ノルウェーの歴史
ノルウェーの歴史(ノルウェーのれきし)では、ノルウェーの歴史を記す。
先史時代
[編集]中世
[編集]ヴァイキング時代
[編集]現在のノルウェーの地は暖流の影響で比較的温暖で、古代から人が居住していた。紀元前4世紀には北ゲルマン系のノルマン人(ノール人)がこの土地に定着し、それが、今のノルウェー人の基礎となる。8世紀のヴァイキングの時代にはデンマーク・スウェーデンヴァイキングとともに、海外に通商、略奪、探検で進出し、アイスランド、グリーンランド、さらにシチリア、ロシア(ルーシ)、ノルマンディーへと移住した。
ノルウェー王国の興亡
[編集]9世紀の終わりにはハーラル1世が沿岸部を統一し、ノルウェー最初の統一王国が成立したとされる。10世紀の終わりにはキリスト教がもたらされたものの、古代の北方信仰が根強く残った。スカンディナヴィア最初の統一王国の一つでもあったノルウェーであるが、王家での権力闘争が激化し、11世紀にはデンマークのカヌート大王の北海帝国に併合された。
12世紀末には独立を回復。スヴェレ朝のもとで世襲王国が確立され、王国は13世紀半ばにはホーコン4世の治世の下で最盛期を迎えた。その支配は、スカンディナヴィア半島の3分の2、アイスランド、グリーンランド、スコットランドの一部に及んでいた。しかし14世紀には、北欧ではベルゲンから広がった黒死病の流行で人口のおよそ半分が失われたとされる[1]。またハンザ同盟による経済的支配、スヴェッレ朝の断絶でノルウェー王国は衰微。この時代の経済を支えたのは、以前から主要な交易品であった干しダラの国際的な需要拡大による漁業の発展であった[2]。14世紀末にはデンマークのマルグレーテ1世によるカルマル同盟のもとでデンマークの支配を受けた。
近世 (デンマーク=ノルウェー)
[編集]1523年、スウェーデンが、カルマル同盟を離脱すると、デンマーク=ノルウェーは、コペンハーゲンにいるデンマーク王の統治下となった。フレゼリク1世はマルティン・ルターの思想を好んだものの、ルターの思想はノルウェーでは受け入れられなかった。当初、フレゼリク1世はプロテスタントをノルウェーに導入しないことを決めていたが、1529年に心変わりし、ノルウェーにも導入することとした。ニーダロスの大司教であるオーラヴ・エンゲルブレクトソンがプロテスタントの導入に抵抗し、先年退位させられたクリスチャン2世を亡命先のオランダから招聘した。クリスチャン2世はその後、フレゼリク1世に捕えられ、残りの人生は牢屋で幽閉されることとなった。
フレゼリク1世没後、1534年に伯爵戦争が起こり、最終的にはルター派のクリスチャン3世が勝利すると、オーラヴ・エンゲルブレクトソンは再び抵抗を試みたものの失敗に終わり追放された。ノルウェーはデンマークの1属州に降格され、1537年には上からの宗教改革が押し付けられデンマーク王権が強化された。教会にある価値の高い品々全てがコペンハーゲンに運ばれ、ノルウェーの国土の40%を占める教会が所有していた土地がデンマーク王の支配下に入った[3]。デンマーク語が書き言葉として採用される一方、ノルウェー語は別個の方言として残存した[4]。専門行政職が必要とされ、権力が地方の貴族からデンマーク国王の行政組織に移った。地方の俸給の執政官が裁判官として採用され、行政長官が地方の貴族というよりも国王の従僕となった。1572年には、ノルウェーに総督が派遣され、オスロのアーケシュフース城に居住した[5]。1620年代には、職業軍人が採用されることとなった[5]。
デンマーク=ノルウェーは、17世紀以降に強大化したスウェーデン(バルト帝国)の侵攻と圧力により、度々危機に陥った。1655年の北方戦争ではトロンハイム地方を占領され(1660年に返還)、18世紀の大北方戦争では、一時クリスチャニアが占領された。しかし大北方戦争でのスウェーデンの最終的な敗北により、デンマーク=ノルウェーの直接的な脅威ではなくなった。そして18世紀後半に入ると、ノルウェー人も海運業に参画するようになった。ノルウェーの商船隊の大規模な発展は、19世紀の海運立国としてのノルウェーの下地を築く事となった。
