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「1980年代」の版間の差分

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*[[アタリ (企業)|アタリ社]]が[[1978年]]にアメリカで発売した[[コンシューマーゲーム|家庭用ゲーム機]]「[[Atari 2600]]」に『[[スペースインベーダー]]』などの[[アーケードゲーム]][[キラーソフト|キラータイトル]]が移植され、大ブームとなった。しかし、参入した[[サードパーティー]]が低品質なゲームを粗製濫造したため、1980年代前半にはアメリカにおける家庭用ゲーム市場の崩壊「[[アタリショック]]」を招く結果となった(''[[ゲーム機#第2世代|第2世代]]'')。
*[[アタリ (企業)|アタリ社]]が[[1978年]]にアメリカで発売した[[コンシューマーゲーム|家庭用ゲーム機]]「[[Atari 2600]]」に『[[スペースインベーダー]]』などの[[アーケードゲーム]][[キラーソフト|キラータイトル]]が移植され、大ブームとなった。しかし、参入した[[サードパーティー]]が低品質なゲームを粗製濫造したため、1980年代前半にはアメリカにおける家庭用ゲーム市場の崩壊「[[アタリショック]]」を招く結果となった(''[[ゲーム機#第2世代|第2世代]]'')。
*[[1982年]]に[[任天堂]]が[[日本]]で家庭用ゲーム機「[[ファミリーコンピュータ]]」を発売し、大人気を博す。北米では[[1985年]]に、[[ヨーロッパ]]では翌1986年に「[[Nintendo Entertainment System]]」として発売され、北米で家庭用ゲーム市場が復活するきっかけとなった(''[[ゲーム機#第3世代|第3世代]]'')。
*[[1982年]]に[[任天堂]]が[[日本]]で家庭用ゲーム機「[[ファミリーコンピュータ]]」を発売し、大人気を博す。北米では[[1985年]]に、[[ヨーロッパ]]では翌1986年に「[[Nintendo Entertainment System]]」として発売され、北米で家庭用ゲーム市場が復活するきっかけとなった(''[[ゲーム機#第3世代|第3世代]]'')。
*[[1989年]]に[[セガゲームス|セガ]]が家庭用ゲーム機「[[メガドライブ#北米市場|Sega Genesis]]」(日本の「[[メガドライブ]]」に相当)を北米で発売、翌年に発売された任天堂の「[[スーパーファミコン#海外版|Super Nintendo Entertainment System]]」(SNES, 日本の「[[スーパーファミコン]]」に相当)と互角以上のシェア争いを展開し、セガの[[ゲーム機]]の中で最大の成功を収めた(''[[ゲーム機#第4世代|第4世代]]'')。
*[[1989年]]に[[セガ]]が家庭用ゲーム機「[[メガドライブ#北米市場|Sega Genesis]]」(日本の「[[メガドライブ]]」に相当)を北米で発売、翌年に発売された任天堂の「[[スーパーファミコン#海外版|Super Nintendo Entertainment System]]」(SNES, 日本の「[[スーパーファミコン]]」に相当)と互角以上のシェア争いを展開し、セガの[[ゲーム機]]の中で最大の成功を収めた(''[[ゲーム機#第4世代|第4世代]]'')。


== 人物 ==
== 人物 ==

2023年8月2日 (水) 22:08時点における版

千年紀: 2千年紀
世紀: 19世紀 - 20世紀 - 21世紀
十年紀: 1950年代 1960年代 1970年代 - 1980年代 - 1990年代 2000年代 2010年代
: 1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1985年 1986年 1987年 1988年 1989年
コロンビア (オービタ)中距離核戦力全廃条約イラン・イラク戦争ベルリンの壁崩壊ライヴエイドIBM PCチェルノブイリ原子力発電所事故
上段: (左)1981年に打ち上げげられた1番目スペースシャトルコロンビア。(右)アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンソビエト連邦書記長ミハイル・ゴルバチョフは、2つの超大国間の緊張をやわらげ、冷戦を終結させた。
中段: (左)1980年から1988年にかけて起こったイラン・イラク戦争では、100万人もの死に1兆ドルが費やされた。(右)1989年のベルリンの壁崩壊は、1980年代で最も重大な出来事のうちの1つであると考えられている。
下段: (左)1986年のウクライナで起きたチェルノブイリ原子力発電所事故。(中央)1985年に行われたライヴエイドは、「アフリカ難民救済」を目的に開催されたチャリティー・コンサート。(右)1981年に発売された、IBMパーソナルコンピュータ

1980年代(せんきゅうひゃくはちじゅうねんだい)は、西暦グレゴリオ暦)1980年から1989年までの10年間を指す十年紀。この項目では、国際的な視点に基づいた1980年代について記載する。

できごと

1980年

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フィクションのできごと

  • 前半 - アメリカ南部の沿岸地域に、目に見えない球状の局所的な圏界面「境界」に囲まれる形で、内部の環境が変容した領域「エリアX」が一晩にして出現する。当時、境界に接触した乗り物などはいずれも消滅。その後、エリアXは表向きは環境汚染による危険地帯とされ、監視機構「サザーン・リーチ」が設立される。(小説『サザーン・リーチ英語版』シリーズ)[3][4]
  • 後半(198X年) - カリブ海で作戦演習中だった第2艦隊を始めとするアメリカ軍部隊が、次元侵略者「バンゲリング帝国」が発生させたバンゲリング界にのみこまれる。艦隊勢力のほとんどがバンゲリング帝国に支配された中、唯一健在な第2艦隊旗艦である空母「ロナルド・レーガン」が反撃を開始する。(ゲーム『バンゲリング ベイ』)[5]

脚注

出典

  1. ^ インターネット誕生から25年(Global Voices 日本語)
  2. ^ 川口マーン惠美『そしてドイツは理想を見失った』KADOKAWA、2018年、33頁。ISBN 978-4-04-082217-4 
  3. ^ ジェフ・ヴァンダミア『〈サザーン・リーチ〉2 監視機構』早川書房、2014年、13,19,51,56,59-63,126-128,173頁。ISBN 978-4-15-041323-1 
  4. ^ ジェフ・ヴァンダミア『〈サザーン・リーチ3〉 世界受容』早川書房、2015年、179-185,376-385,474頁。ISBN 978-4-15-041327-9 
  5. ^ 構成/スタジオ・ハード『ファミリーコンピュータ ゲーム必勝法シリーズ3 バンゲリングベイ』勁文社、1985年、18-33,56,66頁。 雑誌コード:63542-67。

関連項目

外部リンク

  • ウィキメディア・コモンズには、1980年代に関するカテゴリがあります。