有田哲平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。125.200.31.246 (会話) による 2016年4月4日 (月) 09:50個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

有田 哲平
本名 有田 哲平
ニックネーム アリペイ、アリペー
生年月日 (1971-02-03) 1971年2月3日(53歳)
出身地 日本の旗 日本 熊本県熊本市東区
血液型 不明[1]
身長 173cm
言語 日本語
方言 共通語熊本弁
最終学歴 立教大学法学部中退
師匠 コント山口君と竹田君
コンビ名 くりぃむしちゅー
相方 上田晋也
芸風 漫才コントツッコミボケ
立ち位置
事務所 プライムナチュラルエイト
活動時期 1991年 -
同期 ナインティナイン
よゐこ
キャイ〜ン ほか
現在の代表番組 ご対面バラエティー 7時にあいましょう
全力!脱力タイムズ
愛され女と独身有田〜運命を変える婚活TV〜
アリよりのアリ〜理想の男女をビジュアル化〜
過去の代表番組 私の何がイケないの?
有田チルドレン
有田のヤラシイ...
有田のヤラシイハナシ
有田とヤラシイ人々
有田とマツコと男と女
オレたち!クイズMAN
アリケン
ホリペイ
むちゃぶり!
テキトーTV
目からウロコ!21
ほか
作品 特典映像(監督作品)
配偶者 未婚
親族 有田真平(実弟)
矢野暢(伯父)
テンプレートを表示

有田 哲平(ありた てっぺい、1971年2月3日 - )は、日本お笑い芸人司会者であり、お笑いコンビくりぃむしちゅーのメンバーである。相方は上田晋也。愛称はアリペイアリペー

熊本県熊本市東区出身。ナチュラルエイト所属。身長173cm体重80kg

略歴

幼少時から大学入学直後まで裕福な家庭で育つ。熊本大学教育学部附属中学校を経て、熊本県立済々黌高等学校に入学。ラグビー部に入部し上田と出会う[2]。プロレスの話や2人が「お笑いスター誕生!!」を見ていたことで意気投合[2]。高校卒業後、一浪して立教大学法学部に入学。弁護士を目指したが、早稲田大学中退した上田からの誘いを受け、有田も大学を中退。1991年にコンビ「海砂利水魚」を結成し、コント山口君と竹田君の付き人となる。

2001年9月に、『新・ウンナンの気分は上々。』の「負けたら改名」の企画にて、さまぁ〜ずとの対決に敗れた為、ウッチャンナンチャン内村光良命名の「くりぃむしちゅー」に改名された事が話題になりブレイク

2008年DVD『特典映像』で監督としてデビュー。

人物

学生時代

小学校1、2年時には日本舞踊を習っていたが、今では何も覚えていないらしい[3]

小学校半ばから笑いが好きで、当時は前述の通りお笑いスター誕生!!が好きだった。小学校の文化祭では友人と共にコントを作って演じていたが、コント自体はいつの間にか服を脱ぐような劇であった[4]

熊本大学教育学部附属中学校在学中の2年生時にはアメリカホームステイしていたこともある。

高校のラグビー部時代、試合では上田がレギュラーであったのに対し、有田はベンチ要員だった。その上、ラグビーのルールをよく理解しておらず、ある試合で上田がボールを持ちトライするべくラインに向かって走ると、有田は何を思ったかチームメイトである上田にタックルを仕掛けたという。初めて出場した試合では試合慣れした様子を出そうと野次を飛ばし審判に注意された。その後気まずさを隠して歩いているとサイドフラッグに引っかかり右腕を折る。恥ずかしくて名乗り出られず、数プレーの間左手だけでボールを扱おうとするも上手くいかず、事情を知らないチームメイトから注意された[5]。また、ある日ラグビー部の皆で将来の夢を話していた時、他の部員は「弁護士」「起業家」などと真面目に目標を述べていたが、有田は「俺は光GENJIに入る!」と真顔で豪語し、一同を呆れさせた[6]

