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怒和島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
怒和島
怒和島の空中写真。
2019年2月5日撮影の10枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
所在地 日本愛媛県
所在海域 瀬戸内海
座標 北緯33度59分0秒 東経132度33分0秒 / 北緯33.98333度 東経132.55000度 / 33.98333; 132.55000座標: 北緯33度59分0秒 東経132度33分0秒 / 北緯33.98333度 東経132.55000度 / 33.98333; 132.55000
面積 4.81 km²
海岸線長 13.5 km
怒和島の位置(愛媛県内)
怒和島
怒和島
怒和島 (愛媛県)
怒和島の位置(日本内)
怒和島
怒和島
怒和島 (日本)
プロジェクト 地形
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怒和島(ぬわじま)とは、愛媛県松山市の島。

松山市北西部、山口県広島県に海をはさんで向かい合う忽那諸島の一島。

地理

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忽那諸島で最も大きい中島の西にあり、西には最も狭い区間で約1kmの津和地瀬戸を挟んで津和地島がある。およそ10キロメートル北に広島県の倉橋島がある。南には二子水道をはさみ3km沖に二神島がある。
島全体が一つの山となっており、南北にやや細長形をしている。中島本島との間の約2.4kmのクダコ水道は急流で知られ、中央のクダコ島(地図 - Google マップ)にクダコ灯台があり、周囲は潮流にもまれた魚が群れる好漁場となっている。
  • 周囲 13.5km
  • 面積 4.81km2
  • 最高標高 205.7m[1]

地名の由来

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怒和は、鎌倉時代の古文書にも見られる古くからの地名である。康応元年3月に足利義満安芸国厳島神社を参拝した際の記録に、安芸国蒲刈島に向かう途中「ぬわ」以下の島々が見えるとある(鹿苑院殿厳島詣記)。[2]

社会

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地域・集落

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元々は倉橋島から島の北部に移住したのが始まりといわれる[3]。当初は一つの集落であったとみられるが、天正13年小早川軍に攻略され、また冬の季節風の影響を避けるため、何時の頃からか(江戸時代初期には既に2村に分かれていたという<[2]>)移り住み[注釈 1]、島の東には上怒和、西に元怒和の2つの集落ができた。離島航路がそれぞれに寄航している。2つの集落は愛媛県道206号上怒和元怒和線にて結ばれている。以前には元怒和に神和村の役場があったため、商店なども数軒ある。

人口

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  •  2015年7月1日現在 人口:409人(上怒和:175、元怒和:234 )
世帯数:209戸(上怒和:78、元怒和:131 2015年7月1日現在[注釈 2]
  • 2020年 世帯数153、人口278(元怒和90世帯、157人。上怒和63世帯、121人)国勢調査による 

学校

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小中学校共に休校ないし廃校となっており、島内にはなくなっている。

  • 小学校:1校(2019年3月休校)
  • 中学校:1校(2005年3月閉校)

公共(的)施設

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  • 元怒和保育所
  • 郵便局:上怒和簡易郵便局(上怒和)[4]、神和郵便局(元怒和)[5]

歴史

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時期不明ながら倉橋島から移り住んだ。

藩政期は大洲藩領。

産業

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  • 農業 - 柑橘類栽培。近年、品種改良にて登場した晩柑類(紅まどんなせとかカラマンダリン他)が多種栽培され、高級品として人気が高まっている。また、レモンの島として名を馳せる。その他に玉ねぎ等の野菜も多い。
  • 水産業 - 一本釣り主体に、貝類、海藻類の採取が盛ん。また、各種魚種の海面養殖を試みている。

交通

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脚注

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注釈

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  1. ^ 西隣の津和地島も同様な事情で集落が移転し、南岸に移った。
  2. ^ 基準は不明

出典

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  1. ^ 怒和島 - 国土地理院地図
  2. ^ a b 『角川日本地名大辞典38愛媛県』
  3. ^ 愛媛県『愛媛県町村合併誌』1963年、p22
  4. ^ 上怒和簡易郵便局(かみぬわかんいゆうびんきょく) - 日本郵政
  5. ^ 神和郵便局(じんわゆうびんきょく) - 日本郵政
  6. ^ 航路の案内 - 中島汽船

関連図書

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  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典38 愛媛県』角川書店、1981年、511頁、911-912頁

外部リンク

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