チッソ

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チッソ株式会社
Chisso Corporation
Chisso Logo.svg
Nakanoshima-Daibiru-20090419-02.jpg
本店(中之島ダイビルに入居)
種類 株式会社
機関設計 監査役会設置会社
市場情報
GSオーディナリー(廃止) 4006
2000年4月3日 - 2018年3月31日
JASDAQ(上場廃止) 4006
2000年4月1日上場廃止
本社所在地 日本の旗 日本
100-8105
東京都千代田区大手町二丁目2番1号
新大手町ビル9階
本店所在地 530-6108
大阪府大阪市北区中之島三丁目3番23号
中之島ダイビル
設立 1950年昭和25年)1月12日(新日本窒素肥料株式会社)
業種 3290
法人番号 5120001067055 ウィキデータを編集
事業内容 持株会社として事業会社であるJNC株式会社の管理・監督
代表者 木庭竜一(代表取締役社長
資本金 78億1,396万8,750円(2016年3月31日現在)
発行済株式総数 1億5,627万9,375株(2016年3月31日現在)
売上高 連結:1,717億76百万円
単体:0円
(2016年3月期)
営業利益 連結:128億82百万円
単体:▲3億99百万円
(2016年3月期)
経常利益 連結:137億66百万円
単体:54億47百万円
(2016年3月期)
純利益 連結:55億20百万円
単体:17億86百万円
(2016年3月期)
純資産 連結:▲1,092億34百万円
単体:▲1,776億84百万円
(2016年3月31日現在)
総資産 連結:2,644億91百万円
単体:644億96百万円
(2016年3月31日現在)
従業員数 連結:3,312名
単体:32名
(2016年3月31日現在)
決算期 3月31日
会計監査人 新日本有限責任監査法人
主要株主 みずほ銀行 4.90%
小林忠 3.86%
証券保管振替機構 3.31%
崔清子 2.94%
消防試験協会 2.58%
(2018年9月30日現在[1]
主要子会社 JNC株式会社 100%
JNC石油化学株式会社 100%
ジェイカムアグリ株式会社 100%
日祥株式会社 96%
関係する人物 野口遵
江頭豊
細川一
外部リンク http://www.chisso.co.jp/
特記事項:JASDAQ市場について:上場廃止当時は店頭管理銘柄
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チッソ株式会社(CHISSO CORPORATION)は、後の高度成長期に発生した水俣病の補償業務を専業とする日本の企業である。元来は化学工業メーカーであったが、2011年3月31日をもって事業部門を中核子会社のJNC株式会社に移管し、持株会社となった。

登記上の本店を大阪市北区中之島に、本社を東京都千代田区大手町に置く。

旭化成積水化学工業積水ハウス信越化学工業センコーグループホールディングス日本ガスなどの母体企業でもある。

主な子会社・関連会社として、JNC、JNC石油化学(旧:チッソ石油化学)(事業所:千葉県市原市)、九州化学工業(工場:福岡県北九州市)、JNCファイバーズ(旧:チッソポリプロ繊維・事業所:滋賀県守山市)や、ポリプロピレン事業合弁会社の日本ポリプロなどがある。また、日本国内の合弁相手に吉野石膏や同社と同根である旭化成がある。

有していた事業部門[編集]

液晶事業において、ドイツのメルク社と並び世界のトップシェアを誇り事業の柱としていた。バイオテクノロジー・電子部品部門も展開する一方、旧来からの肥料事業・農事産業部門も継続していた。石油化学部門では、三菱化学の石化セグメント子会社、日本ポリケムとのポリプロ事業統合などで、事業のさらなる展開を図っていた。

沿革[編集]

  • 1906年 - 曾木電気株式会社設立。社長は野口遵鹿児島県伊佐郡
  • 1907年 - 日本カーバイド商会設立。
  • 1908年 - 曾木電気株式会社と日本カーバイド商会が合併し、商号を日本窒素肥料株式会社に変更。
  • 1923年 - 延岡工場完成。
  • 1927年 - 朝鮮窒素肥料株式会社設立。
  • 1931年 - 延岡アンモニア絹絲株式会社設立。社長は野口遵。本店は大阪市北区宗是町。
  • 1950年 - 新日本窒素肥料株式会社を設立。本社は東京都千代田区
  • 1956年 - 日窒アセテート株式会社設立。
  • 1958年 - 日窒電子化学株式会社設立。
  • 1960年 - 九州化学工業株式会社設立。
  • 1962年 - チッソ石油化学株式会社設立。
  • 1965年1月1日 - 社名をチッソ株式会社に改称。
  • 1970年 - 水島工場竣工。
  • 2011年1月12日 - JNC株式会社設立。

水俣病[編集]