現役で明治大学法学部二部に合格していたが、上田に「一緒に早稲田に入ろう」と言われ熊本壺溪塾で浪人する。一浪を経て、上田は早稲田大学に合格するも、有田は敢え無く不合格。有田は上田がまた浪人してくれると思っていたそうだが、「お前は立教がいい」と言い包められ、結局立教大学に入学した。しかし、有田も上田と同様に大学での生活に馴染むことが出来ず、友人も殆ど作れなかったことから、しばしば一人ぼっちでキャンパス内のベンチに座り、煙草を吸いながら時間を潰していたといい、最終的に中退に至ったのも、この事に起因した部分もあったという[7]

なお、コント山口君と竹田君によると、有田は大学中退に関しては少し迷ったようだが父親が亡くなってしまい、学生生活を続けることが出来なくなったのでそれでふんぎりがついたらしい[8]

家族・親類

3人兄弟の次男。弟は放送作家有田真平、兄は地元で教師をしているという。

母は水泳オリンピックの代表候補になる程の選手だった。現在も熊本県内にある室内プールで管理者の傍ら、子供達に水泳の指導を行なっている。2008年には、マスターズ世界水泳選手権の平泳ぎ・シニア部門で6位に入賞した。あまり練習せずに大会に挑んだそうで、もっと練習していれば3位以内には入れた、と悔んだという[9]

父は広告代理店を経営していた。有田によると有田の父は厳格かつワンマン気質で有田を含めて兄弟全員その怖い父親が苦手だったらしく、一年を通して会話らしい会話はなかった[10]。そのせいか有田は高校生になってからも父親の事を「パパ」と呼んでいたという(そう呼ぶように言われていた)[11]。しかし、有田の大学入学後に会社が倒産、授業料を滞納する事態となった。それに関する父親からの報告と、有田からの「大学を中退してお笑いをやりたい」旨の報告とが偶然にも重なり、有田は勘当を覚悟したが、父親に「学費を納めなくていいなんてお前は孝行息子だ。それにやりたい事を見つけるなんて素晴らしい!」と絶賛されたという。後に知るが、その時点で会社が傾いていたらしく[12]有田が物心付いた頃からずっと住んでいた思い出のつまった実家も売られていた。父親の事業破綻後に両親は離婚。程なくして父親が死去。祖父や祖母もそれと前後して立て続けに亡くなる。[13]

有田は後に当時を振り返り「大学の頃、夏休みに熊本の実家に戻ったら表札が『長谷川』に変わっていた。人づてに引っ越し先を調べて訪ねてみると、有田家は安&ボロアパートに様変わりしていた」と述べた。[14][15]有田がやっとそのアパートを探し当てると父親は「言い訳じゃないけどな、ここ(安アパート)に住み始めたらこっちの方が住みやすいなあと思ってな」と言ったそうだ。[16]その後、有田がお笑いの道を志すことを承諾した父親が有田に50万円をくれたが、どうやらそのお金はサラ金で借金して作ったお金だったらしく、それを最後に父親は亡くなった[17]

有田が『王様のブランチ』の中継コーナーのレギュラーだった頃、ゲストレポーターのX-GUNが「有田の売られてしまった実家に潜入」という趣旨の企画で有田の元実家を訪れたことがある。昔有田の部屋だった所は物置となっていたが、有田が壁に落書きした「飛龍」の文字は残っていた事が判明したので有田はレポートをしてくれたX-GUNに感謝した[18]

いとこ小説家の鵜波美布(代表作に『武運』等)。

伯父(有田の母親の兄)は政治学者で、日本初のノーベル賞選考委員やスウェーデン王立アカデミーの会員を務めた矢野暢。「幼少期より、よく両親から『親戚にいる大学教授の伯父さんを見習え』と言われていたが、その人がセクハラで訴えられた」というネタをよく使う[15](セクハラの詳細は矢野事件を参照)。

身体的特徴

あごがしゃくれている。

年々太ってきており、数年前に『笑っていいとも!』に出演した際には、「デビュー当時と比べて15kg程太った。」と明かした。ファンや上田から、とろサーモンの久保田和靖に似てきていると指摘されており、視聴者が久保田を見て有田と間違った事もあるらしい。有田と久保田はあまりにも周りから似ていると言われるので、ついに2013年9月2日のグリグリくりぃむで「どっちが有田でどっちが久保田」という企画が行われた(企画内容は本物の有田の座をかけ、有田と久保田が有田の得意とするいろんな競技で対決し、勝った方が本物の有田と認定されるというものだった)。

