アマラオ

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アマラオ Football pictogram.svg
名前
本名 ワグネル・ペレイラ・カルドーゾ
愛称 アマ、キング・オブ・トーキョー
ラテン文字 AMARAL
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 1966年10月16日(46歳)
出身地 サンパウロ州 ピラシカーバ英語版
身長 183cm
体重 76kg
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987
1988
1989-1991
1992
1992-2003
2004
2005-2007
2009
コメルシアル
カッピバリアーノ
イトゥアーノFC
SEパルメイラス
東京ガス/FC東京
湘南ベルマーレ
FCホリコシ/アルテ高崎
FC刈谷
(016)
(018)


292 (165)
19 (002)
28 (016)
監督歴
2006
2010
2011
アルテ高崎
FC刈谷
東京23FC
1. 国内リーグ戦に限る。2009年7月3日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

アマラオAmaral)こと、本名ワグネル・ペレイラ・カルドーゾ(Wagner Pereira Cardozo, 1966年10月16日-)は、ブラジルサンパウロ州出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW

Amaral(アマラオ)という愛称は、1970年代のブラジル代表ディフェンダーだったアマラウに由来する。日本では一般的にアマラと表記されるが、ブラジルポルトガル語の発音はアマラ(厳密にはアマラゥ)が近い。

目次

来歴 [編集]

1987年、サンパウロ州の3部に所属していたコメルシアルとプロ契約。カッピバリアーノ、イトゥアーノと移籍した後、1992年に当時SEパルメイラスの監督の任に就いていたネルシーニョにプレーを認められ[1]名門パルメイラスにレンタル移籍で加入。移籍初戦となったフルミネンセ戦でゴールを決める。

その直後、当時ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に所属していた東京ガスサッカー部から勧誘を受け、1992年5月13日に初来日[2]1994年には天皇杯上位進出、1998年には旧JFLでの優勝に貢献するなど活躍。この年の5月には東京ガスがサッカー部を翌1999年からプロクラブ化し、FC東京となる事も発表され、アマラオも引き続いてFC東京と契約しJ2リーグを戦う事となった。

1999年は一時怪我で戦線離脱したがJ2準優勝に貢献し、自身も来日9年目にしてようやく日本のトップカテゴリー・J1の檜舞台に立つことになった。

2000年のシーズン終盤には、翌年からの横浜F・マリノスへの移籍話が実現しそうになったこともあったが、結局2003年シーズン終了までの4シーズンの間、FC東京でJ1を舞台に戦った。しかしチームが若返りを図る一方で本人は現役続行を希望し、2003年シーズン終了後に退団することとなった。この際、クラブのホームスタジアムがあり、本人も当時居住していた調布市から感謝状が送られ、市役所にてセレモニーが執り行われている。

2004年からJ2の湘南ベルマーレに完全移籍したが、故障がちで目立った活躍をすることなく、2005年には日本フットボールリーグ(JFL)のFCホリコシ(現・アルテ高崎)に完全移籍、同年のJFL後期第9節三菱水島FC戦でJFL史上初の1試合5得点を記録している。2006年8月にはチーム事情もあり、シーズン途中から選手を兼ねながら監督を経験している。2007年は新監督を迎えた為、選手として契約を更新していたが、長年悩まされていた膝のケガの回復状態が思わしくなく、同年4月に現役引退を表明。この際、今後は日本で指導者ライセンスの獲得を目指し、将来はJリーグのクラブで監督を務めたいとコメントしている。

同年5月より、ハロー!プロジェクトのメンバーで構成されているフットサルチーム「Gatas Brilhantes H.P.」のコーチに就任。また、外国籍プレイヤーとして初のJFAアンバサダーにも任命された[注 1]。同年6月より2008年12月まで東京中日スポーツ(同紙はFC東京を応援)にコラム「King of Talk」を連載していた。

2008年10月には、アマラオのドキュメンタリー映画『KING OF TOKYO O FILME(キング・オブ・トーキョー・オ・フィウミ)』が公開された。

2009年4月1日、東京ガスFC時代の同僚である浮氣哲郎が監督を務めるFC刈谷のコーチに就任する事が発表された。同年7月3日、アマラオ自身が選手と同じ視点で指導したいとの考えから、FC刈谷のコーチ兼任での選手登録がされた。これにより2年ぶりに現役復帰したことになり、浮氣監督より年上の選手となった。シーズン終了後、2010年シーズンからの監督専任が発表された[3]2010年東海社会人リーグ1部2位で終わり、JFL復帰を逃した。翌シーズンの運営費削減に伴い、同年11月24日、プロ契約監督だったアマラオの退任が発表された[4]

2011年より、株式会社ファンルーツ所属のコーチングスタッフとして東京23FC監督、FCトレーロスファンルーツアカデミーコーチに就任。東京23FC監督としては、東京都リーグ1部優勝、第47回全国社会人サッカー選手権大会優勝に導いたが、同年12月31日付で東京23FC監督を退任、帰国した[5]

