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吉見一起

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吉見 一起
中日ドラゴンズ #19
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府福知山市
生年月日 (1984-09-19) 1984年9月19日(39歳)
身長
体重
182 cm
91 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 希望入団枠
初出場 2006年9月10日
年俸 2億4,000万円(2012年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

吉見 一起(よしみ かずき、1984年9月19日 - )は中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手投手)。


経歴

プロ入り前

小学校2年生の時に野球を始めた[1]。高校時代は金光大阪のエースとして2002年第74回選抜大会に初出場するも1回戦で森岡良介東京ヤクルトスワローズ)らを擁する明徳義塾に敗れる。

卒業後トヨタ自動車に入り、社会人ナンバー1投手と評された。吹田市立片山中学校同窓生(1学年上)の妻と出会ったのもこの頃[1]。肘の手術もあり評価はやや下がっていたものの、2005年のドラフトの目玉となり、2005年のドラフト希望入団枠で中日に入団した。

プロ入り後

2006年

ルーキーイヤーのこの年は、9月10日に一軍昇格し、対広島戦でプロ初登板を果たす。1イニング1/3を無失点で抑える。9月18日の対横浜戦で5回2失点で初勝利。また日本シリーズにも中継ぎとして登板した。

2007年

ローテーションの谷間で昇格することがあったが、打ち込まれるなど不調に終わった。ファーム日本選手権では最優秀選手賞を得た。その後ドミニカ共和国ウィンターリーグに参加した。帰国後の12月16日に結婚[1]

2008年

オープン戦で3試合15イニングを無失点に抑え、初の開幕一軍入りを果たした[1]4月6日の対ヤクルト戦で初完投・初完封勝利。4月13日の広島戦で被安打11ながら連続完封を記録した。なお被安打11以上の完封は、1989年8月4日の対巨人戦(横浜)で大洋ホエールズ新浦壽夫が13安打を打たれて以来の記録となった。開幕からの連続無失点イニングを24回2/3まで伸ばし、8連勝はチームタイ記録[1]。また、同シーズンはウエスタン・リーグ開幕投手を務めた。一時期はチーム事情からセットアッパーに回ったが、右肩の故障によりチームから一時離脱、出場が決まっていたオールスターゲームは出場を辞退した。肩痛が癒えた夏以降は再び先発ローテーションに戻り、このシーズンは10勝を記録した。また、シーズン通算2完封はコルビー・ルイス広島東洋カープ)と並びセ・リーグ最多であった。

2009年

中日のエースであった川上憲伸アトランタ・ブレーブスに移籍した直後のシーズンとなった。前年の実績を糧に先発ローテーションを勝ち取り、4月4日の対横浜戦でシーズン初先発を95球完封勝利で飾った。順調に勝ち星を伸ばし、前半戦最後の登板となった7月18日の対横浜戦で、シーズン10勝目を早くもシーズン4度目の完封勝利にて達成し、自身初の2年連続二桁勝利を決めた。オールスターゲームにも監督推薦で選出され、第二戦に藤川球児阪神)の後を継ぎ登板したが、敗戦投手となった。後半戦も更に勝ち星を伸ばし、10月3日の対横浜戦で16勝目を挙げ、最終的に館山昌平(ヤクルト)と共に16勝で最多勝利のタイトルを獲得した。防御率も1.996(同僚のチェン・ウェインに次ぐリーグ2位)と、自身初の防御率1点台を記録した(記録上は四捨五入されるので2.00)。また、シーズン通算4完封はチェン、涌井秀章西武)と並び両リーグ最多、無四球試合3試合は両リーグ通じて単独最多と、年間を通じて安定した投球を披露し、川上憲伸の抜けた穴を埋める活躍をした。10月22日付け中日スポーツ掲載の吉見の治療に関する報道について、10月24日NPB医事委員会は診療録のコピー等の詳細検討の結果「医学的に正当な適応による治療行為の範疇に入るものと判断」と公式発表を行い[2]、潔白が正式に証明された[3]

2010年

自身初の開幕投手(対広島戦)を務めたが、6回3失点で敗戦投手となった。昨年よりも成績を落としたものの、巨人相手に5勝するなど3年連続二桁勝利を達成し優勝に貢献した。クライマックスシリーズファイナルステージでは第二戦に先発し好投したものの、日本シリーズでは開幕投手を任されるなど2試合登板して1敗。シーズン中に傷めた肘の影響もあり本調子とは程遠い出来であった。

2011年

昨年痛めた肘を2度手術した影響でシーズン開幕には間に合わなかったが、一軍合流後は安定した活躍を見せ、オールスターゲームにも監督推薦で選出され、9月には自身初の月間MVPを獲得。最終的に内海哲也(巨人)と並ぶ18勝を挙げ2度目の最多勝を獲得し、4年連続の二桁勝利となった。防御率も1.65と自身2度目の防御率1点台を記録し、初の最優秀防御率のタイトルも獲得した。さらに、谷繁元信と共に、自身初の最優秀バッテリー賞も受賞した。その他、最高勝率(.857)、最多完封(3完封)、最多無四球試合(3試合)も達成している。

