カシミール

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カシミール地方の地図(赤枠内が旧カシミール藩王国の範囲。緑がパキスタン占領地、橙はインド占領地、斜線部は中国占領地、茶は1963年にパキスタンが中国へ割譲した地域)

カシミール英語:Kashmir、ウルドゥー語کشمیرヒンディー語:कश्मीर、カシュミール)とは、インドパキスタン中国の国境付近に広がる、山岳地方の名称である。標高8000m級のカラコルム山脈があり、中国との国境には世界第2の高峰K2がそびえる。

概要[編集]

後述のカシミール紛争を抱える地域である。日本の学校教育用地図帳では、パキスタンから中国へ割譲された地域を除き、中印パ三国の主張するすべての地域を所属未定とし、実効支配線(停戦ライン)のみ描く手法がとられている。

インド[編集]

インドの実効支配地域は、かつてジャンムー・カシミール藩王国(1846年 - 1947年)があった地域で、ジャンムー・カシミール州となっている。 インドの実行支配が及んでいるジャンムー・カシミール州を文化・宗教的に三つに分けるならば、カシミール渓谷地域(ムスリム95%)、ジャンムー地域(ヒンドゥーが過半数)、ラダック地域(仏教徒とムスリムがほぼ半数ずつ)の西半の地域である。なかでもカシミール渓谷は自然の美しさと人間の暴力の酷さが同居する州の中心地である。

最大の都市は、避暑地として知られる夏の州都シュリーナガル(スリナガル)で、インドのジャンムー・カシミール州の州都となっている。特にダル湖一帯が観光客であふれた。高級織物のカシミア: Cashmere wool, カシミヤとも)の語源で、カシミアはこの地域原産のカシミア・ヤギ英語版の毛から作られる。

中華人民共和国[編集]

中華人民共和国実効支配は、ラダック地方の東半にあたるアクサイチン及びShaksam Valleyとなっている。

パキスタン[編集]

パキスタンの実効支配地域は、ギルギット・バルティスタン州及びアザド・カシミールと呼ばれている。

ムスリムの集団による分離独立運動[編集]

また、カシミール問題と言うときには、インド管理地域内でのムスリムの集団による分離独立運動も指すことがある。

歴史[編集]

18世紀ドゥッラーニー朝ムガル帝国は、マラーター同盟との度重なる戦闘(マラーターのインド北西部侵攻英語版第3次パーニーパトの戦い英語版ノウシェラの戦い英語版)で弱体化し、ドゥッラーニー朝の影響が及ばなくなった空白地帯に、1801年に新興国シク王国が登場した。

カシミールの東側半分以上を占めるヒマラヤ山脈カラコルム山脈に挟まれた一帯、ラダック(およびザンスカール)地方とバルティスターン地方は、元々チベット系ラダック王国英語版があったが、1834年に最後の王Tsepal Namgyalシク教国に敗れ、en:Stokに追放され、シク教国の支配下に入った[1]。 。

1841年にはチベットとの間でドグラ戦争が起きた。その際に捕虜となったカシミール兵士の末裔数千人が、ラサなど中央チベットに居住している。これらはカチェ(チベット語でカシミール人)と呼ばれ、イスラム教の信仰を保っているが、言語や大部分の習俗はチベット人に同化している。これがひいてはチベットでイスラーム教徒の移民を漠然とカチェと呼ぶようになり、青海省甘粛省方面から移住してきた回族もギャナ・カチェ(直訳すれば「中国のカシミール人」の意)と呼ばれる[2][3]

だが1845年からのシク戦争英語版では、第1次シク戦争英語版ソブラーオンの戦い英語版でイギリスがシク教国を破り、ラホール条約英語版を締結した。この条約をもってイギリス植民地ジャンムー・カシミール藩王国が成立した[4]。 。

グレートゲーム[編集]

イギリス植民地統治下のインドでは、国内の様々な地域に大小無数に散在する藩王国をイギリスが間接的に統治していた。 1885年アフガニスタン首長国en)とロシア帝国とのパンジェ紛争英語版が発生。

1886年フランシス・ヤングハズバンド満州からゴビ砂漠を横断し、カラコルム山脈マスタフ峠英語版を越えてインドに至る「中国-インド間のルート」を開拓。

1889年フンザによる「ヤルカンド-インド間の交易路」への襲撃が激化。1890年に、ヤングハズバンドが南下するロシア帝国ブロニスラフ・グロンブチェフスキー英語版率いるロシア軍兵士にワハーン回廊ボザイ・グンバズ英語版で拘束されそうになる事件が発生し、1891年フンザ・ナガル戦争英語版が勃発。

カシミール紛争[編集]

