「神社建築」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
MerlIwBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: id:Arsitektur kuil Shinto
MerlIwBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: fr:Architecture shinto
201行目: 201行目:
[[cs:Honden]]
[[cs:Honden]]
[[en:Shinto architecture]]
[[en:Shinto architecture]]
[[fr:Architecture shinto]]
[[id:Arsitektur kuil Shinto]]
[[id:Arsitektur kuil Shinto]]
[[it:Honden]]
[[it:Honden]]

2012年7月24日 (火) 00:24時点における版

建築 > 日本の建築、日本の文化に由来する建築 > 神社建築
宇治上神社本殿覆屋(国宝世界遺産)。五間社流造。康平3年(1060年)頃建立の現存最古の神社建築(京都府宇治市

神社建築(じんじゃけんちく)は、神社建築社殿建築(しゃでんけんちく)ともいう。

概要

大社造 出雲大社本殿(国宝)(島根県出雲市)
神明造 伊勢神宮の御稲御倉(内宮(皇大神宮)所管社)(三重県伊勢市)

今日一般的に見られる神社建築は本殿幣殿拝殿が中心である。神社を訪れると、本殿の手前に礼拝用の建物である拝殿が建っており、賽銭箱が置いてある。拝殿は参拝者が祈祷などを受ける場所になっていることもある。

拝殿の奥の方に御神体を収める本殿がある。本殿は奥にあるため、一般の参拝者は拝殿を中心的建物と考えがちである。本殿は流造春日造が一般的で、小型の本殿では、風雨から守るために覆屋をかける場合もある。 拝殿と本殿をつなぐ部分に幣殿が造られることも多く、これらを一続きに建てる場合も少なくない。建物の横に回ってみると、拝殿の奥に幣殿や本殿を確認することができる。

本殿は神がいるとされる神聖な場所であるため、瑞垣などで囲われたり、覆屋が造られ、普段は見ることができなくなっていることも多い。一部の神社では山や岩を神体として崇め、本殿を持たずに神体を直接拝むための拝殿のみが建てられているところもある(大神神社金鑚神社など)。本来は社殿を持たない神社が古風な形式であったと考えられる。

神社建築は寺院建築の影響のもとで発生し、日本の上古の建築を復古的に採用し、仏教建築のデザインを意識的に排除しつつ成立したと考えられる。神社建築の特徴の一つとしては、その様式の尊重がある。神社建築は、一宮などの各有力神社において固有の様式を採っているので、各神社で固有の伝統的な様式を保っている。そのため、神社建築の様式を解明することは、その神社の祭神の性格を知る上で重要な手がかりの一つとなる。後にできた神社においても、建立当初の様式を保つものが多い。

本殿

本殿(ほんでん)は、神霊を宿した神体を安置する社殿のことで、神殿(しんでん)ともいう。本殿は人が内部に入ることを前提としていないため、拝殿より小さいことが多い。古くは1宇の本殿に1柱の神が祀られたが、現在では1宇の本殿に複数の神が祀られることも多い。内部には神体(鏡など)がおさめられる。内陣と外陣に分かれている場合は内陣に神体が納められ、外陣は献饌奉幣の場として使われる。

拝殿

拝殿(はいでん)は、祭祀・拝礼を行なうための社殿で、祭祀の時に神職などが着座するところでもあり、吹き抜けとされる場合が多い。通常、神社を訪れた際に見るのはこの拝殿で、一般の参拝は拝殿の手前で拍手を打って行なうが、祈祷などのため拝殿に昇る(昇殿)こともある。一般に本殿よりも大きく建てられ、床を張るのが一般的であるが、中央が土間となっており、通り抜けることができる「割拝殿」(国宝となっている桜井神社のものが著名)もある。舞殿、神楽殿、社務所などを兼ねていることもある。

神社によっては拝殿を持たないところ(春日大社伊勢神宮など)や、2つ持つところ(伏見稲荷大社明治神宮など)もある。2つある場合は、手前を外拝殿(げはいでん)と呼び、奥のものを内拝殿(ないはいでん)と呼ぶ。(鈴の緒)や鰐口がある場合もある。

幣殿

幣殿(へいでん)は、祭儀を行い、幣帛を奉る社殿である。独立していることもあるが、拝殿と一体になっていることが多い。幣殿を持たない神社もある。

その他

このほか、楼門(神門)や鳥居、神楽殿(舞殿)、手水鉢、社務所などが神社建築に含まれる。

神社建築(本殿)の特徴

神社建築(本殿)の特徴として以下の点が指摘されている。

  1. 屋根に妻を持つこと
  2. 床を高く張ること
  3. 瓦を用いないこと
  4. 土壁を用いないこと
  5. 装飾の質素なこと

まず「屋根に妻を持つこと」についてだが、これは神社建築の屋根はほとんどが切妻造で、一部に入母屋造が見られる。入母屋造は仏教建築に由来する様式であるが、入母屋造が神社建築に採用されたことに付いて、仏教建築からの一方的な影響のみがあったのではなく、神社建築としての価値観に基づいて、受身的ではなく主体的に採用したことが、同じ仏教建築の様式であるが妻のない寄棟造宝形造を採用しなかったことから分かる。

