ハリ・シング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ハリ・シング
ジャンムー・カシュミール藩王国君主
Sir Hari Singh Bahadur, Maharaja of Jammu and Kashmir, 1944.jpg
在位 1925年9月23日 - 1947年10月26日

出生 1895年9月23日
ジャンムー
死去 (1961-04-26) 1961年4月26日(65歳没)
インドの旗 インドボンベイ
父親 アマル・シング
テンプレートを表示

ハリ・シング(Hari Singh, 1895年9月23日 - 1961年4月26日)は、北インドジャンムー・カシュミール藩王国の君主(在位:1925年 - 1947年)。

生涯[編集]

1895年9月23日ジャンムー・カシュミール藩王国の王子アマル・シングの息子として、ジャンムーで生まれた[1]。祖父はランビール・シングである。

1925年9月23日、叔父プラタープ・シングが死亡したことにより、藩王位を継承した[1]

1947年8月15日インドパキスタン分離独立した際、ハリ・シングはどちらかへの帰属を決めかねていた。藩王国は君主をはじめとする支配者層がヒンドゥー教徒であったが、住民の大多数がムスリムであるという問題を抱えていたからであった。

その後、パキスタンが武力介入し、領内に侵攻してきたため、同年10月26日にハリ・シングはインドへの帰属英語版を決定した[1]。同時にインドへ派兵を要請したため、これが引き金となって第一次印パ戦争が勃発した。

1961年4月26日、ハリ・シングはボンベイで死亡した[1]

出典・脚注[編集]

関連項目[編集]

先代:
プラタープ・シング
ジャンムー・カシュミール藩王国君主
1925年 - 1947年
次代:
(インドに併合)