中国朝鮮関係史

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朝鮮歷史
朝鮮の歴史
考古学 櫛目文土器時代 8000 BC-1500 BC
無文土器時代 1500 BC-300 AD
伝説 檀君朝鮮
史前 箕子朝鮮
辰国 衛氏朝鮮
原三国 辰韓 弁韓 漢四郡
馬韓 帯方郡 楽浪郡

三国 伽耶
42-
562
百済
前18-660
高句麗
前37-668
新羅
前57-
南北国 熊津安東都護府
統一新羅
鶏林州都督府
676-892
安東
都護府
668-756
渤海
698
-926
後三国 新羅
-935

百済

892
-936
後高句麗
901
-918
女真
統一
王朝
高麗 918-
遼陽行省
東寧双城耽羅
元朝
高麗 1356-1392
李氏朝鮮 1392-1897
大韓帝国 1897-1910
近代 日本統治時代の朝鮮 1910-1945
現代 連合軍軍政期 1945-1948
大韓民国
1948-
朝鮮民主主義
人民共和国

1948-
Portal:朝鮮
箕子

中国朝鮮関係史(ちゅうごくちょうせんかんけいし)は、中国朝鮮との関係の歴史である。なお、どの範囲を中国や朝鮮とするかについても議論があるが、その点についても説明する。また、など中国の征服王朝も含める。

古代から現代に至るまで、朝鮮は中国の圧倒的に大きな影響を受け続けてきた。政治的には、朝貢冊封関係を続け、独自の元号を持つことなく中国のそれを使い、漢姓漢名だった。文化的には、朱子学小中華主義などがある。そこから脱するのは、日清戦争での日本の勝利による。朝鮮は長い間朝鮮語を表す独自の文字を持たず、15世紀にようやく訓民正音を作った後も、漢文を正式とし、訓民正音諺文と呼ばれ、下等なものとされ続けた。日本統治時代になって朝鮮語の辞書や正書法が作られ、訓民正音はハングルとして普及し、創氏改名も行われた。日清戦争の結果によって朝鮮には独立門が建てられ、国号も中国から与えられた朝鮮から大韓帝国となった。

紀元前[編集]

漢四郡

朝鮮史の始期から、中朝間には深い関係があった。70万年前、朝鮮半島・満州地域に人が住み始める[1]。はじめて朝鮮に統一的な勢力を形成したのは、神を信じる部族とクマを崇敬する部族の二つの部族だったという。そして両者が連合して壇君を戴き、檀君朝鮮を建国したという[2]壇君という栄光の王が実在した、あるいは檀君が築いたとされる王国檀君朝鮮が存在したという証拠はほとんどなく、壇君が実在の人物だった可能性はゼロに近い、と研究者は語っている[3]

隣国中国の強大な王朝との関係性から、この檀君朝鮮建国年の紀元前2333年以来日清戦争1895年までの4228年間、朝鮮は中国に支配され続けていたとする記事もある。例えば、スペインメディアの『エル・ムンド』が、「韓国は4228年間にわたって中国植民地だった」「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していたが、1910年韓日合併までの15年間にわたって独立を味わったりもした」「建国時点である紀元前2333年から日清戦争の1895年までの4228年間にわたって中国の属国だった」と報道し、日本が中国の植民地だった韓国を救ったように報道したことがある[4][5]

武王箕子を朝鮮侯に封じ、箕子がの遺民を率いて東方へ赴き建国したのが箕子朝鮮である。の将軍だった衛満が、衛氏朝鮮を建てるが、に滅ぼされ漢四郡が置かれる。高句麗が興るが、これを中国の地方政権とするか、朝鮮の歴史に含めるかについては議論がある(高句麗#歴史論争:高句麗の歴史帰属をめぐる問題)。

紀元後[編集]

遼東公孫氏が朝鮮を支配し帯方郡を置くが、その後、楽浪郡と帯方郡はから西晋に引き継がれる。また、朝鮮半島東南部の辰韓は秦からの移民ともいわれる。

  • 12年 王莽が高句麗王騶を殺し[6]瑠璃明王#中国歴史書の記述)、高句麗を下句麗とする。
  • 32年 高句麗が後漢に入貢し、王と称する[6]
  • 167年 玄菟太守の公孫琙が高句麗を討つ[6]
  • 204年 公孫氏が帯方郡を置く[6]
  • 238年 魏が公孫氏を滅ぼし、帯方郡を支配[6]
  • 244年 魏の毌丘倹が高句麗の都である丸都城(現在の集安市)を占領[6]
  • 294年 鮮卑慕容部の大人の慕容廆が高句麗を攻撃[6]
  • 313年 高句麗が楽浪郡を滅ぼし、帯方郡も滅びる[6]
  • 342年 前燕慕容皝が高句麗を討ち丸都城を占領[6]
  • 372年 前秦から高句麗に仏教伝来。
  • 377年 高句麗と新羅が前秦に入貢[6]
  • 384年 東晋から百済に仏教伝来。
  • 436年 北燕天王の馮弘が高句麗に亡命するが翌年殺される[6]
  • 458年 百済の蓋鹵王南朝宋から鎮東大将軍の爵号を受ける。
  • 472年 百済の蓋鹵王が北魏に使者を送り、高句麗出兵を求めるが、出兵を得られず。

高句麗はからの攻撃は撃退したが、と新羅が同盟(唐・新羅の同盟)を結び、百済と高句麗を滅ぼした。

  • 598年 第1次隋の高句麗遠征
  • 612年 第2次隋の高句麗遠征。
  • 613年 第3次隋の高句麗遠征。
  • 614年 第4次隋の高句麗遠征。
  • 624年 高句麗に道教公伝。
  • 644年 第1次唐の高句麗出兵
  • 648年 新羅が唐に救援を求める。
  • 650年 新羅が独自の元号を廃し唐の元号を用いる。
  • 660年 唐と新羅が百済を滅ぼす(唐・新羅の同盟)。
  • 661年 第2次唐の高句麗出兵。

白村江の戦い後[編集]

高句麗の系統が新羅(後の朝鮮民族の母体)と金(後の満州族の母体)に分割され、渤海の系統が金に発展している

唐は、熊津都督府安東都護府鶏林州都督府を置いて朝鮮全体を支配しようとするが、唐・新羅戦争の結果、唐は撤退し、新羅が朝鮮半島の中南部を支配する。一方、渤海が興り、高句麗の旧領土の大部分を支配する。渤海については、大韓民国では朝鮮の一部として南北国時代と称しているが、中華人民共和国では中国の少数民族による地方政権とする(渤海 (国)#歴史論争:渤海の歴史帰属をめぐる問題)。新羅は中国の制度を取り入れ、人名も中国風に変えた。張保皐が中国から朝鮮にわたる海上勢力を作った。

10世紀初に唐が滅んだ後、渤海も滅び、高麗が新羅に代わる。高麗は渤海からの遺民を多く受け入れた。高麗は五代やに服属していたが、契丹)に攻められ遼に服属する。高麗は渤海が滅んだ後の地にいた女真を侵略して領土を北に広げるが、女真がを建て遼を滅ぼすと、高麗は金に服属する。

