浅田彰

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浅田 彰(あさだ あきら、1957年3月23日 - )は、日本批評家。専門は思想史現代思想。学位は経済学修士京都大学1981年)。京都造形芸術大学大学院芸術研究科教授、同大学院学術研究センター所長。大陸ヨーロッパの最新思想を日本へ紹介したことで有名になった。

来歴[編集]

兵庫県神戸市出身。1983年、京都大学人文科学研究所の助手時代にフランス現代思想を解説した『構造と力』を出版。15万部を超すベストセラーとなった。

84年から87年まで、雑誌『GS』を出し、90年代は柄谷行人とともに思想誌『批評空間』を編集し[1]、『InterCommunication』を創刊した。浅田が紹介・評価したことがきっかけとなって広まったものも多い[2]。日本に止まらず、国外にも積極的に出かけ、数多くの対話を残している[3]

建築家の浅田孝は叔父にあたる。

2008年、京都大学経済研究所准教授を退職し、京都造形芸術大学大学院長に就任[1][2]

思想[編集]

経済学[編集]

経済学部・大学院経済学研究科の出身で、元々は経済学者を名乗り、専攻は経済学としていた。ほかに経済思想史に関する論文を執筆したこともある。しかし経済学関係の業績はもとより80年代後半以降からは経済学関係の著作は皆無で、現在は経済学者は「廃業」したと述べているが、2008年まで20年に渡り、京都大学経済研究所に助教授(准教授)のまま勤務していた。結局、体系的業績や著作は一つも残しておらず、この事を吉本隆明が厳しく批判している。吉本は、浅田が「学生の学力がここ10年くらいで劇的に落ちている。文部省は権威主義的な詰め込み教育を維持したほうがよかった」と言っている事について、「最近の学生の学力のレベルが低いというより、むしろ、浅田彰のレベルが低い、というべきじゃないでしょうか。浅田彰は、専門だという理論経済学の分野でも、学者としてちっとも優秀じゃないですよ[4]。」「つまらない専門外のことはいう浅田彰[5]」と評している。

教育問題[編集]

学力低下を嘆いており、必要最小限の知識を、中学高校の間にたたきこまねばならないと考えている。国語教科書でいえば、現代のレベルの低い作品をやめ、漱石鴎外を載せるべきと考えている。数学でいえば、中途半端な集合論をやめ、二次方程式をだれでも解けるようにすることが必要だと考えている。さらに、かつて丸山真男遠山啓岩波新書からスタンダードな教養を提示したように、現代でもそれに代わる新たな教養の提示が必要だと考えている。

天皇[編集]

『構造と力』以来、天皇制の問題について思考し発言している。昭和63年昭和天皇が病床に就くと、多くの人が皇居を訪れ記帳した。その光景を浅田は、「連日ニュースで皇居前で土下座する連中を見せられて、自分はなんという『土人』の国にいるんだろうと思ってゾッとするばかりです」と発言した[6]谷沢永一は、言論の自由は存在するから、本人がそう信じているのであればどうおっしゃろうと自由だが、それなら卑しい愚かな「土人」が汗水を垂らして稼いだ収入から税務署に取られている税金で賄われている京都大学の月給で生きていくことはやめ、そして「土人」の汚らしい金で食事すれば、五臓六腑が爛れて死ぬだろうから、命ながらえたいなら即刻京都大学助教授の職を辞して、自分の二本の足で立って独り立ちして「土人」の世話にならず生きるべきだ、と批判している[7]

文学[編集]

『表象』no.01 (2007) における松浦寿輝との対談で、テクノキャピタリズムにより人文知の成立する余地が失われ、幼児的退行を売り物にするオタク文化が売れてしまう状況にあり、2000年前後には近代文学よりもライトノベルケータイ小説アニメゲーム主流になり、文学がふきさらしの荒野に出てしまったと述べている。しかし「素直に言って、僕はそういうものは最悪だ」「市場の論理がすべてだとは絶対に思わない」が、それらへの「反動として、ヨーロッパ的(あるいは東洋的)な古きよき教養に戻るというのも望ましくもなければ可能でもない。亡命知識人の体現するヨーロッパとアメリカの臨界に、20世紀の人文知の最大の可能性があった。それを21世紀にどうやって取り戻せるのかというのが、ひとつのモチーフになる」と述べている。また、「深くアカデミックでありながら、アクチュアルな活動を展開している人が決していないわけではない。結局、人文知というのは、どうやってそういう人を見つけ、相互に結び付けていくかということにかかっている」とも述べている[8]

情報環境、メディア環境の急激な変化に関しては、「簡単に検索し操作できるというのは、すばらしいことに違いない。けれども、それとは別の次元で、モノとしての知に直接かつ偶然に遭遇できる場が絶対必要。そのような場、そのような遭遇をどうやって可能にしていくかというのが大きな問題だ」と述べている。また、「創造の現場とつながる」ことが「大変重要」、「人文知が理論的に洗練されていく」のはいいが、「人文知はそれと全然関係ない人たちと接触したときに本当に試される」「まず批評の実践があっていいんだけれど、同時に、自分がつくる、つくるということに参与するということがあっていい。そういうことがないと人文知というものが本当の意味で機能することはない」と述べている。

浅田が、過去さまざまなメディアに露出し、執筆したテキストは、浅田彰書誌[3]に詳しい。また、はてなダイアリーを含むWeb上でのコミュニケーションに関しては次のように言及している[4]

