東北工程

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高句麗の系統が新羅(後の朝鮮民族の母体)と金(後の満州族の母体)に分割され、渤海の系統が金に発展している。

東北工程(とうほくこうてい)とは、「東北辺疆歴史与現状系列研究工程」の略称で、中国東北部(旧満州)の歴史研究を目的とする中華人民共和国の国家プロジェクトである。1997年から開始され、2000年以後に研究成果が中国国外のメディアにも公表されるようになった。

その中で高句麗渤海百済新羅も含まれることがある)を中国史の地方政権とした扱いに対して、韓国国内で激しい抗議が発生し、2006年には中韓間の外交問題に発展した。結果的に「学術討論で解決していき、政治問題としない」との合意で政府レベルではひとまず沈静化しているが[1]、韓国メディアが「潜伏状態」[2]と表現する通り、民間レベルや歴史教育の分野ではしばしば問題となり、両国間の潜在的な懸案となっている。

概要[編集]

言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗とでは、民族的・言語的に隔たりがあり[3]、高句麗を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がなく、満州族のルーツである女真族と高句麗のルーツは同じツングース民族とされ、高句麗の故地を領土に含み、高句麗と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国と韓国との間に軋轢が生じている。

歴史[編集]

1996年に中国社会科学院において中国東北部・旧満州における歴史研究を重点研究課題とすることが決定された。この研究プロジェクトは東北工程と称され、2002年から研究が本格的に開始され、2003年頃に高句麗や渤海は「古代中国にいた少数民族であるツングース系の夫余人の一部が興した政権」であり、「高句麗が中国の一部であり自国の地方政権である」との中国見解が中国国外に知れ渡ることになった[4]。また2007年には百済新羅も同様に「中国史の一部」との中国見解が伝えられた[5]。中国国内における高句麗遺跡の調査および整備が行われ、広開土王碑将軍塚の世界遺産への推薦を行い、2004年7月1日蘇州で開催された世界遺産委員会において、高句麗前期の都城と古墳が世界遺産に登録された。翌日の新華社通信においては、「高句麗は歴代中国王朝と隷属の関係にあり、中原王朝の管轄にあった地方政権」と報道されている。

北京大学の蔣非非・王小甫教授らが1998年に執筆した『中韓関係史』(社会学科文献出版社〈韓国学叢書〉)では、高句麗を中国王朝に対応する朝鮮史の王朝としており、歴史学科で教材として使用されていたことから、延世大学東西文化研究院の金佑俊教授は、これは2002年以前までは中国も高句麗史を韓国史と認識していた証拠であると主張している[6]。しかし、1990年代に出版された書籍『中国東北史』(東北人民出版)などで「高句麗は朝鮮に非ず」という項目が設けられているなど、早い時期から高句麗を朝鮮史と切り離していた。

東北工程の主唱者である孫進己瀋陽東アジア研究中心主任は、「中国の土地で展開された高句麗は中国の歴史」「三国統一ではなく、新羅による百済統合に過ぎない」とし、「高句麗の領土3分の2が現在の中国の領土であり、当時の高句麗住民の4分の3が中国に帰化した」とし、「これは今日のアメリカ史を述べる際、アメリカインディアンの歴史まで包括する反面、移民者の元の故郷のヨーロッパ史を言及しないことと同じ」と述べている[7]。孫泓東アジア研究中心研究員は、「高句麗が中原王朝の地方政権」とし、「高句麗は大部分の歴史において一貫して中原に帰属していた」「韓国では、高句麗の歴史が三国統一を通じて新羅に受け継がれたというが、高句麗は三国に含まれない」「新羅の三国統一は百済、新羅の2国の統合」と述べている[7]

中国遼寧省庄河県にある高句麗城山山城の入り口にある碑石に「高句麗は中華民族が建てた国」という碑文がある。同碑石に「高句麗民族は、中国古代の華夏民族(中華民族の異なる表現)を成す大家族の一員だった(高句麗民族是中國古代華夏民族大家庭中的一員)」「高句麗政権は中国東北地方の少数民族が建てた地方政権(高句麗政權是中國東北少數民族地方政權)」という碑文が刻まれている[8]