ヤクルトとのクライマックスシリーズファイナルステージでは、11月2日の第一戦に先発し7回1/3を投げて1失点で勝利。中日が日本シリーズ進出を決めた11月6日の第五戦にも中3日で再び先発し、館山昌平とのエース対決を制し、8回を投げて無失点で同シリーズ2勝目を挙げた。防御率も0.59と抜群の安定感で、クライマックスシリーズMVPを受賞した。落合監督も、試合後の優勝監督インタビューの中で、「(監督に)就任してから、吉見のこんないいピッチングを見たのは初めてでした。素晴らしかったです。」と絶賛した[4][5][6]。日本シリーズでは開幕投手と予想されていたが、実際には第二戦に先発。勝敗はつかなかったものの、6回1/3を1失点に抑え、勝利を引き寄せた。王手を掛けられた状態で迎えた第六戦でも先発し、7回2/3を1失点に抑え勝利投手となった。翌日の第七戦で中日は敗れ日本一を逃したが、この活躍が評価され敢闘選手賞を受賞。

プレースタイル

現役の先発投手としては武田勝石川雅規に次ぐ通算与四球率1.53と抜群の制球力を誇る。ノーワインドアップのスリー・クォーターから速球と同じ腕の振りで投げるスライダーシュートフォークボールチェンジアップを投げ分ける[7]カットボールパームボールも投げることができるが、基本的な球種であるカーブは投げられない[8]。ストレートの球速はかつては平均球速141km/h[9]、最速151km/hを計測していたが、アマチュア時代を含め肩や肘を数回痛めた影響からか2011年以降は平均球速は139km/hに満たず[7]、最速でも140km/h中盤程度になっている。

投球のテンポが良く、打者を2ストライクに追い込んでからは圧倒的な強さを誇る[10]。また試合終盤に強く、2009年には球数90を越えて以降の被打率.149と驚異的な数値を残した[11]

人物

岩田稔とは高校時代に大阪市内の同じ治療院に通っていた。

高校時代から、マウンドのトンボかけは3年生のチームの中心選手になっても後輩に任せず自分でやっていたなど自己顕示が強い[12]

ルーキー時、CBCの番組サンデードラゴンズの企画で旅行に行き、新井良太春田剛平田良介と魚釣りをしたが、吉見は一匹も釣れず、罰ゲームをやらされた。ちなみに同番組での発言によると、生き物には全く触れることができないらしく、釣りの際は番組スタッフに餌をつけてもらっていた。

二人の弟(双子)がおり、二人とも兄・一起と同じ金光大阪高校の野球部に所属していた。2007年夏には大阪府大会決勝で中田翔のいる大阪桐蔭高校を破って甲子園行きを決めた。両者とも甲子園メンバー入りしている。妹も同校野球部のマネージャーを務めていた。

トヨタ自動車の先輩金子千尋の影響で夫婦ともども風水に凝っている。ラッキーカラーは。チームカラーに合わないため、登板前日は真っ赤なトランクスを履いて寝る[1]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2006 中日 4 2 0 0 0 1 0 0 0 1.000 53 13.1 10 1 3 0 0 10 0 0 4 4 2.70 0.98
2007 5 4 0 0 0 0 1 0 0 .000 74 14.2 25 5 7 0 0 14 1 0 14 12 7.36 2.18
2008 35 14 3 2 0 10 3 0 10 .770 476 114.1 118 11 25 0 4 82 1 0 46 41 3.23 1.25
2009 27 25 5 4 3 16 7 0 1 .696 750 189.1 166 10 33 2 3 147 6 1 52 42 2.00 1.05
2010 25 25 1 1 0 12 9 0 0 .571 659 156.2 159 19 25 4 5 115 5 0 67 61 3.50 1.17
2011 26 25 5 3 3 18 3 0 0 .857 734 190.2 143 8 23 1 4 120 0 0 38 35 1.65 0.87
通算:6年 122 95 14 10 6 57 23 0 11 .713 2746 679.0 621 54 116 7 16 488 13 1 221 195 2.58 1.09
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

個人記録

投手記録
打撃記録
  • 初安打:2006年10月7日、対横浜ベイスターズ20回戦(横浜スタジアム)、5回表に門倉健から中前安打
  • 初打点:2008年4月27日、対東京ヤクルトスワローズ6回戦(明治神宮野球場)、6回表に増渕竜義から一塁前スクイズ

背番号

  • 19 (2006年 - )

脚注

  1. ^ a b c d e f 雑誌『週刊ベースボール』2008年8月25日号 「白球入魂 覚醒の裏側 吉見一起」35-39ページ
  2. ^ NPB医事委員会の見解 日本野球機構 2009年10月24日発表
  3. ^ NPB、中日・吉見に違反なしの判断下す サンケイスポーツ 2009年10月24日付
  4. ^ 吉見、エースの重責果たす好投!落合監督「素晴らしかった」 スポニチアネックス 2011年11月6日付
  5. ^ 中日が2年連続の日本シリーズへ! 落合監督「誰一人欠けてもできなかった」 Baseball Times 2011年11月6日付
  6. ^ 落合監督、ソフトBとの日本S実現に「王さんとの約束があったから」 Baseball Times 2011年11月6日付
  7. ^ a b 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、96頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8 
  8. ^ CBCサンデードラゴンズ2009年12月27日放送分
  9. ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁頁。ISBN 978-4-930942-98-2 
  10. ^ 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2010』アスペクトムック、2010年、58-59頁頁。ISBN 978-4-7572-1744-7 
  11. ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』白夜書房、2010年、30頁頁。ISBN 978-4-86191-595-6 
  12. ^ 特別読み物どう見極めるのか プロ野球ザ・スカウト 才能があってもダメなヤツ、素質がなくても出てくるヤツ 週刊現代2012年4月30日号より。

関連項目

外部リンク