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日景忠男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日景 忠男(ひかげ ただお、1937年1月2日 - 2015年2月[1])は、日本の実業家。芸能プロダクションJKプランニング元社長。テレビコメンテーター。タレント。LGBTの人物。俳優の沖雅也の養父。東京都出身。

来歴・人物

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台湾人の父親と日本人の母親の間に生まれる。実家は台湾の大病院で、裕福な少年時代を過ごし、台湾の名門台湾大学法学部を卒業後、東京大学大学院修士課程、東京大学大学院博士課程に進学。その後は芸能プロダクションの運営など、実業家として活動。

1968年、都内のバーでアルバイトをしていた俳優志望で、当時、ファッションモデルの仕事をしていた16歳の沖雅也と出会い(一説には、元々、日景は、沖の出生地、大分県で暮らす九州帝国大学経済学部出身で実業家の楠宗生氏と顔見知りで、楠氏が、日景に、16歳で東京に家出した息子である沖の面倒を見て欲しい、と頼んだ、といわれている)、沖の才能、人柄、スター性を確信して、芸能プロダクション・JKプランニングを設立し、沖の売り出しに尽力した。

沖が日活で銀幕デビューをし、人気俳優となる中、1975年、実父、楠宗生氏が49歳で心筋梗塞による突然逝去したことに伴い、父親と離婚して間もなく再婚した母親とは10代の頃から接触がほとんどなく、事実上身寄りがなくなった沖と、日景は養子縁組をし、戸籍上の親子関係となった。当時はLGBTへの理解が今日ほど進んでいなかった時代であり、日景は、自身のLGBTとしてのアイデンティティーを表に出さず、沖のスター俳優としてのキャリアを全面的に支える裏方に徹したという。

沖の死後、日景がLGBTであることが世間に知られたことから、沖と日景のプライベートな関係や沖のセクシュアリティーについてのマスコミの出鱈目な報道やデマが飛び交う中、沖を、「普通に女が好きな男でしたね」と、インタビューで語り、今で言うコンプライアンスリテラシーのレベルの低さを物語るマスコミの低俗な憶測とデマを否定した。日景は、沖と共演し、沖が家族ぐるみで交流していた女優の吉沢京子や、日景自身が親しくしていた坂口良子を、「沖のフィアンセに」、と考えていたことを明らかにしている。

沖の死の翌年である1984年に、著書、『真相・沖雅也』(ワニブックス刊)を出版。この本では、自身の生い立ちや、LGBTとしての苦悩、又、若き日の沖雅也との出会いから逝去までなどを赤裸々に綴っているとされたが、本の内容は、沖雅也に直接インタビュー等で確認した実話のようなものではなく、日景サイドの一方向的な説明と感情表現に終始し、又、出版社側の、売りを目的とした話題性重視の暴露本としての言葉の演出意図が明白であることから、公平性、透明性、信憑性に欠けた。そのため、沖雅也の名を冠した釣りタイトルを付けた、著者である日景自身の半生についてのノンフィクションのように綴られた告白本、と捉えるのが妥当であるが、世間の偏見と差別の中で生きなければならなかった当時のLGBTの苦悩を知る情報源、としての立ち位置に存在する書籍といえる。

本の出版後、それまで伏せていたLGBTとしてのキャラクターを前面に押し出したタレント活動を開始。新宿二丁目喫茶店シンドバッドの経営のほか、テレビのコメンテーターとしても活動。

しばらくは実業家として悠々自適の時代が続いたが、不況の波に呑まれる形でシンドバッドは倒産。その後は風俗案内店に勤めるものの、2005年覚せい剤取締法違反の現行犯で[2]、又、2008年には暴力団幹部と共謀して前述の風俗案内店の女性社長を恐喝した疑いで逮捕され[3][4]、翌年1月覚せい剤取締法違反の罪で、東京地方裁判所から懲役1年2月(求刑懲役2年)の判決を言い渡された[5]

