第13旅団 (陸上自衛隊)

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第13旅団
JGSDF 13th Brigade.svg
創設 1999年(平成11年)3月29日
所属政体 日本の旗 日本
所属組織 Flag of the Japan Self-Defense Forces.svg 陸上自衛隊
部隊編制単位 旅団
兵種/任務/特性 自動車化歩兵
人員 約3,700名
所在地 広島県安芸郡海田町
編成地 海田市
上級単位 中部方面隊
担当地域 中国地方
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第13旅団(だいじゅうさんりょだん、JGSDF 13th Brigade)は、陸上自衛隊旅団のひとつ。中部方面隊隷下の即応近代化旅団で、司令部広島県安芸郡海田町海田市駐屯地に置く。3個普通科連隊を基幹とし、山口県広島県岡山県島根県鳥取県の防衛警備、災害派遣等を任務とする。

沿革[編集]

概要[編集]

1962年(昭和37年)、第13師団として中国5県(山口県広島県岡山県島根県鳥取県)及び四国4県(香川県愛媛県徳島県高知県)を担任する定員7千名の乙師団として編成された。その後、1970年(昭和45年)に第46普通科連隊を新編、定員9千名の甲師団に改編された。後に、善通寺駐屯地第2混成団が新編されるのに伴い、同混成団に四国4県の担任を委譲し、定員7100名の乙甲師団となる。更に、1999年(平成11年)3月に陸上自衛隊で初の旅団である第13旅団となった。2008年(平成20年)には即応近代化旅団に改編される。第13旅団の師団等標識は、担当する中国地方を統一した毛利元就の「三本の矢の教え」の故事から、3本の矢羽根と、その左右の藍色が算用数字の13を表している。第13師団時代から変わらない。

旅団へ改編[編集]

  • 1999年(平成11年)3月の旅団化に伴い、定員は7100名から4100名となったが、そもそも定員充足率が全国的に最低レベルの65パーセント程度であったため、むしろ定員充足率が大幅に向上した[1]。旅団化に伴い、次のような改編があった。
  1. 第47普通科連隊即応予備自衛官を主幹とするコア部隊)を新編。
  2. 第13戦車大隊(74式戦車30両)は第13戦車中隊(74式戦車16両)に改組された。
  3. 第13特科連隊(1200名程度)は第13特科隊(400-500名程度)に改組された。陸上自衛隊で初めての「特科隊」という編成であった。第13特科隊は、定員は大隊と同様[2]であるが、隊長は1等陸佐連隊長相当)[3]で、隊本部も連隊本部と同様の幕僚構成とされている[4]。連隊時代あった4個大隊は4個中隊(うち第4中隊は即応予備自衛官を中心とする中隊)とされたが、大隊本部にあった幕僚機能は隊本部が有することとなって機能の凝縮が図られた[5]。そのため、各中隊には新たに副中隊長が配置されることとなった[6]
  4. 第13高射特科大隊は第13高射特科中隊に改組された。
  • さらに2008年(平成20年)3月26日、次の改編が行われた。
  1. 第47普通科連隊を中部方面混成団に編成替え
  2. 第13特科隊第4中隊を廃止したほか、コア化されていた中隊小隊を現役自衛官による編制に改組、若しくは部隊そのものを廃止
  3. 第13対戦車中隊及び後方支援隊の対戦車直接支援班を廃止
  4. 第13偵察隊を増強改編(同日今津駐屯地に新編された中部方面移動監視隊と連携し日本海沿岸の監視能力を強化)
  • 2014年(平成26年)3月26日、次の改編が行われた。
  1. 第13施設中隊を第13施設隊へ改編、
  2. 第13通信中隊を第13通信隊へ改編、
  3. 第13化学防護隊を旅団司令部から独立し第13特殊武器防護隊へ改編  
  • 2018年(平成30年)3月、次の改編が予定されている。
  1. 第13特科隊第3師団第3特科隊及び第10師団第10特科連隊と統合し、中部方面隊中部方面特科隊(仮称)として新編。
  2. 第13後方支援隊第2整備中隊特科直接支援小隊が中部方面後方支援隊に編入、

編成・駐屯地[編集]

編成
駐屯地


司令部[編集]

主要幹部[編集]

