中印関係

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中印関係
中国とインドの位置を示した地図

中華人民共和国

インド
在外公館
在インド中国大使館英語版 在中国インド大使館英語版
モディ習近平2016年G20杭州サミット英語版

中印関係(ちゅういんかんけい)は、中国中華人民共和国)とインドインド共和国)の国際関係印中関係ともいう。

両国はヒマラヤ山脈国境とする隣国であり、古代からシルクロード仏教伝播を通じて交流があった。現代の国交1950年に始まる[1]中印国境紛争チベット問題で政治的には対立してきたが、21世紀には経済協力が進むなど、「政冷経熱[2]」の関係にある。

両国には多くの共通点がある。例えば、世界で一二を争う人口、高いGDP、かつてアジアを代表する帝国だったが列強帝国主義に搾取された歴史[3]核の保有などが挙げられる。21世紀にはG20BRICSを構成し、米国に次ぐ第二・第三の大国として台頭しているとも言われる[4]

概況[編集]

地理[編集]

中印国境。黄色が係争地

東西に長いヒマラヤ山脈国境として、中国のチベット自治区南部とインド北部が接する。国境の途中にネパールブータン緩衝国として挟まっている[5]。西はパキスタン、東はミャンマーが中印両国と接する。

国境問題係争地は3つあり[6][5]、1.西部のカシミール地方(ラダックアクサイチンカラコルム回廊)、2.中部のヒマラチャル・プラデシュ州およびウッタラカンド州の国境線、3.東部のアルナチャル・プラデシュ州蔵南地区)である[5]。ネパールとブータンの間にあるインド領シッキム州(旧シッキム王国)は、2003年に領有が合意されたが、その後も警戒態勢が続いている[7]

ヤルツァンポ川ブラマプトラ川

ヤルツァンポ川ブラマプトラ川)は、上流が中国、下流がインドにある。2014年から中国側のダム開発による水資源掌握が国際問題になっている[8]ブラマプトラ川のダム一覧英語版)。

陸路は、山脈を西に迂回して中央アジア西域)からパキスタンカイバル峠を通る回廊があり、古くは「シルクロード」「オアシスの道」、現代では「一帯一路」における「中パ経済回廊英語版[5]」と重なる。その他、山脈東側の「茶馬古道[9]」「BCIM経済回廊英語版[10]」などがある。

海路は、南シナ海から東南アジアを経てインド洋に至る航路があり、古くは「海のシルクロード」、現代では「インド洋シーレーン[5]」「真珠の首飾り[5]」と重なる。

統計[編集]

人口は、2023年半ばにインドが中国を抜いて世界1位(約14億2860万人)になった[11]。両国の人口を足すと、世界の総人口の約3割に及ぶ[11]

GDPは、中国が世界2位、インドが5位(2023年時点。1位米国、3位日本、4位ドイツ)となっている[12]

軍事費は、中国が世界2位、インドが3位(2021年時点。1位米国)となっている[12]。両国とも核保有国だが、インドは核拡散防止条約(NPT)に参加していない[12]

貿易では、中国はインドにとって最大の貿易相手国の一つであり、経済的依存関係にある[13]

歴史[編集]

前史[編集]

玄奘7世紀
蔣介石宋美齢夫妻とガンディー1942年

考古学においては、西周時代からの複数の遺跡で、インダス川流域の特産品であるカーネリアンビーズエッチド・カーネリアン・ビーズ英語版)が発掘されている[14]。また、インド洋沿岸各地で南宋以降の中国陶磁器片が発掘されている[15]

両国の古典には、古くから互いへの言及がある。『史記』では「身毒」、『後漢書』では「天竺」といった形で様々にインドを呼んでおり、『大唐西域記』以降は「印度」が一般的になった[16]。一方『マハーバーラタ』『マヌ法典』『実利論』などでは、中国を「チーナ英語版」や「チーナスターナ」と呼んでいる[17]。このインド側の呼称が、漢訳仏典などで「支那」や「震旦」と訳された[17]。その他『皇華四達記[18]諸蕃志[18]島夷誌略中国語版[18]嶺外代答中国語版』『瀛涯勝覧』といった中国の地誌にもインドへの言及がある。

