ヴァルダナ朝

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ヴァルダナ朝

ヴァルダナ朝(Vardhana)またはプシュヤブーティ朝(Pusyabhuti)は、7世紀前半、ハルシャ・ヴァルダナが創始した古代北インド最後の統一王朝で、首都カナウジ(Kanauj、曲女城)。

概要[編集]

インドの丘陵と高原——北インド南インドを分けるヴィンディヤ山脈

前史[編集]

4世紀前半に起こって同世紀末から5世紀前葉にかけて全盛期をむかえたグプタ朝であったが、550年ころに「白いフン族[1]と呼ばれた遊牧民エフタルインド・エフタル)の侵略によって滅亡すると、北インドは分裂状態に陥った。

建国[編集]

そうしたなか、勇敢な武将であったハルシャ・ヴァルダナ(戒日王)が現れて606年頃に即位し、マウカリ朝英語版等を併合して混乱のうちにあった北インドの大部分を統一し、ヴィンディヤ山脈Vindhyas の北側一帯を支配した。

文武両面に秀でた名君のひとり[2]であったハルシャ王は仏教に帰依し、また、ヒンドゥー教など諸宗教を保護した。玄奘は、貞観3年(629年)から貞観19年(645年)にかけてヴァルダナ朝を訪れ、『大唐西域記』において、首都カナウジの繁栄ぶりや当時のインドの人びとの正直で誇り高い絶賛している[3]

分裂期[編集]

647年頃、ハルシャ王が後継者を残さずに没すると、アルジュナ中国語版(阿羅那順)が王位を簒奪した。この混乱で唐の使節王玄策がアルジュナに捕らえられると、吐蕃ソンツェン・ガンポリッチャヴィ王朝(泥婆羅)のナレーンドラ・デーヴァが、合わせて8,000人の兵でインドに侵攻し、王玄策を救出した。

王国は再び急速に分裂していった。新たな分裂の時代は「しのぎをけずりあう諸王朝と、混じり合う諸民族をはっきりとは区別できない」時代[2]というべき様相を呈した。侵略諸勢力が北西部の山道よりインドに殺到し、ヒンドスタン平原は再び群雄割拠の状態に陥ったのである。これを「ラージプート時代」と称している。

脚注[編集]

  1. ^ エフタルのこと。中国では「白匈奴」の名で記録された。イラン系説が有力だが、テュルク系説もある。
  2. ^ a b ルシュルバーグ(1973)
  3. ^ 『大唐西域記』巻2-10

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 辛島昇・前田専学・江島惠教ら監修『南アジアを知る事典』平凡社、1992.10、ISBN 4-582-12634-0
  • 応地利明「第3章 社会」辛島昇監修『世界の歴史と文化 インド』新潮社、1992.11、ISBN 4-10-601836-5
  • ルシル・シュルバーグ原著『ライフ人間世界史18 インド—Historic India』タイム・ライフ・ブックス(日本語版編集:座右宝刊行会)、1973