チッソの水俣工場が触媒として使用した無機水銀の副生成物であるメチル水銀を含んだ廃液を海に無処理でたれ流したため、水俣病を引き起こした。1960年代に電気化学から石油化学への転換が遅れたことに加え、1962年7月から翌1963年1月まで続いた労働争議の影響で製品の販路を失うなど経営状態が悪化し、1965年には無配になった。水俣病裁判での敗訴後は被害者への賠償金支払い、第一次オイルショックなどにより経営がさらに悪化。債務超過・無配継続により1978年に上場を廃止した。その後株式は店頭管理銘柄(のちにグリーンシートの「オーディナリー」区分に編入)となり、制約つきで流通していた(株式の取り扱いはみずほ証券のみが認められている。グリーンシートが廃止された2018年4月1日以後は、同社が設置する株主コミュニティに参加することで売買できる)。同社は現在では実質上、国の管理下にある。水俣病問題は発生から数十年経過した現在でもいまだに解決を見ていない。なお、水俣工場は現在もJNCの水俣製造所として操業を継続している。

水俣病関連[編集]

  • 少なくとも1953年頃より、水俣湾周辺の漁村地区などで猫などの不審死が多数発生し、同時に特異な神経症状を呈して死亡する住民がみられるようになった。
  • 1956年5月1日、新日本窒素肥料水俣工場附属病院長の細川一は、新奇な疾患が多発していることに気付き、「原因不明の中枢神経疾患」として5例の患者を水俣保健所に報告した。
  • 1956年、5歳11ヶ月の女児が死亡、後に水俣病公式認定1号となる。当時、白石宗城社長。戦後復興期でアセドアルデヒド生産が激増。1951年社長就任以来、猫など動物の狂死、漁獲の激減、水俣病の発生、公式認定患者も出たがその後も量産体制継続。後任社長は吉岡喜一。
  • 後年、1951年のチッソでのアセドアルデヒド生産方法の変更が、水俣病発生の要因との研究結果が公表。
  • 1959年熊本大学医学部水俣病研究班が水俣病の原因物質は有機水銀であると公表した。
  • 1970年11月28日、株主総会を大阪厚生年金会館(現・オリックス劇場)で開催。会場正面入口近くに配置された特別防衛保障の警備員により、株式を取得して総会に出席しようとする水俣病患者・家族・支援者(1株株主)の入場を妨害した。会場に入場できた1株株主の発言も総会屋の野次で妨害した。総会は5分で閉会した[2][3][4][5]。総会前の11月13日、「一株運動」について、当時のチッソ専務は「株主総会に出席する趣旨が反体制運動とか政治的なことだったら違った方法をとらざるを得ない」「一株運動を封じるために総会屋を雇うようなことはしない」と発言していた[6]
  • 1976年熊本地方検察庁が、社長の吉岡喜一と元工場長の西田栄一を7人の被害者(当時6人死亡・1人生存)に対するか業務上過失致死傷罪で熊本地方裁判所に起訴した。事件は2人が1958年から1960年までに工業廃水を水俣川河口海域に排出し、7人を水俣病に罹患させたこととされた。裁判での最大の争点は公訴時効であり、胎児に対する傷害を含め公訴時効の起算点について争点となった。下級審では2人の被害者に対する業務上過失致死傷罪を認めた上で5人の被害者に対する業務上過失致死傷罪については公訴時効が成立するとして免訴とし、2人の被告に禁固2年執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。1988年に最高裁は観念的競合における公訴時効期間の算定について本件では全部を一体として観察すべきものと解するのが相当として、7人の被害者について業務上過失致死傷罪を認めた上で有罪判決が確定した。
  • 水俣病を取材していたジャーナリスト、ユージン・スミスに対し、企業に忠誠を誓う多数派労組が暴行し、重傷を負わせた[7]

脚註[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 半期報告書(第95期)
  2. ^ 現代の映像 チッソ株主総会 NHK 1970年12月4日放送(NHK番組公開ライブラリーで視聴可能)
  3. ^ ドキュメンタリー「水俣-患者さんとその世界」 土本典昭監督、1971年、東プロダクション
  4. ^ Kaplan, D. E., Dubro, A. (2003) Yakuza: Japan's Criminal Underworld. (University of California Press ISBN 0520215621) pp 164-168. (Google Books preview)(日本語訳「ヤクザが消滅しない理由。」不空社、2003年12月 ISBN 4900138762
  5. ^ 1970年「新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971」熊本大学図書館、及びリンク先の切り抜き参照。
  6. ^ "ご意見は承ります"/"一株運動"でチッソ専務語る/株主としてなら歓迎/会場変更、総会屋考えぬ/政治的意図には別の方法も 熊本日日新聞 1970年11月14日
  7. ^ 宇井純「技術と産業公害」第4章「水俣病」、東京大学出版会

参考文献[編集]

  • 後藤孝典『沈黙と爆発』(集英社、1995年) ISBN 4087751953
  • 宮澤信雄『水俣病事件四十年』(葦書房、1997年) ISBN 4751206915
  • 『水俣病50年』(西日本新聞社、2006年) ISBN 978-4816707117
  • 『水俣病50年』(熊本日日新聞社、2006年) ISBN 4877552561
  • 岡本達明『聞書水俣民衆史』全5巻(草風館)NCID BN0326910X

関連項目[編集]

外部リンク[編集]