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{{by|2017年}}キャンプ中に[[椎間板ヘルニア]]を発症。リハビリを続けてきたが、症状が悪化したために8月に手術を受けた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/08/17/kiji/20170817s00001173256000c.html ヤクルト川端 今月中に腰を手術へ 今季中の復帰断念]スポニチ 2017年8月17日掲載</ref>。そのため一軍出場はなかった。
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{{by|2018年}}、OBの[[真中満]]は、「6番・川端」の完全復活にヤクルト打線そのものの完成にかかっていると論評していた<ref name="besuma">ベースボール・マガジン社『週刊ベースボール』2018年10月1日号 p.25.</ref>。シーズンでは「5番・三塁手」として開幕スタメンを果たし、開幕戦で2年ぶりの本塁打を放った<ref>{{Cite web|title=ヤクルト・川端が三回に1号2ラン「前の打席にチャンスで打てなかったので…」|url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20180330/swa18033019590009-n1.html|website=SANSPO.COM|date=2018-03-30|accessdate=2020-04-29|language=ja-JP}}</ref>。次カードの4月3日の広島戦では[[今村猛]]から頭部死球を受けるアクシデントに見舞われ<ref>{{Cite web|title=ヤクルト・川端、頭部死球で途中交代…検査結果は異常なし|url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20180404/swa18040405010001-n1.html|website=SANSPO.COM|date=2018-04-04|accessdate=2020-04-29|language=ja-JP}}</ref>、[[脳震盪]]特例措置で4日に登録抹消となる<ref>{{Cite web|title=燕・川端、脳振とう特例措置で抹消 10日間待たず再登録可|url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20180405/swa18040505010003-n1.html|website=SANSPO.COM|date=2018-04-05|accessdate=2020-04-29|language=ja-JP}}</ref>。その後復帰するも打撃不振に陥り二軍で再調整のため再び登録抹消となった。6月6日に一軍復帰すると調子を取り戻し<ref>{{Cite web|title=【セ・リーグ公示】6月6日 中日・小笠原が登録|url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20180606/npb18060616380006-n1.html|website=SANSPO.COM|date=2018-06-06|accessdate=2020-04-29|language=ja-JP}}</ref>、打順は主に6番や7番で三塁手として出場。7月21日の中日戦では、9回裏に[[鈴木博志]]から自身初のサヨナラ本塁打を放った<ref>{{Cite web|title=川端、プロ初サヨナラ弾!連夜のV撃でヤクルト3位導いた|url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20180722/swa18072205060002-n1.html|website=SANSPO.COM(サンスポ)|date=2018-07-22|accessdate=2020-04-29|language=ja-JP}}</ref>。また8月14日の巨人戦では9回裏に[[サムエル・アダメス|アダメス]]から逆転サヨナラ打を放った<ref>{{Cite web|title=【試合結果】ヤクルト・川端が劇的サヨナラ逆転二塁打 巨人撃破で2位浮上|url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20180814/npb18081418250008-n1.html|website=SANSPO.COM(サンスポ)|date=2018-08-14|accessdate=2020-04-29|language=ja-JP}}</ref>。最終的に97試合に出場し、規定打席に届かず打率.259と完全復活とはなかったが、要所で勝負強さを見せた。
{{by|2018年}}、OBの[[真中満]]は、「6番・川端」の完全復活にヤクルト打線そのものの完成にかかっていると論評していた<ref name="besuma">ベースボール・マガジン社『週刊ベースボール』2018年10月1日号 p.25.</ref>。シーズンでは「5番・三塁手」として開幕スタメンを果たし、開幕戦で2年ぶりの本塁打を放った<ref>{{Cite web|title=ヤクルト・川端が三回に1号2ラン「前の打席にチャンスで打てなかったので…」|url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20180330/swa18033019590009-n1.html|website=SANSPO.COM|date=2018-03-30|accessdate=2020-04-29|language=ja-JP}}</ref>。次カードの4月3日の広島戦では[[今村猛]]から頭部死球を受けるアクシデントに見舞われ<ref>{{Cite web|title=ヤクルト・川端、頭部死球で途中交代…検査結果は異常なし|url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20180404/swa18040405010001-n1.html|website=SANSPO.COM|date=2018-04-04|accessdate=2020-04-29|language=ja-JP}}</ref>、[[脳震盪]]特例措置で4日に登録抹消となる<ref>{{Cite web|title=燕・川端、脳振とう特例措置で抹消 10日間待たず再登録可|url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20180405/swa18040505010003-n1.html|website=SANSPO.COM|date=2018-04-05|accessdate=2020-04-29|language=ja-JP}}</ref>。その後復帰するも打撃不振に陥り二軍で再調整のため再び登録抹消となった。6月6日に一軍復帰すると調子を取り戻し<ref>{{Cite web|title=【セ・リーグ公示】6月6日 中日・小笠原が登録|url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20180606/npb18060616380006-n1.html|website=SANSPO.COM|date=2018-06-06|accessdate=2020-04-29|language=ja-JP}}</ref>、打順は主に6番や7番で三塁手として出場。7月21日の中日戦では、9回裏に[[鈴木博志]]から自身初のサヨナラ本塁打を放った<ref>{{Cite web|title=川端、プロ初サヨナラ弾!連夜のV撃でヤクルト3位導いた|url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20180722/swa18072205060002-n1.html|website=SANSPO.COM(サンスポ)|date=2018-07-22|accessdate=2020-04-29|language=ja-JP}}</ref>。また8月14日の巨人戦では9回裏に[[サムエル・アダメス|アダメス]]から逆転サヨナラ打を放った<ref>{{Cite web|title=【試合結果】ヤクルト・川端が劇的サヨナラ逆転二塁打 巨人撃破で2位浮上|url=https://www.sanspo.com/baseball/news/20180814/npb18081418250008-n1.html|website=SANSPO.COM(サンスポ)|date=2018-08-14|accessdate=2020-04-29|language=ja-JP}}</ref>。最終的に97試合に出場し、規定打席に届かず打率.259と完全復活とはならなかったが、要所で勝負強さを見せた。


