ダライ・ラマ14世

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テンジン・ギャツォ
ダライ・ラマ14世
ダライ・ラマ14世(2012年10月)
ダライ・ラマ14世(2012年10月)
在位 1940年 - 在位中
前任 トゥプテン・ギャツォ
チベット文字 བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ
ワイリー Bstan-'dzin Rgya-mtsho
蔵文ピン音 Tenzin Gyatso
漢字 丹增嘉措
誕生日 1935年7月6日(81歳)
出身地 チベット(ガンデンポタン)の旗 チベット アムド地方タクツェル英語版
署名
ダライ・ラマ14世の署名
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1989年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:非暴力によるチベット解放闘争と、チベットの歴史と文化遺産の保存のための、寛容と相互尊重に基づく平和的解決の提唱

ダライ・ラマ14世1935年7月6日チベット暦5月6日) - 、在位1940年 - )は、第14代のダライ・ラマ[1]である。法名はテンジン・ギャツォチベット文字བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ་ワイリー方式Bstan-'dzin Rgya-mtsho)。

1935年、アムド地方(現在の青海省)の農家に生まれ、幼名をラモ・トンドゥプといった。4歳の時にダライ・ラマ14世として認定され、1940年に即位、1951年までチベット君主の座に就いていたが、1959年に中華人民共和国からの侵略と人権侵害行為に反発してインド亡命して政治難民となり、インドのダラムサラに樹立された中央チベット行政府(現「チベット人民機構」、通称「チベット亡命政府」)においてチベットの国家元首を務めている。亡命後は、法的には領する国土をもたない亡命政権の長という地位にありながら、世界中にちらばるチベット民族に対して政教両面において指導的立場にある人物と目されている[2]。また、欧米でもチベット仏教に関心のある人や複数の著名人の支持を得、ノーベル平和賞を受賞したことでその国際的影響力はさらなる広がりを見せており、中国は別として世界的にはチベットの政治と宗教を象徴する人物とみなされるようになった[3]。2011年には、自身の政治的権限を委譲したいという意向を表明し、政府の長から引退することになった。これを承けた亡命チベット人憲章改定案では「チベット国民の守護者にして保護者であり、チベット人のアイデンティティと統合の象徴である」と規定され[4]、ダライ・ラマがチベットの政教両面の権威者の座に即くというダライ・ラマ5世以来の伝統[5]を終わらせることになった[6]

世界的に著名な仏教指導者の一人であり、チベット仏教のゲルク派において最高位の仏教博士号(ゲシェ・ラランパ)を持つ僧侶である。歴史上のダライ・ラマはゲルク派の正式な長ではなく[7]、ゲルク派の教勢が伸長して他派との摩擦が生じた時代に事実上の最高指導者となった学僧ゲンドゥンギャムツォ、そしてその転生者に認定されたスーナムギャムツォに始まる、ゲルク派の統合の象徴とされた転生系譜であった[8][9]が、1642年以降(ダライラマ五世の時代)、モンゴルなどを含むチベット仏教圏に影響力をもつ宗教的権威とチベットを統べる政治的権威とを兼ね備えた地位となった[10]。一方、現在のダライ・ラマである14世は亡命後にチベット人全体の政教両面の指導者とみなされるようになったが、この事態はそれまでのダライ・ラマとは異なり、ある種の政治的事情が背景にあるという意見もある(#チベット仏教内の関係参照)。また、本人は「自分は一介の比丘にすぎない」と語ることが多い[11]。世俗的な称号としては、パリ名誉市民[12]名誉博士ニューヨーク州立大学バッファロー校)などがある。

来歴[編集]

生い立ち - 少年期[編集]

幼年時代のダライ・ラマ14世

1935年7月6日、当時の中華民国青海省内のチベット北部アムド(現在の青海省海東市平安区)に属するタクツェル英語版の小さな農家にて、9番目の子供[13][14]として生まれた。なお、生家は小農ではあったが、地主に従属する小作人というわけでもなかった。貴族階級でもない。わずかな土地を人に貸し、自分たちでも大麦、ソバ、トウモロコシなどを栽培しており、ゾモというヤクと牝牛の雑種を5〜6頭、80頭あまりの羊やヤギ、2〜3頭の馬、2頭のヤクを飼っていたという[15]。生家はチベットならどこにでもあるなんの変哲もないありふれた民家だったという[16]

幼名はラモ・ドンドゥプLha-mo Don-'grub[17])と名づけられた。これは「願いを叶えてくれる女神」という意味である[18]。長男のトゥブテン・ジグメ・ノルブはすでに高僧タクツェル・リンポチェの化身として認められていて、有名な僧院クムブムで修行をしていた[19]。他にも18歳年上の姉としてチェリン・ドルマなどがいた[20]。見知らぬ人を少しも怖がらぬ子だったと、母親は後に語ったという[21]

3歳になるかならないかという頃、ダライ・ラマの化身を見つけるためにチベットの政府が派遣した捜索隊が、さまざまなお告げに導かれてクムブム僧院にやってきた。お告げのひとつは、1933年に死去したダライ・ラマ13世の遺体が埋葬前の安置期間中に頭の向きを北東に変えたこと。他には、高僧が聖なる湖で湖面にAh、Ka、Maのチベット文字が浮かび上がるのを「視た」、続いて、青色と金色の屋根の3階建ての僧院とそこから一本の道が丘につづいている映像を「視た」、そして最後に変な形をした「樋」のある小さな家を「視た」ことだ、という。僧は"Ah"は地名アムドのアだと確信して捜索隊をそこへ派遣したという。

"Ka"の文字はクムブムのKに違いないと思ってクムブムにやってきた捜索隊は、クムブムの僧院が青くて3階建てであることを発見しその読みが正しかったと確信したという。捜索隊は付近の村を探し回り、やがて屋根にこぶだらけの杜松が走っている民家を見つけた[22]

捜索隊は身分を隠していたのにそこに含まれていたセラ僧院の僧を「セラ・ラマ」と呼んだという。また、ダライ・ラマ13世の遺品とそれそっくりの偽物をいくつかその子供に見せたところ、いずれも正しい遺品のほうを選び「それ、ボクのだ」と言ったという[23]。上にあげたようないくつかの確認の手続を経てさらに他の捜索結果も含めて政府が厳密に審査した結果、この子は3歳の時に真正ダライ・ラマの化身第13世ダライ・ラマトゥプテン・ギャツォ転生と認定され、ジェツン・ジャンペル・ガワン・ロサン・イシ・テンジン・ギャツォ[24](聖主、穏やかな栄光、憐れみ深い、信仰の護持者、智慧の大海)と名付けられた。