タレントヒロミが経営する加圧トレーニングジムに通っていた事があり、番組で共演した際に“成果”を披露したが、ヒロミは突き出た腹を見て、「営業妨害だよ!」と呆れていた[19]

人間ドック脂肪肝が判明し、ウエストの測定結果は97cmという危険な数値(メタボリックシンドロームの基準値は85cm)だったため、2007年11月から炭水化物を完全に抜き、年内に体重を75kg、ウエストサイズを85cmにまで減らす事を同年放送の『オールナイトニッポン』で宣言した。そして同番組にて年末に体重測定を行った結果、83kgから76kg(脱衣時75kg)にまで減量していたが、約束の体重を1kgオーバーしていた為、上田の取り決めにより番組内で罰ゲームをする羽目になった。翌2008年6月24日の放送で久々に体重測定を行った結果、82kgへと再びリバウンドしてしまった。

高校時代から芸人デビュー前まで、寄生虫持ちだったため、今とは比べ物にならないほどスリムな体型だった。高校時代にラグビー部を引退した後、上田共々部活をやっていた頃と同様の暴飲暴食を辞められなかったことから、上田が急激太りだしたのとは対照的に、全く太ることは無かったという。一方で、その当時は年に4回ほど尻の猛烈な痒みに苦しめられてもいた[20]

頭髪が薄く、自身は祖父からの隔世遺伝であると述べている。育毛剤を使用しているが、その育毛剤の力を強くする為に「モミダッシュ」なる頭皮洗浄用の機器を使用している[7]

2008年5月1日放送の『アリケン』の企画で、左頬のシミを消すプチ整形を行った。

趣味・嗜好

プロレス

大のプロレスファンで、自身の芸風にも活かされている。メジャー・インディー団体問わず、選手やマット界の動向にも詳しい。また、毎週欠かさずに週刊プロレスを愛読(第一号から全て)する他、多くのプロレスグッズも所有している。『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演した際には、同誌をタモリへのお土産として持参した事がある。

長州力の大ファンであり、自身の著書で有田は「大げさでも何でもなく(長州力は)僕の師匠です。何かあると長州力の語録やインタビューや試合を見て自分自身にカツを入れてきました」と記している[21](そして長年の思いが叶い、週刊プレイボーイの2011年1/17~1/24号にて有田と長州力の対談が実現した)。

敬愛するアントニオ猪木の引退試合を観戦した際、入場時には声援を送っていたものの、肝心の試合時に居眠りしていたのを『ダウンタウンDX』のコーナー「視聴者は見た!」で暴露される。この回には猪木本人も出演しており、すぐにビンタ制裁を受けた。

ハッスル・エイド2006』では、自前の「高田総統」のコスプレをしてオープニングに登場。翌2007年12月31日の『大晦日!ハッスル祭り2007』でも、高田将軍(戦国時代バージョン)が現れた後に、有田総統としてリングに登場した。

2010年7月に「プロレスラー 伝説のビッグマウス!」というプロレス本を出した。なおその本には同じくプロレスが好きなケンドーコバヤシとの対談も収録されている。有田はプロレスから場を活性化させるための仕掛けや反骨心を学んだと言い、プロレスとは魅力的なジャンルでレスラーの言葉には人に影響を与えて動かす力があると述べている[22]

アニメ・ゲーム

TVアニメ新世紀エヴァンゲリオン』の大ファンで、『アメトーーク!』に「エヴァンゲリオン芸人」として出演した事もある(2008年4月24日放送)。

いわゆるヘビーゲーマー。『オールナイトニッポン』等で、ゲームソフト『実況パワフルプロ野球9』(コナミ)の「サクセスモード」について熱く語っていた事があり、『パワプロクンポケット7』には有田をモデルにした「有田修吾」というキャラクターが登場した。また、定期的にオールナイトニッポンのスタッフ達を集めてパワプロ大会を行っているという。しかし、実際の野球にはあまり興味が無い上に疎い。

