷあぷあ」など現G-Front関西の構成グループは活動していた。
  • 1995年(平成7年)
    • 日本精神神経学会が同性愛を治療対象から除外したWHOの見解を尊重すると発表。因みに米精神医学会が同性愛を精神障害とみなさないと決議したのは1973年。
    • ゲイ雑誌「G-men」創刊。
  • 1997年(平成9年) - 東京都府中青年の家裁判で控訴審判決。動くゲイとレズビアンの会の訴えが認められ結審。
  • 2003年(平成15年)
  • 2004年(平成16年) - 性同一性障害者特例法成立。
  • 2005年(平成17年)
    • 大阪府議会議員であった尾辻かな子がレズビアンであることを公表。
    • 9月、大阪市でも同性間カップルに住宅の貸し出し認める。
    • レインボーマーチ札幌に北海道知事・高橋はるみのメーセッジが寄せられる。
  • 2007年(平成19年) - 第6回東京プライドパレードに初めて厚生労働省東京都が後援につき、渋谷区新宿区区長からメッセージが寄せられる。
  • 2011年(平成23年) - 石川大我が東京都豊島区議会議員に、石坂わたるが同中野区議に当選。
  • 2013年(平成25年) - 尾辻かな子参議院議員に繰り上げ当選。日本で初めてLGBTを公表した国会議員が誕生。

LGBTと政治

政治的な支援

LGBTの権利は人権問題として取り上げられるが、公の場で討論となるケースは多くない。 2001年に法務省の人権擁護推進審議会は「人権救済制度の在り方について」という答申をまとめた。この答申には性的指向に基づく差別の禁止が盛り込まれ、人権擁護法案として国会に提出されたが廃案となった。

2007年8月11日開催の第6回東京プライドパレードには、初めて厚生労働省東京都が後援となった。また、パレードの開催地区の渋谷区セクシュアル・マイノリティに縁の深い新宿2丁目を擁する新宿区の区長からメッセージが寄せられた。

政党

政党用件を満たす政党の中で、LGBTに関する公約を掲げているのは、民主党公明党みんなの党日本共産党社会民主党 の5政党である。自民党性同一性障害の人々の戸籍変更などを認める性同一性障害特例法を成立させた。

その他政治団体では緑の党グリーンズジャパンが言及しているほか、日本維新の会共同代表の橋下徹氏も弁護士時代によみうりテレビの「なるトモ!」のコメンテーターとして、同性愛の人たちの権利や同性婚は認められるべきだと発言している。また「レインボープライド愛媛」が2012年に行った政党アンケートでは、日本維新の会は、人権問題として性的少数者らの問題に取り組んで行くことや同性婚に賛成した。但し維新の会の公約では言及していない。また自民党は党の公約で触れていないが、党内には同性愛者の権利についての見解に賛否両論がある[注記 2]

各党政策・公約

自由民主党

自民党は2000年(平成12年)9月に性同一性障害に関する勉強会を発足させ、その法的扱いについて検討してきたが、南野知惠子参議院議員が中心となり、「性同一性障害特例法」案をまとめ、2003年7月、小泉政権の下で同法案は可決、成立した(後述)。2008年6月の福田康夫政権時には、一部の要件を緩和する同法改正案が成立した。

民主党

2013年参院選挙の公約で初めて言及し、「性的マイノリティなどが差別を受けない社会をめざす」とする[9]。また民主党は与党時代に、同党議員有志で「性的マイノリティ小委員会」を作り、主としてLGBTの自殺対策について討議した[10]

公明党

「性的マイノリティの人々が暮らしやすい社会の構築」をする。具体的には、性的マイノリティの人々への理解を深め、偏見や差別をなくすことを目的とした多方面にわたる啓発や人権相談体制の強化など、必要な施策の充実に努め、性的マイノリティの人々が暮らしやすい社会を構築する。性同一性障害について、精神保健福祉センターなどの相談窓口体制の強化や、学校教育での配慮を図るとともに、医療や人権分野の環境整備を進るとした。[11]

みんなの党

2012年の衆院選公約で性的マイノリティに関して初めて触れ、2013年の参院選公約でも「性的マイノリティに配慮した施策の充実に努める」とする[12][13]

日本共産党

「性的人権を守り社会的地位向上をはかる」とする。具体的には性別適合手術に医療保険を適用させる。公営住宅、民間賃貸住宅の入居や継続、看護・面接、医療決定の問題など、同性のカップルがいっしょに暮らすにあたっての不利益を解消する。公的書類における不必要な性別欄を撤廃する。欧米各国のパートナーシップ法などを参考にするとした[14]

社会民主党

「ゲイ・レズビアンなどの性的マイノリティへの偏見の解消に取り組む」とする。具体的には、職業・雇用、公営住宅や高齢者施設の入所などにおける差別を禁止し、教育現場において啓蒙とサポート、いじめ調査を行うとした。また、フランスの民事連帯契約法にならった制度の創設、性同一性障害者特例法の適用拡大を掲げた[15]

その他の政党
緑の党グリーンズジャパン
緑の党グリーンズジャパンは〈性的マイノリティへの理解と支援を進める〉とする。具体的には、学校教育の中に性的マイノリティに関するカリキュラムを位置づける。異性間の婚姻関係に付与される権利と同等の権利を、性別を問わない事実婚の社会生活を営む個人に付与する制度を確立するとした。また、DV防止法の改正・強化、職場や精神保健福祉施設での女性や性的マイノリティへのいじめやセクハラ防止の強化によって性差別に基づく暴力を根絶するとも書かれている。[16]
雑民党(かつてあった政党)
体系的な政策はなかったが、東郷健が党首を務め、同性愛者の存在をアピールした。ゲイの権利を訴えた功績は大きかったが、オカマ蔑称やステレオタイプな同性愛者像も同時に広めた(「蔑称「オカマ」を巡って」で詳述)。

政党アンケート

2012年12月の総選挙に際し、「レインボープライド愛媛」が各政党に対して行った「性的マイノリティに関するアンケート」(注:みんなの党は未回答)。

Q1 人権問題として同性愛者や性同一性障害者らの性的少数者について取り組んでいくことをどう思われますか?
【A】人権問題として積極的な取り組みが必要だ:民主党日本維新の会公明党共産党社民党
【B】人権問題として取り組まなくてよい:自由民主党
【C】同性愛に人権という考えはあてはまらないように思う:
【D】個人的な問題であり差別や偏見を被るとしたら同性愛という立場を自ら選択したことに原因がある:
【E】答えられない/分からない:国民新党
Q2性的少数者の人権を守る施策の必要性について
【A】社会の理解が不足している課題なので積極的な啓発や施策が必要だ:民主党、日本維新の会、公明党、共産党、社民党
【B】差別や偏見は特段に無いと思うので積極的な取り組みは必要ない:
【C】人権問題として扱うものではない:
【D】同性愛や性同一性障害を助長していくような施策は必要無い:
【E】性同一性障害者への施策は必要だが、同性愛者へは必要がない:自由民主党
【F】答えられない/分からない:国民新党
Q3 同性結婚について
【A】同性でも婚姻制度を適用できるようにすべきだ:日本維新の会、社会民主党
【B】現在の結婚に変わる制度、異性同性を問わず利用できるパートナー制度が出来るべきだ:日本共産党
【C】こうした制度は異性間のものであるべきで特に必要ない:自由民主党
【D】答えられない/分からない:民主党、公明党、国民新党

政党と差別の歴史

近年、日本の政党もLGBT政策を公約に掲げ始めたが、戦後史の中では、同性愛者に無関心か差別的だった歴史がある。かつてスターリン血の粛清以来、社会主義圏の大半の国々で同性愛に非常に厳しい姿勢が取られ、同性愛者を収容所に収監し思想教育をするなどしていた[17]ソ連などでは大粛清の口実にされていたり、中国共産党毛沢東も同性愛者らを「性的な逸脱者」として彼らの性的去勢を信じ[18]、成人間の合意に基づく同性愛行為も「流氓罪」として、拘留や労働教育刑などの対象になった。こうした「同性愛はブルジョア的頽廃」というイデオロギーが、1980年代頃までの日本の革新政党にも黒い影を落としていた[17]