UNESCOに登録されたラサのポタラ宮殿

1939年の夏、ラサに向けてチベット政府の捜索隊らおよび両親や兄弟らとともに3ヶ月かけて移動。ダライ・ラマの夏の離宮であるノルブリンカ(宝石の庭園の意)に入った[25]1940年冬、ポタラ宮殿に移動し、チベットの精神的指導者の座に正式に就任、ラサのジョカン寺で剃髪式、見習い僧の式が行われ、ダライ・ラマとしての手ほどきを受け始めた[26]。ロブサン・サムテン(1つ上の兄)とともに読み書きの勉強から開始。お経の授業も開始[27]。さらに、精神的(宗教的な)指導者としての教育と同時に、世俗的(一般社会の)指導者としての教育も受け始めた[28]。そういった時間以外はその年齢の子供らしく活発に遊んで過ごした[29]。8歳の時には兄ロブサンは私立学校に行き、ダライ・ラマは一人で教育を受けるようになった。姉と一緒に過ごし、ロブサンや母が時々通ってくる、という生活を送る。毎年春先にノルブリンカに移り、半年後の冬の始まりとともにポタラ宮殿に戻る、という生活を20歳まで繰り返した[30]。少年時代にラサには10人ほどのヨーロッパ人が住んでいて、その中の一人ハインリヒ・ハラーを兄ロブサンが連れてきたことで、互いに知り合うことになった。

チベット亡命政府の長として[編集]

チベット亡命政府の旗「雪山獅子旗
1954年、全人代出席のため訪れた北京で歓迎されるダライ・ラマ14世

1950年中華人民共和国人民解放軍がチベットを制圧、全域を自国に併合。1954年全国人民代表大会チベット民族の代表として常務委員会副委員長[31][32]に就任する。1956年には西蔵地方政府西藏自治区籌備委員会初代主任委員に選ばれ、周恩来インド訪問に同行する外交活動[33]などを行うも同年に発生したチベット動乱で中華人民共和国の中国共産党政府が行った人権侵害行為に反発して1959年にインド北部ダラムサラに亡命してチベット亡命政府を樹立した後は、同政府の長としてチベットの高度な自治権の存在を訴える活動を行っている。

また、ガンデンポタン(チベット亡命政府)の長としてだけでなくチベット仏教の指導者としても、アメリカヨーロッパ諸国、日本を始めとする世界各地をたびたび訪れ、仏教の智慧に関する講演、宗教的な対話に関する講演も活発に行っている。

最近の取材では、高齢になったこともあり、ガンデンポタン(チベット亡命政府)の政治的な指導者から引退することを表明している。ガンデンポタン(チベット亡命政府)のサムドン・リンポチェ首席大臣に、その政治的な指導者としての地位と権限を譲る意向を述べている[34]

ノーベル平和賞受賞[編集]

ノーベル平和賞のメダル

1989年には、世界平和やチベット宗教・文化の普及に対する貢献が高く評価され、ノーベル平和賞を受賞した[35]。ノーベル平和賞の受賞に対しても中華人民共和国政府は完全無視を決め込んだだけでなく、関連図書の持込さえも禁止している[要出典]

カナダ名誉市民[編集]

2006年9月9日にカナダ名誉市民の称号を得た[36]。なお、カナダの名誉市民の称号を受けるのは、南アフリカ共和国ネルソン・マンデラ前大統領に続いて2人目だった[37]

パリ名誉市民[編集]

2009年6月7日パリベルトラン・ドラノエ市長はダライ・ラマ14世にパリ名誉市民の称号を授与した[12][38]

中華人民共和国との関係[編集]

中華人民共和国政府の外交との関係[編集]

ダライ・ラマ14世の訪問先が中華人民共和国と国交がある国の場合、訪問先の政府に対して、"一つの中国"を掲げている中華人民共和国国務院(=中華人民共和国政府)から外交ルートを通じて抗議が入るのが通例である[39]。そのため、外交的配慮からダライ・ラマ14世に対する査証発給を拒否したり、もしくは発給に際して滞在中に一切の政治活動を行わない等の条件が付される場合がある。また、中華人民共和国国内でのダライ・ラマ14世の著書や写真の保有・持込は、治安当局の取締対象になる可能性が高い。

中華人民共和国国務院は、ダライ・ラマ14世が2008年開催の北京オリンピックを妨害しようとしていると非難した[40]。中華人民共和国国務院の懸念する通り、ダライ・ラマ14世に追随する亡命チベット人による北京オリンピックへの6ヶ月間抗議運動がインドで発生したり[41]、ダライ・ラマ14世を支持する組織の要請を受けてイギリスチャールズ皇太子が北京オリンピックの開幕式を欠席する[42]などの事態が実際に起きている。

2012年1月7日、インド新聞ザ・タイムズ・オブ・インディアは、西部ムンバイの警察が、中国から6人のスパイがチベット自治区からインド国内に侵入してダライ・ラマ14世を暗殺するという情報を入手、インド亡命中のダライ・ラマ14世の警備体制を強化する方針を決定したと報じた[43]

中国は、ダライ・ラマ14世と政治家が会見を行った国に対して、報復的な処置を取ることがある。ダライ・ラマ14世と首脳が会見した国は、その後、対中輸出が2年間にわたり平均8.1%減少することを論証した研究がある。これを「ダライ・ラマ効果」と呼ぶ[44]

2008年の動乱[編集]

2008年3月15日、中華人民共和国チベット自治区ラサ市でチベット族漢族を襲撃し、暴徒化したチベット族が商店を略奪・放火する暴動が発生[45]、治安当局が催涙弾等で制圧した(→2008年のチベット動乱参照)。第6代国務院総理温家宝は、「暴動はダライ・ラマ14世の組織的な煽動によるものだ」と非難し[46]、ダライ・ラマ14世に対して「チベット独立を放棄し、台湾中華民国)を不可分の中華人民共和国の領土と認めること」を条件に中華人民共和国国務院とダライ・ラマ14世との平和的な対話を呼びかけた[47]

これに対してダライ・ラマ14世は、暴動が自身の策動によるとの国務院の見解を否定し[48]、事態を収拾できなくなった場合はガンデンポタン(チベット亡命政府)の最高指導者の地位を辞任することも表明する[49]とともに、中華人民共和国国務院との平和的な対話再開に前向きな姿勢を示している[50]