2015年2月に、持病の肝硬変の悪化により逝去した(週刊新潮2016年3月3日号)。

エピソード

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  • 沖雅也の生前、毎年、年末年始は、沖と沖の和田マネージャーが加わり、親しい数人で海外で過ごす習慣があった。信憑性は不明だが、日景は、海外滞在中、自身の誕生日に贈られたという指輪を、沖の死後、「数百年後の恋人達に拾ってもらえるように」、と、セーヌ川に投げ捨てた、としていることなどから、文学的でロマンティックな志向があった。
  • 沖死亡時の記者会見で放った「もういいじゃないですか」という日景の言葉は、LGBTというマイノリティーの人々への侮蔑意識が問題視されることもなく、更には、故人の名誉とその遺族への配慮を重んじる人権リテラシーが極めて低かった当時、ビートたけしがバラエティ番組でモノマネをしたことから一部で流行語となった。このビートたけしの人権リテラシーに障るお笑いネタ化は、日景のみならず、美形のスター俳優、沖雅也のブランドイメージを、長らく傷つけるものとなった。沖は、複雑な家庭環境の中、父母の愛情に恵まれず、心に傷を抱える子供時代を過ごした苦労人であったが、1975年、50代を前にした実父の突然の逝去で傷心状態に置かれた23歳の沖が、熟慮の末に、楠木正成の正当な血脈、宮の陣楠氏の末裔という名家であった楠の姓を捨てて、家出後上京し、食べるのにも事欠いた16歳の沖のスター性を信じて自身の家族のようにサポートし続けた沖の恩人であり、育ての親であった日景の養子となったデリケートでヒューマンな背景への配慮が、全くなされない状況下でのことである。
  • 日景は、沖の人柄を「純白、ピュア、無垢、透明」と称するなど、東大の建築科卒という高学歴のインテリで、演劇評に造詣が深かった芸術肌であることから、詩的な言語表現が得意であったとされている。
  • 1995年放送の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』の妖怪退治企画では、日景は、保健室に迷い込んだ美少年を待ち受ける「妖怪ねはん」の名の下に、かつてLGBTの人物たちをメディアが用いる際のステレオタイプの滑稽キャラとして起用され、ピンクのネグリジェ姿で松本人志山崎邦正と共演した。それは、現在のようにコンプライアンス違反が即座に問われることがなかったバブル後期の当時、1983年6月28日、美形で尚且つ演技力が確かなスター俳優として人気絶頂のさ中に、双極症という重度の心の病により31歳の若さで京王プラザホテルの最上階から飛び降り自殺した沖雅也が日景に宛てたとされる遺書を茶化す、といった、故人とその遺族への敬意を欠くテレビ局側の非人道的な演出であった。日景は、同番組のその年の「ガキデミー大賞」にて主演女優賞を受賞したが、本来ならば敬意を払い、慎重に対応するに値する沖の遺書や、日景のLGBTというマイノリティーの繊細で複雑な事情や立場を、その真偽や背景に触れることなく、視聴率目当てに、ゴシップとして興味本位に、又、愉快的に揶揄し、下品なお笑いネタとして面白おかしく扱ってきたテレビ、マスコミ、芸能関係者等の悪しき風潮が、沖の死後、40年以上を経た今日においてもXやYouTubeで見受けられ、そのコンプライアンス・リテラシーのレベルが問題視され、故人の尊厳と名誉毀損が問われる結果を招いている。
  • 前述の番組は、日景が、松本や山崎の他、ナインティナイン矢部浩之など、いずれも「美少年」という言葉からは程遠い男性陣への好意を憶測させるように仕向けるなど、LGBTへの偏見を煽る演出を加えたコンプライアンス違反の番組であったが、その一方で、日景の中に、番組の台本に書かれ、仕事上演じていた「美少年評論家」というワイドショー用の肩書きを凌駕する、キャラクターや人間性本位の人物観が伺えた。
  • LGBTへの理解が現在ほど進んでいなかった当時の新宿2丁目の様子やLGBT文化を伺い知ることができるニッチなコメンテーターとしても日本テレビなどに出演。1998年2月20日、当時有森裕子の夫であったガブリエル・ウィルソンが記者会見にて「アイワズゲイ」と語ったことについて、日景は自身がコメンテーターを務めていたワイドショーの席で、「私たちの世界ではアイワズゲイ(過去はゲイであったが、現在はストレート)ということはありえない」といった趣旨の発言をした、とされている。

テレビ出演

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音楽

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アルバム

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題名 発売年 レーベル 備考
バイオレンスホモ 1998年 殺害塩化ビニール QP-CRAZYの3rdアルバム。ジャケット写真と肉声で参加。日景はゲストミュージシャン扱いで、担当パートはHOMO SEXUAL VIOLET No.1。

著書

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関連項目

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脚注

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  1. ^ 『週刊新潮』2016年3月3日号、p38
  2. ^ “沖雅也の自殺から22年、義父の日景を覚醒剤逮捕”. ZAKZAK. (2005年12月12日). http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_12/g2005121212.html 2013年10月15日閲覧。 
  3. ^ “故沖雅也さんの養父逮捕 警視庁、恐喝容疑で”. 共同通信. (2008年9月24日). https://web.archive.org/web/20081006155742/http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008092401000359.html 2013年10月15日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  4. ^ “日景忠男容疑者に2丁目冷ややか、過去の人ですら…”. ZAKZAK. (2008年9月25日). https://web.archive.org/web/20080927195754/http://www.zakzak.co.jp/gei/200809/g2008092522.html 2013年10月15日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  5. ^ “沖雅也さん養父に実刑 覚せい剤使用・所持罪で”. 共同通信. (2009年1月23日). https://web.archive.org/web/20150916215657/http://www.47news.jp/CN/200901/CN2009012301000701.html 2013年10月15日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)

[1][2]

6. ^https://ameblo.jp/tengetu-akindo/entry-12028159586.html

7.^https://densethu.blogspot.com/2011/10/blog-post_4238.html

  1. ^ 井上靜 (2023年10月11日). “沖雅也の養父だった日景忠男は喜多川と大違い”. 井上靜. 2026年1月4日閲覧。
  2. ^ 日景忠男をしのんで:ロマン優光連載52 - デイリーニュースオンライン”. dailynewsonline.jp (2016年3月4日). 2026年1月4日閲覧。