龍が如く』(セガ〈後のセガゲームス〉)に関しては、同番組で面白いゲームであると太鼓判を押したため[23]、本人が知らない内に「くりぃむしちゅー有田も大絶賛」というキャッチコピーを付けられていた。後にマネージャー大橋によりその仕事を引き受けていたことが判明した。

音楽

好きな音楽ジャンルはヒップホップ。ヒップホップアーティスト・ZEEBRAとも親交があり、『シュガーヒルストリート』では、「ALI-T(途中からFAKE-Aに改名)」に扮してZEEBRAと一緒に司会を務めた。これが縁で、ZEEBRAのシングル「Stop Playin' A Wall」のプロモーションビデオにも出演している。

ほかに、兄の影響からビートルズのファンでもある。ビートルズが好きなあまりビートルズのコピーバンドの店に行くほど。一番好きなビートルズのアルバムは「リボルバー」[24]。 なお、ビートルズ全曲をイントロ1秒のみ聴いて曲名を当てることが出来るという特技の持ち主でもある[25]

またギターを練習して、『くりぃむナントカ』のスタッフらと共にバンドを結成、ボーカルとしてビートルズの楽曲でライブを開催したり[26]映画アイアンマン』他のDVD販促キャンペーンでは自作の「応援歌」を披露した[27]

映画鑑賞

映画鑑賞が好きで好きな日本映画天城越え (松本清張)[28]映画好きが高じてなんでもアリタっ!と題する「有田哲平と設楽統をなんでも自由に使い映画監督短編映画を撮ってもらう」という企画のバラエティ番組もやった。

2005年にスター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐が公開された際にはスター・ウォーズにはまっていたが、本人曰く「ドハマりすると飽きも早い」らしく、マネージャーが家に来た際、スター・ウォーズのグッズをすべて譲った。[29]

2014年4月25日には伊集院光のラジオ、伊集院光の週末TSUTAYAに行ってこれ借りよう!にゲスト出演。有田がお勧めした映画はアメリカのホラー映画 エスター[30]

ほかに、2015年12月4日公開の007 スペクターに先駆けて同年10月に『007』シリーズの世界での宣伝史上初となる『007』公式アンバサダーとして、有田が就任した[31]

その他

カジノが好きで、海外旅行は専ら韓国アメリカ等のカジノがある国が多い。韓国のカジノで熱くなりすぎて負けが込み、現地に居合わせた見ず知らずの日本人や、当時ほぼ初対面であった美川憲一にお金を借りたらしい。ちなみにそのお金は、日本に帰国してすぐに2人の元へ返しに行ったという。

菅野美穂の大ファン2009年1月19日放送の『しゃべくり007』で念願の対面を果たした。その後も菅野と共演する度にネタにされ、彼女が独身だった当時は『ペケ×ポン』では○回正解する度にメールアドレス交換やデートといった特別ルールが設けられていた。