  • 926年 渤海を滅ぼし、東丹国を置く[6]
  • 933年 高麗が後唐の冊封を受ける。
  • 963年 高麗がに服属[6]
  • 993年 契丹の高麗侵攻 、高麗は遼に服属するが、江東6州を得る。
  • 1010年 契丹が高麗の都である開京を占領。
  • 1016年 高麗がまた宋の年号を使う[6]
  • 1018年 契丹がまた高麗に侵入するが大敗する(亀州大捷)。
  • 1022年 高麗が契丹の年号を使う[6]
  • 1033年~1044年 契丹に備え千里長城を建設[6]
  • 1080年 『小華集』。
  • 1107年 高麗の尹瓘女真を侵略し東北九城を築くが、翌年に女真に返して撤退する。
  • 1126年 高麗がに服属する[6]

モンゴルによる侵攻後[編集]

高麗は13世紀モンゴル帝国(元)の侵攻を受け支配下に入った。代々の高麗王の世子(世継ぎの太子)はモンゴル貴族皇族婿となって元朝の宮廷で暮らし、父の死後、高麗王に任命されるのが習慣となる。高麗王の母は、みなモンゴル人となり、4代の高麗王は元皇帝の娘婿となる。元は高麗を服属させた後に征東等処行中書省(征東行省)を設置し、朝鮮半島全土に及ぶ行政・政治・軍事の執行機関とした。また元は朝鮮半島北西部に東寧府を、北東部に双城総管府を、済州島に耽羅総管府を置いて支配した。

元が衰えると独立し、北方の領土を回復した。が興ると高麗に代わって親明を掲げる李氏朝鮮が建国され、明に朝貢した。当初は明から権知朝鮮国事とされ、国王にはしてもらえなかった。李氏朝鮮の国王は、中国皇帝がいる北京の方向に向かって遥拝する望闕礼という儀式を行っていた。李氏朝鮮は女真を侵略し、北部に領土を広げた。

  • 1354年 恭愍王による反元運動が始まる。
  • 1356年 元軍が高麗から撤退(双城総管府を回復)。元の年号を止める。江西八站を攻略[6]
  • 1359年~1362年 紅巾の乱が高麗に侵入し、開京を占領。
  • 1370年 明の年号を用いる[6]

李氏朝鮮の初代国王李成桂1392年、明が冊封した高麗王昌王恭譲王を廃位して高麗王位を簒奪して高麗王を称した後、すぐにに使節を送り、権知高麗国事としての地位を認められたが、洪武帝は王朝が交代したことで、国号を変更するよう命じた。これをうけた李成桂は、重臣達と共に国号変更を計画し、朝鮮と和寧の二つの候補を準備し、洪武帝に選んでもらった[7]。和寧は李成桂の出身地の名であったが[8]北元の本拠地カラコルムの別名でもあったので、洪武帝は、前漢武帝にほろぼされた王朝(衛氏朝鮮)の名前であり、平壌付近の古名である朝鮮を選んだ。そして李成桂を権知朝鮮国事に封じたことにより、朝鮮は正式な国号となった。和寧が単に李成桂の出身地であるだけなのに対し、朝鮮はかつての衛氏朝鮮箕子朝鮮檀君朝鮮の正統性を継承する意味があったことから本命とされており、国号変更以前からそれを意識する儀式が行われていた[9]。国号が朝鮮という二文字なのは、中国の冊封体制に、新王朝の君主が外臣として参加して、一文字の国号を持つ内臣より一等級格下の処遇を与えられていることを意味する[10]

李成桂は、「権知高麗国事」を正式に名乗ったが、「知」「事」が「高麗」を囲んでおり、「権」は日本の権大納言権中納言と同じで「副」「仮」という意味であり、「権知高麗国事」とは、仮に高麗の政治を取り仕切る人という意味である[11]。このように李成桂は、事実上の王でありながら、「権知高麗国事」を名乗り朝鮮を治めるが、それは朝鮮王は代々中国との朝貢により、王(という称号)が与えられたため、高麗がから王に認めてもらったように、李成桂もから王に認めてもらうことにより、正式に李氏朝鮮となる。小島毅は、「勝手に自分で名乗れない」「明の機嫌を損ねないように、まずは自分が高麗国を仮に治めていますよというスタンスを取り、それから朝貢を行い、やがて朝鮮国王として認めてもらいました」と評している[12]

国号を洪武帝に選んでもらったことは、事大主義を象徴していると揶揄されるが(例えば黄文雄は、「李朝の太祖・李成桂は、『易姓革命』によって高麗朝を簒奪した事実と実権支配の獲得を太祖に認知させるため、国家主権を明に売り渡し、明の属国と決め込んだ。朝鮮の国号王位を明によって下賜されるかたちをとったのである」と述べている[13][14]、新王朝が擬定した朝鮮の国号は、朝鮮初である檀君朝鮮と朝鮮で民を教化した箕子朝鮮を継承する意図があり[15]、首都が漢陽に置かれたのは、檀君朝鮮と箕子朝鮮の舞台であるためである。新王朝は、檀君箕子を直結させることにより、正統性の拠り所にする意図を持っていた。朝鮮という国名は、の賢人箕子が、武王によって朝鮮に封ぜられた故事に基づく由緒ある中国的な呼称であるため[16]、洪武帝は、新王朝が箕子の伝統を継承する「忠実な属国」となり、自らは箕子を朝鮮に封じた武王のような賢君になりたいと祈念した[17]。従って、中国への事大主義を国是とする新王朝が、周の武王が朝鮮に封じた箕子の継承を意図する朝鮮の国号を奏請したことは適切であった[18]

四海諸國, 未有不稱帝者, 獨我邦終古不能, 生於若此陋邦, 其死何足惜。

四夷八蛮が皆中原に入ったのにただただ朝鮮だけできずにいる。こんな情けない国に長生きしていてもどうにもならない[22] — 林悌、星湖僿說

大航海時代後[編集]

大清帝国の使者を迎えるための迎恩門

16世紀豊臣秀吉に国土の大半を征服されるが、明の救援と秀吉の死去により国土を回復した。厳密には、豊臣秀吉は朝鮮を相手にしたのではなく、その意図は、征服にあり、そのために軍隊を通すことを朝鮮に要求して断られたため、無礼だとして出兵に及んだ[23]。朝鮮が断るのは当然で、朝鮮は、明の朝貢国であり、朝鮮国王(李氏)は世襲であったが、制度的には明の皇帝からそう任じられることで朝鮮国王たりえていた[23]。豊臣秀吉は、それ以前に外交関係があったことから、明と朝鮮の国冊封関係は知っていたはずであり、明は冊封関係にある朝鮮を保全するため、援軍を派遣し日本軍と戦った[23]17世紀には満洲人が建てたの侵攻を受け、大清皇帝功徳碑を築くなどの屈辱的な条件で降伏し、冊封体制羈縻支配下に入った。後金から清という国号を号する際に、ホンタイジチンギス・カン以来の印璽を受け、モンゴル人との連合帝国をつくり、李氏朝鮮に対して、満蒙鮮の三族連合国に誘ったが、李氏朝鮮は明に忠誠を尽くすために断った[24]。そのため、李氏朝鮮は満蒙の軍隊に蹂躙され、中華属国の中でも下国の下国にされた[24]黄文雄は、「もし当時の朝鮮国王が満蒙鮮三族連合軍に参加して、清の順治帝とともに北京に入城し中華世界を主宰していたら、清朝史も変わっていただろう。そして漢人と韓(朝鮮)人との関係も変わっていただろう」と評している[24]。朝鮮では「崇明反清」の思想が強く、自らを明の後を継ぐ小中華とし、清をオランケ、野蛮人として侮蔑していた。明が滅び清に冊封されても、私的には崇禎永暦などの明の年号を使い続け、大報壇を作って明の皇帝を祀っていた。朝鮮の一部では清の学問を学ぶ北学も生まれたが、広まる事はなかった。また清から朝鮮にキリスト教(西学)が流入したが、何回も弾圧を受け、多くの犠牲者が出た。