官職名 階級 氏名 補職発令日 前職
第13旅団長 陸将補 鈴木直栄 2016年03月23日 陸上幕僚監部監察官
副旅団長
兼 海田市駐屯地司令
1等陸佐 端博幸 2016年03月23日 情報本部勤務
幕僚長 1等陸佐 河野淳司 2017年03月23日 第2戦車連隊
歴代の第13旅団長
(陸将補(一))
氏名 在職期間 出身校・期 前職 後職
01 小野寺平正 1999年03月29日 - 2001年03月26日 防大11期 陸上幕僚監部調査部長 第3師団
(陸将昇任)
02 田川睦夫 2001年03月27日 - 2002年12月02日 防大12期 陸上自衛隊需品学校
松戸駐屯地司令
退職
03 奈良曉 2002年12月02日 - 2004年07月31日 防大14期 西部方面総監部幕僚長
健軍駐屯地司令
陸上幕僚監部付
→2004年8月30日 辞職[7]
04 内田益次郎 2004年08月01日 - 2006年03月26日 防大18期 陸上自衛隊富士学校機甲科部長 第4師団
(陸将昇任)
05 佐藤修一 2006年03月27日 - 2008年07月31日 防大19期 陸上幕僚監部監察官 第2師団
(陸将昇任)
06 平野治征 2008年08月01日 - 2010年03月28日 防大21期 陸上自衛隊高射学校
下志津駐屯地司令
陸上自衛隊関東補給処
霞ヶ浦駐屯地司令
(陸将昇任)
07 海沼敏明 2010年03月29日 - 2011年08月04日 防大23期 陸上自衛隊研究本部幹事
兼 企画室長
陸上自衛隊関東補給処長
兼 霞ヶ浦駐屯地司令
(陸将昇任)
08 川又弘道 2011年08月05日 - 2013年03月27日 防大25期 陸上自衛隊研究本部幹事
兼 企画室長
第4師団長
(陸将昇任)
09 掛川壽一 2013年03月28日 - 2015年08月03日 防大26期 陸上自衛隊高射学校長
兼 下志津駐屯地司令
第6師団
(陸将昇任)
10 西浩德 2015年08月04日 - 2016年03月22日 防大28期 北部方面総監部幕僚副長 第1師団
(陸将昇任)
11 鈴木直栄 2016年03月23日 - 防大30期 陸上幕僚監部監察官

脚注[編集]

  1. ^ 例として、戦車大隊は検閲を行おうにも人員の充足率が定員の50%を下回り30%台の時もあり、大隊検閲時に1個戦車中隊規模の戦車を運用するのが精一杯であった時期もあったと当時の大隊長が改編へ向けての回想として載せている(セキュリタリアン紙への投稿)。改編前は実質的に1個戦車中隊の訓練しか出来なかった事もあり、本部管理中隊を除けば2個戦車中隊であったのを1個戦車中隊に凝縮し訓練環境が大幅に改善したと改編時の初代中隊長が所見として述べている
  2. ^ 連隊時代に存在した4個射撃大隊を事実上4個射撃中隊を有する1個射撃大隊規模に縮小
  3. ^ 但し、1個射撃大隊規模とするも連隊に準じた機能を有する観点で1佐(三)が指定、但し連隊戦闘団への火力支援を担う観点・戦闘団への隷属の関係から隊長の序列は旅団普通科連隊長よりも名簿上は下級になる
  4. ^ 射撃大隊規模であり、連隊時代と違い特定の連隊戦闘団に隷属せず必要に応じて旅団長の命により1個普通科戦闘団へ火力支援を行う関係から、隊本部機能は連隊時代と同様に第1科~4科構成となっている
  5. ^ 連隊時代は、射撃の観測・管制・諸元計算や射撃指揮を大隊本部及び本部管理中隊が担い、隷下の各中隊がそれらを元にして各射撃班が射撃を実施していたが、縮小改編により観測・管制・諸元計算等は隊本部の第3科及び本部管理中隊が行い、各中隊はそれらを元にし射撃指揮所による指揮の下で実際の射撃を行う形式となった
  6. ^ 中隊長はこれまでの1尉職から3佐職に改編され、指揮能力が大幅に向上。連隊時代は、各大隊本部が人事や訓練・補給系統の業務を行っていたが、縮小改編で各中隊にそれぞれ「人事係」「情報・保全係」「弾薬係」「補給係」「被服係」「燃料係」といった大隊の第1~4係に相当する業務を行う隊員が配置された事により、業務の処理の関係・中隊長による指揮を補佐する関係による処置
  7. ^ 部下隊員への暴行による更迭


外部リンク[編集]