国鉄タサ5200形貨車
国鉄タサ5200形貨車 | |
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基本情報 | |
車種 | タンク車 |
運用者 | 日本国有鉄道 |
所有者 | 昭和電工、電気化学工業、徳山石油化学、チッソ |
製造所 | 日立製作所、富士重工業 |
製造年 | 1960年(昭和35年)- 1965年(昭和40年) |
製造数 | 5両 |
消滅 | 1985年(昭和60年) |
常備駅 | 鹿瀬駅、青海駅他 |
主要諸元 | |
車体色 | 黒 |
専用種別 | 酢酸 |
化成品分類番号 | 燃侵38 |
軌間 | 1,067 mm |
全長 | 8,900 mm - 10,400 mm |
全幅 | 2,500 mm |
全高 | 3,826 mm |
タンク材質 | ステンレス鋼 |
荷重 | 20 t |
実容積 | 19.3 m3 |
自重 | 16.0 t - 16.9 t |
換算両数 積車 | 3.5 |
換算両数 空車 | 1.8 |
台車 | TR41C |
車輪径 | 860 mm |
軸距 | 1,650 mm |
台車中心間距離 | 4,800 mm - 6,300 mm |
最高速度 | 75 km/h |
国鉄タサ5200形貨車(こくてつタサ5200がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した私有貨車(タンク車)である。
概要
[編集]本形式は、酢酸専用の20t 積タンク車として1960年(昭和35年)1月22日から1965年(昭和40年)12月4日にかけて3ロット5両(コタサ5200 - コタサ5204)が、日立製作所、富士重工業の2社で製作された。
落成時の所有者は、昭和電工、電気化学工業の2社であり、夫々の常備駅は、磐越西線の鹿瀬駅、北陸本線の青海駅であった。
昭和電工所有車2両(コタサ5200 - コタサ5201)は、1966年(昭和41年)1月25日に徳山石油化学へ名義変更された。
電気化学工業所有車の内2両(コタサ5202 - コタサ5203)は、1973年(昭和48年)3月17日にチッソへ名義変更され、常備駅は水俣駅へ移動した。
記号番号表記は、特殊標記符号「コ」(全長 12 m 以下)を冠し、「コタサ」と標記された。
タンク体材質は、全車ステンレス鋼製であり外板(キセ)、加熱管を装備し、荷役方式は全車ともマンホールからの上入れ、空気管と液出管を用いた空気圧による上出し方式である。
1979年(昭和54年)10月より化成品分類番号「燃侵38」(燃焼性の物質、侵食性の物質、引火性液体、腐食性のあるもの)が標記された。
全長は8,900mm - 10,400mm、全幅は2,500mm、全高は3,826mm、軸距は4,800mm - 6,300mm、自重は16.0t - 16.9t、換算両数は積車3.5、空車1.8である。
1985年(昭和60年)8月10日に最後まで在籍した1両(コタサ5204)が廃車となり形式消滅した。
年度別製造数
[編集]各年度による製造会社と両数、所有者は次のとおりである。(所有者は落成時の社名)
- 昭和34年度 - 2両
- 日立製作所 2両 昭和電工(コタサ5200 - コタサ5201)
- 昭和39年度 - 2両
- 富士重工業 2両 電気化学工業(コタサ5202 - コタサ5203)
- 昭和40年度 - 1両
- 富士重工業 1両 電気化学工業(コタサ5204)
参考文献
[編集]- 植松昌「酢酸・無水酢酸タンク車」、『鉄道ピクトリアル』 No. 606、1995年6月
- 吉岡心平 『プロフェッサー吉岡の私有貨車図鑑(復刻増補)』 2008年、ネコ・パブリッシング刊 ISBN 978-4-7770-0583-3
- 『日本の貨車-技術発達史-』(貨車技術発達史編纂委員会編著、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊、2008年)