中華人民共和国文化部が発行した『中外文化交流』2004年9月号と、中華人民共和国教育部直属の教科書専門出版社のホームページは、「高句麗は中国東北地方の少数民族政権」と掲載している[9]中華人民共和国文化部が主管・発行する月刊誌『中外文化交流』は、「高句麗は中国東北地方で生活した古代の少数民族政権」と掲載し、中華人民共和国教育部直属の教科書専門出版社である人民教育出版社ホームページの「歴史知識」コーナーは、高句麗を中国史として掲載している[10]。また、中華人民共和国外交部は、ホームページの「韓国概況」の古代史に関する記述から高句麗を削除し、復元を求める韓国政府の要請を拒否し、1948年の韓国政府樹立以前の歴史記述をすべて削除した[11]

中国吉林省集安市博物館の案内縦看板の説明文は、「高句麗は中国古代に存在した北東地方の少数民族政権のひとつ」と書いてあり[12]、博物館の玄関にある石の標識には、「高句麗は北東アジア地方の古代文明の発展に重要な影響を与えた中国北東地方の少数民族政権のひとつ」と書いてあり[12]、案内員は高句麗の遺物を説明する際、中国文化への隷属性を強調し、「この蓮華模様の瓦当は仏教文化の痕跡で、高句麗が中原文化の影響を受けたことを示す証拠です」「当時中原で使われた硬貨がここで発掘されました。高句麗が中国の一部であった証拠です」と説明している[12]。別の案内員は、『三国志』の「高句麗にその名簿を主管させた」という文章を「高句麗が漢を主人として仕える」と説明している[12]

中国の高句麗の遺跡地や白頭山で配布されているパンフレットには、白頭山という名前すらなく「満州族発祥の地で、中国の聖地」とだけ記され、高句麗は中国の少数民族国家であり、一度も朝鮮民族の歴史という説明を発見できないという[13]。また、中国の高句麗の遺跡地には、「高句麗人は決して朝鮮人ではない」「高句麗は中国古代国家のに起源を持つ漢民族が建設した国家」と書かれた案内板が立っているという[14]

中国の教科書においては、『世界古代史(高等教育出版社)』では、古朝鮮・高句麗・扶余は韓国の歴史ではないと韓国史の始まりは統一新羅からとの主旨で記述しており、注釈で「高句麗は当時、中国東北部に存在した少数民族政権であった」と明記している。『中国歴史隋唐遼宋金巻(高等教育出版社)』では、「高句麗は漢代以降、中国の領域であると見なされた」と記している。中国の100余りの大学で使用されている『中国古代史(福建人民出版社)』では、扶余・高句麗・沃沮・穢貊は中国・漢代の東北地区の少数民族であり、高句麗の先祖は中国の昔の民族である高夷であると記述している[15]

フランスオーストラリアウクライナの中国大使館のホームページは「高句麗は中国古代の辺境少数民族が樹立した政権」と記述している。中でも、オーストラリアの中国大使館は「高句麗は中国歴代王朝と従属関係を維持し、中原王朝の制約と管轄を受けていた地方政権」としている。 中国国営の中央テレビ(CCTV)はホームページに「中国高句麗王城」と題する記事を掲載、高句麗の最初の都城だった卒本城を「中国高句麗王城」と紹介し、「高句麗は中国古代の辺境少数民族による政権」としている。中国文化ネットワークや中国文物ネットワークなどの中国政府所属機関も「高句麗は中国古代の辺境少数民族による政権」とホームページに掲載している。中国人民政治協商会議の丹東市委員会のホームページ「丹東政協網」は「鴨緑江流域の山水は漢族以外の多くの少数民族をはぐくんだ。高句麗や渤海国などの少数民族が地方政権を樹立したが、それらは常に中原歴代王朝と密接な関係を維持していた」としている。韓国政府機関に所属する専門家は「2000年代初めのように表立って東北工程を推進する必要がないほど、今では中国人は高句麗・渤海を自国の歴史として認識している。既定事実化していることがより深刻だ」と述べている。また、国立民俗博物館のハ・ドギョム学芸研究士は「中国は、高句麗・渤海だけでなく古朝鮮まで自国の歴史と記述した中学・高校歴史教科書を出版する可能性が高い」と述べている[16][17]