仏教のシルクロード伝播が進むと、仏陀跋陀羅達磨がインドから中国に訪れ、法顕玄奘義浄が中国からインドに訪れた。とくに玄奘は『西遊記』の「三蔵法師」の原型になった。また仏教だけでなく、インド占星術須弥山説・チャトランガシャンチー)などの科学技術や文化も伝播した。インド人を祖にもつ瞿曇悉達は『九執暦』『開元占経中国語版』を著し、インド数学天文学英語版を中国に伝えた[19]

後漢クシャーナ朝などとの交易は、『エリュトゥラー海案内記』からも窺える[20]太宗ヴァルダナ朝ハルシャ・ヴァルダナの間では、王玄策ら使節の往来が行われた[21]チョーラ朝ラージャラージャ1世ラージェーンドラ1世北宋に使節を派遣した[22]南宋以降はジャンク船がインド洋を訪れた[22]イブン・バットゥータは、トゥグルク朝スルターン・ムハンマドからへの使節に任命された[23]鄭和はインド各地に来航し、コッチに石碑を建てたと伝えられる[24]。鄭和の来航を受けたベンガル・スルターン朝は、アフリカ産のキリン永楽帝に贈った(『瑞応麒麟図』)。マイソール王国ティプー・スルターンに使節を派遣した。

イギリス東インド会社は、イギリス・インド・清の間で三角貿易を行った。同社により国際都市となったコルカタには清の商人が移住し、インドの華人コミュニティの始まりとなった[25]

1841年から1842年、インド北西部のシク王国と清の間で「清・シク戦争」が起こった。清末にはシク教徒上海共同租界警察などを務め、中国人から「阿三」と呼ばれた。

20世紀前半には、孫文ラス・ビハリ・ボースが日本の頭山満を介して交流したり[26]タゴール1924年に訪中しアジアの協同を説くなど[27]アジア主義反帝国主義を通じた友好関係が築かれた。第二次世界大戦中には、抗日戦争インド独立運動が反帝国主義として重ねられた[28]1939年にはネルー蔣介石重慶で会談し、1942年には蔣介石・宋美齢夫妻とガンディーがインドで会談した[28]。大戦後期には、連合軍によって援蔣ルートの一つ「レド公路」が中印間に敷かれた[29]

1950年から[編集]

ダライ・ラマ14世ネルー周恩来1956年
中印国境紛争1962年

1947年にインドが独立し、1949年に中華人民共和国が成立すると、1950年、インドは「二つの中国」のうち中華人民共和国を承認し、国交を樹立した[30][1]1954年周恩来ネルーは互いを訪問し、平和五原則を確認した[31]1955年インドネシアで開催されたバンドン会議(アジア・アフリカ会議)では、二人が指導的役割を担い、後の非同盟運動に繋がった[30]

1950年代には、こうして友好関係が築かれ「印中は兄弟」(ヒンディー・チーニー・バハイ・バハイ)と謳われた[31]。しかし同時に、国境問題がこの頃から浮上していた[31]チベット問題をめぐっても、ネルーが中国政府に宥和的だったのをアンベードカルが批判するなど、インド国内で見解が分かれていた[32]

1959年チベット動乱が勃発し、ネルーがダライ・ラマ14世チベット亡命政府を受け入れ、1962年中印国境紛争が発生すると、友好関係は失われ、長い冬の時代が始まった[33][31]。紛争時、中ソ対立印パ対立が同時進行していたことから、印ソ英語版中パの接近が進んだ[34]1964年には中国の核実験1974年にはインドの核実験が初めて行われた[35]

紛争中、インドの華人に対し強制収容英語版や国外追放が行われた。また関係停滞により、中華料理ガラパゴス化した「インド中華」が生まれた[36][25]

現代[編集]

習近平モディBRICSの首脳陣(2019年G20大阪サミット

1976年の両国大使再派遣や、1984年の貿易協定を経て、1988年ラジーヴ・ガンディー訪中、1991年李鵬訪印に至ると、中印関係は改善期に入った[37][38]