交友関係

  • アンタッチャブル山崎弘也を可愛がっており、2013年まで山崎と同じマンションの上下階に住んでいた(有田は2012年の1月頃に東京都内の一戸建てを購入し、2013年の春に入居したという記事が週刊女性 2013年8/13号に掲載された)。
  • おぎやはぎ矢作兼とも大変仲が良く、山崎を含めた男3人で毎年旅行に出かけているほど。
  • 番組収録の合間に山崎やおぎやはぎ次長課長等の後輩芸人を集めて、芸に対するアドバイスやダメ出しを行う(「有田塾」と呼ばれている)が、「全くためにならない話ばかり」しているという。また、土田晃之には「『銭形金太郎』のロケで泣け。」とアドバイスをした[32]
    • その一方で、的確なアドバイスもしており、土田は有田に言われた「『好きな芸人は誰ですか?』という街頭インタビューがあった時、お前の名前は挙がらないかもしれない。しかし、『土田の事を面白いと思うか?』という問いで、9割の人が面白いと答えてくれる様な芸人になれ。」という言葉は、雛壇芸人等のサブとして活動していこうと覚悟を決める際に重要なアドバイスだったと語っている[33]
  • 上記の土田晃之U-turnとして若手時代、GAHAHA王国という番組に出演していた頃、先輩芸人達から陰口を叩かれた際、有田が庇ってくれたと話したことがある。GAHAHA王国にはショートコントの勝ち抜け戦があり、当時U-turnが参戦し勝ち続けたことがあったが、先輩芸人達から「U-turnとか全然面白くねぇわ。何であんなんが勝ち抜いてるん?」と、楽屋で陰口を叩かれた時、有田はU-turnの陰口を叩いた芸人達に、「お前ら、それ違うだろ!対戦形式でお客さんがどっちが面白いか決めて、それでU-turnが勝ってんだから、U-turnがおもしれぇんだよ」「お前らが負けてんだよ」と言ってU-turnの事を庇った[34] [35]
  • 共演の多いネプチューン堀内健からは、「これからの事も、お笑いの事も真剣によく考えているし、芸術を見るセンスもある。とにかく凄くいい奴。」と評されている[36]
  • 同じく共演の多いバナナマン設楽統は有田の事を分析力が高くバランス感覚に優れたオールラウンドプレーヤーと評し、動きやトーク等の芸人の能力をレーダーチャートにして表したら限りなく五角形に近い人だと述べたことがある[37]
  • かつて、ものまね芸人の原口あきまさは自分はキャリアの途中からものまねの世界に入った故に自分のものまねは他の同業者達の芸と比較すると似ていないのではと苦悩し、もうものまねはやめようかと思い悩んでいた。だがある日、飲みの席で有田に「原口のものまねはそんなに似ていなくてもそれが面白いからいいんじゃない」と言われて原口は似ていると言われるよりも面白いと言われたいと思うようになった。後に原口はそれで心が救われたと当時の事を振り返っている[38]
  • 相方・上田の2人の(上田の実兄・上田啓介の娘)を大変可愛がっており、上田を心配させている。有田曰く、「どんなにユルいギャグを言ってもウケるから気分がいい。」との事で、休日には2人と遊ぶ為だけにわざわざ熊本まで帰省し、当時流行していたナルミヤ・インターナショナルのジュニア向けブランド服メゾピアノ」等をプレゼントした事もあるという[39]。2人は有田を「ありぶす」と呼び、「ありぶす、お前顎伸びたな〜。」などと散々な事を言われるという。ちなみに、アンタッチャブルの山崎を「やまぶー」、柴田英嗣を「しばめんこ」と呼び、2人ともメールでの近況報告等もしている[40]

芸風

近年ではテレビ局等に企画を持ち込み、自分立案企画の番組をやる場合もある [41]。 この件に関して有田はとあるインタビュー記事で「自分がどうしたいかを考えるのは好きなんです。ただ、それが必ずしも面白くならなかったりするんですよね。で、“こんな企画できましたー、やってくださーい”って言われてやる方が意外に楽しくなったり」と述べている。なお、その記事では件の有田の発言の次に「でもいつかは、自分が面白いと思ったものが他人にも間違いなく面白がられるようになりたいと思っている。」とも書かれている[42]

格闘技ネタを得意とする。ものまねのレパートリーは、自身が大のプロレスファンという事もあり、プロレスラーが多数を占めている。中でもアントニオ猪木のものまねは、『内村プロデュース』での「○○で勝利するをプロデュース(スポーツシリーズ)」で内村光良のふりで披露、後に鉄板ネタとなった。

長州小力がする長州力のものまね「キレてないですよ」(実際は「キレちゃいないよ」である[43])は、有田のネタが元となっている。後に『笑いの金メダル』で小力と組んで「W長州」としてネタを披露した。