評価 [編集]

FC東京のサポーターからは、キング・オブ・トーキョーの名で愛され[注 2]、今なお味の素スタジアムでFC東京が試合をする際には、KING AMARAL STUDIUMの巨大な横断幕がゴール裏に掲げられる。

1992年から2003年シーズン終了までに記録された、東京ガス-FC東京における公式戦出場数330は、日本のクラブチームに所属した外国籍選手の「同一クラブにおける出場試合数」としては最多である(ただしクラブのJリーグ加盟が1999年からなので、Jリーグの公式記録としては1998年以前の記録はカウントされていない)。

エピソード [編集]

  • 日本での生活も長いため、日本語もかなり流暢に話すことができる。ひらがなカタカナであれば読む事も支障は少ない。現役引退後日本でサッカー指導者になりたいとの希望からさらに日本語を勉強する事を希望し、公文式の国語の授業を日本の中学生のクラスに混じり勉強した[6]。ブログも日本語で書いている。
  • 来日直後からラモス瑠偉との親交が深い。当初、ブラジルとは全く違う日本の環境や食事に馴染めずホームシックになりブラジルに帰りたがったアマラオを、東京のディスコやブラジル料理の食べられる店などに外食に連れて行き元気付けるなど、ブラジル出身の先輩として大きな支えとなった[7]。2008年に行われたアマラオ引退試合にも参加した。
  • 来日当初は日本食で口に合うものがなく、「近所にあったそば屋で毎日蕎麦ばかり食べていた」(アマラオ談)。その後好き嫌いはほとんど無くなったが、魚介類は嫌いで自ら口に運ぶ事はない[8]

所属クラブ [編集]

ユース経歴
  • 1977年 ブラジルの旗 AAポンチ・プレッタジュニア
  • 1984年-1986年 ブラジルの旗 パルメイリーニャ (SEパルメイラスのユース)
  • 1987年 ブラジルの旗 カッピバリアーノユース
プロ経歴

個人成績 [編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1987 コメルシアル サンパウロ州3部 16
1988 カッピバリアーノ サンパウロ州2部A 18
1989 イトゥアーノ
1990 (pt サンパウロ州1部
1991 (pt
1992 (pt パルメイラス
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1992 東京ガス 11 旧JFL1部 16 7 - - 16 7
1993 17 8 - - 17 8
1994 旧JFL 30 20 - 3 1 33 21
1995 28 16 - 1 0 29 16
1996 25 17 - 3 5 28 22
1997 25 18 - 0 0 25 18
1998 24 15 - 3 2 27 17
1999 FC東京 J2 26 15 8 2 3 2 37 19
2000 J1 22 13 2 0 1 0 25 13
2001 25 17 2 0 0 0 27 17
2002 29 15 6 1 0 0 35 16
2003 25 4 6 3 2 0 33 7
2004 湘南 12 J2 19 2 - 2 0 21 2
2005 ホリコシ 7 JFL 24 15 - 2 3 26 18
2006 高崎 11 4 1 - 0 0 4 1
2007 0 0 - - 0 0
2009 刈谷 28 - 1 0
通算 ブラジル
日本 J1 101 49 16 4 3 0 120 53
日本 J2 45 17 8 2 5 2 58 21
日本 JFL 28 16 - 2 3 30 19
日本 旧JFL1部 165 101 - 10 8 175 109
総通算

ハットトリック [編集]

指導歴 [編集]

監督成績 [編集]

年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦 備考
順位 試合 勝点 リーグ杯 天皇杯
2006 JFL アルテ高崎 10位 - 2回戦 8月より (順位は最終順位)
2010 東海1部 FC刈谷 2位 16 35 10 5 1 - -
2011 東京都1部 東京23FC 1位 14 40 13 1 0 - -

関連項目 [編集]

タイトル [編集]

選手
監督

脚注 [編集]

注釈
  1. ^ アマラオ以降、外国籍者へのアンバサダー認定は行われず、制度自体も2010年4月に廃止されたため、アマラオが唯一の外国籍アンバサダーとなった。
  2. ^ この呼び名のきっかけは、1997年JFL第21節川崎フロンターレ戦に遡る。アマラオはこの試合で4得点を挙げた。
出典
  1. ^ FC東京ファンブック2000 75頁
  2. ^ FC東京ファンブック2000 72頁
  3. ^ アマラオ新監督就任のお知らせ FC刈谷 ニュースリリース 2009年12月20日付
  4. ^ アマラオ監督退任のお知らせ FC刈谷 ニュースリリース 2010年11月24日付
  5. ^ アマラオ監督退任のお知らせ 東京23FC ニュースリリース 2011年12月29日付
  6. ^ 東京MXTV FC東京vs横浜Fマリノス戦副音声インタビュー 2007年10月6日
  7. ^ 串田杢弥『KING OF TOKYO アマラオ』ゴマブックス、2008年、50-58頁
  8. ^ 週刊サッカーダイジェスト 2003年3月25日号 99頁

外部リンク [編集]