この動乱における中国共産党によるチベットでの処置について、ダライ・ラマ14世は「文化の大虐殺(en:cultural genocide)に等しい」と述べた[51]

インターネットでの規制対象[編集]

中華人民共和国国内では、中華人民共和国国務院のフィルタリング技術により、インターネット上でのダライ・ラマ14世に関する議論が制限、統制されている[52]

2009年2月に、Twitterに、ダライ・ラマ法王事務所を称するOHHDL(Office of His Holiness the Dalai Lama)名のtwitterアカウントが作られ、2万人ものフォロワーを集めたが、偽物と判明し、利用規約への違反としてtwitterよりアカウントが停止となる規制対象となった[53]

現在は、OHHDLの情報リンクページとしてOHHDLInfo[2]が復活しており、6万人(2009年7月)以上のフォロワーに対して、関連情報を提供している。同様にOHHDLInfoは、6万人以上のフォローをすることにより、ダライ・ラマ関連情報を求める人同士が相互参照できるようになっている。

2010年2月には、ダライ・ラマ14世本人が正式にTwitterのアカウントを取得したと報道された[54]

チベット独立を巡って[編集]

2007年10月17日に行われたアメリカ合衆国議会黄金勲章授章式のスピーチで、「チベット自治区は中華人民共和国の一部であり、あくまでも高度な自治を求めているのであってチベット独立の考えはない」ことを表明した[55]

親交[編集]

中華人民共和国主席である習近平の父習仲勲と親交が深く、腕時計を贈ったことがある[56]

アメリカ合衆国との関係[編集]

ダライ・ラマ14世とアメリカのジョージ・ブッシュ大統領(2001年)

米国議会との関係[編集]

2007年10月17日米国議会から議会名誉黄金勲章を授与された。ジョージ・ウォーカー・ブッシュ第43代大統領も授章式に同席した[57]。中華人民共和国政府はこれに対し、米中関係に悪影響を及ぼすとして強く反発した[58]

2008年3月21日には、米国議会下院議長のナンシー・ペロシが他の下院議員9名を伴ってインドのダラムサラを訪問し、ダライ・ラマ14世と会談した。米国議会黄金勲章授与でも大きな役割を果たしたペロシは、同月に発生したチベット自治区での暴動と中国政府の治安当局による催涙弾や銃火器による暴徒制圧への国際調査団への派遣、ならびに中華人民共和国政府との平和的対話の再開に関して、ダライ・ラマ14世への支持を表明した[59]

CIAとの関係[編集]

1998年10月2日、ダライ・ラマ14世側はCIAから170万米ドルにのぼる資金援助を1960年代に受けていたことを認めた。援助資金は、志願兵の訓練や対中華人民共和国戦用のゲリラへの支払に費やされた。またダライ・ラマ14世への助成金は、スイスや米国での事務所設立や国際的なロビー活動にも充てられた。長年にわたってチベット独立運動を支援したCIAの秘密工作は、中華人民共和国・ソビエト連邦などの共産圏を弱体化させる目的の一環でもあった[60]

バラク・オバマとの関係[編集]

2010年2月18日バラク・オバマ米大統領と会談した(同日、ヒラリー・クリントン国務長官とも会談)。会談でオバマは、「チベットの宗教や文化、言語のアイデンティティーを守ることを強く支持する」と表明、両者は「前向きで協調的な米中関係が重要である」との認識で一致した[61]。会談の翌日、ダライ・ラマは、自身が少年時代にフランクリン・ルーズベルト大統領から受け取り紛失していた書簡の複製を、前日の会談の際に贈呈されていたことを公表した[62]

インドとの関係[編集]

1959年3月31日に、ジャワハルラール・ネルー初代首相はダライ・ラマ14世のインドへの亡命を受け入れた。1959年10月20日に開始された中印国境戦争以後もダライ・ラマ14世を保護し続け、インド北部のダラムサラにガンデンポタン(チベット亡命政府)と多数の亡命チベット人を今日まで受け入れてきた。

2004年10月20日マンモハン・シン第13代首相は、会談の際インド国内でのダライ・ラマ14世の政治活動を認めないと表明した[63]。さらに、2008年にシブシャンカール・メノン外務次官は、ダライ・ラマ14世はインドを拠点に反中華人民共和国活動をしないことを約束している客人であると述べている[64]

欧州諸国との関係[編集]

コローニョ・モンツェーゼ滞在中のダライ・ラマ14世(2007年12月、イタリア)

2006年5月30日に、欧州連合本部(当時:ブリュッセル)で開催された宗教指導者を集めた基本権と相互尊重に関する会議に参加した[65]

イギリス政府は、中華人民共和国との国交関係を元に、同国が掲げる"一つの中国"の政策を掲げており、ゴードン・ブラウン第74代首相が対中関係強化を図っている一方で、王室のチャールズ皇太子は、ダライ・ラマ14世と長年にわたる親交で知られている[66]

2007年9月に、ダライ・ラマ14世はドイツ連邦共和国アンゲラ・メルケル第8代首相と会談した。しかし、中華人民共和国政府が抗議したため2008年2月15日温家宝第10代国務院総理とメルケル首相との間で関係修復が図られ、メルケル首相は、中華人民共和国の掲げる"一つの中国"の外交政策を堅持するとともにチベット独立不支持を言明するに至った[67]

国際連合との関係[編集]

ダライ・ラマ14世が率いるガンデンポタン(チベット亡命政府)は、現在に至るまで国際連合の加盟国ではない。国際連合は、2000年8月28日から8月30日にかけて開催した「宗教・精神指導者のミレニアム世界平和サミット」に世界の宗教指導者を1000人以上も招聘したが、ダライ・ラマ14世は招聘しなかった[68]。しかし国際連合人権高等弁務官事務所の設立の根拠であるウィーン宣言及び行動計画を採択した世界人権会議には出席し「人権と普遍的責任」と題した演説を行った[69]

ローマ教皇庁との関係[編集]

1975年には、第262代ローマ教皇パウロ6世と会談した。2007年12月には、第265代ローマ教皇ベネディクト16世と会談予定だったが、ローマ教皇庁は会談を中止した[70]

なお、2008年時点でバチカン市国と中華人民共和国に国交は無い。

日本との関係[編集]

日本政府との関係[編集]

日本に入国する際は、日本国政府が中華人民共和国の推進する"一つの中国"の立場を外交政策として掲げているため、中華人民共和国への配慮から「政治活動をしない」等の条件がある。

