山宮浅間神社

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浅間神社
Yamamiya-sengen-jinja iseki-2.JPG
祭祀遺跡(富士山遥拝所)
所在地 静岡県富士宮市山宮字宮内
位置 北緯35度16分16.48秒
東経138度38分13.40秒
座標: 北緯35度16分16.48秒 東経138度38分13.40秒
主祭神 木花之佐久夜毘売命
(浅間大神)
神体 富士山神体山
社格村社
富士山本宮浅間大社元宮・山宮
創建 (伝)第11代垂仁天皇3年[1]
本殿の様式 なし
例祭 10月19日
主な神事 富士山開山式
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鳥居

山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)は、静岡県富士宮市にある神社旧社格村社神紋は「丸に棕櫚の葉」。

全国にある浅間神社の一社で、富士山本宮浅間大社の元宮・山宮(元摂社)である。「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。

概要[編集]

富士山本宮浅間大社の創建以前に富士信仰の大神が最初に奉斎された場所で、大神が現在の浅間大社に遷されたのち「山宮」として関わった神社である。その為、浅間大社も含め、全国に約1,300社ある浅間神社のなかで最も古いと考えられている。

境内には富士山の遥拝所・御神木などがあり、本殿はなく祭祀遺跡としての形を残している。特に、遥拝所の主軸は富士山の方向を向いている[2]

祭神[編集]

祭神は浅間大社に同じ。別称を「浅間大神」とも。

歴史[編集]

鉾立石(浅間大社)

江戸時代に記された浅間大社社伝(『富士本宮浅間社記』)によると、垂仁天皇3年の時に富士山麓の山足の地にて祀られていたという。のち景行天皇の時代、日本武尊は東国遠征の途中、駿河国にいるところで賊徒の攻撃にあった。追い込まれた日本武尊は、富士の神(浅間大神)を祈念し窮地を脱することに成功した。尊はその神の恩恵から富士大神を祀ることとし、当地に磐境が設けられ祀られることとなったという。また同書によれば、大同元年(806年)、平城天皇の命により坂上田村麻呂が現在の浅間大社がある地に社殿を造営し遷座したという。

遷座後も当地は浅間大社の元宮・山宮として浅間大社の祭祀に深く関わってきた。当社は江戸時代には浅間大社の摂社とされており、明治10年には末社と定められていた(現在は事実上独立)[3]。また、浅間大社では「初申祭」として4月初申日に当社の参拝が行われる[4]。同祭では、古くは「山宮御神幸」として当社と浅間大社の間で御鉾の渡御も行われており、その鉾を休めた「鉾立石」が当社と浅間大社楼門前に残っている。

平成20年度の発掘調査では、12世紀代の土師器群が出土した。これらは祭祀に使用されたと考えられている[5]

境内[編集]

文化財[編集]

史跡[編集]

  • 国の史跡「富士山」に包括

現地情報[編集]

所在地

脚注[編集]

  1. ^ 神社説明板。
  2. ^ 「富士山」推薦書原案 (PDF) 、富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議、2011.07.27
  3. ^ 『浅間神社の歴史』第11章 摂末社節。
  4. ^ 初申祭(浅間大社公式サイト)。
  5. ^ 財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所刊行の発掘調査報告書一覧より。

参考文献[編集]

  • 神社説明板
  • 『日本歴史地名体系 静岡県の地名』(平凡社)富士宮市 山宮村項
  • 宮地直一、広野三郎 『浅間神社の歴史』 浅間神社 編、今古書院〈富士の研究〉、1929年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]