{{by|2019年}}は、開幕一軍とはならなかった。4月19日に一軍に昇格すると、翌20日の中日戦では6回に[[村上宗隆]]の代打で出場し、[[柳裕也]]から適時打を放って通算1000本安打を達成した<ref>{{Cite web|title=ヤクルト川端“らしい”1000安打、妹復帰で決意 - プロ野球 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201904200000969.html|website=nikkansports.com|accessdate=2020-04-29|language=ja}}</ref>。また9月4日の広島戦では、6回に代打で出場して通算1000試合出場を達成した<ref>{{Cite web|title=ヤクルト川端通算1000試合出場、史上504人目 - プロ野球 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201909040000798.html|website=nikkansports.com|accessdate=2020-04-29|language=ja}}</ref>。しかし腰の状態が上向かずシーズン通じて不振で、37試合の出場で打率.164に終わった。年俸は1億円減で4000万円となった<ref>{{Cite web|title=ヤクルト・川端が1億円の大幅ダウン 腰の状態上向かず「きつかった」|url=https://www.daily.co.jp/baseball/2019/12/20/0012975598.shtml?pg=amp|website=www.daily.co.jp|accessdate=2020-01-02}}</ref><ref>{{Cite web|title=ヤクルト・小川、単年選択で9000万円 川端は1億円減の4000万円 - SANSPO.COM(サンスポ)|url=https://www.sanspo.com/baseball/amp/20191220/swa19122018410003-a.html|website=www.sanspo.com|accessdate=2020-01-02}}</ref>。
{{by|2019年}}は、開幕一軍とはならなかった。4月19日に一軍に昇格すると、翌20日の中日戦では6回に[[村上宗隆]]の代打で出場し、[[柳裕也]]から適時打を放って通算1000本安打を達成した<ref>{{Cite web|title=ヤクルト川端“らしい”1000安打、妹復帰で決意 - プロ野球 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201904200000969.html|website=nikkansports.com|accessdate=2020-04-29|language=ja}}</ref>。また9月4日の広島戦では、6回に代打で出場して通算1000試合出場を達成した<ref>{{Cite web|title=ヤクルト川端通算1000試合出場、史上504人目 - プロ野球 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201909040000798.html|website=nikkansports.com|accessdate=2020-04-29|language=ja}}</ref>。しかし腰の状態が上向かずシーズン通じて不振で、37試合の出場で打率.164に終わった。年俸は1億円減で4000万円となった<ref>{{Cite web|title=ヤクルト・川端が1億円の大幅ダウン 腰の状態上向かず「きつかった」|url=https://www.daily.co.jp/baseball/2019/12/20/0012975598.shtml?pg=amp|website=www.daily.co.jp|accessdate=2020-01-02}}</ref><ref>{{Cite web|title=ヤクルト・小川、単年選択で9000万円 川端は1億円減の4000万円 - SANSPO.COM(サンスポ)|url=https://www.sanspo.com/baseball/amp/20191220/swa19122018410003-a.html|website=www.sanspo.com|accessdate=2020-01-02}}</ref>。