2008年4月、訪米の途上で成田空港へ立ち寄った際、安倍晋三前総理の妻・昭恵夫人と会談を行った。

日本の宗教との関係[編集]

1995年3月29日地下鉄サリン事件発生の9日後)に来日した際には成田空港で日本の記者団より、麻原彰晃ならびにオウム真理教との関係について質問責めに遭った[要出典]。麻原とは亡命先のインドで 1987年2月24日1988年7月6日に会談した。またダライ・ラマ14世は、オウム真理教から布施の名目で1億円にのぼる巨額の寄付金を受領しており、1989年にオウム真理教が東京都宗教法人格を取得した際には、ダライ・ラマ14世は東京都に推薦状を提出してオウム真理教を支援した[71]

なお、麻原をインドに最初に紹介したのはペマ・ギャルポであるが、数カ月もしないうちに麻原の問題点に気づき、麻原とはかかわらないようにとダライ・ラマ法王庁に上申している。これに怒った麻原は雑誌や本などでペマを批判した。後に麻原はオウム事件を起こすに至るが、ペマは大阪国際宗教同志会平成11年度総会記念講演にて「幸いにして、麻原さんが怒って、私のことを悪く書いて下さったもんですから、助かりました。本当のことを言って……」と回想している[72]

1998年4月に京都で念仏宗無量寿寺が主催した「第1回全世界佛教興隆会議」に参加した。また、念佛宗無量寿寺は布施として2億円をダライ・ラマ14世へ寄付したと『週刊朝日』が報じた[73]

2008年11月、東京都内で善光寺の若麻績信昭寺務総長らと面会。善光寺がチベット問題への憂慮などを理由として、北京オリンピックの聖火リレーの出発地を辞退したことについて「チベットを代表してお礼を申し上げる」と述べ、感謝の印として、高さ約21センチの金銅製の仏像「釈迦如来坐像」を贈った。善光寺は2009年3月6日、この仏像を翌3月7日から一般公開することを発表した[74][75]

四国地区仏教会連合の招きで来日中の2009年11月2日愛媛県新居浜市萩生寺において、ガンデンポタン(チベット亡命政府)樹立50周年およびノーベル平和賞受賞20周年を記念して日本で初めて建立されたナムゲル・チュールテン(チベット式仏塔)の開眼法要に参加した。また同年10月31日には東京都千代田区日本外国特派員協会で在日外国人記者を相手に記者会見を行った。

東日本大震災の供養のため、2011年4月29日護国寺(東京都文京区)にて四十九日特別慰霊法要を行った[76][77]。また、同年10月30日舞洲アリーナ大阪府大阪市)、10月31日11月3日高野山大学松下講堂黎明館(和歌山県高野町)、11月5日西光寺宮城県石巻市)および孝勝寺(宮城県仙台市)、11月6日聖和学園高等学校(宮城県仙台市)および日本大学工学部体育館(福島県郡山市)にて講演(石巻では慰霊供養と挨拶)を行った[78][79][80]2014年4月8日東京エレクトロンホール宮城(宮城県仙台市)で開催された「東日本大震災および原発事故被災者のための 神道 復興祈願慰霊の会」にも参列して冥福を祈った[81]

チベット仏教内の関係[編集]

ダライ・ラマはチベット仏教の中の一宗派であるゲルク派の事実上の領袖であり、チベット仏教にはゲルク派以外にもいくつかの宗派があるが、現在、ダライ・ラマはゲルク派の最高指導者ではなくチベット仏教の最高指導者であると言われ[82]、チベット仏教の法王であるとも言われている[83]。現に全宗派の管長はダライ・ラマ14世によって認定されている。ゲルク派以外でも、亡命チベット人のソギャル・リンポチェ英語版ニンマ派)は現在のダライ・ラマである14世をチベット仏教の最高の長とみなしている[84]。ただし、近代以前のチベットの宗教と社会を研究している社会人類学ジェフリー・サミュエルは、歴史的にはチベット仏教のいずれの宗派も、ゲルク派を除けば統一的な組織構造をもつ教団があったとは言い難く、ゲルク派にしても、代表者たるダライ・ラマと諸寺院の力関係は時期によって異なり、完全にダライ・ラマによって統率された組織ではなかったとして、ダライ・ラマ14世が亡命後に得たチベット人全体の政治的・宗教的指導者としての立場はそれまでのダライ・ラマとは異なるとしている[85]

また、14世はゲルク派の教えのみならず、チベット仏教の超宗派運動の精神を20世紀前半に体現したジャムヤン・ケンツェ・チューキ・ロドゥー英語版の直弟子などからニンマ派やカギュ派の教えも受け継いでおり、ジャムヤン・ケンツェ・チューキ・ロドゥーの弟子であるソギャル・リンポチェは、ダライ・ラマ14世はチベット仏教の全宗派のさまざまな領域において権威者であるとして敬意を表している[84]。このように多分に超宗派的な活動を行っているダライ・ラマ14世は、亡命チベット人をまとめ上げる結節点となっており、さまざまな宗派に属する亡命チベット人が政治的な観点から14世の地位を認め、その下に結集している[86]。しかしその超宗派的姿勢がゲルク派内の一部の保守層の反発を招いた[要出典]ことに加えて、ゲルク派の護法尊ドルジェ・シュクデンを祀ることに公然と反対したことから、ゲルクの主流派から分離したシュクデン派による争議が起こった(シュクデンおよびシュクデン問題英語版参照)[87]

パンチェン・ラマ10世との関係[編集]

北京週報の李栄霞は、ダライ・ラマ14世の故郷タクツェル村への訪問記の中で、以下のように報道した[88]

1989年1月28日、パンチェン・ラマ10世が円寂した。この時、中国仏教協会は追悼式への出席をダライ・ラマ14世に特別要請したものの、ダライ・ラマ14世はこれを拒絶した。

カルマパ17世の保護[編集]

2000年にチベット自治区からインドに逃亡したカギュ派の活仏カルマパ17世を保護した[89]

後継者に関する論議[編集]

ダライ・ラマ14世が高齢になったことから後継者について論議がある。本来ならばダライ・ラマ14世が承認したパンチェン・ラマ11世が転生者を認定するのだが、中華人民共和国当局により連行されて行方不明のために、指名もしくは選挙によってゲルク派のしかるべき高位の僧に次期指導者の地位を委ねる旨を示唆している[90]

ダライ・ラマ14世が敢えて活仏化身ラマ)の転生制度を放棄することを検討している背景としては、次のダライ・ラマの転生者を認定するにあたって国外での亡命生活を余儀なくされているダライ・ラマ14世とガンデンポタン(チベット亡命政府)が影響力を行使しにくいことが考えられる。歴史的にもパンチェン・ラマは、ダライ・ラマとは政治面で対立することが多かった上に、国外(インド北部の都市ダラムサラ)に亡命したダライ・ラマ14世とは異なり中華人民共和国の認定によるパンチェン・ラマ11世は中華人民共和国チベット自治区内に留まっている。[独自研究?]