例えば、日本社会党時代、社会主義協会(社会党最左派派閥)代表の向坂逸郎氏がゲイの東郷健氏に対し、「ソビエト共産主義になればお前の病気は治ってしまう」と発言した[注記 3]日本共産党も党員がゲイが集まる旅館のロッカールームで他人の下着を盗む事件を起こした時に、窃盗を非難するだけではなく、同性愛そのものを「ブルジョア的頽廃」と否定した[17]。また1993年放送の日本テレビ系ゲイドラマ『同窓会』について、共産党機関紙・赤旗は「青少年教育に悪影響を与える」と書いていた[19][注記 4]。このほか政党には属さないがマルクス主義者の上野千鶴子氏も「私は同性愛者を差別する。なぜなら彼らは自然に反しているからだ」と断じていた[20]。このように当時の革新政党らは、ゲイを差別する側に立っていた[17]。(但し1990年代頃から変化し始め、当時の社会党機関紙「社会新報」にLGBT関連記事が載り始めるようになり[21]、2000年代には共産党機関紙、「赤旗」にもLGBT関連記事が載り始めた[22]。)

保守系では、自民党は同性愛に関してまとまった考えなどは表明してこなかったが、稲田朋美氏のようなキリスト教系保守[23]の中には同性婚を「家族の否定」だとして反対する立場を取る政治家もいる。「レインボープライド愛媛」が2012年選挙に際し行ったLGBT施策の政党アンケートで同党は、性的少数者の人権を守る施策について、性同一性障害に関しては必要としているが、同性愛については「取り組んで行かなくてもよい」と回答した。他の保守政治家では、石原慎太郎元東京都知事は「同性愛者は足りない感じがする」と発言し[24]維新政党・新風の故・松村久義氏は2004年参院選の政策アンケートで、「同性愛者は異常性愛嗜好者である。この者達の人権等を認めるとなると、ロリコン小年愛、果ては死姦まで認めなければならない。監禁すべきである」「日本社会から、ホモの排除を要求する」といった同性愛者に対し極めて差別的な回答を行った[25](但し松村個人の発言であり党の公式見解ではなかった。新風事務局もこの発言当時「同性愛も人が人を愛すことには変わりない」と書いている[26])。

ただ保守系政治家・政党も多様であり、自民党や民主党内には同性愛に関し様々な意見がある。また日本維新の会は前述の政党アンケートで同性婚や性的少数者の人権擁護施策などに賛成しており、みんなの党も性的マイノリティに関する公約を掲げている。同性愛に否定的なのは日本の保守の一角のクリスチャン保守[27]韓国統一教会(キリスト教ベース)系であり、神道・仏教系など保守本流は日本の歴史の中でホモフォビアだったことは殆どないとされる[2]。因みに同性愛団体への東京都施設貸し出し拒否の是非が争われた府中青年の家事件も、キリスト教原理主義団体がゲイ団体に嫌がらせをしたことが発端であり、かつて同性愛者差別発言をした上野千鶴子もクリスチャン・ファミリーの出身である[28]

そもそも日本は、井原西鶴が「古来から日本は男色の国」(『男色大鑑』)といったほど、同性愛に寛容な歴史・伝統をもち、戦国武将などの間でも男色は盛んだった(「武士の男色」「戦国大名の男色」も参照)。織田信長小姓森蘭丸を寵愛し、幕末の志士・西郷隆盛には月照と同性心中を企てた有名な逸話がある。新撰組局長、近藤勇の書簡[29]にも新選組内で男色が流行していると記されている。その他、戦時中、政治結社をつくって挺身行動隊の副隊長をやるなど保守運動に邁進し、戦後、会員制の同性愛雑誌『同好』を大阪で創刊した毛利晴一[30]、戦後保守思想を代表する三島由紀夫らが同性愛者として知られており、日本の同性愛本流は保守だった[要出典]。近代以降のキリスト教的ソドミーや、1970年代以降のマルクス主義と結びついた西洋輸入思想としてのゲイリベレーションは、日本の中ではむしろ歴史は浅い。こうしたことからも同性愛や同性婚を否定する理由に「日本の伝統の否定」を挙げるのは実は根拠がないということがわかる[要出典]

法制度

性的同意年齢

日本の刑法176条(強制わいせつ罪)の規定においては、男女ともに性的同意年齢は13歳に設定されている。しかしながら長野県を除く都道府県などで淫行条例により成年と18歳未満との性行為は禁止されている。また日本の売春防止法は売春における実際の性行為(または管理売春)を禁じている。同法では男女間の行為を定義しており、同性間の行為はその模倣とみられるため、同性間の売春は直接的に禁止されていない[31]

刑法

鶏姦罪についての詳細は「日本における同性愛#幕末・明治初期: 一時的な違法化」参照。

明治時代初頭の1872年、西洋の政治・文化の影響もあり、ソドミーの中で男性同士の肛門性交のみを禁じる鶏姦条例が発令された(ソドミー法)。この条例名は清律(en)の㚻姦(けいかん)罪から取られ、㚻の字には音が同じ「鶏」が当てられた。翌1873年には「改定律例」第266条に鶏姦罪として規定し直され、違反した者は懲役刑とされた。しかし1880年制定の旧刑法にはこの規定は盛り込まれず、1882年1月1日の同法施行をもって鶏姦罪は消滅した[注記 5][32]。短い期間ではあるが、日本の歴史で唯一、同性愛行為の一部が禁止されていた時期であった(それまでの日本では男色は非常に盛んだった)。但し同性愛自体が違法化されたわけではなく、薩摩藩などでも男色は引き続き行われており、事実上はザル法化していた。この期間を除いて日本では同性愛行為を規制する法律は存在せず、成人の同性間の私的な性的行為は、日本国内では違法ではない。

1872年東京都などで違式註違条例布達が出され女子の断髪が禁止された。違反者は罰金が科されたため、FTMのトランスジェンダー、トランスセクシュアルは自身のセクシュアリティを表現できなかった。

強姦罪は、男性器が女性器に挿入された場合のみ適用され、ゲイの加害者が男性の被害者に暴行又は脅迫を用いて肛門性交を行う、もしくはレズビアンの加害者が女性の被害者に暴行又は脅迫を用いて性行為を行ったとしても量刑が軽い強制わいせつ罪が適用される。(強姦罪は3年以上の20年以下の懲役であるが、強制わいせつ罪では6ヶ月以上10年以下)

法的保護

2000年の段階で、日本の国内では公民権に関連する法律において性的指向を明示して保護していない。これは日本においてLGBTの人々が雇用や教育、居住や健康、財産などで差別を受けた場合に拠り所となる法的手段がないことを示している[33]

しかしながら、日本においては同性同士のカップルが受けられない行政・企業サービスや、女装者がタクシーの乗車拒否に遭ったり[34]スポーツクラブの入店を拒否[35]されるなどの差別的な対応を受けるケースは依然として多いものの、性的指向に基づく生命に関わるような深刻な差別は比較的稀なケースとされる。

面接時にカミングアウトしていないことが多いとはいえ、ゲイ・レスビアン・トランスジェンダーの教員は全ての教育レベルにおいても規制がない。自衛隊では、クリントン大統領時代に米国で起こった同性愛者の従軍議論に関連し、「同性関係が職務やその他の問題に影響しない限りは問題とされない」と回答している[36]

日本の憲法では平等な権利を謳い、法の下の平等の理念の基にいかなる理由の差別も禁止していると解釈されている(詳細は日本国憲法第14条を参照)。しかしながら同性愛者とトランスジェンダーの人々は、異性または同性のパートナーから肉体的、性的、心理的な暴力を受けた場合に、「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」の適用外とされ、法的保護を受けることができないケースがある。日本は差別行為を包括的に禁じる条項を盛り込んだ「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の締約国であり[37]、性的指向や性自認による差別を行った者への処罰の必要性が記された「性的指向と性自認に関する声明」(en)にも賛成の意を示しているが、法整備が追いついていない。

労働基準法

労働基準法第1章 総則 第3条(均等待遇)には、「使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。」とあり、こちらも憲法同様限定列挙と解され、性的志向性自認を理由とした不利益な取り扱いも禁止されている。

雇用関連

雇用機会均等法は性差別の禁止や職場におけるハラスメントの禁止など数度に渡って改正されてきたが、ジェンダーや性的指向による差別の禁止への拡大適用を見送っている[38]