YouTubeでは、韓国人が満州族の高句麗の歴史を盗作しているとする動画が出回り、韓国メディアが反発している。「Korean are stealing Manchu's Koguri history(韓国人が満州族の高句麗の歴史を盗んでいる)」という動画は、「現代の韓国人は高句麗と血縁的関連が弱くて、高句麗の血統を受け継いだのは満州族」として「歴史泥棒もうやめろ」とし[18]、「韓国人は、過去の高句麗の血統を受け継ぎ非常に長い時間満州を支配したと言って歴史の盗難をしようとしている」としている。この動画に対して、「韓国人は嘘つき」「韓国をよく表現している」など嘲笑するコメントが何百も投稿されている[19]。また中国のネチズンからは、「古代高句丽民族和现代韩国人根本就不是一个民族,属于古扶余人,应该是东胡的一部分(古代高句麗人と現代の韓国人は全く違う民族。高句麗は古扶余人で東胡の一部分だろ)」という意見もある[20]

韓国・北朝鮮の反応[編集]

2000年に入り、韓国のメディアにおいて東北工程の存在とその研究内容が伝えられるようになった。韓国の歴史研究者や政治家は厳しく抗議し、一般人の中でも東北工程に対する激しい抗議活動が行われた。学会においては「中国の高句麗史歪曲対策委員会」が組織され、これを基に「高句麗研究財団」が設立された[21]

2006年に入ると新たに渤海および白頭山の「歴史的帰属」にまで問題は拡大した。韓国国内での中国への抗議活動に対して、2004年8月に両国政府間で「歴史解釈の問題が政治争点化することを阻む」との合意が行われた。対中外交を重視する盧武鉉大統領は東北工程は中国政府の公式認識ではないとして長い間公式の抗議を行わなかったが[22]、メディアにおいて政府批判が強まったため、2006年9月ヘルシンキで開催されたASEM首脳会議において、中国の温家宝首相に「学術研究機関次元だとしても両国関係に否定的な影響を及ぼすことがあり得る」との抗議を行った[23]

また韓国のテレビ局はこぞって「朱蒙」(2006年MBC)「太王四神記」(2007年MBC)「風の国」(2008年KBS2)「淵蓋蘇文」(2006年SBS)「大祚榮」(2006年KBS)など高句麗と渤海を題材にする歴史ドラマを次つぎと制作し、一時期には韓国の歴史ドラマは古代史を題材にしたものが席巻した。これは内外に「高句麗と渤海は韓国の歴史であること」をアピールする意図があるが、そのため中国では放送禁止となるものもあった。[24]

さらに2014年には、韓国俳優のキム・スヒョンチョン・ジヒョンが出演していた中国商品(ミネラルウォーター)の原産地表記が(白頭山ではなく)長白山となっていたことで「白頭山を中国領にしようとする中国の歴史歪曲の動き『東北工程』にカネ目当てで利用された」との批判を浴び、CF契約を解消して謝罪、中国では共産党系メディアが猛反発するという事件も起きている。[25]

いわゆる従軍慰安婦問題など日本の歴史問題を強く批判する韓国メディアも、東北工程については「より深刻な歴史歪曲」として捉えるなど、厳しい態度を崩していない[26]

このような韓国の韓国内での反発とは対照的に、北朝鮮は全く反応を示していない。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連) の機関紙である朝鮮新報において、「中国が高句麗史を自国史に編入しようとしているのは露骨な歴史歪曲」であると示されていたのが唯一の対応である[27]

李氏朝鮮の実学者柳得恭が『渤海考』の中で、「高麗は南方の新羅、北方の渤海をあわせて南北国史を編纂すべきだったのに、これをしなかったため渤海故地をえる根拠を失い弱国となった」と主張しており、「南北国時代」論者はこれを特筆する。しかし、李氏朝鮮におけるメインストリームの見解は、『東国通鑑』に「契丹之失信於渤海、何与於我(契丹が渤海を裏切ったことなど我が国と関係ない)」とあり、『東国綱目』に「渤海不当録于我史(渤海は我が国の歴史に記録するにあたらない)」とあるように、渤海を自国の歴史の一部とみなさないものであったが、現在の韓国や北朝鮮では「渤海は高句麗人が建国した国であり、高句麗の継承国で、韓国史の一部である」と統一した見方をしている。この考え方は、1784年に柳得恭『渤海考』が初めに発表し、1970年代になってこの研究が盛んになり、現在では、この時代を北は渤海、南では新羅が並立した自国の「南北国時代」として国定教科書にも記載し教育をおこなっている[28]。朴チョルヒ京仁教育大学校教授は、このような韓国社会教科書について、過度に民族中心的に叙述され、「高句麗と渤海が多民族国家だったという事実が抜け落ちている。高句麗の領土拡大は異民族との併合過程であり、渤海は高句麗の遺民と靺鞨族が一緒に立てた国家だが、これについての言及が全く無い」「渤海は高句麗遊民と靺鞨族が共にたてた国家だというのが歴史常識だ。しかし国史を扱う小学校社会教科書には靺鞨族に対する内容は全くない。渤海は高句麗との連続線上だけで扱われている」と批判している[29][30]