ダライ・ラマ14世は自らは生身の一人の人間であり、そして仏教の一僧侶であって、もし或る仏の生まれ変わりかと問われれば、それに対する答えは否 ("NO") だと、CNN の Christiane Amanpourとのインタビューの中で述べている[91]

また、中華人民共和国国務院2007年9月1日転生を届出ならびに許可制とする「チベット仏教活仏転生管理弁法」を施行し、活仏の転生霊童の認定にあたっては国家宗教事務局への事前申請ならびに許可を必要とすると定めた[92]。すなわち、中華人民共和国国務院の許可がない活仏は違法で無効とされることも影響している。

科学との関係[編集]

ダライ・ラマ14世は1983年の国際会議で神経科学者フランシスコ・バレーラと出会い、”科学と宗教の対話”という共通の関心事に基づいて1986年から「精神と生命会議」を共同で始めた[93]。以後、同会議は2010年までに18回を数え、脳科学・生命科学から量子力学、宇宙物理学など幅広いジャンルの科学者200人以上と対話が続けられている[94]。この会議を母体に「精神と生命研究所」(Mind&Life Institute)が設立され[95]、ここからダライ・ラマ14世と科学者との対話なども出版されている[96]

映画[編集]

ダライ・ラマ14世(1994年)
マーティン・スコセッシが、映画史上初めてダライ・ラマ14世の半生を描いた作品。ダライ・ラマの転生者である少年(後の14世)の発見、彼の成長とチベットを脱出してインドへ亡命するまでの22年間を、歴史的事実に即して描く。
若き日のダライ・ラマ14世と登山家ハインリヒ・ハラーとの交流を描いた。

社会主義について[編集]

若い頃にはチベットの経典やナショナル ジオグラフィックなどの歴史や天文学の本の他にマルクスレーニンの本も読み、共産党への入党を希望していた時期もあったことを明かしている。マルクス主義の「平等な分配」の考えに同意しているが、マルクス主義の極めて物質主義的な観点から人の生存をとらえるという部分は唯一の欠点であるとし、その点については同意していない。自分を「マルクス主義者」[97][98]とし、「半・マルクス主義者」[99]と呼んでも構わないと語っており、仏教と純粋なマルクス主義が融合した場合には、それが有効な施政方法となることを確信していると述べている[100]

受賞等[編集]

[3]

  • Honorary Doctorate in chemistry and pharmacy from University of Münster on 20 September, 2007
  • Honorary Doctorate from Southern Cross University on 8 June, 2007
  • Presidential Distinguished Professorship from Emory University in February 2007.
  • Honorary Doctorate in Doctor of Humane Letters|Humane Letters conferred by the State University of New York at Buffalo in September 2006.
  • Honorary citizenship of Canada in 2006.
  • Honorary citizenship of Ukraine, during the anniversary of the Nobel Prize on 9 December, 2006 in Mc Leod Ganj.
  • United States Congressional Gold Medal on 27 September 2006
  • Key to New York City from Mayor Michael Bloomberg|Bloomberg on 25 September, 2005
  • Jaime Brunet Prize for Human Rights on 9 October, 2003
  • Hilton Humanitarian Award on 24 September, 2003
  • International League for Human Rights Award on 19 September, 2003
  • Life Achievement Award from Hadassah Women's Zionist Organization on 24 November, 1999
  • Roosevelt Four Freedoms Award from the Franklin and Eleanor Roosevelt Institute on 4 June, 1994
  • World Security Annual Peace Award from the New York Lawyer's Alliance on 27 April, 1994
  • Berkeley Medal from University of California, Berkeley, on 20 April, 1994
  • Peace and Unity Awards from the National Peace conference on 23 August, 1991
  • Earth Prize from the United Earth and U.N. Environmental Program on 5 June, 1991
  • Advancing Human Liberty from the Freedom House on 17 April, 1991
  • Le Prix de la Memoire from the Fondation Danielle Mitterrand on 4 December, 1989
  • Raoul Wallenberg Human Rights Award from the Congressional Rights Caucus Human Rights on 21 July, 1989
  • Key to the city|Key to Los Angeles from Mayor Tom Bradley|Bradley in September 1979.
  • Key to San Francisco from Mayor Dianne Feinstein|Feinstein on 27 September, 1979

著書[編集]