李氏朝鮮清国との関係は「」によって厳しく統制されており、李氏朝鮮からの「国書」は「上表文」とされ、その書式と用語は中国の「礼部」の厳格なチェックを受けた。そこでは「京師」「儲君」「」「」といった北京が天朝として用いる語句は御法度であり、日本の明治新政府王政復古を告知するため、李氏朝鮮へ送った外交文書には「皇祖」「皇上」「奉勅」といった「使用禁止」の言葉を使用していたため、李氏朝鮮の宮廷はパニックとなり、これが清国に伝わることを恐れ、この文書を拒絶した[25]

1875年江華島事件の結果、朝鮮が開国すると、欧米諸国も朝鮮を中国の属邦とは認めたがらなくなり、直接朝鮮と密約条約を結んで外交関係を持つ国が出てきたため、清国は朝鮮管理を強化することとなり、清国は朝鮮の第三国への公使派遣は認めるが、「全権」の二文字は使用禁止とし、「另約三論」なるものの順守を強要した[26]

  1. 朝鮮公使は駐在国に赴任したら、必ず清国公使館に先報し、清国公使を経て相手国と折衝すること
  2. 公使外務の席上、韓国公使は必ず清国公使の次席に座ること
  3. 重要交渉がある時には清国に事前報告し、相手国に関係なく属邦体制を守ること

1881年李鴻章幕下の淮軍に身を投じ、朝鮮に派遣された袁世凱は、清国内では一介の武弁にすぎなかったが、朝鮮では国王でさえ服従する強大な権限を持った[27]。袁世凱指導下の漢城府は悲惨な状態であり、清国兵3000人が市民を略奪暴行両班の家にも侵入して女性を凌辱、女性たちは強引に酒席で妓生にされるなど乱暴狼藉され、朝鮮の高官でさえ、清国の領事軍人から殴る蹴るの暴行を受け、何も言えず泣き寝入りしており、朝鮮はあくまでも事大に徹し、なす術がなかった[27]。清国の指導で、外交顧問には馬建常(元神戸大阪領事)と、メレンドルフが迎え入れられ、朝鮮の政治外交経済は完全に清国が掌握し、属国というより植民地であった[27]。また、李氏朝鮮の外交交渉は、李朝政府ではなく清国を通して行われており、朝鮮の国事人事までも、清国政府が決めていた[26]。李朝政府がメレンドルフを外務協弁(補佐官)から解任するときは、清国の李鴻章の承認を得て行っており、その後任にアメリカ人のメリル(英語: Henry F. Merrill)を派遣したのも李鴻章である[26]1885年イギリス朝鮮半島巨文島占領したとき、イギリスは、李朝政府ではなく、イギリス駐在清国大使の曽紀沢に通告を行っており、そして曽紀沢は、李朝政府に連絡することもなく占領を了承しており、国土の変更ですら清国大使の裁量次第だった[26]。これについて黄文雄は、「そのような中国属国支配から朝鮮を解き放ち、その独立を達成させたのが、日清戦争における日本の勝利だったのである。たとえ日本の国益のためであれ、『朝鮮独立』を目指したこの戦争が、朝鮮人にとって『解放戦争』だったことは疑いない。少なくとも清国のくびきから解き放たれ、暴虐なる清国兵が追放されただけでも、朝鮮人には大きな救いだったはずである」と評している[27]

19世紀末には日本、清、ロシアが朝鮮半島をめぐって対立する。日清戦争での日本の勝利のおかげで、朝鮮は中国との長きにわたる冊封体制から離脱。国号も、中国によって決められていた朝鮮から、独自に大韓帝国へと変更して独立する。それまでの漢文に変わってハングルが公的に使われるようになる。朝鮮国王は皇帝に昇格し、それまで中国皇帝だけが行っていた祭天儀式を行うため圜丘壇を建てた。また間島などに朝鮮人が移住していった。

  • 1882年 壬午軍乱漢城府駐留の清国軍が興宣大院君を捕捉して清国に連行する。連行理由は、清国皇帝が冊封した朝鮮国王をしりぞけて政権をみずから奪取するのは国王を裏切り、皇帝を蔑ろにする所行であるというものである[28]興宣大院君が清国に捕捉された際、アメリカ政府は「朝鮮は清国の従属国家であり半島における何世紀にもわたる封建的国家としての支配は清国によって承認された」というコメントを発表する[29]
  • 1882年10月 中朝商民水陸貿易章程を締結し[6]、清と朝鮮の宗属関係について「古代から属国であるので清国政府とのすべての問題における交通の規範は固定されており変更の必要はない」と明記する[29]
  • 1884年 甲申政変、清軍の介入により開化派のクーデターは失敗に終わる。
  • 1885年 天津条約 (1885年4月)、日本と清は朝鮮に出兵する場合は相互通知。
  • 1885年 興宣大院君袁世凱に伴われて帰国[6]
  • 1885年 清鮮電信協約[6]
  • 1894年 甲午農民戦争(東学党の乱)。大院君派と閔妃派の対立が深まる。朝鮮は日清戦争で戦場となる。甲午改革(~1896年)。

李氏朝鮮の末期に登場した開化派は、清国への事大をやめて独立を獲得しようとしたため、事大党(属国派)に対抗する「独立党」と称されていた[30]

日清戦争後[編集]

中国が正式に朝鮮を独立国として認めたのは、19世紀末日清戦争敗北後、朝鮮を植民地にしようという、日本の圧力による[31]。終戦後、中国の李鴻章と日本の伊藤博文との間に結ばれた下関条約第1条まさに「朝鮮国が完全無欠な独立国であることを承認する」というものであった[31]。中国は、西洋列強による攻勢により、次々と属国を失うなか、満身創痍になっても最後まで宗主国であり続けたのが朝鮮だった[31]。しかし、列強による中国分割により、中国は、香港島九龍半島のイギリスへの割譲、台湾の日本への割譲、租界租借地・勢力範囲の設定、ベトナムや朝鮮などの属国を喪失する[32]

1928年5月中国国民党南京において排日教育方針を決議し[33]馬関条約義和団の乱対華21カ条要求の撤回、沖縄台湾朝鮮関東租借地の返還を主張している[33]佐々木秀一時局と教育的対策』(明治図書1938年11月)によると、中国国民党による排日教育の内容は以下である[34]。なお、朝鮮沖縄台湾の領有権は言及しているが、日本帝国主義によって奪われたと主張する尖閣諸島の領有権について、何ら触れていないのが興味深い[34]