妻が神社建築においてどのような意味を持つのかははっきりしないが、信仰上の重要な要素であったことは間違いないらしい。例えば、伊勢神宮正殿において妻の部分の金具が特別視され、式年遷宮の際にそれを装着する儀礼が秘伝とされていたことや、流造の社殿を横にいくつも連結した社殿において、ひとつの社殿ごとに正面に千鳥破風(妻)が設けられて、ひとつひとつの社殿が分かるようにしていることからも分かる。

床を高く張ることについては、本来、土間を基本とする寺院建築と対照的である(奈良時代の仏堂や禅宗様の建物は中国の建築と同様に床を張らない)。

瓦を用いないことについては、明らかに瓦葺きの仏教建築との差異を意識し、もしくは仏教建築を忌避したものであるといえる。神社の屋根は基本的に植物材で葺くが(檜皮葺杮葺)、近世になると銅板葺も用いられるようになった。ただし例外的に、本殿に瓦葺を用いる場合もなくはない(たとえば、沖縄の神社は伝統的な赤瓦を用いる)。土壁を用いないことについても同様である。

装飾が質素なことは、上古の日本建築の様式を固定化した結果であるといえる。日本固有の神の住まいであるので、仏教とは異なることを意識し、日本に伝統的な建築の意匠を取り入れている。

もちろん以上のことは全ての神社建築に当てはまるわけではなく、時代によっても変遷がある。

本殿の起源

山宮浅間神社 富士山本宮浅間大社の本宮と伝えられ、現在も本殿を持たず富士山そのものを祀る古い祭祀形態を留めている(静岡県富士宮市

古くは神社には社殿がなかった。神は社殿にいるのではなく、などにいると考えられ、それも特定の一箇所に常在するとは考えられていなかった。しかし、神は特殊な形をした特定の岩や木に来臨すると考えられ、神への祭祀は、そこで行なわれた。この祭場が磐境(いわさか)・磐座(いわくら)などと呼ばれるものであり、現在でも各地に残っている。ただ、やはり常にその祭場に神がいるのだとは考えられず、祭祀を行なうときのみ、神がその場に招かれたのである。

やがて、祭場には仮設の祭壇が設けられるようになった。いわゆる「神籬」(ひもろぎ)とよばれるものがこれに当たると考えられている。神籬は祭祀の際に祭壇の上に設置されて、祭祀が行なわれた。やがて、この神籬が発展して本格的な建築物をなすようになり、社殿になったと考えられる。

仮設の祭壇が常設の社殿になるとき、既にある建築物がそれとして採用されたと考えられる。ただ建築様式が示す年代とその建築様式が神社建築として使われ始めた年代はおそらく一致しない。神社に社殿を建てたときに、過去の技法と様式を復古的に採用した可能性が強いのである。また神社に社殿が登場した時代は仏教建築全盛の時代であり、その影響を受けなかったとはいえない。そもそも建築物を礼拝の対象とするという発想自体が仏教に由来するものかもしれない。

神社建築の成立に影響を与えたと考えられるのが神宮寺の建立である。神宮寺は神社に建てられた寺院のことで、神仏習合の初期段階で登場した。神宮寺の建立により、神社は仏教建築の直接の影響を受けたが、隣接するためにかえって神社建築と寺院建築の差異を求めるようになったと考えられる。

拝殿の起源

春日大社中門(重文)(奈良県奈良市)

拝殿の成立は本殿よりも後である。現在でも伊勢神宮春日大社宇佐神宮松尾大社など拝殿を持たない古社は多い。 拝殿は祭神の祭祀のための施設であるが、本来、祭祀は露天で行なわれるものだった。本殿は、その起源を祭壇に求められるように、祭祀の対象であって、祭祀を行なう場ではなかった。拝殿が登場する以前、神社の祭祀は本殿の正面の露天の祭場で行なわれていた。神職らは祭場の左右に着座し、そこから中央の祭場に赴いて祭儀を行なった。

これが祭場が屋内になると、中心の祭場が幣殿となり、神職着座の場が回廊となった。回廊の入口には楼門が建てられた。

このように祭祀の形態にあわせて、楼門と回廊と幣殿が建てられたが、これらを持つに至らない小規模な神社は、やがてその機能を圧縮して、ひとつの社殿にその機能を備えさせることにした。これが拝殿である。楼門・回廊・幣殿の機能を圧縮する形で拝殿が成立したのである。