2003年には、中国のチベット領有と、インドのシッキム領有が合意された[39][40]2009年COP15[41]2021年COP26では[42]、環境規制よりも経済成長を優先する立場で一致した。2015年には、中国主導のアジアインフラ投資銀行にインドが創設メンバーとして参加した[42]2017年には、中国主導の上海協力機構にインドが正式に参加した[43]

一方、1998年にはインドが対中パを想定した核実験を行い[44][38]インドの核実験)、2020年には中国が国境紛争を再燃させる(2020年中印国境紛争)など、対立も続いている。中国の「一帯一路」にインドは明確に反対している[45]

三国関係[編集]

近隣諸国[編集]

パキスタンは、中国との関係が良いのに対し、インドとの関係は悪い。「一帯一路」における中パ経済回廊英語版は、印パ係争地パキスタン実効支配地域を通ることなどから、インドは開発に反対している[46]

ブータンは、インドとの関係英語版が良いのに対し、中国との関係は悪い。ブータンと中国の係争地ドクラム英語版をめぐって、ブータンとインドは共闘体制を示している[5]

ネパールは、インドとの関係英語版を良くしつつ、中国との関係英語版も良くしている[5]。中国は山脈を貫く中国・ネパール鉄道英語版の計画を進めている[47]

ミャンマースリランカは、中印両国の経済援助を受けており、影響力争いの場となっている[48][49]

ロシア[編集]

冷戦中は、中印対立・中ソ対立の裏で、印ソ英語版が「印ソ平和友好協力条約」を結び、ソ連から軍事支援が行われた[33]ソ連崩壊をきっかけに、インドはロシアよりも東南アジア・東アジアに接近する「アクトイースト政策英語版」(当初はルックイースト政策)を開始した[50]。21世紀には、印ロ英語版中ロも再接近している[51]

2022年ロシアのウクライナ侵攻が起こると、直後の国連安保理ロシア非難決議案採決では、中印どちらもロシアを非難せず「棄権」した少数の国となった[52]

日本[編集]

日中印三国に関わる政策として、日本の「自由で開かれたインド太平洋戦略」、中国の「一帯一路」、インドの「アクトイースト政策英語版」がある[53]

日米豪印戦略対話(クアッド)と中国は相反関係にある[54]

脚注[編集]