2020年7月8日 (水) 13:01時点における版

川端 慎吾
東京ヤクルトスワローズ #5
2012年8月17日、明治神宮野球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府貝塚市
生年月日 (1987-10-16) 1987年10月16日(36歳)
身長
体重
185 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 三塁手遊撃手一塁手
プロ入り 2005年 高校生ドラフト3巡目
初出場 2006年10月9日
年俸 4,000万円(2020年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本代表
プレミア12 2015年
獲得メダル
日本の旗 日本
WBSCプレミア12
2015 野球
守備練習をする川端(2011年2月6日)

川端 慎吾(かわばた しんご、1987年10月16日 - )は、大阪府貝塚市出身のプロ野球選手内野手)。右投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。

実妹は日本女子プロ野球機構埼玉アストライアなどに所属していた女子野球選手・指導者の川端友紀[2]

来歴・人物

プロ入り前

小学校2年生で、貝塚リトルで投手遊撃手として野球を始める。貝塚三中時代は投手として活躍。 市立和歌山商高進学後、本格的に遊撃手としてプレーを始める。

2004年の夏の甲子園に出場し、2回戦で聖光学院に敗れる。川端は2試合で8打数3安打だった。

2005年の春のセンバツでは、2回戦で準優勝の神村学園と対戦し敗退。川端はエース野上亮磨のストレートを弾き返し、逆風の中本塁打を放っている。夏の県大会は準決勝で敗退。その後第6回AAAアジア野球選手権大会の選抜メンバーに選出。打率.462でベストナインを受賞する活躍を見せた。高校通算33本塁打

2005年高校生ドラフト会議3巡目で東京ヤクルトスワローズに指名され、推定契約金4500万円、年俸480万円で入団した。

ヤクルト時代

2006年に一軍キャンプスタート。開幕一軍は逃したが、二軍では高卒新人としては珍しい79試合に出場。10月9日の対中日ドラゴンズ戦で一軍初出場(2打数無安打)、10月10日の対広島東洋カープ戦の第2打席で公式戦初安打・マルチヒットと共に、プロ初打点を記録し、プロ2試合目で早くもお立ち台に上った。球団史上、ドラフト会議を経た高卒1年目の野手が一軍の試合に出場したのは、1987年に1試合出場した土橋勝征以来、約20年ぶり。それ以前には1984年池山隆寛が10試合に出場している。ただし、土橋、池山共に、1年目は安打は記録していない。高卒1年目の野手の安打は、1968年奥宮種男まで遡る。

2007年は、一軍と二軍を行き来する中、8月22日の試合で左手の薬指骨折し、そのリハビリで残りのシーズンの出場はできず、10月中旬のフェニックス・リーグで実戦に復帰した。