  1. 1991年、動くゲイとレズビアンの会が公的施設の利用を拒否されたとして東京都を訴えた東京都青年の家事件が起きた。裁判は1997年に原告団体の全面勝訴で結審。裁判後、東京都は性的指向による雇用差別を禁じた指針を発表している。

トランスジェンダーに関連した事柄

2003年7月10日に性同一性障害者性別適合手術後に法的な性別の変更を認める「性同一性障害者特例法」が成立し(施行は2004年7月16日)[39]、以下の要件を満たす場合、家庭裁判所に対して性別の取扱いの変更の審判を請求することが可能となった。審判の許可を受けることで、法令上の性別の取扱いと戸籍上の性別記載が変更できるようになった。

  1. 二十歳以上であること。
  2. 現に婚姻をしていないこと。
  3. 現に子がいないこと(平成20年6月に未成年者の子がいないことに改正された)。
  4. 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
  5. その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

2012年2月24日、兵庫県弁護士会は男性刑務所に収容されているトランスセクシャルの女性を女性刑務所に入れるよう勧告を行った[40]。それらを受け、法務省は該当者の個室利用や単独入浴を許可する方針を発表した[41]

同性結婚

日本国憲法第24条にて「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と規定されている。そのため、同性間のカップルは結婚が認められておらず、結婚によって得られる権利を得る事ができない。また外国で成立した同性結婚は日本国内で認知されず、外国人のパートナーはその関係性を基にビザを得る事ができない[42]。ただ同性間の「養子縁組」は比較的結びやすいといわれており、同性間のリレーションシップの代替として昔から比較的多く行われている[3]。但し同性カップルが養子(子供)を引き取る事はできない。

2009年3月27日、同性結婚が認められた国に住む外国人と相手国での同性結婚を行えるようになるとの報道がなされた[43][44]。日本は国内での同性結婚を認めていなかったことから、同性のパートナーとの国際結婚をするために必要な書類の申請が行われた場合は拒否されていた。法務省の通達がなされたことで、同性結婚を望む者には独身の成人である証明書を発行するようになった。

2012年5月15日東京ディズニーリゾートミリアルリゾートホテルズ)内の3つのホテルにおける同性結婚式実施の照会について、広報担当者が可能と回答[45]

LGBTと教育

前史:性非行、人間性の悲劇として

かつて文部省は、同性愛を「性非行」の倒錯型性非行として問題視しており、1979年の文部省『生徒の問題行動に関する基礎資料』「Ⅳ性非行 - ④倒錯型性非行 - オ同性愛」では、「同性愛は一般的に言って健全な異性愛の発達を阻害する恐れがあり、また社会的にも、健全な社会道徳に反し、性の秩序を乱す行為となり得るもので、現在社会であっても是認されるものではないであろう」(抜粋)としていた[46]。また教育者向けの指導書や新聞の人生相談の専門家(精神科医、教育評論家など)の回答にも、同性愛を異常視したものが多く、1955年11月28日付け読売新聞「同性にあこがれ」(『人生案内』)では、同性愛は、「色情の異常で人間性の悲劇」とされ、1980年代後半の「中2の息子が同性愛」(『人生案内』)[要文献特定詳細情報]も、帰宅したら息子が、同じ学校の男子生徒と全裸で抱き合っているところを見てしまったという母親の相談に、「(息子はゲイでないのにゲイの生徒に振り回されているという推測に基づいて)息子さんの将来を思えば、相手から引き離すべきだ」などとする専門家による否定的な回答がされた。この回答は当時の薔薇族が取り上げ批判したが、その薔薇族も「どうせこの母親は甘やかして息子を育てたに決まっているのです(だから息子もゲイだ)」[47]と書いており、同性愛をネガティブに捉えている点では同じだった。

教育指導書の一例としては、『高校教育展望』(1985年5月号,小学館)で、関西性教育相談所長・黒川義和が「高校生の問題行動」として同性愛について触れ、「人は男女の立場から、これに夫・妻の立場、さらに父親と母親の立場が加わって、責任もあるが、また幸せな一生を送ることができるわけであるが、同性愛者にはこの全てが欠落しているのである」とした。そして対応例として、「原因発生の時期をつかみ、これを起点として対応法を考え、早期に指導すれば修正の可能性がある」「最近話題になっているエイズの話を付け加えるのもよいと思う」と主張していた。

文化人にも同性愛を異常視・差別視する者は多く、性科学者で京都大学霊長類研究所長(当時)の大島清は自らの著書で同性愛を取り上げては、「オスが男になるには二重の壁がある」などとして、その壁を乗り越えられないと同性愛になってしまうというロジックで同性愛を否定していた。京都精華大学助教授(当時)の上野千鶴子も「同性愛者を差別する」(「スカートの下の劇場」より)、 「レズビアニズムはヘテロセクシュアルの副産物、カウンター・イデオロギーであり、時代が変われば変わる」(同)と断じていた。

ここに挙げた事例はほんの一部であるが、ゲイやレズビアンの当事者個人や、1979年結成の「JGC(ジャパン・ゲイ・センター)」、1986年結成の「動くゲイとレスビアンの会」などが積極的に出版社などに働きかけ、差別表現の是正を求めていた。

同性愛を性非行から除外へ

そうした中、1983年に出版された赤塚不二夫「ニャロメのおもしろ性教育」(西武タイム)では同性愛が肯定的に取り上げられた。漫画に男性同士のカップルを登場させ、同性愛の歴史やそれが古代ギリシャアメリカ・インディアンの中では自然な行為だったこと、同性愛者の差別の現状や、SEXのやり方、米国のゲイ解放運動などを解説した。そして「心理的に人間には、同性愛の可能性が潜んでいるといわれる。」「彼らの行動を無理に邪魔したり、からかったりしないほうがいい。」と説いた[3]

また山本直英らは同性愛を肯定的に扱う性教育を先駆的に行った[48]。教育現場では、1991年に劇場公開されゲイの生活を4年間追い続けたドキュメンタリー映画「らせんの素描」にも出演した高校教師の平野広朗は、ゲイであることをカミングアウトして授業を行った。性教育に関する副教材「ひとりで ふたりで みんなと」(小学生用)「おとなに近づく日々」(中高生用)でも同性愛のことが触れられた(その後廃刊)[48]

1994年には政治的にも大きな変化があり、ゲイ団体の度重なる抗議やWHOが同性愛を治療対象から除外したことなどを受け、文部省は指導書の「性非行」の項目から同性愛を削除した。こうして同性愛を指導資料などで否定的に記述することはなくなった。ただ文部省が同性愛を性非行としてきたからといって、教育現場で同性愛が否定的に教えられてきたということはない。1980年代頃までは「同性愛が教材になることは、まずない。」[3]という状況であり、無視(社会的無化)されてきたといった方がいい。2013年時点でも一部例外を除き、同性愛は教育現場ではほとんど教えられていない。

献血とゲイ差別

日本赤十字社は、過去一年以内の男性間性交渉者(≠男性同性愛者)の献血を一律に禁止している。同社の公式HPでは、以下の様に説明している。

下記はいずれも、エイズウイルス(HIV)やB型・C型肝炎ウイルス感染の危険性が高い行為です。急性B型肝炎は、そのほとんどが性交渉による感染です。これらのウイルスの感染初期は、強い感染力を持つにもかかわらず、最も鋭敏な検査法を用いても検出できない時期が存在します。輸血を必要とする患者さんへの感染を防ぐため、過去1年間に下記に該当する方は、献血をご遠慮いただいています。

(1)不特定の異性と性的接触を持った。 (2)男性の方:男性と性的接触を持った。 (3)エイズ検査(HIV検査)で陽性と言われた。 (4)麻薬・覚せい剤を注射した。

上記の4項目のうち男性間性交渉者は一律的に排除されている。その理由として、
①日本におけるHIV感染者の7割が男性間性交渉による者が占めていること
②HIVなどのウイルスに感染してから抗体ができるまで数日から数週間の期間を要すとされ、その間の血液、即ち抗体ができる前の「ウイルスに感染した血液」が献血されたら、抗体検査をくぐり抜け、医療用にその血液が使われてしまうリスクがあるから、などとされている。

しかし男性同性愛者にも不特定の同性と性交渉をしない者もいる。一律的に男性間性交渉者を排除するのは差別であり、異性愛者と同様、「(過去一年以内に)不特定の同性と性的接触を持った」者のみに、献血禁止条件を変えるべきだという声がある。