  1. ^ a b 三船 2010, p. 42.
  2. ^ 笠井 2023, p. 44.
  3. ^ 笠井 2023, p. 20.
  4. ^ 笠井 2023, p. 18.
  5. ^ a b c d e f g h 中村幹生 (2023年5月24日). “地政学的要衝研究会 インド太平洋地域の要を担うインド | ゲスト報告者:中村幹生”. 政策シンクタンクPHP総研. 2023年11月8日閲覧。
  6. ^ 三船 2010, p. 49.
  7. ^ 藤和彦. “RIETI - 中国、インド領土内に数千人の村を建設、実効支配を狙う…中印軍事衝突の緊張高まる”. www.rieti.go.jp. 2023年11月8日閲覧。
  8. ^ 弓野正宏 (2015年1月6日). “中印で水資源の争奪戦が勃発? チベットのダム稼働で高まるインドの警戒感”. Wedge ONLINE(ウェッジ・オンライン). 2023年11月8日閲覧。
  9. ^ 金丸良子. “茶馬古道と麗江”. www.fl.reitaku-u.ac.jp. 2023年11月9日閲覧。
  10. ^ 笠井 2023, p. 145.
  11. ^ a b 日本放送協会 (2023年7月11日). “7月11日は「世界人口デー」 インドが世界最多 人口の増加続く | NHK”. NHKニュース. 2023年11月8日閲覧。
  12. ^ a b c 笠井 2023, p. 16.
  13. ^ 笠井 2023, p. 43.
  14. ^ Zhao, Deyun (2014). “Study on the etched carnelian beads unearthed in China”. Chinese Archaeology 14: 178. doi:10.1515/char-2014-0019. オリジナルの2 December 2021時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211202073138/http://www.kaogu.cn/uploads/soft/Chinese%20Archaeology/14/20180303y3.pdf 2021年2月28日閲覧。. 
  15. ^ 辛島 2007, p. 143f.
  16. ^ 石﨑貴比古「天竺の語源に関する一考察」『印度學佛教學研究』第69巻、第2号、日本印度学仏教学会、2021年。 NAID 130008085143https://doi.org/10.4259/ibk.69.2_951 
  17. ^ a b 椙村大彬「チナという地名の表現にみられる論理と現実(1)」『学芸地理』第13巻、東京学芸大学地理学会、11f頁、1959年。 NAID 110008918811http://hdl.handle.net/2309/118480 
  18. ^ a b c 辛島 2007, p. 141.
  19. ^ 瞿曇悉達』 - コトバンク
  20. ^ 篠原陽一. “2・1・2 『エリュトラー海案内記』にみる海上交易”. koekisi.web.fc2.com. 2023年11月8日閲覧。
  21. ^ 王玄策』 - コトバンク
  22. ^ a b 辛島 2007, p. 94;141.
  23. ^ 辛島 2007, p. 145.
  24. ^ 辛島 2007, p. 142.
  25. ^ a b 岩間 2021, p. 359-363.
  26. ^ ラス・ビハリ・ボース│創業者ゆかりの人々│新宿中村屋”. 新宿中村屋. 2023年11月9日閲覧。
  27. ^ 李 2012, p. 231f.
  28. ^ a b 段 2010, p. 112ff.
  29. ^ ミャンマーとインドの連結性と通商関係 - 一般財団法人国際貿易投資研究所(ITI)” (2019年3月10日). 2023年11月9日閲覧。
  30. ^ a b 笠井 2023, p. 21.
  31. ^ a b c d 堀本 2015, p. 69f.
  32. ^ 笠井 2023, p. 22.
  33. ^ a b 笠井 2023, p. 26.
  34. ^ 笠井 2023, p. 26;29.
  35. ^ JAIF 一般社団法人 日本原子力産業協会 躍進するアジア等の原子力 インド”. www.jaif.or.jp. 日本原子力産業協会. 2023年11月11日閲覧。
  36. ^ 笠井 2023, p. 153.
  37. ^ 堀本 2015, p. 70.
  38. ^ a b 三船 2010, p. 45f.
  39. ^ 三船 2010, p. 46.
  40. ^ 笠井 2023, p. 41.
  41. ^ 堀本 2015, p. 74.
  42. ^ a b 笠井 2023, p. 4;43.
  43. ^ 上海協力機構に「呉越同舟」インド・パキスタンの思惑”. 日本経済新聞 (2017年6月28日). 2023年11月10日閲覧。
  44. ^ 笠井 2023, p. 35.
  45. ^ 笠井 2023, p. 4.
  46. ^ 笠井 2023, p. 146.
  47. ^ 笠井 2023, p. 143.
  48. ^ RIETI - ミャンマー軍クーデター、アジアで高まる地政学リスク…インド・中国、代理戦争の懸念”. www.rieti.go.jp. 2023年11月10日閲覧。
  49. ^ 伊藤融. “揺れるスリランカをめぐるインドと中国の影響力争い―クアッドは役割を果たせるか?”. 笹川平和財団. 2023年11月11日閲覧。
  50. ^ 笠井 2023, p. 34.
  51. ^ 笠井 2023, p. 180;189.
  52. ^ 笠井 2023, p. 189.
  53. ^ 笠井 2023, p. 34;51;82.
  54. ^ 日本放送協会. “【詳しく解説】日米豪印クアッド(QUAD)ってなに?焦点は?”. NHK政治マガジン. 2023年11月15日閲覧。

参考文献[編集]

関連文献[編集]

  • 田所昌幸『台頭するインド・中国 相互作用と戦略的意義』千倉書房〈慶應義塾大学東アジア研究所叢書〉、2015年。ISBN 978-4805110577  中印関係がテーマの論集。

関連項目[編集]