2008年に初めて開幕を一軍で迎える。10月7日の中日戦では第1打席で小笠原孝からプロ初本塁打を記録した。

2009年も5月に一軍昇格。その後は主に左の代打として出場したものの、8月23日の練習中にまたも右肩痛を発症し、登録抹消。以降は一軍での出場はなかった。

2012年5月1日、横浜スタジアム

2010年、阪神から藤本敦士が加入。遊撃手のポジションを鬼崎裕司、新人の荒木貴裕らと争う。開幕当初は藤本が固定される形で起用されたが、不調から二軍落ち。その後は鬼崎が守備力を生かして台頭したが、打撃に難があったため、7月頃から川端が遊撃手のレギュラーとして起用されるようになった。その後、シーズン終了まで遊撃手のポジションを守り続け、8番打者としてチームの後半戦の躍進にも貢献した。なお、守備力は鬼崎の方が買われていたため、試合終盤は守備固めとして鬼崎が遊撃手に入り、三塁手へ回される機会も多かった。この飛躍にはシーズン中盤に監督の高田繁の休養(事実上の引責辞任)により監督代行に就任した小川淳司の引き立てによるところも大きい。小川は入団当時の二軍監督で、初年度から二軍で積極的に起用された。

2011年、開幕戦で最有力ライバルだった川島慶三東野峻に死球を受けて骨折したことから、スタメン遊撃手に定着し、シーズン中盤までは7番を任される。6番・宮本、7番・川端、8番・相川で「恐怖の下位打線」を形成。クリンナップが不振でも得点源として機能する。しかし、ジョシュ・ホワイトセル飯原誉士の絶不振や故障によりシーズン中盤からは3番打者として起用される。新打順も無難にこなし、9月末には2割9分台まで打率を上げた。その後不振に陥り、10月19日に左手首痛で登録を抹消された。病院での検査の結果、「左手のTFCC(三角線維軟骨複合体)損傷」で全治6週間と診断(9月14日の広島戦でスライディングした際に左手を地面に強打したのが原因とされる)され、シーズン2位で進出が決定していたクライマックスシリーズに出場出来ず[3]。同じく戦線離脱を余儀なくされた由規久古健太郎七條祐樹らとスタンド観戦する結果になった。シーズンとしては規定打席に初めて到達した。

2012年、開幕から主に3番、5番に座り、シーズン最終試合で打率3割に挑むも、惜しくも届かなかった。その後のCSでは無安打に終わり、シーズンを終えた。最終成績は打率.298、4本塁打、49打点と前年を超える成績を残した。また、本来の遊撃手だけではなく、宮本慎也の休養日には三塁手として40試合以上守った。さらにシーズン終盤からは一塁手畠山和洋の怪我により一塁を守る機会もあった。

2013年4月22日に左足首関節の手術を受け、実戦復帰まで2か月の見通しと発表した[4]。 7月9日に復帰してからは、調整不足の影響からか中々状態が上がらなかったが、8月から徐々に調子を上げ最終的に70試合に出場、規定打席未到達ながら打率.311を記録、本塁打も規定打席の半分程の打席数で過去最高の5本塁打を放った。また9月には自身初となる月間MVPを獲得した。同年オフの11月には台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された[5]

2014年に三塁手などとして自己最多の142試合に出場し、最多安打を獲得した山田哲人らとともに打線の核弾頭として活躍した。3番での出場が多かったが、攻撃型打線を組む時は2番に起用される時もあった。打撃面では規定打席に到達して打率3割以上を達成したが、守備面では守備率.957で14失策を喫した[6]。またシーズン中の6月22日にタレントの水野今日香と結婚していたことがシーズン後に明らかになった[7]。挙式は優勝旅行のために1年延期となり、2016年オフに執り行われた[8]

2015年7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出された事が発表された[9]。9月10日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出された事が発表された[10]。シーズンでは、真中満新監督のバントを減らし繋ぐという構想の下2番で開幕スタメンを果たす。その後チーム事情もあり長らく3番を勤めたが、オールスター明けに一気に状態を上げた山田哲人が3番に回ると2番に完全固定され、リーグトップの195安打を記録し、山田との争いを制し打率.336で首位打者を獲得するなどチームの優勝に貢献した。オフの10月9日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出された事が発表された[11]。オフの12月14日には東京都港区の球団事務所で契約更改を行い、今季年俸約8500万円から大幅アップとなる約1億6000万円で4年の大型複数年契約を結んだ。翌2016年からは森岡良介から引き継ぎ新選手会長に就任し、チームリーダーとしての期待も高まる[12]。「他球団に行こうと思わない。できればずっとヤクルトで野球をやりたい」と球団への愛着を語った[13]

