カール・ラガーフェルド

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カール・ラガーフェルド
Karl Lagerfeld
Karl Lagerfeld Cannes.jpg
カール・ラガーフェルド,2007年カンヌ国際映画祭
生誕 Karl Otto Lagerfeld
(1933-09-10) 1933年9月10日(83歳)
ナチス・ドイツの旗 ドイツ国ハンブルク
住居 フランスの旗 フランスパリ
国籍 ドイツの旗 ドイツ,フランスの旗 フランス
教育 St. Annes School
職業 デザイナー
Karl Lagerfeld
(1984~)[1]
シャネル
(1983~)[2]
フェンディ
(1965~),[3]
クロエ
(1963–1978, 1992–1997),[4]
ジャン・パトゥ
(1958–1963),[1]
H&M
(2004)
Hogan
(2011),
Macy's
(2011)
写真家
オットー・ラガーフェルド, エリザベス・バーマン
公式サイト Karl Lagerfeld Official Website

カール・オットー・ラガーフェルド[5]Karl Lagerfeld1933年9月10日 - )(1933年9月10日 -)は、ドイツ,ハンブルグ出身のファッションデザイナー、写真家。パリを拠点にしている。シャネルフェンディ、それに自身のシグネチャーブランドのヘッドデザイナー、あるいはクリエイティブ・ディレクターを務めている。また、その他にも様々なファッションあるいはアートのプロジェクトで単発的なコラボレーションも行っている。ポニーテールの白い髪・暗い色のサングラス・高い襟のシャツというビジュアルでも認知されている。[6]

略歴[編集]

生い立ち[編集]

カール・ラガーフェルドは1933年の9月10日、ドイツハンブルグに生まれる。[5]父親はビジネスマンのオットー・ラガーフェルド(1881-1967)、母親はエリザベス・バーマン(1897-1978)。彼の父オットーは無糖練乳を生産・輸入する会社を所有していた。また母のエリザベスはオットーと出会ったころ下着のセールスの仕事をしていてベルリンに住んでいた。また、母方の祖父であるカール・バーマンは中央党 (ドイツ)の地元政治家であった。[5]オットーとエリザベスは1930年に結婚した。[7] 一家は復古カトリック教会に従う家庭だった。

キャリア[編集]

 パリオートクチュール組合が経営する学校にてファッションを学ぶ。この時の同級生にアルジェリアから来たイヴ・サン=ローラン、それに日本から来た小池千枝が居た。 1955年、国際羊毛事務局(International Wool Secretariat 現ザ・ウールマーク・カンパニー)の支援するデザインコンテストのコート部門で優勝したカールはピエール・バルマンのアシスタントとして雇われた。3年間バルマンの下で働いたのちの1958年、ジャン・パトゥの下に移籍して5年間にわたり年2回発表されるオートクチュールのデザインを行った。
彼の最初のコレクションは1958年の7月に2時間の時間を使って披露された。なお、この時はローランド・カール(Roland Karl)の名前を使っている。(後年の1962年ごろの記事ではカールの名前はKarl LagerfeltとかKarl Logerfeldとよく誤植されていた。) この最初のコレクションの反応は決して良いものではなかった。アメリカのファッションジャーナリストであるキャリー・ドノバンの記事によれば「看板(press booed)を集めたようなコレクション。」[8] また、UPI通信社の記事によれば「会社の新しいデザイナー 25歳のローランド・カールのコレクションは引き延ばされた形で昨年の袋形のフォルムの流れを無視したものである」とのことであった。 なおカールは、このシーズンのシルエットをアルファベットの「K」になぞらえたものと言っている。正面のまっすぐなライン、ウエストの後方でとった曲線、長いスカートの組み合わせがその示すところである。

彼が1960年の春のシーズンにデザインしたスカートはその年のパリで一番短いものだった。しかし、コレクションの反応はそれほど良いものではなく、キャリー・ドノバンは「既製服(ready-to-wear)としては十分良く売れるだろうが、しかしオートクチュールではない」と切り捨てた。それでも1960年代も後半の頃になると、徐々にカールの発表するコレクションの評価も悪くないものになってきていたが、いまひとつ という状況が続いた。この頃を「ウンザリして、仕事を辞めて、学校に戻ろうと思ったが上手くいかなかった。だからそれから2年間を主にビーチで過ごした。そこで人生というものを学んだと思う」とカールは評している。

1963年、カールはTizianiというその年にテキサス出身のアメリカ人エヴァン・リチャ―ズによってローマで創業された店のためのデザインの仕事を始めた。そこではまずオートクチュールを、続いて既製服にも製造が拡大された。1963年、カールとエヴァンは共同でデザインを行い最初のコレクションを仕上げた。このブランドの顧客にはエリザベス・テイラージーナ・ロロブリジーダ,ドリス・デュークといった著名人が名を連ねた。結局カールはこのブランドのデザインを1969年まで行った。(なお後任はGuy Douvierという人物)

