船岡駐屯地

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船岡駐屯地
JGSDF Camp Funaoka
所在地 宮城県柴田郡柴田町大字船岡字大沼端1-1
座標 北緯38度2分47.4秒 東経140度46分23.3秒 / 北緯38.046500度 東経140.773139度 / 38.046500; 140.773139
駐屯地司令 第2施設団長 兼務
主要部隊 第2施設団
東北補給処
ほか
開設年 1938年昭和13年)(旧海軍)
1960年昭和35年)
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船岡駐屯地(ふなおかちゅうとんち)は、宮城県柴田郡柴田町大字船岡字大沼端1-1に所在し、第2施設団等が駐屯する陸上自衛隊駐屯地である。陸上自衛隊の中でも有数のラグビーが盛んな駐屯地としても知られる。

最寄の演習場は、岩沼訓練場。駐屯地司令は、第2施設団長が兼務。

沿革[編集]

日中戦争の開戦に伴い、船岡村(1941年町制施行。現柴田町の一部)に大日本帝国海軍火薬製造施設が建設されたが、終戦に伴い廃止された[1]戦後占領期には進駐軍が駐留したが縮小・撤退に至ったため、跡地に町が様々な誘致活動を行い、陸上自衛隊が移駐し、いくつかの企業工場を設置した[1]。しかし、手狭だったために現在地に移転し、船岡駐屯地となった。従前の駐屯地の跡地には、1967年昭和42年)に仙台大学が設置された[2]

なお、現駐屯地内の湯場地区にはかつて温泉旅館が2軒あったが、海軍火薬支廠の設置により立ち退きさせられた[3]。しかし、現在も源泉から温泉が湧出している[3]

年表[編集]

  • 1937年昭和12年)7月7日:盧溝橋事件が発生し、日中戦争支那事変)が始まる。
  • 1937年(昭和12年):建設開始[3]
  • 1938年(昭和13年)4月:海軍火薬本廠神奈川県)に対し、「海軍火薬支廠」が、現在の仙台大学のキャンパスがある場所などに開廠。
  • 1941年(昭和16年):「第一海軍火薬廠」に改組(神奈川の本廠は第二海軍火薬廠に改組)。
  • 1945年(昭和20年)11月1日:同廠閉鎖。進駐軍のキャンプとして使用[1][3]
  • 1949年(昭和24年):同キャンプの進駐軍が駐留規模を縮小し始めた[1]
  • 1952年(昭和27年)10月15日:保安隊の船岡駐屯地となる[4]
  • 1954年(昭和29年)7月1日:陸上自衛隊に移管[5]
  • 1958年(昭和33年)5月1日:一時閉鎖[6]
  • 1960年(昭和35年)
  • 1961年(昭和36年)8月17日:第103建設大隊を母体に、第2施設団が編成。
  • 1963年(昭和38年):陸上自衛隊の設備増強のため、現在の船岡駐屯地に移転(跡地には仙台大学が設置された)。
  • 1974年(昭和49年)3月26日:第103建設大隊を第10施設群へ。
  • 2010年(平成22年)3月25日:第10施設群、機能別中隊に改編。第304施設器材中隊及び第303坑道中隊が廃止される。

駐屯部隊・機関[編集]

東北方面隊隷下部隊[編集]

防衛大臣直轄部隊[編集]

最寄の幹線交通[編集]

重要施設[編集]

アクセス[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 1960年:第一海軍火薬庫跡地を自衛隊が使用決定(柴田町)
  2. ^ 1967年:仙台大学が旧自衛隊船岡駐屯地跡地に開校(柴田町)
  3. ^ a b c d よみがえる「古里」の記憶 元住民の親族らが見学会河北新報 2010年6月9日)
  4. ^ 保安庁法施行令及び保安庁職員給与法施行令の一部を改正する政令(昭和27年政令第437号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1952年10月15日). 2018年8月19日閲覧。
  5. ^ 自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1954年6月30日). 2018年8月19日閲覧。
  6. ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和33年政令第34号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1958年3月22日). 2018年8月19日閲覧。
  7. ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和35年政令第24号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1960年3月11日). 2018年8月19日閲覧。

外部リンク[編集]