増渕竜義
| 東京ヤクルトスワローズ #22 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 埼玉県草加市 |
| 生年月日 | 1988年5月3日(23歳) |
| 身長 体重 |
186cm 86kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2006年 高校生ドラフト1巡目 |
| 初出場 | 2007年4月7日 |
| 年俸 | 4,100万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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増渕 竜義(ますぶち たつよし、1988年5月3日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(投手)。
ニックネームは「ドラゴン」。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] アマチュア時代
小学4年生の時に、軟式少年野球チームで野手として野球を始めた。中学時代から投手として活躍し、高校進学に際しては浦和学院、春日部共栄など地元私学からの勧誘もある中、公立の鷲宮高校に進学。埼玉新聞や各スポーツ紙によると、鷲宮高校を志願した理由は、「公立高校の方が埼玉らしい」「公立の高校に入って私立の強豪校を倒したい」と述べている。また私立高校の勧誘そのものに疑問を投げかけたこともあった。
鷲宮高では1年生の秋からエースとなり、2年生で早くも140km/hを超える速球を投げ込んで注目を集めた。3年生の2006年夏の全国高等学校野球選手権埼玉大会では、5回戦の対市立浦和高校戦で15奪三振のノーヒットノーランを達成。決勝で強打の浦和学院を相手に力投したが、0対4で敗れ甲子園出場はならなかった。
サイドスロー気味のスリークォーターのフォームと、剛速球、埼玉の公立高出身という共通点から斎藤雅樹の再来ともいわれ、2006年の高校生ドラフトの目玉として連日報道された。ドラフト会議においては、東京ヤクルトスワローズと西武ライオンズから指名を受けた。抽選の結果、スワローズが交渉権を獲得。外れた西武は木村文和(埼玉栄高校)を指名した。木村と増渕は、県内で互いに意識していた存在で、ライバルとして名を挙げたこともある。
指名会見では「ヤクルト自体が好き」と喜びを表した。女手一つで育てた母は、ヤクルトの販売員として働いていた。増渕自身、インタビューでは母への感謝を口にしている。「運命を感じる」とも語っており、プロ入り前からヤクルトと縁のある選手である。また本来高校生が希望球団を口にすることは禁じられているが、ドラフト会議前の取材において、オフレコでスワローズ志望であることを明かしていた事が、指名後に報道されている。
高校時代は投球のほとんどがストレートでありながら、あまり打たれていなかった。球種は左打者用のシンカーと右打者用のスライダーという、外に逃げる球があった。しかし、それ程曲がりの鋭い球種が無く、内角を突く球も無いため、比較的一本調子になりがちな投球と、制球力が課題であった。
11月11日に推定契約金8000万、年俸800万円で仮契約し、スワローズに入団が決定した。背番号は増渕の生年にちなんだとも言われる、63に決定。仮契約後に五十嵐亮太を目標にあげ、「直球で真っ向勝負」したいと語っている。
新聞を通して『ハンカチ世代の雑草魂』と埼玉ファンから祝福された。
[編集] プロ入り後
期待を受けて一軍キャンプスタートとなった。練習試合では自己最速を上回る152km/hをマークし、着実に成長も見せた。オープン戦でも5試合で防御率1.29と好投し、開幕試合は登録の関係で二軍登録で迎えたものの、高卒ルーキーながら一軍に帯同し、開幕ローテーション入りを果たした。
4月7日対広島2回戦に先発し、プロ入り初登板。7回を投げ、打者26人に86球、被安打4(被本塁打1)、奪三振5、与四球1、失点1(自責点1)と素晴らしい投球を披露した。しかし4月15日、4月22日と連続してKOされ、早々に二軍降格。ファームでも暴投を記録するなど芳しくない状態で、検査の結果右肩の故障が判明。5月中旬から2週間ほどノースローで調整し、リハビリに時間を費やす事となった[1]。
シーズン終盤に再び1軍昇格すると、10月4日の対横浜戦で登板し、8回途中無失点で切り抜けプロ初勝利をあげた。ただこの試合は鈴木健の引退試合だったため、試合後のヒーローインタビューが行われなかった。さらにこの試合でラミレスが右打者でプロ野球史上初のシーズン200本安打を達成したため、翌日のスポーツ新聞でも大きく取り上げられることはなかった。
この年限りで引退した古田からは、ドラフト時に当たり籤を引いたこと、キャンプ時に「プロ投手の心得5カ条」を聞いたことの他、オフの引退時にも「今後も気になる存在」として名前をあげられるなど、何かと縁の多い関係となった。
契約更改では翌シーズンでの活躍が期待され、高津臣吾の背番号22を引き継いだ。
プロ入り前から課題としてあげられていたように、球種と制球に悩まされる一年目となり、オフには多投できるツーシームを習得しようとしている。
一軍キャンプスタートで、先発投手として期待をかけられた。オープン戦では好調を維持し、3月18日には自己最速タイの152km/hを記録している。初登板の4月2日に一軍登録され、5回3失点と苦しみながらも勝利で飾り、前年に続き開幕からローテーション入りした。
シーズン計11試合に先発し、そこそこの成績を残していたが、5月6日、6月2日に登録を抹消されるなど、一軍定着にはいたらなかった。5月26日の対東北楽天戦では、同期の田中将大との先発での投げ合いになったが、リック・ショートへの頭部死球が危険球と判断され、退場となる憂き目を見ている。7月27日に登録を抹消され、その後故障が判明し一軍に上がることができなかった。9月にはファームで復帰し、9月26日にはイースタン・リーグの優勝試合に登板している。