1964年には、フリーランスのデザイナーとしてクロエと契約。 最初のうちはシーズンごとに数点のデザインをするだけであったが、徐々に多くを担う様になり、それからコレクション全部をデザインするまでになった。このクロエとの協業は1978年まで続き、1992年には再びデザイナーに復帰している(二度目は1997年まで)。 1965年には毛皮で有名なフェンディと契約し、デザイナーの仕事を開始。フェンディとの契約によるデザイン職は既に50年を超えている。
1970年には、その前年の11月に創業者(Gigliola Curiel)を亡くしたローマのオートクチュール店Curielのためにデザインを始める。最初のコレクションは1930年代の銀幕スターのためにデザインされた様な「ポタポタと落ち感のあるエレガンス」 と評された。[9]

1970年代には、舞台衣装のデザインを行っていた時期もある。その中にはミラノのスカラ座のための仕事なども含まれる。

1980年代には様々な会社と契約を結んでデザインを行っている。 例えば、伊勢丹と契約してデザインをし、メンズ、ウィメンズで30点ほどの製品を発表した。 他にもアメリカの会社(Eve Stillmann)との契約によるランジェリーのデザインや、靴、セーターのデザインを行っている。

1982年シャネルと契約。[6](詳細は後述)

シャネルでの復活劇[編集]

 カール・ラガーフェルドはデザイナーとしてシャネルを再興したが、老舗メゾン再興という事例はそれ以前には一般的ではなかった。

創業者ココ・シャネルが1971年に亡くなって以降ブランドとしてのシャネルは低迷していた。[10]「シャネルは墓に戻る」とまで言われた[6]経営状態を立て直すためにカールにデザイナー職のオファーがなされたが、その当時、ブランドを再興するという考えは一般的ではなく、カールは多くの友人からその契約を結ぶべきではないと忠告された。[6]カールのシャネルでの仕事は83年のオートクチュール、続く84年からはプレタポルテ(既製服)と行われたが、結果としてコレクションは高い評価を得て、なおかつ販売も回復した。こうしてシャネルというブランド、およびシャネルとカールの関係が現在まで続いている。

また、この事例によって示された、老舗ブランドを気鋭のデザイナーの手によって再興させるという手法は、多くのブランドによって模倣された。例えばベルナール・アルノーは買収したクリスチャン・ディオールにおいてジャンフランコ・フェレを89年に新たなデザイナーとして迎えた。[11]また、グッチにおいても90年にトム・フォードをデザイナーとして迎えることでブランドの再興を果たしている。[12]

コラボレーション[編集]

2002年、ディーゼルの創業者レンツォ・ロッソの求めに応じて特別なデニムのコレクションを発表するコラボレーションを行った。[13] 「The collection, Lagerfeld Gallery by Diesel」と名付けられたこの企画では、カールがデザインを行い、ロッソの監督の下で ディーゼルのクリエイティブチームが製作・発表するというものであった。発表はパリ・ファッションウィークの機関に行われた。[14]販売は非常に限られた場所でのみ行われ、カールのDiesel Denim Galleriesでパリモナコ、ディーゼルのDiesel Denim Galleriesでニュー・ヨーク東京のみで販売された。 販売価格は240ドル~1.840ドルであったが[15]、ニュー・ヨークでは一週目でパンツの9割が売れる好調であった。

カール・ラガーフェルド, 菓子メーカー ランバーツのヘルマン・ビュールベッカー, アルベール2世 (モナコ大公), シャルレーヌ (モナコ公妃) (2011年).

2004年11月12日、H&Mとのコラボレーションを発表。 限定で製造されたメンズ、ウィメンズの服を販売するというもので、カールとのコラボレーション以来、H&Mは毎年一回著明なデザイナーあるいはブランドとのコラボレーションを発表・販売している。
なお、カールはこの企画のためのテレビCMにも出演した。

2008年、ドイツの老舗高級ぬいぐるみブランドのシュタイフとコラボレーションし、オリジナルのテディベアを製作。2500体が製造され値段は1,500ドルだった。[16]

2008年発売のゲームソフトグランド・セフト・オートIVのワールド内のラジオ局のDJとして出演。

私生活[編集]

カールはジャック・ドゥ・バシェール(1951–1989)という相手と長らく同棲関係にあり、それはジャックが死ぬまで続いた。[17]