ものまねのレパートリー

エピソード

  • 2001年6月、相方と共に出演していた瀬戸内海放送(KSB)の人気深夜番組『ばちこい!』の企画で、「Bachicco!(ばちっ娘!)」というローカルアイドルプロデュースし、見事デビューさせた。なお、デビュー曲「ばっちり恋しよう!」には有田のラップパートが収録されている。
  • 新コンビ名の由来にもなったクリームシチューが大好物だと公言していたが、『いきなり!黄金伝説。』の企画「クリームシチューだけで1週間過ごすコンビ」に挑戦した際にかなりの野菜嫌いだった事が判明し[45]、クリームシチューの殆どを相方の上田に食べさせていた。上田曰く「有田が好きなのは、クリームスープ」。
  • H/K(話変わるけど)」という若者言葉を作った。『銭形金太郎』の深夜放送時代にVTRの前フリで好んで使用していた。
  • かつては愛煙家であり、若手時代より相方の上田から「そろそろ禁煙しろ」と度々注意されていたが、2011年2月TBSテレビ廊下和田アキ子とすれ違って挨拶をした際に、「絶対、タバコはやめたほうがいいぞ」と言われ改心し、禁煙に成功した[46]
  • 有田は上田ちゃんネルを毎週見ており再放送も見ている(上田ちゃんネル2013年2月5日放送回にて上田が発言)
  • アンタッチャブルの山崎と少女時代のコンサートを観に行っていて少女時代のメンバーにもその事を知られている。
  • お笑い芸人として生計を立てられるようになるまではキャバクラウェイター、ガードマン、さくら等のアルバイトをしていたことがある。[47]
  • お笑い芸人になろうと上田と共に芸能プロダクションの面接を受けた若き日の有田が、担当の面接官に「将来の夢は何かある?」と質問された際、うっかりマジ間違いで「立派な弁護士になりたいです。」と言ってしまい、驚いた上田が思わず「違うだろっ!」とマジツッコミを入れたそうだが、この一連のやりとりを面接官がネタと勘違いしたために、見事面接に合格した。[48]

女性関係

  • ロンドンハーツ』で、相方の上田から「合コン好きの有田を懲らしめてほしい」と番組に依頼され、騙しの合コンをセッティングするという企画が組まれた。この企画は3回に渡って放送されたが、全て番組が仕掛けた落とし穴に落下している。女性と2人きりになった時、淳の指令でその女性が「クルトンって呼んでいい?」と言った事から、番組では「クルトン(有田)[49]」と呼ばれる様になった。その仕返しとして有田は、「上田の好感度を落としたい」として田村淳に上田を騙す為のハニートラップを依頼したが、その中で上田は、有田とは正反対の硬派な振る舞いを見せ、放送終了後、番組ホームページBBSには上田を絶賛する女性視聴者からの書き込みが多数寄せられ、逆に上田の好感度を上げてしまう結果となった。その放送後には、上田の硬派キャラをパクって合コンをしている事をアンタッチャブル山崎弘也に暴露され、再度、同様の騙し合コンに引っ掛かり、最後にはまた落とし穴に落下している。
  • 2004年8月女優深田恭子との泊まりがけデート写真週刊誌フライデーにスクープされた。更に同じ月、山崎と合コンを行った帰りにラブホテルに入る様子を同誌に激写されている。また、別の女性との同棲も報じられ、ルックスに似合わずプレイボーイとして有名。上田からは「フライデーに連載を持っているのか?」と揶揄された。しかし深田との一件以来モテなくなったと発言している。
  • 写真週刊誌の一件以来、しばらくは合コンを自粛していたが最近では年に2~3回は行くらしい。本人曰く合コンのお陰で色々と学んだことがあると言っている。[50]
  • キャバクラも好きで、行く先々の店で必ずと言って良い程セクハラ行為をしている。(しゃべくり007ソース)
  • 服などの買い物をする時矢作兼おぎやはぎ)とよく一緒に行くらしいが、店員が好みの女性だと「(TVのイメージと違って、実は)自分は後輩思いの優しくて良い先輩である」と、見せつける為に、矢作に奢ってあげているが、その時の店員が男性又は好みの女性でなかった場合は、決して奢らず割り勘との事。好みの女性のタイプは、巨乳の若い女性(有田風に言うところの『パイオツカイデー』な女性)。