1947年8月、それまでイギリス植民地のイギリス領インド帝国として一つのまとまりだった広大な地域が、植民地独立を契機に、ヒンドゥー教徒が多数派であるが多民族・多宗教の国是(ガンディーの「一民族論」)を掲げるインドと、イスラム教徒は別個の民族と見なすジンナーらの「二民族論」に基づきイスラム教を国教とするパキスタンの2つの国家に大きく分裂した。

このインド・パキスタン分離独立によって、それぞれ藩王国はいずれかの側に帰属することを迫られていた。しかし、カシミール藩王は自身がヒンドゥー教徒、対して住民の80%はムスリム(イスラーム教徒)という微妙な立場にあり、独立を考えていた。パキスタンが武力介入してきたことで、カシミール藩王はインドへの帰属を表明し、インド政府に派兵を求めた。これが第一次印パ戦争印パ戦争)の発端である[5][6][7]。 。以後、{{この地域についてはパキスタンとインドが領有を主張し、これまで大小の軍事衝突(カシミール紛争)を繰り返し、第二次印パ戦争第三次印パ戦争カールギル紛争英語版まで争っている[8][9][10]

現在はほぼ中間付近に停戦ライン英語版(LOC)が引かれている[11]。現在(2000年代後半)、インドはジャンムー・カシミール州を、パキスタンはアーザード(自由)・カシミール州ギルギット・バルティスタン州(旧称:北方地域)を、中国はアクサイチン及びShaksam Valleyを実効支配している[12][13][14]

1990年代に入るとパキスタンの支援を受けた過激派のテロが頻発し、治安部隊の過剰ともいえる反撃が続いた[15]2002年の州議会選挙の時、ジャンムー・カシミールのヒンドゥー勢力が州を三分割してジャンムー州を建設すべきとの主張をした。また、ラダッタ地域では自治権拡大の要求が起きている。2006年、インド人観光客が戻り始めたが、それらの観光客を狙ったテロが横行した。

中印国境紛争[編集]

カシミール地震[編集]

一部で「カシミール地震」とも呼ばれる2005年10月8日パキスタン地震の後、同地は莫大な労力と巨額の復興費用を必要としている。

Daulat Beg Oldi Incident[編集]

2013年4月、en:Daulat Beg Oldien:2013 Daulat Beg Oldi Incidentが勃発。

住民[編集]

民族[編集]

カシミール人英語版ラージプートなど。

言語[編集]

カシミール人英語版の言語はインド語派カシミール語などの諸語で、ラダックではチベット語西部方言に属するラダック語英語版、バルティスターンではラダック語英語版バルティ方言英語版が話される。

宗教[編集]

住人の宗教はイスラーム教が支配的であるが、この地域のイスラム教は、スーフィズムヒンドゥーの影響を受けた非常に独特のものである。この世の全てのものが絶対神(アッラー)の化身であると考え、多神教との折衷的な汎神論的世界観を保有している。この世界観に基づき預言者を通じずに神との交信が可能であると考えられており、独特の神秘的儀式が多数存在している。

ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒が対立するカシミール問題の中では看過されがちであるが、チベット圏に属するラダック地方ではチベット仏教が信仰され、現在では最もよくチベット仏教の伝統を保存する重要な信仰拠点の1つとなっている。またバルティスターンは、チベット系民族でありながらイスラーム教を信仰する特徴的な地域である[16]。 。

脚注[編集]

  1. ^ http://www.bestladakh.com/jap/ladakhbb.html
  2. ^ http://star.aa.tufs.ac.jp/tibet/?%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E5%8F%B2%E5%B9%B4%E8%A1%A8%2F1838-1855
  3. ^ http://www3.ocn.ne.jp/~kenro/history/tibet/1.html
  4. ^ http://www.y-history.net/appendix/wh1302-023.html
  5. ^ http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Report/pdf/2001_03_06_03.pdf
  6. ^ http://www.geocities.jp/paz_del_mundo/kasimirh1.htm
  7. ^ http://www.gijodai.ac.jp/csas/knowledge/kashmir.html
  8. ^ http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Report/pdf/2001_03_06_03.pdf
  9. ^ http://www.geocities.jp/paz_del_mundo/kasimirh1.htm
  10. ^ http://www.gijodai.ac.jp/csas/knowledge/kashmir.html
  11. ^ http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Report/pdf/2001_03_06_03.pdf
  12. ^ http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Report/pdf/2001_03_06_03.pdf
  13. ^ http://www.geocities.jp/paz_del_mundo/kasimirh1.htm
  14. ^ http://www.gijodai.ac.jp/csas/knowledge/kashmir.html
  15. ^ http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Report/pdf/2001_03_06_03.pdf
  16. ^ http://ymtk.jp/ladakh/info-history.html

参考文献[編集]

関連項目[編集]