2016年開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出されたことが発表された[14]。しかし3月2日にインフルエンザのため辞退したことが発表された[15]。開幕後の7月18日のDeNA戦で自打球が足に当たり途中交代。骨折と診断され、19日に出場登録を抹消された[16]。9月6日に一軍復帰し、最終的な成績は前年を大きく下回ったが、3年連続の3割はキープした。

2017年キャンプ中に椎間板ヘルニアを発症。リハビリを続けてきたが、症状が悪化したために8月に手術を受けた[17]。そのため一軍出場はなかった。

2018年、OBの真中満は、「6番・川端」の完全復活にヤクルト打線そのものの完成にかかっていると論評していた[18]。シーズンでは「5番・三塁手」として開幕スタメンを果たし、開幕戦で2年ぶりの本塁打を放った[19]。次カードの4月3日の広島戦では今村猛から頭部死球を受けるアクシデントに見舞われ[20]脳震盪特例措置で4日に登録抹消となる[21]。その後復帰するも打撃不振に陥り二軍で再調整のため再び登録抹消となった。6月6日に一軍復帰すると調子を取り戻し[22]、打順は主に6番や7番で三塁手として出場。7月21日の中日戦では、9回裏に鈴木博志から自身初のサヨナラ本塁打を放った[23]。また8月14日の巨人戦では9回裏にアダメスから逆転サヨナラ打を放った[24]。最終的に97試合に出場し、規定打席に届かず打率.259と完全復活とはならなかったが、要所で勝負強さを見せた。

2019年は、開幕一軍とはならなかった。4月19日に一軍に昇格すると、翌20日の中日戦では6回に村上宗隆の代打で出場し、柳裕也から適時打を放って通算1000本安打を達成した[25]。また9月4日の広島戦では、6回に代打で出場して通算1000試合出場を達成した[26]。しかし腰の状態が上向かずシーズン通じて不振で、37試合の出場で打率.164に終わった。年俸は1億円減で4000万円となった[27][28]


詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2006 ヤクルト 6 23 21 2 4 0 0 0 4 1 0 0 1 0 1 0 0 8 0 .190 .227 .190 .418
2007 9 13 10 1 1 1 0 0 2 1 0 0 2 0 1 0 0 6 0 .100 .182 .200 .382
2008 65 115 104 11 27 4 0 1 34 9 2 0 6 0 5 0 0 20 1 .260 .294 .327 .621
2009 30 42 37 2 10 0 0 0 10 0 0 0 2 0 3 0 0 6 2 .270 .325 .270 .595
2010 59 214 188 22 56 12 1 1 73 21 0 0 6 3 16 3 1 21 7 .298 .351 .388 .739
2011 117 457 399 48 107 20 3 4 145 46 0 0 15 3 40 2 0 51 5 .268 .333 .363 .696
2012 125 507 453 52 135 15 5 4 172 49 3 2 13 4 35 0 2 56 7 .298 .348 .380 .728
2013 70 312 267 36 83 7 2 5 109 37 2 2 7 1 37 1 0 28 6 .311 .393 .408 .802
2014 142 637 580 86 177 33 2 10 244 69 2 2 8 3 43 1 3 62 10 .305 .355 .421 .775
2015 143 632 581 87 195 34 1 8 255 57 4 3 2 2 43 0 3 72 15 .336 .383 .439 .822
2016 103 458 420 48 127 22 1 1 154 32 3 0 1 2 34 0 1 31 13 .302 .354 .367 .721
2018 97 334 297 22 77 9 1 3 97 31 1 0 1 1 32 2 3 37 11 .259 .336 .327 .663
2019 37 67 61 5 10 1 0 0 11 7 0 0 0 1 5 0 0 8 2 .164 .224 .180 .404
NPB:13年 1003 3811 3418 422 1009 158 16 37 1310 360 17 9 64 20 295 9 13 406 79 .295 .352 .383 .735
  • 2019年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績