10月のフェニックス・リーグから、山部太の指導の下それまでのスリークォーターから肘を上げ、オーバースローにフォームを改造している[2]。
ファームでの練習中に打球を顎に当て、骨折。手術を受けることとなった。当初はシーズン中の復帰は絶望的とみられていたが順調に回復をみせ、夏場には2軍での登板ができるまでになった。オーバースローでの投球からスリークォーターに再び戻し、9月2日の阪神戦に先発するも、球速・球威ともに足りず7失点でKOされた。
140km/hそこそこに落ちてしまった速球も150km/hを記録するまで回復し、その球威を買われ中継ぎとして初の開幕1軍スタートとなった(厳密にはローテーションの関係で開幕に登録されていないだけで、開幕1軍帯同は過去2回している)。開幕からしばらくは主に敗戦処理やロングリリーフで登板し、5月13日のオリックス戦で打ち込まれるまで自責点0(失点3)と好調を維持し続けた。夏頃からは勝ち試合での救援登板も増え、6月にはそれまで勝利の方程式を担っていた押本健彦の不調に伴い、小川淳司監督代行から直々に新・勝利の方程式に指名された。夏場に一時離脱するも、57試合に登板し、チームに欠かせない戦力に成長した。
先発に再転向。チームが4試合連続白星なしという開幕の中で初登板をして8回無失点の好投を見せて3年ぶりの先発勝利を果たす。その後交流戦で大きく崩れるものの、前半戦で5勝をあげた。12月4日のファン感謝祭のドライチ四兄弟(2005年~2008年の4年間の高卒ドラフト1位選手陣)のトークショーで次男役として出演する際にスパイダーマンのマスクをかぶって出場。ファンから笑いの嵐を浴びた。
[編集] プレースタイル
高校時代や入団直後はサイドスロー気味のスリー・クォーターから繰り出す平均球速約140km/h[3]、最速152km/hのストレートが最大の武器。変化球は、ツーシーム、スライダー・シンカーを軸に、稀にカットボール、フォークなどを投げる。一応、カーブ、チェンジアップも持っている。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007 | ヤクルト | 6 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | .500 | 125 | 29.1 | 27 | 6 | 11 | 0 | 3 | 21 | 2 | 0 | 15 | 14 | 4.30 | 1.30 |
| 2008 | 12 | 11 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | 0 | .500 | 242 | 55.1 | 54 | 8 | 22 | 0 | 6 | 25 | 1 | 0 | 27 | 26 | 4.23 | 1.37 | |
| 2009 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 27 | 5.0 | 8 | 1 | 6 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | 7 | 7 | 12.60 | 2.80 | |
| 2010 | 57 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | 20 | .400 | 259 | 60.1 | 46 | 5 | 36 | 1 | 1 | 50 | 1 | 0 | 22 | 18 | 2.69 | 1.36 | |
| 2011 | 27 | 22 | 0 | 0 | 0 | 7 | 11 | 0 | 0 | .389 | 575 | 134.1 | 140 | 8 | 46 | 0 | 7 | 91 | 2 | 0 | 64 | 63 | 4.22 | 1.38 | |
| 通算:5年 | 103 | 39 | 0 | 0 | 0 | 13 | 19 | 0 | 21 | .406 | 1228 | 284.1 | 275 | 28 | 121 | 1 | 17 | 191 | 8 | 0 | 135 | 128 | 4.05 | 1.39 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 投手記録
- 初登板・初先発:2007年4月7日、対広島東洋カープ2回戦(明治神宮野球場)、7回4安打1失点
- 初奪三振:同上、1回表に東出輝裕から
- 初勝利・初先発勝利:2007年10月4日、対横浜ベイスターズ21回戦(明治神宮野球場)、7回無失点
- 初ホールド:2007年10月8日、対横浜ベイスターズ24回戦(横浜スタジアム)
- 打撃記録
- 初安打:2008年5月18日、対阪神タイガース9回戦(阪神甲子園球場)、2回表に杉山直久から中前安打
- 初打点:2011年7月3日、対広島東洋カープ8回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回表に中村恭平から押し出し四球
[編集] 背番号
- 63 (2007年)
- 22 (2008年 - )
[編集] 脚注
- ^ 2007年5月18日付け、東京ヤクルトスワローズ公式ホームページ「ファーム情報」による。
- ^ 2008年11月14日付け、東京ヤクルトスワローズ公式ホームページによる。
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、97頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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