同様の禁止規定がある米国では2010年3月4日、18人の上院議員が、「科学は劇的に変わった」として、「献血された血液は2つの非常に正確な検査を受けなければならないため、薬害の可能性はほぼゼロ」だと語った。彼らの書簡では、2006年3月、アメリカ赤十字、アメリカ血液センター及び血液銀行協会が、「この禁止規定は、医学的、科学的に不当である。」と報告したことにも注目している[49]

LGBTと健康

LGBTと自殺

若年層LGBTの自殺」(en:Suicide among LGBT youth)も参照。

同性愛者の自殺率は異性愛者のそれより高いという報告があり、近年漸く注目されつつある。周囲と違うから、女性(男性)的だからなどの理由でいじめに遭うことも少なくない。日本でも2012年に民主党内に「性的マイノリティ小委員会」が設けられるなど、少しずつではあるが対策が始まリつつある。

同性愛の治療対象からの除外と性的指向の矯正

1994年、厚生省が同性愛を治療の対象から除外したWHOなどの見解を踏襲し、1995年には日本精神神経学会も同性愛を治療対象から除外したWHOの見解を尊重するとし、「同性愛は治療の対象にならない」と表明した。だが日本の歴史の中では一部において、同性愛を矯正しようと電気ショックなどが行われていたことがある。

電気ショック

かつて厚生省は同性愛を異常性欲の一つとみなし、治療の対象にしていた。そして日本の精神病院でも同性愛者(性同一性障害)に対し、治療と称して電気ショックが行われていた[50]。カルーセル麻紀とも親交があったゴールデン圭子(1940年生まれ)という女装男性は、1957年、16歳の高校2年生の時に同性愛(性同一性障害)が親にばれ「どうしても女になりたい」というと、驚いた両親に大学病院に連れていかれた。医師から真性同性愛と診断され、私立の精神科病院に回されて強制入院となった。そこでは毎晩のように電気ショックが行われ、2ヶ月後に「看護婦さんを好きになった。」と嘘を言い、退院することができた。

当時、統合失調症などの治療のため、電気ショック療法は日本でも比較的盛んに行われており、米国など諸外国でも1950~60年代に同性愛者への治療と称して(治療は実際にはできない)、電気ショックという拷問が行われていた。日本で同性愛者への電気ショックはどれほど広がりを持って行われていたのか、性同一性障害だけではなく一般の同性愛者にも行われていたかなどは未検証である。またカウンセリングなど、精神療法としての同性愛者への「治療」行為もどれくらい行われていたかは検証されていない。

厚生省が同性愛を治療対象から除外したのは、これから40年近く後のことである。ただ日本の同性愛者は性同一性障害の人を除き、殆どカムアウトして来なかったため、同性愛ということで精神科を受診した(させられた)ケースは多くはないと思われる。因みに1990年代頃まで、新聞などに連載された精神科医のコラムなどには、同性愛者の実際の臨床例が紹介されることがあり、性的指向が同性に向かうことや、ゲイ男性の「男性性の欠如」がコラムを書いた精神科医に問題視されていた。

ゲイの若者の日常を追ったドキュメンタリー映画『ココデナイドコカ』(2010年)では、女々しいという理由で家族に病院に連れて行かれ、ホルモン検査を受けさせられたゲイの青年の声が紹介されている。

LGBTと企業

ダイバーシティ・マネジメントの先進的な取り組みとしては、日本アイ・ビー・エムの例が挙げられる。同社に設置された「ダイバーシティー委員会」には、「ゲイ、レズビアン、バイセクシュアルなどいった性的マイノリティーの人々も気兼ねなく働ける環境とネットワーク作り」[51]を目標として掲げる「セクシュアル・オリエンテーション部門」が下部機関として設けられている。部門の設置を決めた社長大歳卓麻自らダイバーシティー委員会の委員長に就任していた。これらの取り組みについて、大歳は「ゲイは、世界的には男性の7%存在するとされますが、隠して不自由な思いをしながら働くより、会社として認め、サポートを約束することで、本人は働きやすくなります。カミングアウトする者も現れる。これはプラスです。」[52]と発言するなど、LGBTに対するサポートは企業にとってもプラスであるとの持論を展開した。

2003年秋より都市再生機構は、管理する建物300件について、異性間のカップルと同様に同性間のカップルにも住宅の貸し出しを認めた。大阪市でも2005年9月から同様のルールを適用している[53]携帯電話キャリアによっては家族割のような割引が、居住地が一緒の同性愛者のカップルにも適用されることがある[54]

一方でタカノフルーツパーラーなどに代表される食べ放題などの飲食サービス[55]ホテルの宿泊サービスなどは、男女のカップル(や女性の友人同士)は受けられても、男性同士または女性同士のカップルは受けられなことが依然として多い。また、他の客が驚くという理由で入会していたスポーツクラブに来ないように通告された例[56]や、タクシーの乗車拒否[57]などに遭遇したケースもあり、企業のLGBTに対する取り組みはまだそれほど進んでいない。

LGBTの権利と裁判

日本において同性愛に関する判例となった同事件は、1997年に原告団体の全面勝訴で結審している。この事件は、同性愛者の権利を擁護する団体の公共施設の利用を「同性愛者同士の性行為を想起させる」ないし「青少年の健全な育成に悪い影響を与える」として拒否した事に対する民事訴訟事件だったが、1審の東京地方裁判所1994年3月30日判決)は東京都の処分は不当なものだったと認め、「同性愛は異常性欲の1つではなく異性愛と同様に人間の性的指向の一つである」として、東京都の処分は社会の偏見によるもので、地方自治法が禁じる正当な理由無く不当な差別的扱いによる違法行為とした。
控訴審の東京高等裁判所1997年9月16日判決)は「一般国民はともかくとして、都教育委員会を含む行政当局としては、その職務を行うについて、少数者である同性愛者をも視野に入れた、肌理の細かな配慮が必要であり、同性愛者の権利、利益を十分に擁護することが要請されているものというべきであって、無関心だったり知識がないということは公権力の行使に当たる者として許されないことである。」として、行政側の処分は同性愛者という社会的地位に対し怠慢による無理解から、不合理な差別的取り扱いをしており違憲違法だったとして東京都の敗訴が確定した。そのため、日本の裁判所は同性愛は人間の持つ性的指向であり、異常なものではないとの司法判断を示しているといえる。
  • 女装での出勤を禁止した業務命令や、配置転換に従わなかったとして解雇された性同一性障害者の会社員が解雇を無効にするよう提訴した。それに対し2002年6月20日東京地裁は、「債権者は本件申出をした当時には、性同一性障害(性転換症)として、精神的、肉体的に女性として行動することを強く求めており、他者から男性としての行動を要求され又は女性としての行動を抑制されると、多大な精神的苦痛を被る状態にあったということができる」とし、「女性の容姿をした社員を就労させることが、会社における企業秩序又は業務遂行において、著しい支障を来すと認められないから、本件服務命令違反を理由とする懲戒解雇に相当性は認められない」と述べ、解雇は無効であるとの判決を下した[58]
  • 2012年11月、性同一性障害で戸籍上の性別を男性から女性に変えた会社経営者が静岡県湖西市の会員制ゴルフ場から入会を拒否されたとして、運営会社などを相手に約786万円の損害賠償を求めた訴訟を静岡地裁浜松支部に起こした。運営会社側は第1回口頭弁論で請求棄却を求めており、2013年3月時点で係争中である。運営会社側は「更衣室で女性会員から苦情が出るのを懸念した。」としている[59]

メディア

歴史

明治時代にはグラビア雑誌「風俗画報」などいくつかの雑誌などに同性愛について書かれており、大正デモクラシー~昭和初頭にかけても中央公論や一部性科学誌などで同性愛について触れられている(「日本における同性愛#脚注」の「その他の同性愛文献(明治~昭和初期《戦前》」参照)。

戦後においては、戦後直後のSM・風俗雑誌や会員制ゲイ雑誌などを除いた一般のメディアでは、1960年代に「平凡パンチ」に同性愛関連記事が集中的に掲載された(「日本における同性愛#脚注」の「戦後、平凡パンチに載った同性愛関連記事一覧」参照)。まだ商業ゲイ雑誌がない頃で、取り上げられた回数は1965年から70年までに約20回(号)に及んだ。同誌は当時の若者のバイブル的な存在でもあり、そういう雑誌に同性愛が取り上げられたことは画期だった。