カールは多くの家を所有している、または、していた。1970年代にはアールデコ調に飾られたパリのRue de l'Université のアパートメント。 1970年代から2000年までは18世紀に建てられたロココ調の様式に飾られたブルターニュのChateau de Penhoët。 メンフィスデザインのモンテカルロのアパート(1980年代)。アールデコ調のハンブルグのヴィラ(1990年代~2000年)。 モナコのLa Vigieのヴィラ(1980年代~2000年代)。パリのRue de l'Universitéにあるロココとその他の様式の17世紀のメゾン(hôtel particulier)(1980年代~2000年代)。 マンハッタンのアパートメント(2006~2012、しかし引っ越したり飾りつけたりはしなかった)。ビアリッツのモダン様式の装飾の夏用のヴィラ(1990年代~2006年)。 バーモント州の1840年代の一軒家(2000年代~)。2007年からはパリのヴォルテール通りにある家を所有しており、装飾はモダンとアールデコの様式である。[17]

カールはバーマン種の猫を飼っている。名前はジュペットである。[18]

エピソード[編集]

  • 以前は太り気味の体に扇子ポニーテールがトレードマークであったが、2000年に「ディオール・オムの細身のスーツを着るために」13ヵ月で42kgの減量に成功している。以降は襟の高い細身のジャケットとシャツに、クロムハーツのジュエリーを身につけるのがトレードマークとなった。
  • クロムハーツコレクターでもあり、クロムハーツのリングは全部所有しているそうで、「男がつけてもOKなジュエリーっていったらクロムハーツ位」と公言している。
  • ドイツ語イタリア語フランス語英語の4ヶ国語に堪能。
  • 2003年に、スタインウェイの創立150周年記念限定ピアノのデザインを手がけた。
  • 2004年に、大量生産の既成服として人気の高いH&Mのデザインを手がけ、同時にテレビCMにも出演し話題となった。
  • 2006年に、シャネルのコレクションまでのアトリエの様子を描いたドキュメンタリー、「サイン・シャネル~カール・ラガーフェルドのアトリエ~」が公開された。
  • 2007年に、自らの選曲の2枚組CDアルバムをリリースした。
  • イタリアのタイヤメーカーであるピレリ(Pirelli)が毎年出版するピレリカレンダーの2011年度版撮影を行う。欧米圏では伝統的かつ有名なカレンダーであるが、ヌードが多いなどの倫理的な問題もあり日本には輸入されない。

脚注[編集]

  1. ^ a b Karl Lagerfeld – Biografie WHO'S WHO”. Whoswho.de (1938年9月10日). 2012年4月26日閲覧。
  2. ^ Karl Lagerfeld: Der "Strichjunge von Chanel" – Lifestyle”. Stern.De (2005年5月3日). 2012年4月26日閲覧。
  3. ^ Fendi – Fashion – Modedesigner – 2010”. Modedesigner.jimdo.com. 2012年4月26日閲覧。
  4. ^ Archived copy”. 2016年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年4月19日閲覧。
  5. ^ a b c Der große Karl wird doch schon 80 Archived 3 March 2016 at the Wayback Machine., Die Welt
  6. ^ a b c d Lagerfeld Confidential, 2007.
  7. ^ Otto Lagerfeld Archived 4 March 2016 at the Wayback Machine., in Neue Deutsche Biographie
  8. ^ Hombach, Jean-Pierre (2010) (English). Heidi Klum & Seal The truth about the divorce. Lulu.com. p. 109. ISBN 978-1-4716-2190-1. 
  9. ^ Hombach, Jean-Pierre (2010) (English). Heidi Klum & Seal The truth about the divorce. Lulu.com. p. 110. ISBN 978-1-4716-2190-1. 
  10. ^ Fashion Press "Chanel"
  11. ^ Fashion Press LVMH
  12. ^ Fashion Press Gucci
  13. ^ Tungate, Mark: "Fifty". Gestalten Verlag; 2005. ISBN 978-3-89955-095-5
  14. ^ Pop Goes the Diesel”. Vogue (2002年5月10日). 2011年10月24日閲覧。
  15. ^ Bailly, Jenny (2002年8月9日). “Diesel Gets 'Experimental' As Lagerfeld Gallery Takes Soho Store by Storm”. Fashionwindows.com. 2013年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月1日閲覧。
  16. ^ “Get Your Karl Lagerfeld Teddy Bear for Just $1,500!”. New York Magazine. (2008年8月22日). http://nymag.com/daily/fashion/2008/08/get_your_karl_lagerfeld_teddy.html 
  17. ^ a b Horyn, Cathy (2008年12月4日). “Profile in Style: Karl Lagerfeld”. New York Times. https://www.nytimes.com/2008/12/07/style/tmagazine/07collage.html 2016年3月16日閲覧。 
  18. ^ “Video - Breaking News Videos from CNN.com”. CNN. http://edition.cnn.com/video/?/video/bestoftv/2013/05/06/fbs-karl-lagerfeld-on-beloved-companion-promo-sot.cnn 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]