オールナイトニッポン

  • レギュラー化する前の『海砂利水魚のオールナイトニッポンスペシャル』時代に上田と対決し負け、放送終了後に番組プロデューサーの勅使川原昭によって丸坊主にされた。
  • 2005年7月5日山崎弘也矢作兼と共に夜に中華料理店へ行き、2人からを勧められ、一度は断るものの、この後にオールナイトニッポンの初回放送があるにも拘わらず飲んでしまい、本番で上田に叱られた。
  • 前述の様に、番組内で度々ダイエット企画を行っているが、本人曰く、外は色々な誘惑が多い為、家に籠りがちだという。その時の家での生活は、ゲームをして、週刊プロレスを読み、朝から地ビールを飲んで一日を終えるというもので、上田は「俺に言わせればゴミ」だと呆れ返った。
  • 番組では「月に一度のお楽しみ」として上田に無茶振りをしていたが、あっさりとこなされる為、有田は「無茶振りなんて大した事無い」と思っていた。だが有田が『むちゃぶり!』という番組を企画して立ち上げて、実際に自ら無茶振りを受けてみると思いのほか難しいと有田は感じ、後にオールナイトニッポンで上田を「無茶振りの天才」と褒めた。
  • 2009年4月16日に、『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』にゲスト出演。第一声は、有田がオールナイトニッポンの冒頭で必ず口にしていた「まいったね…」であった。その後も、2010年の2月25日から3月18日、そして3月25日に出演。ただし以前の回とは違いアンタッチャブル柴田英嗣が急な形で無期限休業に入ったためのゲスト出演であった。