金翰奎西江大学校教授は2004年に、「東胡モンゴル契丹)、粛慎靺鞨女真)、穢貊夫余高句麗)は韓民族でも中国の漢族でもないとし、韓国史でも中国史でもない遼東史」という学説を提唱している[31]

新潟産業大学の金光林は両国の論争について、一国史観を脱皮して東アジア史として捉えていく必要性があると述べている[4]

日本での高句麗と渤海についての見方[編集]

高句麗[編集]

  • シロコゴロフ、川久保悌郎田中克巳訳『シロコゴロフ 北方ツングースの社會構成』(1942年、岩波書店)p285-p287「鳥居龍蔵氏は彼らを北朝鮮の強国、夫余及び高句麗の建設者と見做し、彼等をツングースであろうと考えている。」
  • 白鳥庫吉『白鳥庫吉全集 第4巻』(1970年、岩波書店)P536「『穢貊は果たして何民族と見做すべきか』穢貊の言語には多量のTunguse語に少量の蒙古語を混入していることが認められる。想うにこの民族は今日のSolon人の如く、Tunguse種を骨子とし、之に蒙古種を加味した雑種であろう。」
  • 井上秀雄、他訳注『東アジア民族史1-正史東夷伝』(1974年、平凡社)p103「(高句麗、夫余の)両族は、ともにツングース系と考えられている。両族が同系であることは始祖神話(東明・朱蒙伝説)の類同によっても推測できよう。」
  • 加藤九祚『北東アジア民族学史の研究』(1986年、恒文社)p156「高句麗は北扶余から発したというが、その北扶余がツングース・満州語族に属することは定説となっている」
  • 三上次男神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』(1989年、山川出版社)p161「Ⅱ(夫余、高句麗、濊、東沃沮)の言語はツングース・満州語の一派か、またはそれに近い言語と思われるが、むしろ朝鮮語と近い親縁関係にあるか、詳しく調べてみなければわからない。」
  • 鳥越憲三郎『古代朝鮮と倭族』(1992年、中央公論社)「高句麗は紀元前1世紀末、ツングース系の濊族によって建国」
  • 浜田耕策『日本大百科全書』「【濊貊】前3世紀ごろモンゴル系民族に押し出されて朝鮮半島北東部に南下し、夫余、高句麗、沃沮を構成したツングース系の諸族を含むのである」
  • 村山正雄『日本大百科全書』「【夫余】古代中国の東北地方に割拠していたツングース系と思われる民族が建てた国名」
  • 佐々木史郎『日本大百科全書』「【満洲族】夫余と靺鞨はツングース系の民族ではないかと考えられている」
  • 護雅夫『日本大百科全書』「【騎馬民族】高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族」
  • 諏訪春雄「朝鮮で高句麗や百済を建国した夫余族はツングース系の遊牧民族(学習院大学教授 諏訪春雄通信)」
  • 黄文雄『韓国は日本人がつくった』(2002年、徳間書店)「遼東や北満の地は、かつて高句麗人、渤海人などの(中略)ツングース系諸民族が活躍した地である」
  • 広辞苑「【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙の建国という」
  • 大辞泉「【高句麗】紀元前後にツングース系の扶余族の朱蒙が建国」
  • 南出喜久治「私の見解では、高句麗は、建国の始祖である朱蒙がツングース系(満州族)であり、韓民族を被支配者とした満州族による征服王朝であつて、韓民族の民族国家ではないと考へている。(いはゆる「保守論壇」に問ふ ‹其の五›日韓の宿痾と本能論)」