エピソード[編集]

  • ソーカル事件などで示されたフランス現代思想潮流の衒学性の問題に対して、フランスで『知の欺瞞』が出版された1997年当時から少なくとも2001年8月1日にいたるまで一貫する彼の答えは「明晰にできることはできるだけ明晰に」すべきというものである。ソーカルらによる論証は対象となるそれぞれの論者を本質的に批判してはおらず、また批判の根拠たる科学主義も絶対とはいえないと応じながらも、「ソーカル事件」の教訓を強調し、不必要な衒学は戒めなければならないとしている。これについては雑誌『批評空間』の公式ウェブサイト内の記事に詳しい[9]
  • 噂の眞相」2000年4月号のP.144-153「90年代の論壇・文壇状況の検証!! "身の程を知らない文化人"を斬る! 鼎談 浅田彰/田中康夫/中森明夫」において、中森に「浅田さん、ゲイなの?(笑)」と問われた浅田は「僕はカミング・アウトっていうコンセプトに反対だから。性的アイデンティティを明らかにするなんて馬鹿げてるじゃない? もっとも、バイセクシュアルだってことは、昔から言ってるよ。そんなことをいちいち申告していく必要なんてないってだけでね」と答えている。

略歴[編集]

学歴[編集]

職歴[編集]

兼職[編集]

著作[編集]

単著[編集]

  • 構造と力――記号論を超えて』(勁草書房, 1983年)
  • 『逃走論――スキゾ・キッズの冒険』(筑摩書房, 1984年)
  • 『ヘルメスの音楽』(筑摩書房, 1985年)
  • 『ダブル・バインドを超えて』(南想社, 1985年)
  • (対談集)『「歴史の終わり」と世紀末の世界』(小学館, 1994年)
  • 『フォーサイス1999』(NTT出版, 1999年)
  • (対談集)『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫, 1999年)
  • 『映画の世紀末』(新潮社, 2000年)
  • (対談集)『20世紀文化の臨界』(青土社, 2000年)

共著[編集]

共編著[編集]

訳書[編集]

  • メアリー・ダグラス, バロン・イシャウッド『儀礼としての消費 財と消費の経済人類学』(新曜社, 1984年)

連載[編集]

  • 憂国呆談 ソトコト(2008年1月号-)

論文[編集]

受賞歴[編集]

関連項目[編集]

[編集]

  1. ^ その総目次は浅田彰aabiblio @ ウィキ
  2. ^ たとえばスラヴォイ・ジジェクは、「批評空間」で日本ではじめて特集記事が組まれ、青山真治の映画「EUREKA」も浅田の評価がきっかけとなった。
  3. ^ その対話は多く『「歴史の終わり」を超えて』中央公論新社(中公文庫)や、磯崎新との共同編集「ANY」シリーズ(NTT出版)に収められている。
  4. ^ 吉本隆明『超「20世紀論」上』 アスキー、2000年9月。ISBN 978-4756135698199頁
  5. ^ 吉本隆明『私の「戦争論」』 ぶんか社、1999年8月。ISBN 978-4821106844167頁
  6. ^ 『文学界』1989年2月号
  7. ^ 谷沢永一『こんな日本に誰がした』 クレスト社、1995年6月。ISBN 978-4877120290
  8. ^ 現在、2000年代に至って、前景化したように見える、「ディシプリン(規律・訓練)」のシステムが機能不全に陥ったことによって生じているかに見える「こどもの資本主義」カルチャーを「ズキゾキッズ」というかたちで、先駆的に肯定・評価していたのではないか(2007年「人文知の現在」(松浦寿輝との対談、表象文化論学会編『表象』no.01)参照)、という問いかけには、「幼児的退行を売り物にする」のは「最悪」であり、「現在のこの種の議論は、ドゥルーズの警告する「コントロール(監視)」のシステムの補完物にほかならず、何よりモダニズムの核心にもあったこどもというものの可能性の中心を決定的に逸している」と否定的である(「現在」を考える:こどもたちに語るモダン/ポストモダン」(岡崎乾二郎との公開トークショー)、『InterCommunication』no.58、2006年秋号「特集=コミュニケーションの現在・2006 五感へと遡行する多角的考察」 参照)。 そして、その「こどもの可能性の中心」にカントの可能性の中心を担う「調和し得ない緒力の束」を体現するものとしてのアルチュール・ランボーを挙げ、「ヘテロノミー(他律性)もアウトノミー(自律性)もないばらばらのボディ・パーツの束がバイオポリティカル(生政治)なコントロール・システムの中に浮遊しているという安易なディストピア・イメージが支配的になり、それが部分的にではあれ現実化しつつある現在、一見それと似ているようでまったく違うヴィジョンを、カントに即し、あるいはランボーやセザンヌに即し、ドゥルーズやフーコーの仕事をヒントとしながら探っていくというのは、「現在」がわれわれに突きつけているきわめて重要な課題であると言うべき」と述べている(「現在」を考える:こどもたちに語るモダン/ポストモダン」(岡崎乾二郎との公開トークショー)、『InterCommunication』no.58、2006年秋号「特集=コミュニケーションの現在・2006 五感へと遡行する多角的考察」 参照。)
  9. ^ 浅田彰 「『山形道場』の迷妄に渇!」

外部リンク[編集]

関連サイト(公式)

関連サイト(その他)