その後、1971年7月創刊の薔薇族を皮切りに、1980年代前半にかけて商業ゲイ雑誌の創刊が相次いだ。テレビメディアでも1970年代後半頃から、非芸能の分野で少しずつゲイなどの性的少数者が取り上げられるようになっていった。一例としてフジテレビ系「3時のあなた」の扇千景氏と逸見政孝氏が司会・サブ司会を務めていた1974年4月-1977年5月の間に、薔薇族の伊藤文学氏らが出演したことがあり、そこで同性愛者の置かれた状況を訴えた[60]。ラジオでも、1978年にTBSラジオ系『スネークマンショー』の夜10時45分から15分の「ウェンズデースペシャル」というコーナーをゲイの「タック」が担当。後にニュースレターが出され、OWCというゲイグループも生まれた。ゲイのパーソナリティーがラジオを通してリスナーに語りかけた意義は大きかった。そのほか同性愛者にまつわるニュースやトピックスがワイドショーなどで取り上げられると、伊藤氏や風俗評論家の日景忠男氏らが出てきてコメントするようになったのも、1980年代頃からである。

バブル時代の1991年にはテレ朝系『プレステージ』(関東ローカル)という毎回ワンテーマに焦点を当てた深夜から朝方までの長時間番組で「同性愛」が取り上げられ、古今東西の同性愛についてまとめたVTRが流され、同性愛全般について様々なトークが行われた。ゲストにはゲイライターの伏見憲明やレスビアン女性、映画『らせんの素描』に出演したゲイの青年、アキ企画系ゲイビデオ会社の制作スタッフの青年らが出演した。「東京都府中青年の家事件」も、『プレステージ』(金曜、ラ・サール石井司会)や関西ローカルの『とぅぎゃざー』という番組で取り上げられ討論された。この頃から各局の情報番組などで、同性愛者が取り上げられる機会が少しずつ増えていった。1992年にはフジテレビ系『NONFIX』でゲイ団体の活動をドキュメントした「ピンクトライアングル 素顔の同性愛者たち」が放送された。

またこの頃は1988年の『笑っていいとも』「Mr.レディの輪」以降のニューハーフブームが続いていた頃で、テレビ東京系『TVチャンピオン』「ニューハーフ料理名人選手権」(93年)やTBS系『上岡龍太郎スペシャル』「ミスターレディー全国大会」(94年)などでこぞって取り上げられた。ニューハーフに比べると注目度は低かったが、『上岡龍太郎がズバリ!』で「ゲイ50人」「サラリーマンのゲイ」も放送された。また、1990年代のゲイブームを巻き起こしたものの一つ、連続テレビドラマ「同窓会」(93年)は、有名俳優や男性アイドルがゲイやバイセクシャルを演じて大きな話題となり、放送時間帯には新宿二丁目が閑散としたといわれた。

蔑称「オカマ」を巡って

よみがえった蔑称

2001年、一部週刊誌が東郷健氏を取り上げた記事「伝説のオカマ 愛欲と反逆に燃えたぎる」における「オカマ」(原義は肛門を指す江戸時代の俗語)表現を巡り、論争が起きた[61]。オカマという言葉の使用にはゲイの中にも賛否両論があり、1990年代頃までは差別用語、若しくは放送上好ましくない用語として、マスメディアでは余り使われなくなっていた経緯がある。使われたとしても「先ほど不適切な発言がありました」などとして撤回されることがあった。それが近年ブレイクしはじめたオネエタレントらが自ら「所詮、私たちはオカマだから」と自虐的に用いることにより、再び使われる機会が増えている(一部番組ではテロップで「オネエ」など別の言葉に置き換えられることがある)。同性愛者の中でも取り分けオネエやトランスジェンダー(女装/非女装の両方)といった女性性が極端に高く、それでいて男性的な部分もある程度残っているゲイの一部が「オカマ」を使いたがる傾向があり、男性的なゲイやニューハーフ(トランスセクシュアル,現在は女性にカテゴライズされる)は「オカマ」を差別表現だとして嫌がる傾向がある。

批判と擁護

美輪明宏はそうした一部の同性愛者の自己卑下した物言いについて、「同性愛の人たちがからかわれたりすることになる。同性愛が市民権を得てきたのに歴史が逆戻りする」と批判している[62]。また「所詮、オカマだから」(マツコDX)、「私たち汚いオカマは」(おすぎ)という言い方は、石原慎太郎元東京都知事の同性愛者蔑視発言と通底しているという意見もある。一方、ゲイライターの伏見憲明らは、これまで「オカマ」がネガティブに使われてきたことを逆手に取り、自らが肯定的に使い直すことでこの言葉に込められたネガティブな意味合いを一掃する「イメージ置換戦略」を提唱した[61]。また「キャンプ」という概念を援用しつつ、傷つくことを他人から言われる前に自分でいって「笑い」に転化してしまえば生きるのがむしろ楽になる、という考えに立ち、一部のゲイ(トランスジェンダーなど)が自ら「オカマ」を使うのは世間智や生存戦略の一つ、という主張もある[63]。その主張に対しても、同性愛者を「笑う」ということ自体に偏見を助長する危険があるという意見もある。

「オカマ」蔑称の歴史

女装男娼への蔑称

元々「オカマ」は肛門を意味し、戦後の一時期まで女装する男娼への蔑称だった[64]。戦後直後の1948年(昭和23)、既に上野の女装男娼らは、オカマと呼ばれたくないという抗議の声を上げ、それに代わる言葉を自分たちで考えていた[64]。女装家の青江忠一(青江のママ)は自分を「ゲイボーイ」[65]と自認しているので、街中で「オカマ」と罵られると、追いかけて下駄で殴って抗議していた[64]。それほど女装者にとって「オカマ」は差別的な蔑称として受け止められていた[64]

女装男性、女性的ゲイ・ヘテロ男性への蔑称へ

この蔑称の指し示す範囲が広がり、また一般的になり始めたのは1971年、東郷健氏が国政選挙に初立候補して以降のことだとされる。彼が選挙に出る度に演説や選挙広報番組で繰り返し「オカマの東郷健です」と言ったのが始まりで、少し後れて1975年にデビューしたおすぎとピーコがそれを受け継ぎ、「私たちオカマです」という自己卑下的な物言いでお茶の間に拡散させた[64]。このようにメディアで顔が知られた女装しない女性的なゲイ(オネエ若しくは非女装トランスジェンダー)の一部が「オカマ」蔑称を広めた。

これにより、当初は女装男娼者の中のそれも肛門性交をよくする者への蔑称だったのが、1980年代頃からは「女性的な男性」全体に拡大し、性同一性障害者(MtF)を含む女装男性(TG)は勿論、女装しない女性的なゲイ(オネエ)[注記 6]、女性的な異性愛(ヘテロ)男性への蔑称としても盛んに使われるようになった[64]。学校などではゲイ・ヘテロを問わず、少し女性的だと「オカマ」と罵られ、暴力的ないじめに遭う被害も起きた[64]。「男は男らしく」という性差別的意識も背景にあるとされる。

すこたんソーシャルサービスの主宰者は、大学の非常勤講師として学生に接すると、ヘテロだが少し女性的な男子学生で「オカマと言われて凄く辛い経験をした」という者が、「毎年、200人中4~5人はいる」と話している[64]。男性からのみ言われるとは限らず、女性やクラスの女子生徒、果ては母親からも「オカマ」と罵られ、嘲笑され、人間としての尊厳やセクシュアリティを否定・侮辱されることも多い。この様に「オカマ」蔑称は、ゲイだけではなくヘテロ男性も傷つけることになっている。

抗議で減少、そして復活

1980年代後半以降は、オカマ蔑称の広がりと同時に、それを不快に思うゲイ当事者やゲイ雑誌、ゲイ団体らが抗議の声を上げ始めたこともあり[66]、メディアでは「オカマ」の使用に慎重になった時期があった。それが近年の「オネエブーム」でカバちゃんやマツコDXなど、オカマを自称するトランスジェンダーが多くメディアに出るようになり、彼らがオカマ蔑称を復活させた。