建築様式

古典的神社建築(本殿)の類型

古典的な神社建築(本殿建築)は、以下のように分類することができる。

  1. 柱の下に土台を持つもの
  2. 心御柱(しんのみはしら)を持つもの
  3. 内部が2室に分かれるもの柱の下に土台を持つもの流造春日造に代表されるものである。柱を地面に直接建てたり、礎石などの基礎を設置したりせずに、社殿の最下部に井桁を組み、その上に柱を建てる。これは社殿を移動させることを前提とした様式で、祭祀のときのみ社殿を設置し、祭祀を行なわないときには社殿を設置していなかったという、上古の祭祀方法の名残ではないかと言われている。「神籬」と呼ばれる上古の仮設の祭壇が発展して、常設の社殿となったのではないかといわれる。

流造・春日造のいずれも床下を壁で隠蔽している。これは神社建築一般の特徴でもあるが、社殿と設置された地面とのつながりに神聖性を求めることによる。言い換えると、社殿の神聖性の根源は置かれている場所に求めることができる。すなわち、神体とされる領域や磐座などの上に仮設の祭壇を置いて祀った神籬の形式を受け継いだものではないかということが、ここからも指摘できる。

境内社や小祠に用いられる様式で、流造や春日造の階を省略して棚を付けた見世棚造という小型社殿様式があるが、これは省略形というよりはむしろ神社建築の原形に近いともいえるかもしれない。

このように、起源を上古に求めることができ、「柱の下に土台を持つもの」は神社建築の中でも古い形式と考えられる。心御柱を持つもの神明造大社造である。この様式の特徴は、心御柱・棟持柱を持ち、掘立柱であることである。心御柱は、社殿の中央にある柱のことであるが、建築構造上、意味をなさない柱であり、本来は神の依代であったと考えられる。神明造では社殿本体と完全に分離している。棟持柱は母屋の梁を支える他の柱と違って棟に届く柱のことである。

そして棟持柱を含めて、全ての柱が礎石を使わず地面に穴を掘って建てる掘立柱である(現在の出雲大社は土台の上に建つ)。掘立柱は原始住居以来の建築に使われるものである。内部が2室に分かれるもの住吉造八幡造である。どちらも本殿内部に前後2室もっている。住吉造は後室に神座があり、八幡造は前後の室にそれぞれ神座(昼の神座と夜の神座)があるのであって、両者を簡単にひとくくりにすることは出来ないが、もともと1室の本殿が分化して2室になったものではないという意味で共通である。大鳥造天皇大嘗祭のときに祭儀を行なう大嘗宮もこれに含まれると考えられる。

本殿の建築様式

本殿の建築様式は大きく平入妻入に分けられ、これに屋根の形状を以て分類することが多い。これは細部においては各神社独特の様式をとることが多く、それぞれを細分化して分類すると膨大な数となり、分類の意味をなさなくなるためである。最古の様式は神明造や、大社造、住吉造といった直線的な形状の屋根を持つものとされるが、現在一般的によく見られる様式は流造で、春日造がこれに次いでおり、いずれも流線的な形状の屋根となっている。

平入形式

伊勢神宮正殿の様式は他に使用することを禁じられているため唯一神明造と称される。なお、棟持柱を持たない場合などは単に切妻造となる。明治時代以降、神明造の社殿が流行した。
台湾の神社のほとんどは神明造である。
本殿の様式としては最も多く、全国的にも広く分布し、次のような発展型もある。
入母屋造の発展型乃至変形がある。

妻入形式

奈良県を中心に分布し、次のような発展型がある。
主に島根県を中心に分布し、次のような発展型もある。

複合社殿形式

本殿が拝殿などの他の社殿と結合したもので八棟造と総称できるが、以下の様式名で呼ばれるものもある。

特に大県神社(愛知県犬山市)は特殊で、「大縣造」「三棟造」とも呼ばれる。

複合社殿形式の場合であっても、例えば「流造の本殿を持つ権現造」というように、本殿の建築様式はこれを独立して扱うことになっている。

拝殿の建築様式

入母屋造妻入の拝殿。平野神社(京都府京都市)

拝殿も大きく平入と妻入に2分でき、切妻造か入母屋造が一般的である。

  • 平入拝殿
棟が横に通っているものである。最も一般的な様式といえる。着座する人々が本殿に対面するようになる。
  • 妻入拝殿
棟が縦に通っているものである。本殿への通路としての性格を持ち、縦長となる奥の部分は幣殿も兼ねている。拝殿が成立する以前の回廊形式だったころの幣殿が変化したものとも考えられる。

また上とは別に次の形式をとるものもある。

  • 割拝殿
中央が吹き抜けになっていて、左右に床間がある。これは回廊形式の中門と左右の回廊が変形した結果だと考えられる。遺構は少なく大神神社石上神宮摂社出雲建男神社・大崎八幡宮に見られる。
  • 特異な拝殿
静岡浅間神社(静岡県静岡市) - 拝殿が浅間造となっている。

関連項目