一塁 二塁 三塁 遊撃
















































2006 - 5 2 8 0 1 1.000 - 6 8 14 0 3 1.000
2007 - 3 3 3 0 0 1.000 2 0 1 0 0 1.000 5 0 4 0 0 1.000
2008 - - 27 9 33 1 3 .977 28 18 48 2 9 .971
2009 - 2 2 3 0 0 1.000 6 2 2 1 1 .800 4 6 6 0 3 1.000
2010 - 1 12 0 0 1 1.000 19 5 8 0 2 1.000 54 77 127 4 30 .981
2011 - 1 3 4 0 1 1.000 9 2 7 0 0 1.000 111 174 301 4 70 .992
2012 7 36 2 1 6 .974 - 44 43 72 3 4 .975 83 122 254 3 44 .992
2013 6 13 1 0 0 1.000 - 67 43 108 1 12 .993 3 2 4 1 1 .857
2014 8 34 4 0 5 1.000 - 138 86 225 14 25 .957 -
2015 1 2 0 0 0 1.000 - 143 88 230 10 27 .970 -
2016 3 16 2 0 1 1.000 - 101 81 152 5 14 .979 -
2018 30 127 13 0 10 1.000 - 67 32 108 4 3 .972 -
2019 13 70 2 2 5 .973 - 3 0 8 0 0 1.000 -
通算 68 298 24 3 27 .991 12 22 18 0 3 1.000 626 391 954 39 91 .972 294 407 758 14 160 .988
  • 2019年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 1000本安打:2019年4月20日、対中日ドラゴンズ5回戦(ナゴヤドーム)、6回表に柳裕也から左前適時打 ※史上294人目
  • 1000試合出場:2019年9月4日、対広島東洋カープ22回戦(明治神宮野球場)、6回裏に大下佑馬の代打で出場 ※史上504人目
その他の記録
  • 連続試合猛打賞:4(2014年7月30日 - 8月8日)※球団記録
  • オールスターゲーム出場:2回(2015年、2016年)

背番号

打席登場曲

代表歴

脚注

注釈

  1. ^ 『ミスタースワローズ』の象徴である背番号1をつけていない時期の池山隆寛がつけていた番号(84〜91、00〜02)。池山と同じ遊撃手・三塁手のレギュラー候補かつ、打撃力を高く評価されるクリーンナップ候補でもあり、球団側の期待が窺われる。前述の通り池山同様に入団初年度に高卒新人野手ながら一軍試合出場を果たしている。2012年ドラフト1位入団の川上竜平に受け継がれた。
  2. ^ 引退したアーロン・ガイエルから受け継ぐ。それ以前は角富士夫土橋勝征といったチームの“名脇役”がつけた背番号。

出典

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  14. ^ 3月開催の侍ジャパン強化試合、出場26選手発表! 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2016年2月15日) 2016年2月17日閲覧
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  23. ^ 川端、プロ初サヨナラ弾!連夜のV撃でヤクルト3位導いた”. SANSPO.COM(サンスポ) (2018年7月22日). 2020年4月29日閲覧。
  24. ^ 【試合結果】ヤクルト・川端が劇的サヨナラ逆転二塁打 巨人撃破で2位浮上”. SANSPO.COM(サンスポ) (2018年8月14日). 2020年4月29日閲覧。
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  27. ^ ヤクルト・川端が1億円の大幅ダウン 腰の状態上向かず「きつかった」”. www.daily.co.jp. 2020年1月2日閲覧。
  28. ^ ヤクルト・小川、単年選択で9000万円 川端は1億円減の4000万円 - SANSPO.COM(サンスポ)”. www.sanspo.com. 2020年1月2日閲覧。

関連項目

外部リンク