<地理>
割譲地
日本の中国侵略は約五〇年前、我藩属琉球を奪ひ、沖縄県と改称したるに始まる。日清役後、我が台湾、膨湖列島を奪ひ、福建に近遍す。日露役後、また我が藩属高麗を併呑し、両国境に境を接す。

<小学唱歌集>
国恥記念歌
高麗国、琉球国、興台湾
少なからざる地すべて彼に併呑せらる
(…)
奴隷となり僕婢となるの日、眼前に迫る
此国辱何れの時か消えん

松本厚治在大韓民国日本国大使館参事官)は、朝鮮が中国から独立することができた地政学的理由を以下のように分析している[35][36]

今日中国は、内モンゴルやチベット、ウィグルの住民を中華民族と呼び、その地を不可分の国土と称している。儒教や漢文、科挙とは無縁の、チベット仏教やイスラムの地が中国なら、制度文物をことごとく華制に従ってきた「小さな中国」は、なおいっそう中国だろう。孫文はその主著『三民主義』で、朝鮮を「失われた中国の地」とさりげなく書いている。辛亥革命のもう一人の立役者章炳麟は、チベット、回部、蒙古は住民にまかせてよいが、朝鮮とベトナムは必ず回収しなければならないと説く。この線引きが今日逆になっているのは、後二者が帝国主義国に一度支配され、中国から切り離されたこと以外に、理由らしい理由はない。中華の大国と個々の属邦の力の差は大きく、これまでのところ自力で独立できた国はない。四分五裂になって崩壊したオスマン帝国と異なり、漢民族が人口の大半を占める中国は決定的な分裂に至ることなく、外侵や内戦で窮地にあったときでさえ、属国の離反を効果的に阻止してきた。インドシナ三国にせよ、ビルマ、モンゴル、台湾にせよ、今独立の実態のある国は、いったん第三国の支配下に入った地域ばかりである。帝国主義国の力で中国の鉄の抱擁をふりほどき、しかるのち独立する。朝鮮もそうした国の一つだったのであり、そのような歴史をもたなかったチベットやウィグルは、今なお中国の圏域にとどまっている。「(韓国の)教科書」は国民がある日自覚して、にわかに独立の国ができたかのように書いているが、ありえない話である。朝鮮王国の財政規模は江戸幕府の一割にもならず、維持できた軍隊は結局万の単位になることはなかった。小国でも、武勇に秀で凝集力に富む国民なら、あるいは大国に対抗できたかもしれないが、そういう国柄でもない。この国が独立するには、実際の歴史がそうであったように、日本の力を借りるしかなかったのである。 — 松本厚治、韓国「反日主義」の起源、p441-p442

太平洋戦争後[編集]

第二次世界大戦後、朝鮮半島はアメリカ合衆国ソビエト連邦分割占領し、大韓民国朝鮮民主主義人民共和国ができた。朝鮮戦争には建国間もない中華人民共和国も参戦し、大きな被害を出した。韓国は第二次世界大戦後、経済発展がもたらした自信と中国の相対的な停滞のなかで、名実共に中国の属国ではなく、独立国として、中国に接することができた[31]

国交樹立以後の経済交流拡大で中国は韓国最大の貿易相手国となり、韓国国債の最大保有国にもなるも[48]、一方で蘇岩礁(離於島)の領土問題がある。

また、前出の張成沢粛清後を境に中朝関係が停滞しており、北朝鮮の貿易の9割超[49][50]を占めてきた対中貿易への依存は続くも中朝貿易は減少傾向にあり、民間でも度重なる核実験や朝鮮人民軍の脱北兵士による越境犯罪で中朝国境で北朝鮮に対する住民感情や中国世論は厳しくなっており[51][52][53]、中国各地では反北朝鮮デモも起きている[54][55]。習近平総書記はより中韓関係を強化した南北等距離外交を行っており、中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典では韓国の朴槿恵は習近平の隣に座り、北朝鮮が派遣した崔竜海は端に座らされ、金日成の所属した東北抗日連軍の模範部隊を参観した[56][57]。さらに朴槿恵は中国政府が費用全額負担で改修した大韓民国上海臨時政府庁舎の再開館式にも出席した[58]。その後の劉雲山訪朝で中朝は再接近したが、牡丹峰楽団公演の中止にはじまり核実験で再び冷え込み、軍事パレードを金正恩の隣で閲兵した劉雲山の姿が北朝鮮の記録映画から削除された。金正恩が2018年3月25日に訪中して習近平との初めての首脳会談を行って以降、中朝関係は徐々に改善に向かいつつある。

2016年7月8日韓国国防省在韓米軍THAADミサイルを在韓米軍に配備することを最終的に決定したと発表したことに対し[59]中国政府は「強烈な不満と断固とした反対」を示し[60]中国限韓令と呼ばれる反韓政策が勃発し、韓中関係が急速に冷え込んだ[61]2017年10月韓国政府は事態を鎮静化させるため、「アメリカミサイル防衛(MD)システムに参加しない」「THAADミサイルを追加配備しない」「韓米同盟を韓米日三国同盟にしない」といういわゆる「三不(3つのノー)」を中国政府に誓約した[62]。これに対して『朝鮮日報』は、「国の主権はもちろん、将来の軍事主権の侵害まで認めた国家的な恥さらし」「中国安全保障主権を差し出す衝撃的な譲歩」「自国の安全保障政策まで縛られるという異常な状態」「自らの手足をで縛るような合意に応じる国は世界のどこにもない」「なぜ自分たちを守る武器の追加配備はしないなどと第三国と約束するのか。米国のMD参加や他国との軍事同盟もわれわれ自ら決めることであり、中国の許可を受けるべきいわれなどない」「この主権放棄だけは必ず撤回しなければならない」「中国から経済報復を受けることを恐れて極度に顔色をうかがっているのだ。中国が経済報復をすれば中国国内でも必ず損害が発生する。経済報復を恐れて主権を譲り渡してしまえば、次は屈従段階に入る」と猛反発している[62][63][64]

中国が高圧的態度でこのような措置を取るのは、「大国(中国)は小国(韓国)をのぞき見してもかまわないが、小国は大国をのぞき見してはならない」という中華思想の発露という指摘があり、2017年中国は、THAADの慶尚北道星州郡配備に先立ち、韓国に対して「小国大国に対抗してもよいのか? 配備されれば断交水準の苦痛を覚悟すべきだろう」と韓国を脅している[65]。韓国のTHAADの探知距離は800キロしかないが、日本京都府青森県に配備されているAN/TPY-2レーダーの探知距離は4000キロであり、中国の大部分を探知しており、中国日本京都府青森県に配備されているAN/TPY-2レーダーが朝鮮半島を越えて、中国内陸部まで監視していることは、沈黙しながらも、韓国のTHAAD配備のみ強く反対し、限韓令を発動している[66]