メディアの居直り

2012年、テレビ朝日の視聴者センターで電話応対した女性社員は、同性愛男性を侮蔑的な脈絡でオカマと呼んだと感じた番組に抗議したゲイ男性に「でも、ゲイの人自身がオカマといっていますよね。それはどうなるんですか?差別とは思わない」と猛然と反論を加えた。この事例が物語るようにオカマと呼ばれたくなかったり、オカマと聞いて不快になるゲイが多くいる一方で、メディアに出る一部オネエやトランスジェンダー自身がオカマ・アピールをしてしまっているため、オカマ呼称は止めて欲しいという切実な抗議に「でもオカマと自称しているゲイが大勢いる」と居直られてしまい、反論しようがないという袋小路に陥っている[64]

最後の差別カテゴリー

女装家で性社会史研究家の三橋順子氏は「一部の同性愛者が自らオカマという分には認めていい、としてしまうのは危険」とした上で、一部にある「オカマちゃん」など敬称を付ければいいのかという論議にも、「部落や身体障害の差別語に“ちゃん”を付けたら認められるのか」と疑問を呈している。また女装しないゲイの一部がオカマ呼称を肯定していることにも「女装しないゲイは街を歩いていて、指差されて『オカマ』と嘲笑され差別されることはない」「実際に街中でいつも差別被害に遭うのは、私たちトランスジェンダーだ」といっている[64]。そして「部落や在日、身体障害などを指す、様々な蔑称や差別用語の使用に慎重になってきたが、“オカマ”だけが今も遠慮なく使われ、性的マイノリティだけは別になっている」「“オカマ”は日本社会に残った差別カテゴリー。メディアにおける最後の差別カテゴリーだ」と言っている[64]

オネエと多様性への認識の欠如

「オネエ」呼称への反発

近年、メディアの中で「オカマ」が差別表現だとして批判されてきたことから、それに代わり「オネエ」が男性同性愛者全体を指す言葉として使われ始めている。しかし新宿2丁目などゲイコミュニティやゲイ当事者の中では、女装をしないゲイの中の女性的なゲイ(=オネエ言葉を使うゲイ)のみをオネエと言ってきた歴史があり[67]、それは今も変わっていない。ゲイの中にはオネエ言葉を遣わず、男性性を受容し「ゲイは男らしくあるべきだ」と考えるものも多く、従ってメディアなどがゲイとオネエを同義で用いてしまうのは明白な誤りであるといえる。

またゲイ同士の会話で「彼、オネエ(言葉)だね」という場合、友達としてはいいけれど、恋愛対象ではない、生理的に受け付けないなどを含意することもあり、ゲイの中でもオネエやオネエ言葉を嫌う人や、自分がオネエ言葉を使うのは抵抗があるという人は多い[68]。その理由として、生理的な嫌悪感の他に、オネエ言葉から連想されるイメージと自分が同一視されることへの嫌悪感や、オネエ言葉を振り撒いて見世物やピエロになることへの反発などがある[68]。また男同士の愛は誇り高く対等なもので、片方が女役になることではないはずだ、という考えもある[68]。二十歳前後の若いゲイがオネエ言葉を使うには、まだ「可愛い」といっていられるが、大人のゲイがクネクネとオネエ言葉を使う姿は、多くのゲイにとっても気持ちの良いものとはいえない[68]とする意見もある。

因みに、テレビに出演する著名なゲイが極度に女性的なゲイイメージを振りまくことや、彼らが使うオネエ言葉、自虐的オカマ呼称に対しては昔から批判があり、1970年代~80年代のゲイ雑誌などの読者投稿欄の定番テーマでもあった[69]

いまのオネエ概念は、2006年に日本テレビ系『おネエ★MANS』が始まった頃から定着しはじめたとされ、これまでの対象が大きく拡がってしまっている。だがオネエはゲイの一部であって、オネエ言葉を使わず、男性としてのアイデンティティを受け入れているゲイの中には、十把一絡げにオネエとカテゴライズされることに不快感や被差別感を抱くものも多い。オネエ呼称はゲイの多様性を見えにくくし、ステレオタイプを強めることになっており、近年新たに浮上したゲイ差別になりつつある。

女装者の多様性

マツコ・デラックスがメディアに出演し始めた00年代後半頃から、ニューハーフ(完全に女性になりたい人・MtF・トランスセクシュアル)と女装家(女装するが男性の身体や性器に違和感がない人・トランスジェンダー)の違いが認識され始め、それまでニューハーフというカテゴリーのみで括られていた女装者の多様性への理解が広まった。ニューハーフも女装家も医学的には「トランスジェンダー」に括られているが、自らの性器に違和感がなく喜ばしいものと感じている女装家と、性別適合手術を望むニューハーフは全く異なる。ニューハーフについてはトランスジェンダーの中でも男性器に違和がないタイプと分けて、トランスセクシュアルと呼ぶ。メディアではニューハーフや女装家もオネエ概念に含めることが多いが、ニューハーフは今は女性とされ、男性同性愛には含まない。またニューハーフは女性として自然な装いをしているのであり、女装とはいわない。

課題と可能性

メディアの同性愛者のステレオタイプな取り上げ方は変わっておらず、女装男性や女性的な仕草のゲイを茶化して笑おうとすることや、男性的なゲイや女性同性愛者の抹消(社会的無化)などの課題がある[67]

そんな中2013年3月には、フジテレビ系『笑っていいとも』で「オネメン・コンテスト」が開催された。これまでメディアで注目されて来たのはニューハーフが中心だったが、初めてゲイの多数派である女装をしないしかも一般のゲイが継続的にスポットライトを浴びた。またタイトルこそオネメンだが、オネエではない男性性を受容しているゲイも出場している。山咲トオル楽しんごレイザーラモンHGなど、女装しないゲイは既にいたが、彼らはあくまで芸能人でHGを除いてはオネエであり、一般の女装をしないゲイやオネエではないゲイが注目を浴びるようになったのは、ニューハーフブームを作り出した1988年の「Mr.レディーの輪」以来、四半世紀後にしてのことだった。

ハートネットTV

2012年放送のNHKハートネットTV「Our Voices 結婚・パートナーのあり方(1)“僕と彼”との結婚式・オランダ」をはじめ、同性愛者の置かれた状況や法的な保護の適用外になっていることについて幾度か取り上げられている。

差別的報道事例

  • 1985年日本公開の英国パブリックスクールのゲイ模様を描いた『アナザー・カントリー』の日本でのパンフレットには、シリアスな作品だったにもかかわらず「コウモンをぬけるとホモダチがいた。」と茶化して書いていた。
  • 1990年に放送されたテレビ朝日系『プレステージ』の中で発言した女子大生は、「同性愛は種の保存の原則に反するから反対」と発言した。
  • 1991年に日本で公開された映画「マイ・プライベート・アイダホ」を取り上げた読売新聞[要文献特定詳細情報]の映画評が、同性愛を「異常」「不気味」と表現。
  • 1996年6月9日放送の日本テレビ系「怖くて行けない所・第二弾 男がオトコを愛する交差点」(『解禁テレビ』)において、隠しカメラを積んだ車や撮影スタッフが隠し持った小型カメラで、新宿二丁目の街頭でキスをしているゲイらを盗撮し、嘲笑した。番組では取材カメラに気づいたゲイが「こちらの気持ち考えたことあるのか?」と激しく抗議する模様を放映し、するとナレーションは「確かにそうです。彼らの話を聞いてみましょう。」と、小型隠しカメラを装着しゲイを偽装したスタッフが、声をかけてきたゲイの部屋に同行し、部屋の中の模様も放映した。モザイクが掛けられていたとはいえ、一部を除き撮影された人に無断で放送した。番組には当時、ゲイ団体が抗議を行った[70]
  • 1997年に放送されたテレビ朝日系ゴールデンタイムの犯罪特番で、若い女性2人から侮辱されたりからかわれるなどした若いゲイ男性が、交番の前でその2人と口論している模様を「オカマ大暴れ」というタイトルで差別的に放映した(新聞のテレビ欄のタイトルにもなった)。一方、ゲイ男性を侮辱(名誉毀損侮辱罪)した女性の側は問題にしないばかりか、ゲイ男性を「汚ねぇな」、「オカマのくせに」などと罵倒する言葉も全国放映された。
  • かつて放送されたTBS系『3年B組金八先生』において、女装に嵌る男子生徒が取り上げられ、男性の責任から逃げて女装をするという風に、一種の現実逃避として異性装(や同性愛)が描かれていた。最終的にはこの男子生徒は女装を止め、立ち直るというストーリーに仕立てられていた。但しこの後、2001年~放送の第6シリーズにおいて、性同一性障害や同性愛を肯定的に取り上げた回が放送された。
  • 1998年12月16日放送、TBS系『ここがヘンだよ日本人 - 98年10大ニュース』の中で、アフリカ系タレントのゾマホンが「黒人社会ならびにアフリカにはゲイ、レスビアンは存在しない。私から見れば同性愛者は精神病だ」と発言した。
    • 1999年10月13日放送の同番組「同性愛者のリベンジ第2弾」で、インド人男性Aが「自分の子供がもしホモになったら殺す」と発言し、サニー・フランシスも「同じインド人として同意見だ」と同調した。またナイジェリア人出演者も「ゲイなど生きる資格なんてない」と発言し、パキスタン人男性も逆上して立ち上がりゲイの方に詰め寄っていった。この後、スタジオ内で乱闘騒ぎが何度も繰り返された。これによって同性愛に寛容だった日本の歴史上で初めて、宗教的理念に基づいたあからさまなホモフォビアが、しかも公共の電波に乗って流布した最初の出来事になった。TBSは性的少数者への迫害を肯定し、殺戮をほのめかす発言をそのまま放送しておいて、未だに同性愛者らに謝罪を始め、社としての見解の表明などはしていない。
  • 2013年12月26日付けの朝日新聞に「五輪の祭典、政治持ち込むな」が掲載された。オバマ米大統領が、ロシアが同性愛者を弾圧していることを理由に、ソチ冬季五輪の開・閉会式に出席しない方針を打ち出したこちに対し、五輪に政治を持ち込むのは反対だと訴え、日本政府はソチに首相級の人物を送るべきだと主張している。