  • 山際素男訳 『ダライ・ラマ自伝』文藝春秋、1992、文春文庫 1996 
  • 木村肥佐生訳 『チベットわが祖国 ダライ・ラマ自叙伝』亜細亜大学アジア研究所 1986、中公文庫 1989 新版2001・2015
  • 『チベット仏教の概要』日高一輝訳 チベット文化研究会 1978
  • 『この悲劇の国、わがチベット ダライ・ラマ自伝』日高一輝訳 蒼洋社 1979
  • 『仏教のこころ ダライ・ラマ法話集』ペマ・ギャルポ,椎名潤訳 講談社 1984
  • 『智慧の眼』菅沼晃訳 けいせい出版 1988
  • 『愛と非暴力 ダライ・ラマ仏教講演集』三浦順子訳 春秋社 1990
  • 『ダライ・ラマ 平和の哲学』斎藤巌, 斎藤保高訳 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 1992
  • 『ダライ・ラマ「死の謎」を説く 輪廻転生-生命の不可思議』大谷幸三編訳 クレスト社 1994、徳間文庫 1999、角川ソフィア文庫 2008  
  • 『ダライ・ラマ 慈悲の教え』山際素男訳 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 1994
  • 『空と縁起 人間はひとりでは生きられない』大谷幸三訳 同朋舎出版 1995 のち学研M文庫 
  • 『心と生命 <心の諸科学>をめぐるダライ・ラマとの対話 徹底討議』フランシスコ・J.ヴァレーラ,ジェレミー・W.ヘイワード編著 山口泰司,山口菜生子訳 青土社 1995
  • 『ダライ・ラマの仏教入門 心は死を超えて存続する』石浜裕美子光文社 1995、同知恵の森文庫 2000
  • 『ダライ・ラマの密教入門 秘密の時輪タントラ灌頂を公開する』石浜裕美子訳 光文社 1995、同知恵の森文庫 2001 
  • 『私たちのゆくえ 心のはしらを探して』ペマ・ギャルポ監訳 ベストセラーズ ワニの選書 1995
  • 『宇宙のダルマ』永沢哲角川書店 1996
  • 『ダライ・ラマの仏教哲学講義 苦しみから菩提へ』福田洋一大東出版社 1996
  • 『ダライ・ラマ生き方の探究』ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ,藤田省吾共訳 春秋社 1997
  • 『ダライ・ラマ瞑想入門 至福への道』ゲシェー・ソナム・ギャルツェン・ゴンタ監訳 鈴木樹代子訳 春秋社 1997
  • 『瞑想と悟り チベット仏教の教え』柴田裕之日本放送出版協会 1997
  • 『ダライ・ラマ、イエスを語る』中沢新一訳 角川書店 1998
  • 『ダライ・ラマ死をみつめる心』ハーディング祥子訳 春秋社 1999
  • 『ダライ・ラマ他者と共に生きる』田崎國彦,渡邉郁子訳 春秋社 1999
  • 『ダライ・ラマ日々の瞑想』三浦順子訳 講談社 1999
  • 『幸福論』塩原通緒角川春樹事務所 2000
  • 『ダライ・ラマが語る 母なる地球の子どもたちへ』ジャン=クロード・カリエール共著 新谷淳一訳 紀伊國屋書店 2000
  • 『ダライ・ラマこころの育て方』ハワード・C.カトラー共著 今井幹晴求龍堂 2000
  • 『ダライ・ラマ智慧と慈悲 来日講演集』マリア・リンチェン訳 春秋社 2000
  • 『ダライ・ラマ365日を生きる智慧』レーヌカ・シン編 谷口富士夫訳 春秋社 2001
  • 『ダライ・ラマ幸福になる心』山際素男訳 春秋社 2001
  • 『ダライ・ラマ至高なる道』谷口富士夫訳 春秋社 2001
  • 『ダライ・ラマ智慧の眼をひらく』菅沼晃訳 春秋社 2001
  • 『ダライ・ラマ〈心〉の修行』マリア・リンチェン訳 春秋社 2002
  • 『幸福と平和への助言』今枝由郎訳 トランスビュー 2003
  • 『幸せに生きるために ダライ・ラマが語る15の教え』塩原通緒訳 角川春樹事務所 2003 「世界平和のために」文庫
  • 『ダライ・ラマ14世法王の政治哲学 スピーチ・著作集より 第1巻』A.A.シロマニー編 ペマ・ギャルポ監訳 山本長一 [ほか]訳 万葉舎 2003
  • 『ダライ・ラマ怒りを癒す』三浦順子訳 講談社 2003
  • 『ダライ・ラマ、生命と経済を語る』ファビアン・ウァキ共著 中沢新一,鷲尾翠訳 角川書店 2003
  • 『ダライ・ラマゾクチェン入門』宮坂宥洪訳 春秋社 2003
  • 『ダライ・ラマ大乗の瞑想法』クンチョック・シタル監訳 鈴木樹代子訳 齋藤保高原典訳 春秋社 2003
  • 『なぜ人は破壊的な感情を持つのか』ダニエル・ゴールマン共著 加藤洋子訳 アーティストハウスパブリッシャーズ 2003
  • 『Love?愛ってなんだろう』マリア・リンチェン同時通訳 マーブルトロン 2004
  • 『ダライ・ラマ死と向きあう智慧』ジェフリー・ホプキンス編 ハーディング祥子訳 地湧社 2004
  • 『ダライ・ラマ慈悲の力 来日講演集』マリア・リンチェン訳 春秋社 2004
  • 『ダライ・ラマ般若心経入門』トゥプテン・ジンパ編 宮坂宥洪訳 春秋社 2004
  • 『ダライ・ラマ法王の実践幸福論』ロスアルトス・スタディー・グループ編著 ペマ・ギャルポ訳 あ・うん 2005
  • 『抱くことば』グレート・ザ・歌舞伎町写真 イースト・プレス 2006
  • 『思いやり』マリア・リンチェン訳 サンマーク出版 2006
  • 『思いやりのある生活』沼尻由起子訳 光文社知恵の森文庫 2006
  • 『素顔のダライ・ラマ』ビクター・チャン共著 牧内玲子訳 春秋社 2006
  • 『ダライ・ラマが語る般若心経』大谷幸三文 角川学芸出版 2006
  • 『ダライ・ラマ科学への旅 原子の中の宇宙』伊藤真訳 サンガ 2007 のち新書 
  • 『ダライ・ラマハートフル・メッセージ』鈴木樹代子訳 春秋社 2007
  • 『ヒューマン・バリュー 人間の本当の値打ちとは』宮坂宥洪編訳 マリア・リンツェン原訳 四季社 2007
  • 『ダライ・ラマのビジネス入門 「お金」も「こころ」もつかむ智慧!』ローレンス・ファン・デン・ムイゼンバーグ共著 岩木貴子訳 マガジンハウス 2008
  • 『ダライ・ラマ平和のために今できること』北川知子訳 ダイヤモンド社 2008
  • 『ダライ・ラマ未来への希望 来日講演集』マリア・リンチェン訳 大蔵出版 2008
  • 『ゆるす言葉』野町和嘉写真 イースト・プレス 2008
  • 『環境について語る』ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 2009
  • 『心の平和』マリア・リンチェン訳 サンマーク出版 2009
  • 『ダライ・ラマこころを導く言葉365』瀧川郁久訳 春秋社 2009
  • 『ダライラマ真実の肖像』クロディーヌ・ベルニエ=パリエス文 神田順子訳 二玄社 2009
  • 『ダライ・ラマ実践の書』ジェフリー・ホプキンズ編 宮坂宥洪訳 春秋社 2010
  • 『ダライ・ラマ スピリチュアル・メッセージ』クンチョック・シタル, 阿門朋子訳 春秋社 2010
  • 『ダライ・ラマの「中論」講義第18・24・26章』マリア・リンチェン訳 大蔵出版 2010
  • 『いのちの言葉 3・11後の日本へ-』写真:篠山紀信 世界文化社 2011
  • 『ダライ・ラマ希望のことば フォト・メッセージ』薄井大還写真 春秋社 2011
  • 『ダライ・ラマこころの自伝』ソフィア・ストリル=ルヴェ編 ルトランジェ治美訳 春秋社 2011
  • 『ダライ・ラマ宗教を語る』三浦順子訳 春秋社 2011
  • 『ダライ・ラマの般若心経 日々の実践』マリア・リンチェン訳 三和書籍 2011
  • 『夜明けの言葉』三浦順子訳 松尾純写真 大和書房 2011
  • 『傷ついた日本人へ』新潮新書 2012
  • 『ダライ・ラマ宗教を越えて 世界倫理への新たなヴィジョン』三浦順子訳 サンガ 2012
  • 『ダライ・ラマ珠玉のことば108 心の平安を得るための仏教の知恵』カトリーヌ・バリ編 前沢敬訳 福田洋一監修 武田ランダムハウスジャパン 2012
  • 『ダライ・ラマ法王、フクシマで語る 苦しみを乗り越え、困難に打ち勝つ力』下村満子企画・監修 大和出版 2012
  • 『ダライ・ラマ法話 文殊の智慧による救い』クンチョック・シタル,阿門朋子訳 薄井大還撮影 春秋社 2012
  • 『ダライ・ラマ誰もが聞きたい216の質問』ラジーヴ・メロートラ編 瀧川郁久訳 春秋社 2013
  • 『ダライ・ラマ般若心経を語る』大谷幸三取材・構成 角川ソフィア文庫 2013
  • 『思いやること こころを育てるための小さなコツ』ジェフリー・ホプキンス編 長澤あかね訳 東洋出版 2014
  • 『心を見つめる言葉』黒輪篤嗣訳 飛鳥新社 2014
  • 『ダライ・ラマ『菩提心の解説』』マリア・リンチェン訳 大蔵出版 2015

