二つの中国

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中華人民共和国(紫)と中華民国 (橙)が統治している地域。視認性のため、島嶼の大きさは誇張されて描かれている。

二つの中国(ふたつのちゅうごく、繁体字: 兩個中國簡体字: 两个中国拼音: liǎng ge Zhōngguó英語: Two Chinas)は、1949年以降「中国 (China)」の正統政府を自任し台湾海峡両岸で向かい合う二つの国家政権と、両者の関係・ありようについての政治上の概念。

背景[編集]

1912年、愛新覚羅溥儀辛亥革命により皇帝の座を追われ、南京孫文を中心とした革命側が中華民国を建国する。同時期に、北洋軍閥総帥の袁世凱率いる北京政府が成立した。

1912年から1949年まで、中国では軍閥による闘争、日中戦争国共内戦が起こった。この動乱の時代にはさまざまな短命政権が立て続けに成立した。袁世凱北京政府(1912年 - 1928年)、中国共産党により設立された中華ソビエト共和国(1931年 - 1937年) 、中華共和国(1933年 - 1934年)、傀儡政権の満洲国(1932年 - 1945年)、汪兆銘政権 (1940年 - 1945年)などである。

国共内戦の結果、1949年毛沢東率いる中国共産党中国大陸を掌握し、中華人民共和国を成立させる。蒋介石率いる中華民国政府は同年中国大陸を離れ台湾を拠点とするようになる。

戦いはその後も数年続いたが、朝鮮戦争開始時には支配圏がくっきりと分かれるようになった。北京の中国共産党率いる中華人民共和国政府が中国大陸を勢力下に収めた一方で、中国国民党率いる中華民国政府は台湾福州沿岸の島嶼を勢力下に残した。この状態は朝鮮戦争の後、台湾への侵攻を阻止したいアメリカ合衆国政府の意向と援助により生まれたものであった。

長年の間、二つの政府は中国唯一の正統政府の座をめぐって対立してきた。戦争終結から長期間が経過すると、主戦場は外交へと移った。1970年代以前は中華民国国際連合を含む多くの国家に中国大陸と台湾を含む「中国」の正統かつ唯一の後継政府であると認識されていた。中華民国は国際連合設立当初の加盟国であり、中華人民共和国が正式な中国代表として認定される1971年まで安全保障理事会の五つの常任理事国の一つでもあった。建国後初期の中華人民共和国政府を正式な政府として承認した国は、東側諸国非同盟諸国のほか、西側諸国ではイギリス(1950年)に限られた。1971年、国際連合総会国際連合総会決議2758を採択し、蒋介石率いる中華民国の代表を中国の代表とみなすことをやめ、国際連合から追放した。この後、アメリカ合衆国を含むほとんどの国家が中華人民共和国を国家として承認した。中華民国はその後も中華人民共和国と中国の正統政府の座をめぐって対立していた。

しかし1990年以降、台湾独立運動の高まりにより、中国の正統政府をめぐる議論に代わり、台湾の政治的地位が主要な問題となった。台湾には、中華民国と中華人民共和国はどちらも主権国家であり、「一つの中国と一つの台湾」を形作っているという見解がある。中華民国総統を務めた陳水扁はこれを支持し、中国唯一の正統政府として中華民国の承認を得ようとする活動を中止した。陳水扁政権下において中華民国政府は、台湾国家として国際連合に加盟することを目指した。しかし馬英九が次の総統に就くとこういった動きを取りやめた。

現在の状況[編集]

一つの中国と二つの中国に関する地図
  中華人民共和国を中国の正統政府であると認定している国家
  中華人民共和国を中国の正統政府であると認定しているが、中華民国とも非公式な関係がある国家
  中華民国を中国の正統政府であると認定している国家
  現在立場を明らかにしていない国家

中華人民共和国中華民国は、公式には互いを正式な政府とは認めていない。両政府は、中国を統治する国家はただひとつしかなく、それぞれ自身こそが台湾・中国大陸を含む「中国」全土を代表する正統政府であり、相手の政府は非公式な政権であると主張している。

中華人民共和国[編集]

中華人民共和国政府は中華民国を国家として承認することに強く反対している。中国政府は一貫して「二つの中国」という概念に反対し続けており、代わりに「中国」全土が唯一不可分な主権の下にあるという「一つの中国という原則(一中原則)」を打ち出した。中華人民共和国はこの原則の下、中華民国が統括している領域を事実上統治していないにもかかわらず、中華人民共和国と中華民国が統治している領土は同じ「中国」領土の一部分であり、全体で不可分な「中国」という主権国家であると主張している。さらに継承国理論の下に中華人民共和国は自国政府が「中国」の政府として中華民国を継承したもので、台湾を拠点とする現在の中華民国政府は違法政権であって、取って代わられるべきであるという主張を繰り返している。

中華人民共和国は、中華民国との外交関係を断絶した国とだけ外交関係を樹立し、一つの中国という認識に立つことを求めている。中華民国は、1980年代以降チャイニーズタイペイなどの名義でオリンピック競技をはじめとした国際的な場に参画することを余儀なくされている。これは中華人民共和国が国際的な影響力を行使して、中華民国が国際的な場で中華民国という公式名称を使用させないためである。公式発表やメディアの報道においても、中華人民共和国は現在の台湾を指して中華民国という名称を用いることは決してなく、中華民国政府を「台湾当局」と呼んでいる。

中華民国[編集]

中華民国政府は、1991年に動員戡乱時期臨時条款を廃止した際、中国共産党を反乱団体と規定することをやめ、中華人民共和国が中国大陸を統治しているという事実を認め、台湾・澎湖・金門・馬祖を自らの実効支配が及ぶ範囲とし[1]、立場を変化させた。

台湾において自由な言論や民主主義が台頭し、台湾独立運動が影響力を増したことにより事態がさらに複雑になっている。中華人民共和国は「二つの中国」を受け入れがたい概念とする一方で、「中国」とは全く別に「台湾」国家として独立する台湾独立はさらに悪い事態であると考えている。この問題に対する立場は、民主化後の中華民国が行政院上層部の交代を何度か経たことで時の政権によって変化している。

1999年、当時の総統李登輝は中台関係を「特殊な国と国の関係」と定義した。

陳水扁は総統在任中の2002年に「台湾と対岸の中国はそれぞれ別の国(一辺一国)」であるとし、「台湾は他人の地方政府でもなければ、他人の一省でもない」と発言した。陳水扁時代の政府は「二つの中国」に対する混乱を避けるためとして「台湾 (Taiwan)」の名を国際的に使用する政策を採った。現在でも中華民国 (Republic of China) 旅券で旅行する際、入国審査官に中華人民共和国 (People's Republic of China) 国民と取り違えられる困難な事態に直面することがあり、中華民国旅券に「TAIWAN」という英語名称を加えている[2]

2008年9月、馬英九は、中台関係について二つの中国や二つの国といった問題ではない「特殊な関係」であると述べた。さらに両者の主権問題は現在は解決不可能と述べ、解決できるようになるまでの暫定的な指針として現在双方の政府が承認している「九二共識」を引用している[3]中華民国総統府スポークスマン・王郁琦はこの馬英九発言について、中華民国が独立した主権国家であることを否定したものではなく、中台関係が台湾地区と大陸地区という二つの地域の間の関係であることは中華民国憲法増修条文第11条と両岸人民関係条例に基づくと説明した[4]

脚注[編集]

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関連項目[編集]