同性愛者と事件

  • 1973年 - 富士高校放火事件。この事件に関与した疑いで逮捕されたゲイの定時制高校生(当時29歳)は結果は無罪(冤罪)となったが、取り調べの過程にて警察は彼を異常者として扱い数々の罵声を浴びせたばかりか、彼の同性愛指向を利用してでっち上げの自白をさせた。
  • 1983年 - 宮崎県のデパートの書店で起きたゲイ雑誌万引事件。女性店員にゲイ雑誌の万引きを見つかった高校2年生(17歳)の少年が、親を呼び出された直後、トイレに行くといって屋上から投身自殺した。
  • 同性愛を禁止する教義を持つ教団の系列学校に勤務していたゲイの教師が、自殺したことがあった[3]
  • ゲイだと分かった息子を、親が柱に縛り付け、殴る蹴るの暴行を加えた[3]

襲撃事件、恐喝バー

2000年に起きた「新木場殺人事件」を始め、ゲイが集まる深夜の野外発展場で、少年グループによるゲイ襲撃事件が発生している。戦後直後には「男娼の森」といわれた上野公園などでゲイを恐喝するものがいたとされ、比較的的直近では、日本テレビ系ゲイドラマ『同窓会』(1993年)にも「ホモ狩り」シーンが出てくる。ゲイは警察に被害届を出しにくいという理由で狙っているとされる。ゲイ雑誌やゲイ団体などは自分の身を守るため、野外での発展はしないという自衛策を講じることが必要だと呼びかけている。

また歌舞伎町の「暴力・恐喝バー」の被害に遭うゲイも後を絶たない。新宿2丁目の路上や発展場などで「彼氏や友達になろう」とゲイに声をかけて店まで連れて行き、泥酔させた上で大金を要求するという手口。 90年代頃からゲイ雑誌で、恐喝バーの被害に遭わないために、怪しい店には着いて行かないよう呼びかけが行われてきた。

  • 1998年4月 - 東京・世田谷区芦花公園(発展公園)でゲイの男性が暴走族風の集団に刃物で左大腿部を刺され死亡した。
  • 2000年 - 少年グループらが同性愛者をリンチした「新木場殺人事件」が起きる。一人が殺害され、その他被害届が出されたものだけでも数十件の被害例があった。
  • 2006年7月27日 - 江東区の夢の島総合運動場でゲイ男性が暴行を加えられ全身打撲の重傷を負い、現金2万1000円を奪われた。逮捕されたのは都立高3年、無職、私立高3年2人の17~18歳までの4人で、江東区の中学の同級生だった遊び仲間。4人組は男性を襲った直後、約400メートルほど離れた同運動場内で別の男性も襲い、2週間のけがを負わせた。