近代
[編集]スウェーデン=ノルウェー
[編集]19世紀にはフランス革命、ナポレオン戦争の影響はこのノルウェーにも及び、民族主義に基づく独立が模索された。デンマークがナポレオン戦争で敗戦国になり、1814年のキール条約でノルウェーがスウェーデンへ割譲されることになると、ノルウェーは独自の憲法を制定し、独立を試みたが列強はこれを承認しなかった。スウェーデン王太子カール14世ヨハンの軍に屈服したノルウェーは、同年11月にモス条約を結び、スウェーデンのベルナドッテ王朝の支配を受けることになった。しかしノルウェーは、スウェーデンの立憲君主制のもとで独自の政府および議会ストーティングを開く事を許され、自立の道を歩んでいく(スウェーデン=ノルウェー)。
この新たな同君連合のもと、ノルウェーは国内政治を改革し、海運、製鉄、造船、漁業などの諸産業を振興していった。19世紀中葉、北欧全土で沸き上がった汎スカンディナヴィア主義にノルウェー国民も共鳴したが、最終的に挫折した。以後、ノルウェーは、スウェーデン政府からの自立を目指す様になり、1890年頃から独立を模索する様になった。
ノルウェー独立から第二次世界大戦まで
[編集]1905年にはノルウェーは同君連合の解消を宣言。国民投票での圧倒的な賛成とスウェーデンとの交渉の結果、無血の独立を達成した。ノルウェーはデンマークからカール王子を国王ホーコン7世として迎え、新憲法のもと立憲君主制の新生ノルウェー王国を樹立した。第二次世界大戦では、1940年にナチス・ドイツに国土を占領され、ヴィドクン・クヴィスリングの率いる傀儡政権が、ドイツ降伏まで統治を行った(en:German occupation of Norway)。ホーコン7世は国外でレジスタンス運動を指導し、国民の信頼を得た。
現代
[編集]第2次世界大戦後は独立を回復し、国際連合の原加盟国として初代国連事務総長トリグブ・リーを送り出した。冷戦下では北大西洋条約機構に北欧諸国では唯一加盟したが外国の軍事基地をおかず、非核政策を展開し、ノルディックバランス政策を進めた。1959年にはEFTAに加盟したもののECの加盟は1972年の国民投票で否決された。1992年にも加盟を申請したが国民投票で否決された。
戦後のノルウェーに於いて特筆すべきことは1960年代から始まった北海油田の開発である。莫大な原油及び天然ガスの売上による収益は原則として、ノルウェー政府年金基金として積み立てられ(2006年1月に従来の石油基金と年金基金が統合改組)、国際的な金融市場に投資されている。
ノルウェーは現在もEUに非加盟であるが、1913年の普通選挙導入時には女性参政権を導入、女性首相もいるなど女性の社会的地位は高く、また他の北欧諸国同様に社会福祉も進んでいる福祉国家でもある。
脚注
[編集]- ^ 村井 & 大溪 2022, p. 90.
- ^ 村井 & 大溪 2022, p. 91.
- ^ Stenersen and Libæk(2003)(岡沢・小森訳(2005) p.49)
- ^ Stenersen and Libæk(2003)(岡沢・小森訳(2005) p.47)
- ^ a b Stenersen and Libæk(2003)(岡沢・小森訳(2005) p.50)
参考文献
[編集]- Stenersen, Øivind; Ivar Libæk (2003). History of Norway. Snarøya, Norway: Dinamo Forlag(岡沢憲夫 監訳・小森宏美 訳『ノルウェーの歴史』早稲田大学出版部、2005年。ISBN 4-657-05516-X。)
- 村井誠人、大溪太郎『一冊でわかる北欧史』河出書房新社〈世界と日本がわかる 国ぐにの歴史〉、2022年。ISBN 978-4-309-81114-7。
関連項目
[編集]外部リンク
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