日本人との共著[編集]

雑誌掲載の文章[編集]

  • 「成田会見全文掲載」季刊誌『ジッポウ』6号(2008夏号)特集「平和なれチベット」ダイヤモンド社、2008年
    • 2008年4月にアメリカ渡航の際の経由地成田空港での記者会見の内容。

歌詞[編集]

参照文献[編集]

文献資料 (仏教解説書)[編集]

哲学書、人生論 等々(共著形式も含む)

報道資料[編集]

  • 『朝日新聞』2008年4月22日夕刊

脚注・出典[編集]

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  1. ^ "The Institution of the Dalai Lama" by R. N. Rahul Sheel in The Tibet Journal, Vol. XIV No. 3. Autumn 1989, pp. 19-32 says on pp. 31-32, n. 1: "The word Dalai is Mongolian for "ocean", used mainly by the Chinese, the Mongols, and foreigners. Rgya mtsho, the corresponding Tibetan word, always has formed the last part of the religious name of the Dalai Lama since Dalai Lama II [sic – should read Dalai Lama III]. The expression Lama (Bla ma) means the "superior one". Western usage has taken it to mean the "priest" of the Buddhism of Tibet. The term Dalai Lama, therefore, means the Lama whose wisdom is as deep, as vast and as embracing as the ocean."(和訳:「ダライ」という言葉はモンゴル語で「海」を意味し、主に中国人、モンゴル人、外国人が用いているものである。これに対応するチベット語の「ギャムツォ」はダライ・ラマ2世以来、つねにダライ・ラマの法名の末尾を構成するものとなっている〔原文ママ - ダライ・ラマ3世を参照せよ〕。ラマという表現は「上人」を意味する。今までの西洋の用法では、ラマをチベット仏教の「聖職者」を意味するものとして捉えている。したがってダライ・ラマという言葉は、海のように深く広大な、包括的な智慧を有するラマを意味している。)
  2. ^ Mark Sappenfield and Peter Ford (March 24, 2008).Dalai Lama must balance politics, spiritual role. The Christian Science Monitor Retrieved on: May 9, 2008
  3. ^ フランソワーズ・ポマレ 『チベット』 創元社、123頁。
  4. ^ Tibetan Charter Drafting Committee Issues Draft Preamble 2013年5月27日閲覧。
  5. ^ ダライ・ラマ5世の時代に(一部を除く)全チベットの再統一が果たされ、ダライ・ラマ5世はその政教両面の最高権威として君臨したとされるが、その後の歴代ダライ・ラマがつねにチベット全体の支配者であったわけではない。その支配権の及んだ範囲は時期によって異なり、7世の代にはその権勢は全盛期と比較して非常に限定的になった。9世から12世までのダライ・ラマはいずれも夭折したため実権を行使する機会がなく、この時期のダライ・ラマは権威の象徴にすぎなかったとの見方もある。ダライ・ラマ政権の直轄地域も長らく中央チベットのウーに限られていた。ラサから遠い地方では世俗の領主や各宗派の大ラマがダライ・ラマの権威を認めながらもそれぞれの領地を支配して割拠しており、東チベットのカムでは清朝に服属する在地の諸候が事実上の独立状態にあった。再びダライ・ラマ自身が名実ともにチベットに君臨したのは20世紀に入ってからのことである。Sam van Schaik, Tibet: A History, chap. 7 および、スネルグローヴ他 『チベット文化史』 第8章を参照。
  6. ^ 2011年3月、ダライ・ラマ14世は政治的立場からの引退を表明し、それに伴って亡命チベット人憲章が改訂され、憲章上はいまだ元首であると考えられるが、ダライ・ラマの位置づけは政治的指導者から精神的指導者に変更された。His Holiness the 14th Dalai Lama. A Brief Biography. Retrieved on: May 8, 2008
  7. ^ ロラン・デエ 『チベット史』 春秋社、135頁。
  8. ^ 田中公明 『活仏たちのチベット』 春秋社、97-100頁、同著 『図説 チベット密教』 春秋社、55・57頁。
  9. ^ 最初にダライ・ラマの称号を授かったのはスーナムギャムツォ。
  10. ^ 河口慧海『チベット旅行記』(三), 講談社学術文庫265 (1978)、多田等観『チベット』岩波新書91 (1942, pp. 9, 13-14, 14-16, 41-45)、青木文教『秘密の国 西藏遊記』中公文庫560 (1990, p. 284)、田中公明『活仏たちのチベット ダライラマとカルマパ』春秋社 (2000, pp. 113-114.)。
  11. ^ 田中公明 『活仏たちのチベット』 春秋社、150頁。
  12. ^ a b 「ダライラマ14世を名誉市民に」『朝日新聞』2008年4月22日夕刊2頁参照。
  13. ^ 「それまでに8人の子供が生まれていた」とある(『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 p.33)。
  14. ^ なお、「子供7人のうちの5番目の生まれ」という説もある(Craig 1997, pg. xxi)
  15. ^ 『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 p.31
  16. ^ 『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 p.33
  17. ^ チベット語表記。ལྷ་མོ་ཌོན་འགྲུབ་
  18. ^ 『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 p.30
  19. ^ 『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 p.35
  20. ^ 『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 p.34
  21. ^ 『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 p.36
  22. ^ 『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 p.39
  23. ^ 『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 p.39
  24. ^ チベット語表記。རྗེ་བཅུན་ངག་དབང་བློ་བཟང་ཡེ་ཤེས་བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ་