脚注

  1. ^ 同性愛差別の禁止規定は一部の都市の条例にあるが、国レベルではない(ILGA State sponsored homophobia 2008)。
  2. ^ a b アジア太平洋人権情報センター「Japan and Sexual Minorities 2008」には、「日本の文化や日本の主要な宗教は、LGBTへの敵意の歴史を持っていない」と記述している。
  3. ^ a b c d e f g h i j 「オトコノコノためのボーイフレンド」(1986年発行少年社・発売雪淫社)P34「同棲と結婚」より。
  4. ^ 薩摩藩郷中など、尚武の気風を尊重する地域では男色は奨励され、むしろ女性との付き合いを蔑む事すらあった。
  5. ^ The Beautiful Way of the Samurai Native Tradition and Hellenic Echo
  6. ^ 『クレア』(文藝春秋)1991年2月号「ゲイルネッサンス'91」P95「ゲイ世界史」
  7. ^ 小田晋著『性と犯罪の心理』(芸文社)。
  8. ^ HIV/AIDSの情報を発信する “新宿二丁目の公民館”
  9. ^ >民主党 (2013年). “民主党政策集-法務”. 2013年7月12日閲覧。
  10. ^ 「民主党の国会議員有志が『性的マイノリティ小委員会』を設置へ」(『いのちリスペクト。ホワイトリボン・キャンペーン』2012年3月18日)
  11. ^ 公明党 (2013年). “公明党政策集 Policy2013 法務”. 2013年8月3日閲覧。
  12. ^ みんなの党 (2012年). “アジェンダ2012”. 2012年11月28日閲覧。
  13. ^ みんなの党 (2013年). “アジェンダ2013 項目334”. 2013年7月19日閲覧。
  14. ^ 日本共産党 (2013年). “2013年参議院選挙政策各分野政策41、いのち・人権の保障”. 2013年6月25日閲覧。
  15. ^ 社会⺠主党政策審議会 (2013年). “参議院選挙公約2013【総合版】”. 2013年6月20日閲覧。
  16. ^ 政策集、緑の党グリーンズジャパン” (2012年). 2013年1月14日閲覧。
  17. ^ a b c d 『オトコノコのためのボーイフレンド』(1986年,少年社)P186「ゲイはブルジョア的頽廃か」より。
  18. ^ 『Conduct Unbecoming』(Randy Shilts著)
  19. ^ マルコポーロ「普段着のゲイ」1994年2月号、P125)
  20. ^ 『 プライベート・ゲイ・ライフ』(1991年,伏見憲明,学陽書房)。
  21. ^ 1991年5月『社会新報』「青年の家合宿で不快な扱い受けたと東京都を相手に裁判」(OCCURメンバーへのインタビュー記事)、1991年8月3日『社会新報』「アジア系活動家たちと交流 ネットワークづくり推進 ~同性愛差別と闘う二グループに同行して~」(サンフランシスコ・ゲイ・プライド・パレードに参加するOCCURとILGA日本への同行取材記事)。
  22. ^ 性同一性障害者と懇談 党国会議員団 戸籍などの問題聞く
  23. ^ 稲田氏はキリスト教婦人矯風会と繋がりがある。
  24. ^ ヒューマン・ライツ・ウォッチ「東京都知事は同性愛者差別発言を撤回すべき」
  25. ^ [1]
  26. ^ 維新政党・新風オフィシャルページより。
  27. ^ 日本の人口に占めるキリスト教人口は約1%とされる。「カトリック教会現勢2006」によるとカトリック教徒数は0.356%。保守系にかぎらず、左派系も同性愛には否定的であり、保革や左右の政治信条に関わらず、「同性愛は病気であり、治す必要がある」(東京中野区の北朝鮮への償い運動をしている左派系教会の信者)と断じたり、性別変更や同性婚に反対することが多い。
  28. ^ 文學界2011年9月号。
  29. ^ 元治元年5月20日の書簡。
  30. ^ 2007年11月29日伊藤文学のひとりごと「古いゲイ雑誌『同好』を読んで思うこと」
  31. ^ 売春防止法は男女間の行為を定義しており、同性間の売春は直接的に禁止していない(Is the age of consent in Japan really 13?)。
  32. ^ 1873年に規定された鶏姦罪は1880年制定の旧刑法に盛り込まれず("Gregory M. Pflugfelder. Cartographies of Desire: Male-Male Sexuality in Japanese Discourse 1600-1950". H-Net Reviews)。
  33. ^ 日本は性的指向を法的に明示して保護していない("Gay scene: Tolerance, legal limbo". Jun Hongo. Japan Times. Tuesday, Dec. 23, 2000)。
  34. ^ 2012年9月20放送日テレ系「AKB48×おネエ48×芸能人ファミリー48 生態調査」より。
  35. ^ 2010年1月20日放送フジテレビ系「THE 1億分の8 - 2010年ブレイクするおネエ」より。
  36. ^ 自衛隊は「同性関係が職務やその他の問題に影響しない限りは問題とされない」と回答(LGBT Rights in Japan)。
  37. ^ 日本は「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の締約国である(Japan: Governor Should Retract Homophobic Comments)。
  38. ^ 雇用機会均等法は性的指向による差別禁止への拡大適用を見送っている("A Shadow Report" Gay Japan News May 2009)。
  39. ^ 2003年7月10日に「性同一性障害者特例法」成立(What the Diet's been up to lately: revising the law of transgendered people 11 August 2008)。
  40. ^ 手術で「女性」…刑務所も女性施設に 兵庫弁護士会勧告
  41. ^ 性同一性障害に配慮受刑者に長髪、女性服許可(スポニチ)
  42. ^ http://www.globalrights.org/site/DocServer/Shadow_Report_Japan.pdf?docID=10043
  43. ^ 海外での同性婚可能に 法務省が新証明書発行へ
  44. ^ Japan allows its citizens same-sex marriage abroad
  45. ^ 同性結婚、ミッキーマウスも支持 東京ディズニーリゾート - AFP(2012年9月8日閲覧)
  46. ^ 1979年の文部省『生徒の問題行動に関する基礎資料』。
  47. ^ 1980年代の薔薇族の伊藤文学のコラム[要文献特定詳細情報]。因みに伊藤は異性愛者である。
  48. ^ a b 『聞きたい知りたい「性的マイノリティ」―つながりあえる社会のために』杉山 貴士 日本機関紙出版センター
  49. ^ 2010年3月4日CBSニュース「Senators: Lift Ban on Gays Donating Blood」より。
  50. ^ 全国紙夕刊2010年9月7日の『ニッポン人脈記』「男と女の間には(2)」より。
  51. ^ Tom Paine, Azusa Yamashita, "IBM Japan to Set Up LGBT-Inclusive ‘Diversity Committee’", IBM Japan to Set Up LGBT-Inclusive ‘Diversity Committee’ - gayjapannews.com, GayJapanNews, March 6, 2008.
  52. ^ 大歳卓麻・福田泰弘「多様な人びとの価値観や能力を活かす」『《UCDA》UCDAトーク18:大歳卓麻 (前篇)』ユニバーサルコミュニケーションデザイン協会。
  53. ^ From the book on same-sex partnership in Japan 「同性パートナー生活読本」(http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/book/6980828.html) by Nagayasu Shibun, 3/2/3003. Published by Ryokufuku Publishing, Tokyo (http://www.ryokufu.com/top.html)
  54. ^ GQ JAPAN (2011年3月16日). “日本の最新LGBT事情 « GQ JAPAN”. 2013年3月23日閲覧。
  55. ^ 一例としてタカノフルーツパーラーなどのバイキングは女性同士や女性一人での入店は可能なのでレスビアンカップルは拒否されない。だが男性同士、男性一人での入店は禁止されている。
  56. ^ 2010年1月20日放送フジテレビ系「THE 1億分の8 2010年ブレイクするおネエ」に出演時に妃羽理がコメント
  57. ^ 2012年9月20放送日本テレビ系「AKB48×おネエ48×芸能人ファミリー48 生態調査」に出演したダイアナ・エクストラバガンザがコメント
  58. ^ 性同一性障害者解雇事件の判例文
  59. ^ 2012年11月22日『読売新聞』「性別変更の会社経営者、ゴルフ場に賠償請求」。
  60. ^ 2012年10月1日「伊藤文学のひとりごと」「一枚の写真―女房の久美子も若くてかわいらしい―」より。
  61. ^ a b 『「オカマ」は差別か 「週刊金曜日」の「差別表現」事件 反差別論の再構築へ』(ポット出版)。
  62. ^ 2007年12月28日放送「中居正広の金スマ!波瀾万丈スペシャル」にて。
  63. ^ ニコニコ動画「藤井誠二×伏見憲明らがオネエブームを斬る!」
  64. ^ a b c d e f g h i j k 2010年10月17日「3331 Arts Chiyoda」で開催されたシンポジウム「ジェンダー・セクシュアリティの媒介」での三橋順子氏らの発言より。
  65. ^ 1980年代頃まで女装者やニューハーフは「ゲイボーイ」といった。比留間久夫の小説「YES YES YES」(1989年)ではトランスセクシュアル(ニューハーフ)のルルとフランソワを「ゲイボーイ」といっている。
  66. ^ 1980年代後半のゲイ雑誌アドン[要文献特定詳細情報]は森田健作氏が「オカマが増えて困るんですよ」といったことを編集後記で取り上げ批判した。森田氏はその直後、片岡鶴太郎の番組[要文献特定詳細情報]にゲスト出演し「男が男を愛そうがいいんですよね。そういう人がいたって」と事実上発言を撤回した。また1990年代、さんまがモノマネ番組に出て聖子のマネをしたゲイを「カマ野郎」と呼んだこともゲイ雑誌[要文献特定詳細情報]が取り上げ批判した(それぞれの出典を探しています。森田発言を批判したアドンの号数(何年何月号)、さんま発言を批判したゲイ雑誌の名前と号数をご存知の方がいましたらお願いします。)
  67. ^ a b 三橋順子「トランスジェンダーとテレビ・メディア -操作されるイメージ-」に、「本来のゲイ業界用語である『おねえ』概念は、女装しない女性的なゲイ」とある。
  68. ^ a b c d 「オトコノコノためのボーイフレンド」(1986年発行少年社・発売雪淫社)P53「オネエコトバ」。
  69. ^ 一例として「オトコノコノためのボーイフレンド」(1986年発行少年社・発売雪淫社)P138。
  70. ^ 1996年6月18日朝日新聞。
  1. ^ イギリスでは男性同性愛を禁止したバガリー法(1533年、en)があり最高刑は死刑とされ、同国において男性同性愛が完全に非犯罪化されたのは1967年だった。
  2. ^ 自民党の丸山和也氏は同性愛者の権利は認めるべきだと発言している。
  3. ^ 日本社会党向坂逸郎氏は東郷健氏に「ソビエト共産主義になればお前の病気は治ってしまう。」と発言したが、実際のソ連では同性愛は大粛清の口実の一つとなっていた。後に保坂展人氏が社民党として謝罪し、社会主義協会も2002年論文内で当時の発言を批判した。ただ向坂氏本人は自身の発言を撤回していない。
  4. ^ しかしゲイドラマ『同窓会』の放映時間帯には、ゲイタウン新宿二丁目が閑散としたほど同ドラマにはゲイの共感者が多かった。
  5. ^ 鶏姦罪が廃止された背景には、旧刑法草案に関わった仏法学者ボアソナードによるナポレオン法典にソドミー規定がないことや、合意に基づくものは違法でないとの助言があり、司法省も同意したためだった(『矩を踰えて 明治法制史断章』(霞信彦、慶大出版会)「鶏姦罪―施行八年半の軌跡」より)。その他この期間も男色が盛んだった薩長など九州諸藩の政治的影響もあった可能性があるが未検証である。
  6. ^ 女装しない男性的なゲイ(オネエではないゲイ)もいるが、その頃彼らは可視化されていなかったため、オカマ蔑称の対象とされる以前に社会に存在しないことになっていた。


関連項目