  • 2016年7月8日 アメリカと韓国は、在韓米軍THAADミサイルの配備を決定。配備に対し中国は「強烈な不満と断固たる反対」の意思を表明し[67]、対抗措置として反韓政策の禁韓令が採られるようになった[68]
  • 2017年2月 中国政府が庇護していた金正日の長男・金正男マレーシアで暗殺される。
  • 2017年4月3日人民日報』は「韓国のTHAAD配備が引き起こす混乱がおさまらない状態で日本まで続いている」としながらも、「日本のTHAAD配備は、韓国とは性質が違う」と報じ、『人民日報』のインタビューで中華人民共和国外交部傘下の外交学院の周永生教授は、「日本は自発的にTHAADを導入するものであり、実際に日本の自衛隊の軍事防衛能力を高めようとするもの」「日本のTHAADは防御のための盾」と述べており、韓国のTHAAD配備には強く反対し、経済的報復をする一方で、日本のTHAAD配備は認めるというダブルスタンダードを取る[69]
  • 2017年4月6日 ドナルド・トランプアメリカ合衆国大統領中国習近平国家主席(党総書記)と行った米中首脳会談で交わした対話の内容をウォール・ストリート・ジャーナルのインタビューで話し、習近平が「韓国が中国の一部だった」と発言したことを明らかにし、トランプは「習近平主席が中国と朝鮮半島の歴史について話した。数千年の歴史と数多くの戦争について。韓国は実は中国の一部だった」「韓国は実際に中国の一部だった(Korea actually used to be a part of China)」「習主席から中国と韓国の歴史について聞いた。北朝鮮ではなく韓半島全体の話だった。(中国と韓国には) 数千年の歳月の間、多くの戦争があった」と述べて韓国政府が反発した[70][71][72][73]。これについて、ファン・ギョンムン南カリフォルニア大学教授は「韓国が中国の属国だったという認識は中国本土ではいくらか信頼を得ている」と指摘しており[74]東亜日報は「紀元前が韓半島北部に漢四郡を設置した時や13世紀のの拡張期を挙げることはできるだろうが、いずれも韓国が中国に完全に従属したと見るには無理がある」と反論している[75]
  • 2017年4月14日 中国国際航空は、2008年から週3便体制で運航してきた北京 - 平壌線を利用客の減少を理由に同月17日から停止することを表明[76]
  • 2017年5月4日 北朝鮮の労働新聞は「朝中親善がどれだけ大事でも命のような核と交換してまで乞う我々ではない」と異例の名指しで中国を批判する個人名義論評を掲載し、中国の環球時報も中朝友好協力相互援助条約の見直しを主張して応酬[77]
  • 2017年9月3日 中国は北朝鮮からの留学生の受け入れを中止し、国内の北朝鮮留学生を監視して大学の研究室などへの出入りを禁止したと報じられる[78]。北朝鮮の科学者は論文発表の9割近くが共同研究であり、そのうち80.9%を中国人科学者が占める[79]ことから中国は科学技術の流出を懸念したとされる[78]
  • 2017年9月7日 中国共産党の機関紙『人民日報』傘下の『環球時報』は、韓国政府THAAD追加配備に対する社説にて「THAADは北朝鮮の核のように地域安定を害する『悪性腫瘍』になるだろう」「THAAD配備を支持する韓国の保守主義者キムチばかり食べて、間抜け(糊塗)になったのか」「THAAD配備完了の瞬間、韓国は北朝鮮の核開発と大国間の勢力争いの中を漂う浮草になる」「韓国は教会が多いのだから、その中で祈ってろ」と韓国を揶揄した[80][81][82]。暴言社説だと韓国側から抗議を受けたが、該当社説の見出しだけ変更して、他はそのまま再掲載したことが同月9日に韓国メディアの『中央日報』によって確認されている[80]
  • 2017年9月23日 中国人民銀行が北朝鮮の個人や企業の取引停止を中国の五大銀行に指示したことが報じられる[83]
  • 2017年9月28日 米中協議[84][85]で可決してきた北朝鮮の核実験に対する国際連合安全保障理事会の制裁決議に基づき、北朝鮮人の雇用に罰金を科すことや強制送還も行うことが通達され[86]、中国商務省と国家工商総局は、中国国内で北朝鮮が設立した合弁企業などを閉鎖する措置を決定[87]。これにより貴重な外貨獲得源だった世界に約130店ある北朝鮮の食堂事業のうち中国にある100店が閉鎖されることになり[88]、中国にあった世界最大の北朝鮮レストランも閉館した[89]
  • 2017年10月2日 - 2016年4月に南シナ海問題を巡る対立で香港への寄港を中国政府から拒否されていた原子力空母ロナルド・レーガンが3年ぶりに香港寄港を認められ、北朝鮮を牽制した[90]。寄港中には第七艦隊司令官と中国人民解放軍幹部の会談も調整され[90]、空母レーガンは米軍が戦略兵器を集結させてる朝鮮半島に向かって大規模な合同軍事演習を行った[91]
  • 2017年11月17日 中国共産党第十九回全国代表大会の報告を目的に習近平総書記の特使として中国共産党中央対外連絡部部長の宋濤が訪朝。朝鮮労働党副委員長の崔竜海との会談が行われた[92]ものの、金正恩との会談は明らかにされなかった[93]
  • 2017年12月12日 レックス・ティラーソンアメリカ合衆国国務長官は金正恩体制崩壊や米朝戦争のような朝鮮半島有事を想定した核の確保と難民対策や38度線を越えた米軍の撤退など具体的対応を中国と協議してることを初めて表明した[94][95][96]。同時期、中国による中朝国境での難民収容所の建設[97]中朝友誼橋の一時閉鎖[98]、放射線対策や国境統制の強化が伝えられ[99]、実施された中国軍30万人の軍事演習も韓国語の学習から北朝鮮を占領する訓練と報じられた[100]