  • 長野正孝『古代史の謎は鉄で解ける』(2015年、PHP研究所)「高句麗はツングース系の騎馬民族がつくった国家で、定住化によって遊牧から次第に離れたが、騎馬による戦力は絶大なものがあった。」
  • 宮家邦彦『哀しき半島国家韓国の結末』(2014年、PHP研究所)p160「高句麗は紀元前三七年、マンジュ地方の鴨緑江付近で興ったツングース系国家であり、四世紀中ごろに南下して、楽浪郡北部を征服した。」
  • 豊田隆雄『本当は怖ろしい韓国の歴史』(2016年、彩図社)p9「高句麗は、韓族で構成される新羅や百済と違って北方のツングース系の国家」
  • 薗田香融『日本古代の貴族と地方豪族』(1992年、塙書房)、p259「今の北朝鮮に当る部分にはツングース系の高句魔」
  • 埴原和郎『日本人と日本文化の形成』(1993年、朝倉書店)p211「歴史時代に興亡した扶余も、靺鞨も、高句麗や渤海も、濊や沃沮などもツングース系だといわれている。」
  • 酒井忠夫『世界史研究』(1953年、績文堂)p128「高句麗(北満の半農半牧のツングース族が漢代以後中国文化の影響により興り建国)」
  • 渡部昇一『ことばの発見』(1975年、中央公論社)p87「東洋史の上で遼とか金とか高句麗とか渤海とか清とか言うのもツングースである。」
  • 三上次男『古代東北アジア史研究』(1966年、吉川弘文館)p87「広く東北アジアに居住する諸族を当昔にわたって見わたすと、東部シベリアから、東満洲、北朝鮮の山岳森林地帯には、古の貊や高句麗、中世以後の女真、満洲など、いわゆるツングース系の語族が変らない大勢力を擁していたことがわかる。」
  • 青木慶一『民衆と戦争』(1978年、東明社)p40「オロッコ-ツングースなどから成る高句麗が次第に南進して百済を圧迫するに至った。」
  • 成瀬治『世界史の意識と理論』(1997年、岩波書店)p116「すなわち、五胡が中国の華北に侵入し、騎馬民族の高句麗が朝鮮に勢力を拡大したころ、高句麗と同じツングース系の騎馬民族」
  • 沖浦和光『辺界の輝き』(2002年、岩波書店)p32「ツングース族などの騎馬民族系は、南下してきて朝鮮の北部に高句麗を建国します。話が長くなるので略しますが、それから百済王朝を攻め滅ぼします。」
  • 白崎昭一郎『広開土王碑文の研究』(1993年、古川弘文館)p49「『言語法俗大抵与句麗同』というから、高句麗と同系で、恐らくツングース系の民族であったろう。」
  • 水野祐『古代の出雲』(1972年、吉川弘文館)p300「朝鮮半島へ南下した大陸系北方民族が、高句麗にしても、扶余にしても、濊にしても、いずれもみな満州に原住したツングース系統と考えられている。」
  • 小島直記『松永安左ェ門の生涯』(1980年、松永安左ェ門伝刊行会)p1073「朝鮮には、西暦紀元頃、ツングース系の高句鹿と、そして漢民族の移民とが住んでいたという。」
  • 佐々木高明『地域と農耕と文化』(1998年、大明堂)p317「高句麗や渤海も、濊や沃阻などもツングース系の民族だといわれている。」
  • 室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』(2010年、新潮社)p193「(中国の史書には)高句麗などのツングース系民族と韓族との間には、比較の記述がない。(民族が)違うことが大前提であり、わざわざ違うとは書いていない」
  • 山川出版社『世界史用語集』「【高句麗】中国東北地方東部のツングース系貊族の夫余族の国」
  • 山川出版社『世界史用語集』「【貊族】紀元前7世紀~紀元前6世紀以降河北省長城地帯から中国東北地方にいたツングース系民族で、漢族・モンゴルに系に圧迫されて東方に移り、のちの夫余・高句麗を建国」

渤海[編集]