出演

以下は、有田哲平のみの出演番組を記載します。コンビでの出演番組は、くりぃむしちゅーの項目を参照してください。

現在の出演番組

過去の出演番組

テレビドラマ

映画

テレビアニメ

劇場版アニメ

インターネット

CM

PV

雑誌

作品

DVD

書籍

  • プロレスラー 伝説のビッグマウス!(2010年7月、河出書房新社)責任編集

脚注

  1. ^ ナチュラルエイトホームページの公式プロフィール http://www.naturaleight.co.jp/cream/
  2. ^ a b 「総力特集 くりぃむしちゅー 変身したバラエティ・スター」『QuickJapan』vol.55、太田出版、2004年7月28日、39頁。 
  3. ^ ネプチューン、海砂利水魚、X-GUN、MANZAI-C『カツオレ-超世代お笑い列伝 』ムービック、1998年、80頁。 
  4. ^ ネプチューン、海砂利水魚、X-GUN、MANZAI-C『カツオレ-超世代お笑い列伝 』ムービック、1998年、83頁。 
  5. ^ 日本テレビしゃべくり007』2011年2月7日
  6. ^ TBSぴったんこカン・カン』より
  7. ^ a b テレビ朝日徹子の部屋』2008年4月23日放送回
  8. ^ “各界「伝説の師弟」(2)師匠・コント山口君と竹田君→弟子・くりぃむしちゅー”. アサ芸プラス. (2013年6月12日). http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20130612/Asagei_14048.html 2013年7月10日閲覧。 
  9. ^ ニッポン放送くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』2008年4月29日放送回
  10. ^ 海砂利水魚 有田哲平・上田晋也『海砂利水魚の作文』双葉社、1998年、183頁。 
  11. ^ 日本テレビしゃべくり007』2009年11月16日放送回
  12. ^ にゃゴ研『笑ナビ—必読!お笑い芸人ナビゲーション』アンドリュース・プレス、2005年。 
  13. ^ ネプチューン、海砂利水魚、X-GUN、MANZAI-C『カツオレ-超世代お笑い列伝 』ムービック、1998年、88-89頁。 
  14. ^ ネプチューン、海砂利水魚、X-GUN、MANZAI-C『カツオレ-超世代お笑い列伝 』ムービック、1998年、118頁。 
  15. ^ a b フジテレビとんねるずのみなさんのおかげでした』他多数の番組で披露。
  16. ^ ネプチューン、海砂利水魚、X-GUN、MANZAI-C『カツオレ-超世代お笑い列伝 』ムービック、1998年、118頁。 
  17. ^ ネプチューン、海砂利水魚、X-GUN、MANZAI-C『カツオレ-超世代お笑い列伝 』ムービック、1998年、88-89頁。 
  18. ^ ネプチューン、海砂利水魚、X-GUN、MANZAI-C『カツオレ-超世代お笑い列伝 』ムービック、1998年、119頁。 
  19. ^ TBSズバリ言うわよ!』2007年11月6日放送回
  20. ^ TBS『有田とマツコと男と女』2011年4月15日放送回
  21. ^ 海砂利水魚 有田哲平・上田晋也『海砂利水魚の作文』双葉社、1998年、91-93頁。 
  22. ^ 有田哲平 責任編集 『プロレスラー 伝説のビッグマウス!』河出書房新社、2010年、7-8頁。 
  23. ^ くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン【今週の放送】”. ニッポン放送 (2006年1月31日). 2010年1月17日閲覧。
  24. ^ 後藤正文『ゴッチ語録 A to Z』ぴあ、2012年、152-153頁。 
  25. ^ 有田のヤラシイハナシ 2013年12月13日放送回
  26. ^ ニッポン放送くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』より
  27. ^ “くりぃむしちゅー・有田が初ソロライブ 「大晦日はNHKで」”. オリコン. (2009年3月17日). http://english.oricon.co.jp/news/64159/full/ 2010年1月17日閲覧。 
  28. ^ 2009年3月8日ホリペイ」(BSジャパン)の本人の発言より
  29. ^ オールナイトニッポン 第七回より。
  30. ^ “2014年4月25日のくりぃむしちゅー有田哲平さんのオススメ映画は”. TBS ラジオ. (2015年4月25日). http://www.tbs.co.jp/radio/tsutaya/backnumber/20140425.html 2015年10月25日閲覧。 
  31. ^ “くりぃむしちゅー有田哲平、映画『007』公式アンバサダーに就任!”. シネマズニュース編集部. (2015年10月9日). http://cinema.ne.jp/news/oo72015100907/ 2015年10月25日閲覧。 
  32. ^ テレビ朝日雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』より
  33. ^ フジテレビ僕らの音楽 -OUR MUSIC-』2009年5月15日放送回
  34. ^ ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ! 2015年08月29日の土田晃之ゲスト回での土田の発言より
  35. ^ “くりぃむしちゅーの有田哲平 若手時代の土田晃之を擁護した過去”. livedoor NEWS. (2015年8月30日). http://news.livedoor.com/article/detail/10530072/ 2015年10月25日閲覧。 
  36. ^ 日本テレビ24時間テレビ 「愛は地球を救う」』2008年8月30日-31日放送の深夜企画「どうでもいい世紀の誓い 100連発!」より
  37. ^ 金曜JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD ポッドキャスト2011年10月21日の回より
  38. ^ ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ! 2011年11月12日の原口あきまさゲスト回
  39. ^ フジテレビあっぱれさんま大教授』より
  40. ^ BSジャパンホリペイ』2009年1月25日放送回
  41. ^ ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ! 2011年06月11日の土田晃之ゲスト回での土田の発言より
  42. ^ “くりぃむしちゅー ロングインタビュー Breakthrough Point~つきぬけた瞬間”. Web R25. (2011年1月20日). http://r25.yahoo.co.jp/interview/detail/?id=20110120-00005010-r25&page=3&order=1 2013年12月30日閲覧。 
  43. ^ 1995年10月9日の対安生洋二戦後のインタビュー。
  44. ^ 腕固めを仕掛けた際の白目を向く表情(通称「キラー永田」)。
  45. ^ クリームシチューに入っていたニンジンブロッコリーカボチャシイタケマッシュルーム等。他に、キュウリは好きな方だが、トマトは食べられないという。
  46. ^ 2011年4月23日放送ニッポン放送ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回」での和田の発言より。
  47. ^ 西条昇監修・製作総指揮『AJAPA Vol.1』平和出版株式会社、1997年、41頁。 
  48. ^ 有田哲平・上田晋也『くりぃむしちゅー語入門 (新潮文庫)』新潮社、2008年、22-23頁。 
  49. ^ 悪いクルトン、略して「ワルトン」とも。
  50. ^ 2009年1月25日ホリペイ」(BSジャパン)の本人の発言より
  51. ^ きれいごとは排除、くりぃむ有田の新恋愛バラエティ「愛され女と独身有田」”. お笑いナタリー (2015年9月30日). 2015年9月30日閲覧。
  52. ^ くりぃむ有田、異性に求める理想「減ってきた」”. オリコン (2015年10月16日). 2015年10月28日閲覧。
  53. ^ 「総力特集 くりぃむしちゅー 変身したバラエティ・スター」『QuickJapan』vol.55、太田出版、2004年7月28日、70頁。 

関連項目

外部リンク