  • 2017年12月13日 韓国の文在寅大統領が中国を公式訪問して大統領では初めて重慶の大韓民国臨時政府の跡地[101]にも訪れた。国賓であったが、同年に訪中したフィリピンドゥテルテ大統領アメリカトランプ大統領への厚遇と比較して、冷遇されたと報じられた[102]
  • 2017年12月15日 北京大学で講演した文在寅大統領は、「韓国も小さな国ではありますが、その夢(中国の夢)を共にします」「中国の夢が中国のみの夢でなく、アジア、ひいては全人類が共に夢見るものとなることを望みます。韓国もその夢を共有するでしょう」と語り、中国を「大きな峰」と称え、韓国を「小さな国」と頻繁に強調したが[103]、『朝鮮日報』は、中国政府からぞんざいに扱われ、意図的な冷たい仕打ちを受けているのに、自らを卑下していると批判しており[63][64]鈴置高史は「覇権主義を隠さなくなった中国におべっかを使ったのです」と評している[104]
  • 2017年12月22日 中国と米国の協議[105]により領海での制裁違反の可能性がある船舶に対する臨検及び拿捕などの義務化や石油精製品輸出の9割を削減して新たな核実験とミサイル発射があればさらに北朝鮮への石油供給制限も行うとする表現などを初めて記載した国連安保理決議が全会一致で採択された[105]
  • 2018年3月12日、韓国の鄭義溶国家安全保障室長が訪中して米朝首脳会談に向けた交渉での習近平総書記の果たした重要な役割に対する文大統領からの謝意を伝えた際[106]、座席配置が「皇帝式接見」として韓国で再び物議を醸した[107]
  • 2018年3月25日 金正恩は最高指導者就任後初の外遊として中国を訪れて習近平総書記と最高指導者就任後初の外国との首脳会談を行い、訪中を「命のように大事な朝中親善を引き継ぐ私の崇高な義務」と演説[108][109]、北朝鮮国内で金正恩が現地指導で部下にメモを取らせる姿と対照的[110][111]な習近平総書記の発言をメモに書き留める金正恩の姿は記録映画から削除されていた[112]
  • 2018年4月13日 公演を行う中国芸術団とともに中国共産党中央対外連絡部部長の宋濤が訪朝。異例である2度の会談を金正恩と行った[113]
  • 2018年4月24日 黄海北道で中国人観光客が犠牲になった交通事故を受けて金正恩が中国大使館と負傷者を治療してる病院を訪問し、負傷者などを乗せた特別列車を編成させて被害者に見舞金も送金するなど北朝鮮国内の事故を公表して最高指導者自らが謝罪する異例の対応を行い[114]、責任者は銃殺刑に処される[115]
  • 2018年5月2日 中国外相として11年ぶりに訪朝した王毅が金正恩と会談を行った[116]
  • 2018年5月7日 初めて航空機を外遊に利用して金正恩が中国の大連を訪れて習近平総書記と会談を行った[117][118]。朝鮮中央放送で中国の習近平総書記に面会した金与正が韓国の文大統領に直立で握手した時と対照的な2度も90度近くお辞儀した姿が報じられたことが話題となる[119][120]
  • 2018年6月10日 米朝首脳会談のため、金正恩が中国国際航空政府専用機を利用してシンガポールを訪問[121]
  • 2018年6月13日 米朝首脳会談から金正恩は中国機で平壌に帰国[122]
  • 2018年6月15日 習近平総書記の誕生日への祝電を金正恩が花籠とともに5年ぶりにおくり、「血で結ばれた朝中友好をこの上なく大切に思う」と述べる[123]
  • 2018年6月19日 金正恩は三度目の中国訪問を行い、習近平総書記を「偉大な領袖」「偉大な指導者」と称え[124][125]、「中朝は一つの家族同然であり、古今東西に例のない関係」と演説[126]
  • 2018年7月27日 休戦協定締結65周年で金正恩は朝鮮戦争で戦死した毛沢東の長男である毛岸英の墓を訪れ、「中朝は地理的に近いだけでなく、互いの血と命を捧げて結ばれた例のない特別な関係」と述べた[127]
  • 2018年9月9日 北朝鮮の建国70周年記念行事で従来披露されてきた大陸間弾道ロケット(ICBM)が登場せず、経済建設が強調され、隣で閲兵する中国序列3位の栗戦書全国人民代表大会常務委員長と手を取り合って歓声に応え、栗戦書らとの会談で中国から非核化と経済重視の新戦略路線が評価された金正恩は中国の経験に倣って経済発展を推し進めると応じ[128][129]、5年ぶりに行われたマスゲームも中朝友好が演出されて栗戦書と金正恩が肩を並べて観覧した[130]
  • 2019年1月8日 金正恩が妻の李雪主や実妹の金与正らを伴って中国を訪問。金正恩の35歳の誕生日でもあったため、祝宴も行われた[131]
  • 2019年6月19日 北朝鮮の労働新聞に習近平が寄稿して金正恩の経済建設路線を支持[132]
  • 2019年6月20日-21日 中国の指導者としては14年ぶりに習近平が訪朝[133]
  • 2020年1月31日 この日を境に北朝鮮側が中朝国境を閉鎖。新型コロナウイルス感染症拡大防止が目的。このため同年の貿易量が激減[134]
  • 2021年3月23日 金正恩と習近平が口頭親書交換(北朝鮮メディアが報じる)[135]

