ノート:浅田彰

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。


2016年8月17日削除[編集]

2400:2650:8520:5900:3d7f:da55:5b6b:4c47が2016年8月17日に「週刊文春はこんな報道ではなかった。悪意がありすぎで削除」として削除したので[1]、国立国会図書館で『週刊文春』の記事を確認したので、全文を挙げておきます。


「『とうとう“脱出”らしいですよ。いまさら国立大学が息苦しくなったわけではないでしょが……』(京都大学関係者)“ニューアカデミズム”の旗手、京都大学准教授・浅田彰氏(50)が三月いっぱいで京大を退任するという。八〇年代初頭にそのブームを巻き起こした『ニューアカ』。その代表格が、二十六歳で『構造と力』を発表した浅田氏だった。『まだ京大の人文科学研究所の助手で、非常に頭のいい“少年”のような存在でした』(同前) 難解な哲学思想書だったのにもかかわらずベストセラーとなり、翌年発表した『逃走論 スキゾ・キッズの冒険』も大ヒット。浅田彰の名とともに一躍有名になった『スキゾ』『パラノ』という言葉は八四年、『第一回流行語大賞・新語部門銅賞』を受賞した。『OLまでもが小脇に抱える哲学書』『ナンパに利用される本』とまで言われたこの二冊の功績で八九年には京大経済研究所の助教授(二〇〇七年より准教授)に就任している。『研究所は特権的な地位。ゼミなどが主要な業務の学部の教員と比べて研究所の教員なら年に二、三回ほど講義すれば済んでしまう。国家公務員だし特別に問題になることでもしない限りクビになることもありえない」(別の京大関係者) あとは、自分のテンポで“研究”を続ければいいわけで、ある意味最高のポジションに居続けること一九年間。なぜ今さら飛び出したのか。『学内で『穀つぶし』と言われたわけではないでしょうが(笑)、これ以上の出世、要は教授になることはないと見限ったのかもしれませんね』(同前) 四十代以上には懐かしささえ感じさせる浅田氏。『八〇年代半ば以降、対談集や芸術批評などを除けばまったくと言っていいほど著作を発表していません。そういう意味では学者としての業績は残してない』(文芸雑誌編集者) そんな浅田氏だが、行先は決まっているようだ。『春から京都造形芸術大学の大学院の院長になるそうですよ』(同前)京都造形芸術大といえば、学長は日本画家・千住博。副学長は“作詞家”秋元康。そのほかにも作家・辻仁成や映画監督の高橋伴明や林海象、宮本亜門など有名文化人が教授陣に名を連ねることで知られる私立大学。『現在の大学院院長は美術評論の高階秀爾東大名誉教授で、そのあとを継ぐのが浅田先生。これまでにも何度か造形大の講義に参加しているし、特別講演のパネリストなどでもちょこちょこ来ていましたから。強い縁はあったのでしょう。任期は通常二年です』(造形大関係者) 京都造形芸術大学の広報担当者は、『月末の理事会の正式な承認までは内示の状態です』と答えるが、関係者によれば四月には千住学長とともに“古巣”京大内で記者会見を予定しているという。『やはり准教授というのはそれなりの雑務がある。大学院の院長なら、名前だけ貸してあとは好きな芸術関係の批評などができると思ってるのでしょう』(同前) 浅田氏本人にその真意を尋ねてみるも、造形大に移ることを認めるのみ。『父親はすでに亡くなり、現在は母親の介護をしているそうです。その関係もあるでしょうが、これでまた学術的執筆活動に戻るのでは、とも噂されています』(前出・文芸雑誌編集者) “スキゾ・オヤヂ”の復活はあるのか?」--121.102.102.147 2018年2月11日 (日) 17:02 (UTC)[返信]