  25. ^ 『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 pp.41-44
  26. ^ 『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 pp.47-49。教師としてついたのはレティン・リンポチェ(当初上級教師、後に教師からはずれる)、タタ・リンポチェ(当初下級教師、後に上級教師に昇格)、キゥツァン・リンポチェ(非公式の個人教師、元捜索隊長)、リン・リンポチェ(タタ・リンポチェのかわりに下級教師となった)。リン・リンポチェとは親友となった(出典:同ページ)。
  27. ^ 脚注:チベット語にはウ・チェンとウ・メという2種類の筆記形態があり、一方は私的な書き物、もう一方は公文書や書簡用となっている(『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 p.53)。
    脚注:少年のダライ・ラマの生活スケジュールについて
    朝6時起床、着替えて1時間ほど祈祷と瞑想。7時に朝食を摂り、それから授業の開始。12時ちょうどに鐘が鳴り、昼休みとなり、子供らしく遊ぶ。1時に軽い昼食。食後すぐに授業が再開。一般教育。午後4時にお茶。その後2人のチェンシャプが来て、抽象的な論題(たとえば「心」の本性とは何か?)といった質問との格闘。午後5時半頃にようやく1日の試練から開放される。7時頃まで絵を描いたりして過ごし、夕食。夕食後は宮殿の内庭を散歩をしながら経典を暗誦したり祈祷をする決まりになっていたが、実際は子供らしく物語を考え出したりして時を過ごしたという(『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 pp.53-61)。
    少年期のダライ・ラマ14世が受けた一般教育のカリキュラムの内容は仏教学で学位取得を目指す他の僧たちと同じで、主要科目・副科目に分かれ、以下のような内容。
    主要科目:「論理学」「チベット芸術文化」「サンスクリット」「医術」「仏教哲学
    この中でも「仏教哲学」が一番深遠で、5つに分類されていて、「プラジュナパラミタ般若波羅蜜=智慧の完成)」「マディヤミカ中観=中庸の道)」「アビダルマ(=形而上学)」「ヴィヤナ(=僧院生活の戒律)」「プラマナ(=論理学認識論)」
    副科目:詩歌、音楽・ドラマ、占星学、韻律・表現法・同義語研究(『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 pp.57-58)。 10歳の時から、チベットの僧院教育で基本とされている弁証法討論技術を熱心に学んだ。ダライ・ラマとして仏教哲学を知っているだけでなく、討論にも熟達している必要があったためである(『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 p.58)。
  28. ^ 脚注:政府の会議のある時には、授業は朝10時に中断し、その会議に出席した(『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 p.54)。
  29. ^ 脚注:金属製の組み立て式玩具「メカーノ」で遊んだり、ぜんまい仕掛けの汽車のセットなどがお気に入りだったという。また、他にも板を駆け上ってそこからジャンプするなど、腕白な遊びも大好きだった、という(『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 pp.55-57)。
    いろんな物をばらして組み立てるのが好きだったという(同書p.68)。
  30. ^ 『ダライ・ラマ自伝』文春文庫 p.72
  31. ^ Goldstein, M.C., A History of Modern Tibet, Volume 2 – The Calm before the Storm: 1951–1955, p. 496
  32. ^ "Chairman Mao: Long Live Dalai Lama!". Voyage.typepad.com. 21 January 2007.
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  34. ^ 【グローバルインタビュー】MSN産経ニュース 2007年11月25日[リンク切れ]
  35. ^ ノーベル平和賞受賞スピーチ - ダライ・ラマ法王日本代表部事務所, 1989年12月10日
  36. ^ ダライ・ラマ14世にカナダの名誉市民の称号を授与 - AFP通信, 2006年9月10日
  37. ^ カナダ政府、スー・チーさんに名誉市民の称号授与 - ロイター通信, 2007年10月18日
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  81. ^ 震災復興願い祈り ダライ・ラマ14世が仙台で慰霊の会河北新報 2014年4月8日)
  82. ^ 田中公明 『活仏たちのチベット』 68頁。
  83. ^ ペマ・ギャルポ 『改訂新版 チベット入門』 日中出版、87頁。
  84. ^ a b 『ダライ・ラマ ゾクチェン入門』 まえがき
  85. ^ [1]参照。
  86. ^ フランソワーズ・ポマレ 『チベット』 創元社、157頁。
  87. ^ シュクデン問題については The Shugden Affair: Origins of a Controversy (Part I) も参照。
  88. ^ 李栄霞「ダライ・ラマ14世の古里を訪ねる:辺境の小さな山村でも、時代が前進する鼓動が…」北京週報(www.bjreview.com)
  89. ^ カルマパ17世 チベットから逃走 - ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
  90. ^ 【グローバルインタビュー】ダライ・ラマ - MSN産経ニュース2007年11月25日
  91. ^ "Buddha's Warriors" - Amanpour Reports, CNN, 2008年8月2日放映
  92. ^ チベットの活仏、転生者決定に必要な3原則 - 人民網日文版, 2008年3月8日
  93. ^ 『瞑想する脳科学』永沢哲(講談社選書メチエ.2011)p.71
  94. ^ 同書.p72
  95. ^ http://www.mindandlife.org/mission/ Mind&Life Institute HP-Mission]
  96. ^ Mind&Life Institute HP-books
  97. ^ ダライ・ラマ「私はマルクス主義者だ」…米ニューヨークで発言 2010/05/21(金) 17:08:46 [サーチナ]
  98. ^ “ダライ・ラマ「私は今もマルクス主義者」”. Sputnik News. (2015年8月16日). http://jp.sputniknews.com/life/20150816/755012.html 2015年9月11日閲覧。 
  99. ^ ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
  100. ^ 『ダライ・ラマ自伝―亡命の日々に』P.108 参考。
  101. ^ Peter Yarrow /ピーター・ヤーロウ - Never Give Up

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代:
トゥプテン・ギャツォ
ダライ・ラマの転生
14世:1940年 -
次代:
-