中国朝鮮関係史に関する評価[編集]

世界各国の教科書における中国朝鮮関係史の描写[編集]

  • 「朝鮮は数百年間中国の属国だった」(カナダの教科書)[136][137]
  • 「朝鮮は近代に至るまで、その国内での抵抗にかかわらず、中国と日本の属国だった」(オーストラリアの教科書)[138]
  • 「朝鮮半島は古代から中国の植民地であった」(インドネシアの教科書)[139]
  • 「朝鮮が17世紀に中国の支配に入っていて、これは中国が弱くなった19世紀末まで続いた」(タイの教科書)[137]
  • 「朝鮮は中国の属国だった」「1600年代初め、中国が朝鮮を再び支配した。300年間、朝鮮は中国の統治下にあった」(アメリカの教科書)[140][137][138]
  • 「朝鮮半島のあらゆる歴史は中国と日本の侵略威嚇として綴られた」(フランスの教科書)[136]
  • 独裁及び傀儡国家」「政治的、軍事的に帝国主義に依存している」(チェコの教科書)[136]
  • 「かつてロシアの植民地で、日本の植民地でもあった国家」(シンガポールの教科書)[141]
  • 中国語を使用している国家」(ウルグアイの教科書)[141]
  • 「朝鮮半島は中国語使用地域」(アルゼンチンの教科書)[142]
  • 「朝鮮半島の宗教は儒教」「公用語中国語日本語」(クウェートの教科書)[143]
  • 「清は18世紀なかごろに(略)朝鮮・ベトナム・タイ・ミャンマーを属国とする大勢力となった」(日本・山川出版社 『詳説世界史』)
  • 「いっぽう清国も、朝鮮を属国あつかいにした」」(日本・東京書籍 『日本史A』)
  • 「(日清戦争で)日本の勝利となり、下関条約が結ばれ朝鮮の独立が認められた」(『中等世界史』 韓国・英志文化社 1959年
  • 「朝鮮は清の半属国だった」(『高等世界史』 韓国・教友社 1962年
  • サミュエル・P・ハンティントンは彼の著書『文明の衝突』で、わが国を中国の文明に抱含させている。外国人の目には、わが国の文化が中国とあまり差異なく見えるようだ」(『高等学校世界史』 韓国・教学社 2003年
  • 『世界史A』(実教出版、46頁)は、モンゴル帝国の発展を示す地図のなかに安南高麗を含め、『世界史B』(実教出版、145頁)と『高校世界史B』(実教出版、86頁)は、モンゴルの最大版図の外側に安南と高麗を同じ色刷の斜線で図示[144]
  • 世界の1億人を対象にした教科書を出版しているピアソン・エデュケーションは、朝鮮半島を中国の属国に定義付ける世界史の試験問題を出題[145]
  • 1478年から現在まで、アメリカ合衆国(以下アメリカ)をはじめ、日本カナダ中国など世界約50か国で教科書を出版しているオックスフォード大学の出版社が制作している中学校課程教科書は、古代中国の領土を表記した「古代の世界」の1ページで、朝鮮半島全体を中国領土に抱含[145]
  • アメリカの世界史教科書では万里の長城鴨緑江近隣までのびている地図が掲載され、「1640年代に朝鮮は中国・清王朝の属国になった」と記述[146][147]
  • アメリカの大部分の教科書は朝鮮半島が「中国と日本の属国」と記述[148]
  • アメリカの教科書は、古代の中国地図に朝鮮半島を中国の領土と表記[143]
  • アメリカのマクドゥーガル・リトル出版社が発行している教科書に収録された1850~1910年に分割占領された中国領土地図[1]には、朝鮮半島が中国領土であるかのように領域圏を明示したうえで、朝鮮半島と台湾を日本が植民地化したものと図示[149]
  • メキシコの教科書は、朝鮮半島を1910年以前の中国領と表記し、朝鮮民族ではない他民族の写真を掲載[143]
  • アメリカ14州で教科書に採択しているホルト・ラインハルト&ウィンストン出版社の「世界史、人間と国家」は、高句麗渤海高麗朝鮮等も中国の一部であるかのように記述し、「中国の朝鮮半島統治は朝鮮文化にどのような影響を及ぼしたか」という回答を誘導[150]
  • VANKに拠ると「全世界の学生の朝鮮半島に対する認識を形成させる外国の教科書は、『朝鮮半島を中国や日本の属国で貧しい農耕国家』と記述」している。[151]
  • アメリカの教科書は朝鮮半島関連の内容を少なく扱い、朝鮮半島を中国・日本の周辺国と描写しており、朝鮮半島が中国と日本の支配を順に受けたかのように記述しており、「1600年代から中国が朝鮮を300年間支配した」と記述[152]
  • 外国の世界史の教科書の50 %以上は朝鮮半島史を半ページ程度紹介しているだけで、10ページ余り近い日本史中国史の20分の1の水準である。ワールド・ヒストリー・ピープル&ネーションズの教科書は、紀元前87年の漢の領土が漢江の南まで下っている。万里の長城豆満江までつながり、13世紀の高麗はモンゴルの属国、朝鮮は清の植民地として描写。ワールド・ヒストリー&ユーの教科書は、日本・中国と異なり、朝鮮半島史は朝鮮戦争から叙述。ロンリー・プラネットの教科書は、「韓国人男性は本能的に外国人男性に排他的だ。これは女性を奪いに来ていると誤解しているため」と叙述され、これをモンゴル侵略以後に膨らんだ心理状態と描写[153]
  • 小中高の教科書と旅行関連書籍、マルチメディア教育用CDロムタイトルを米国、豪州、ニュージーランド、インド、ドイツ、南アフリカ、カナダに供給する世界最大規模の多国籍教科書および旅行関連書籍を発行するイギリスに本部を置く出版社DK社が発行する教科書に韓国の公用語は中国語とハングルと表記[154]
  • 香港の中学1年の歴史教科書の150ページは、三国時代の記述で、初期の高句麗領土に該当する地域を魏の領土として色分けする[155]
  • 村井友秀は、1953年発行の中国政府の国定教科書には、かつての朝貢国インドシナ半島朝鮮半島)は、「外国に奪われた中国の領土である」と記述していることを指摘している[156]
  • スペインの教科書は、朝鮮半島で使われている文字を漢字、朝鮮半島の人種を中国-モンゴル人種として表記して、スペイン、オーストリアオランダカナダの教科書は、朝鮮半島に対する叙述が近・現代史に限定され、中国と日本・米国と旧ソ連の至大な影響の下、被侵の歴史が染み付いた弱小国という印象が非常に濃厚に滲み出る[157]
  • 延世大学教授の柳錫春は、インドネシアフィリピンタイの教科書では、朝鮮半島の歴史を日本や中国の一部と記述している[158]
  • トルコの高校地理教科書は、「朝鮮半島の民族は大部分朝鮮人だが、残りは中国人と日本人で構成されている」と記述[159]
  • 全世界の大部分の教科書では、朝鮮の歴史が中国・ロシア・日本の植民地と紹介され、大部分の外国の子供たちは朝鮮史は中国の植民地と認識している。また、外国の教科書には、「朝鮮半島は中国と日本というの間に挟まれた海老」だと載っている[160]
  • アメリカをはじめとする多くの国家で日本中心の歴史観をそのまま借用し、「中国と日本の属国として綴られている歴史を持っている」という記述が主流となっている[136]
  • アメリカの中等学校の社会科の教科書『世界地理‐世界的観点』には、「彼ら(朝鮮)は中国の文字表記法を借用し、多くの中国の語彙を改造して使用した」と叙述[161]。これについて韓国教育課程評価院のパク・ソンミ研究委員は、「アメリカの教科書執筆者らが、朝鮮文化が中国文化圏に属しているという考えを持っているためであるようだ」と指摘[161]
  • アメリカの世界史の教科書には中国と朝鮮の間の朝貢秩序を、朝鮮を中国の属国と見なす内容がある[161]。国教育開発院の李讃熙博士は「朝鮮半島の歴史を主体的に扱っておらず、中国、日本などの歴史叙述のために付随的に挿入されているケースが多い」と指摘[161]
  • アメリカの教科書は、朝鮮半島関連の内容を「中国の周辺」という節でモンゴルの次に紹介し、主に中国と日本に焦点が合わされ、日本に関する内容は学年に関係なく多い反面、朝鮮半島に関する内容は得にくい状態となっている[140]
  • アメリカの教科書は、東洋の代表的文化といえば中国と日本だけしか書かれず、また、朝鮮は中国と日本の子分と書かれ、万里の長城が平壌まで引かれ、朝鮮が清朝の領土になっている[162]。具体的にアメリカの教科書に、「朝鮮は独自の文化をもつ東アジアの国である。その長い歴史の大半を、朝鮮は周辺の大国に支配されてきた。なかでも中国や日本は頻繁に朝鮮を政治的に支配してその文化に影響をおよぼした。(中略)朝鮮半島の北方地域は、中国皇帝の領土となった。西暦1年ごろから900年まで朝鮮は三つの王国にわかれていた。中国の文化は朝鮮半島の北方にある王国に強い影響をおよぼした。この時期に仏教儒教、そして漢字が朝鮮半島に入ってきた。日本の文化は、南方にある二つの王国にたいして中国以上の影響をおよぼした。(中略)高麗の王たちは独自に朝鮮を治めていたが、モンゴル帝国朝貢しなければならなかった。(中略)朝鮮人は、科挙制度をはじめさまざまな中国の文物を取り入れ、中国文化にのめりこんでいった。(中略)満州族の影響。朝鮮人は日本との戦いで疲弊した。その結果、1630年代、満州からきた新しい侵略者は全土をあっというまに征服した。李王朝の統治者は権力を維持したものの、満州族の政府に服属した。中国の満州族政府は日本の影響力が強まることを望まなかった。満州族は李王朝に対する統制をよりいっそう強固なものにしようとした。(中略)日清戦争終結後の1895年末、中国は朝鮮の独立を認めた。日本はこうして満州族の朝鮮支配を終焉させた。(中略)朝鮮は第二次世界大戦で日本帝国が敗れる1945年まで独立できなかった。現在も朝鮮は、中国、日本、アメリカのような大国の影響下から抜け出せずにいる」と記述[162]。これについて金完燮は、朝鮮が明朝清朝の属国だったことは事実であるため、朝鮮半島を明朝、清朝の領土というのも自然であり、「朝鮮が独立国だったかのように教える韓国の教科書が異常なのだが、(中略)私たちが日本の助けで1897年に初めて独立国になったという事実を知らない」と述べている[162]
  • スイスの小学校地理教科書は朝鮮半島を中国の領土と表記している[163]

中国朝鮮関係史に関する識者の評価[編集]

  • 黄文雄は、「統一新羅以後の朝鮮半島と、中華帝国の歴代王朝の関係は単なる『友好関係』『同盟関係』で、宗属関係ではないと主張する韓国人学者たちは、歴史事実を『無視』しているか、『無知』であるかのどちらかである。もし、統一新羅後の朝鮮歴代王朝が中華帝国の千年属国でないなら、次の史実を弁明できるだろうか」として、以下反問している[29]
  1. 日清戦争後下関条約第一条に、なぜ「朝鮮独立」を明記したのか。
  2. 中華の朝廷が、なぜ朝鮮の国王王妃太子廃立に関する権限を持っているのか。
  3. なぜ中華のを使用するのか。
  4. 中朝商民水陸貿易章程」(1882年調印)に、「古代から属国であるので清国政府とのすべての問題における交通の規範は固定されており変更の必要はない」と明記してあるのはなぜか。
  5. アメリカ政府興宣大院君逮捕の際、なぜ、「朝鮮は清国の従属国家であり半島における何世紀にもわたる封建的国家としての支配は清国によって承認された」と言ったのか。
  6. が北方のに朝貢していた時代、高麗朝貢使は宋になぜ朝貢と冊封を要求したのか。
  7. 李氏朝鮮李成桂はなぜ明国に冊封を求めて、国号王位印璽下賜を求めたのか。
  8. 洪翼漢朝鮮語版の『尊周彙編』に「列聖相承、世藩職修、事大一心(先祖代々から中華の藩屏として仕え、強大な主君に一意専心仕えるのみ)」とあるのはなぜか。
  9. なぜ李氏朝鮮が清国の勅使迎恩門で迎えられ、太子が慕華館で酌の礼をするのか。
  • 黄文雄は、「中華三千年の歴史のなかで、周囲の東胡匈奴鮮卑五胡突厥回鶻契丹女真蒙古満洲といった北方民族などは、中華世界覇権ゲームに参戦し、一度は中華世界に脅威を与え、また民族によっては首都を占領し、あるいは全中華世界を征服さえしている。 しかし同じ北方民族でも朝鮮人だけは、せいぜい貢女宦官あるいは朝鮮人参を献上した程度で、いわば忘れられた地であった。そのため、大きな変革も戦闘もない代わりに発展もせず、東洋最後の秘境として世界史への参加が遅くなったのだ。朝鮮はチベットのような高原内陸国家ではない。海と陸を併せ持つ交通の至便な半島でありながらも、千年属国になったがために千年鎖国の道を歩んだ[164]」「中国はの時代からすでに周辺の夷狄冊封関係を取っており、朝鮮半島もその例外ではなかった。中国との宗属関係が決定的になったのは、統一新羅(六六八~九三五年)の時代からだ。唐の後押しで三国を統一することができた統一新羅は、唐に属国として忠誠を誓い、それ以降、半島の王朝交代などによって強弱の差はあったものの、朝鮮は中国歴代王朝との属国関係に甘んじた。五代十国の中国戦乱時代の数年間は例外としても、それ以外は一貫して中華帝国の『千年属国』であった[13]」「朝鮮は、『礼儀の国』や『君子の国』と称されるのを誇りにしているようだが、それはまさしく属国としての誇りにほかならない。その言葉は宗主国である中国に対する属国の礼を忠実に守る国を指すものだ。中華帝国の配下にある国王は原則として中国皇帝臣下として任命されていた。朝貢は、礼部の管轄とされていた。朝鮮の朝貢使節が北京詣でをする際は、諸侯の礼さえ受けられない粗末な待遇だった。そもそも中国の属邦のなかでも朝鮮の地位は最も低く、下国のなかの下国であった。朝鮮国王の言動が中国皇帝の逆鱗に触れたときは厳しく処罰され、貨幣鋳造権停止の処分を受けたこともある[165]」「ローマ帝国イタリア半島の国家であったし、イベリア半島からもスペインポルトガルなど、大航海時代を切り開いた国家が誕生している。そのなかで朝鮮半島だけが古代から北方諸民族、列強の属国として外来諸勢力の支配下に置かれてきたのだ。それでありながら、『韓半島の地形は、大陸にぶら下がっている乳房に似ていて、日本人は韓国の乳房を吸って大きくなった』という『韓国乳房論』が韓国にはある。もちろん中国人なら、韓国人も日本人も中国の乳房を吸って大きくなったと反論するだろう。日本人にとっても朝鮮は、『乳房』どころか大陸への陸橋的な存在にすぎなかった。古代日本人の『日出づる国に対して日没する国』という二元的世界観にも、『本朝唐土天竺』という三元的世界観にも朝鮮半島は含まれていなかった。豊臣秀吉の朝鮮出兵の目的は、『征明』であって、朝鮮はその通り道にすぎなかった[166]」と評している。
  • 旗田巍は、稲葉岩吉満鮮史の立場上、朝鮮の歴史の「自主的発展」を認めず、朝鮮歴代の王家は、満州あるいは大陸からの敗残者が朝鮮に逃げこんだものであると主張したと批判している[167][168]
当時、朝鮮人のなかで檀君神話がとなえられたのに対して、稲葉岩吉は、檀君神話の架空性を批判する一方、「満鮮不可分論」を主張し、朝鮮歴代の王家は、満州あるいは大陸からの敗残者が朝鮮に逃げこんだものであり、朝鮮と満州とは、政治的・経済的に一体「不可分」であり、朝鮮だけの、独自の存在はありえないことを主張した[169] — 旗田巍、朝鮮史研究の課題

脚注[編集]

  1. ^ 歴史の胎動(先史時代~古朝鮮) - KOREA.net
  2. ^ 歴史の胎動(先史時代~古朝鮮) - KOREA.net
  3. ^ Josh Smith, Jeongmin Kim (2018年10月21日). “North Korea's box of bones: A mythical king and the dream of Korean unification”. Reuters. オリジナルの2021年3月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210303050846/https://www.reuters.com/article/us-northkorea-southkorea-unification-myt-idUSKCN1MV022 
  4. ^ “スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」”. 中央日報. (2004年9月27日). オリジナルの2021年5月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210514081030/https://japanese.joins.com/jarticle/56213 
  5. ^ “COREA El muro de Berlín asiático”. El Mundo. オリジナルの2021年2月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210223150447/https://www.elmundo.es/documentos/2003/04/guerras_olvidadas/corea.html 
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk 亀井高孝ほか編『標準世界史年表』吉川弘文館
  7. ^ 矢木毅 2008, p. 43
  8. ^ 矢木毅 2008, p. 43
  9. ^ 矢木毅 2008, p. 44
  10. ^ 矢木毅 2008, p. 40
  11. ^ 小島毅『「歴史」を動かす―東アジアのなかの日本史』亜紀書房、2011年8月2日、129頁。ISBN 4750511153
  12. ^ 小島毅『「歴史」を動かす―東アジアのなかの日本史』亜紀書房、2011年8月2日、130頁。ISBN 4750511153
  13. ^ a b 黄文雄『日本の植民地の真実』扶桑社、2003年10月31日、137頁。ISBN 978-4594042158
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参考文献[編集]

関連項目[編集]