  • 森安孝夫『日本大百科全書』「【渤海】現在の中国東北地方、ロシア連邦の沿海州、北朝鮮の北部にまたがる広い範囲を領有して栄えた満州ツングース系の民族国家」
  • 和田萃『日本史事典』(1990年、東京創元社)「【渤海】7世紀末から10世紀前半にかけて、中国東北地方にあったツングース系民族の国家。高句麗の同族である靺鞨から出た大祚栄により建国された」
  • 藤本和貴夫『日本大百科全書』「【シベリア】7~10世紀には極東地方から満州、朝鮮北部にツングース系の渤海国が建てられた」
  • 黄文雄『韓国は日本人がつくった』(2002年、徳間書店)「遼東や北満の地は、かつて高句麗人、渤海人などの(中略)ツングース系諸民族が活躍した地である」
  • 佐々木史郎『日本大百科全書』「【満洲族】夫余と靺鞨はツングース系の民族ではないかと考えられている」
  • 『世界史用語集』(2014年、山川出版社)「【靺鞨人】中国東北部に東部にツングース系諸族。6世紀半ば勿吉の崩壊後の部族の総称」
  • 菊池俊彦『日本大百科全書』「【靺鞨】6世紀後半から中国東北の松花江流域を中心に、北は黒竜江中・下流域、東はウスリー川流域、南は朝鮮半島北部に勢力を振るったツングース系諸族の一派」
  • 広辞苑「【靺鞨】ツングース族の一。粟末靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した」
  • 大辞泉「【渤海】698年、ツングース系靺鞨族の首長大祚栄が建国」
  • 大辞泉「【靺鞨】中国、隋・唐の時代に、中国東北部から朝鮮半島北部に住んでいたツングース系諸族の中国側からの呼び名。七部に分かれ、その一部である粟末部は、渤海国を建国。黒水部はその支配下に入らず、のちに女真と称された」
  • 大辞林「【靺鞨】中国、隋唐時代に東北地方から朝鮮半島北部に居住したツングース系諸族の総称。勿吉崩壊後、有力な七部に分立、粟末部を中心に渤海を建てたが、黒水部は対立してのちに女真族となった」
  • 安藤達朗『いっきに学び直す日本史』(2016年、東洋経済新報社)「7世紀に満州で建国したツングース族の渤海は、唐や新羅に対抗するため、727(神亀4)年に朝貢してきた。」
  • 田村実造『中國征服王朝の研究』第1巻(1964年、東洋史硏究會)「渤海人はもともとツングース系の狩猟民であるが、かつて渤海國をおこし尚文化を掃取したので、キタイ族・奥族よりは定著し農耕化していたようである。」
  • 渡部昇一『ことばの発見』(1975年、中央公論社)p87「東洋史の上で遼とか金とか高句麗とか渤海とか清とか言うのもツングースである。」
  • 埴原和郎『日本人と日本文化の形成』(1993年、朝倉書店)p211「歴史時代に興亡した扶余も、靺鞨も、高句麗や渤海も、濊や沃沮などもツングース系だといわれている。」
  • 鈴木俊『東洋史要説』(1960年、吉川弘文館)p176「渤海も唐の制度、文物を輪入し、唐にならって三省六司の制を設け、十五府六十二州の地方区画や五丹江の上流域に拠り、ツングース系の半狩猟半農耕民の靺鞨人を統合して独立し、唐から渤海郡王に封ぜられ」
  • 中国研究所『中国年鑑』(2002年、大修館書店)p393「古くからツングース系の諸族が興亡をくり返した地であるが、周王朝の時代から朝貢をおこなっていたとの記録もある。靺鞨族により創建された渤海国」
  • 今西正雄『民族文化史概説』(1943年、全國書房)「遼の契丹族に遂はれたツングース系渤海の後身で女眞族」
  • 佐々木高明『地域と農耕と文化』(1998年、大明堂)p317「高句麗や渤海も、濊や沃阻などもツングース系の民族だといわれている。」</ref>)

その他[編集]

黄文雄は著書で、「満州族先祖が築いた高句麗と渤海」との見出しで、「高句麗の主要民族は満州族の一種(中略)高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数民族の一つ、満州族の祖先である」と高句麗と渤海を満州族の先祖としている[32]。また、は「ひるがえって、満州史の立場から見れば、3世紀から10世紀にかけて東満州から沿海州、朝鮮半島北部に建てられた独自の国家が高句麗(?~668年)と、その高句麗を再興した渤海(698~926年)である」とし、高句麗と渤海を満州史としている[32]

武光誠は、「高句麗は騎馬民族の流れをひく国である。かれらは中央アジアと共通の文化をもっており、高句麗の支配層は満州族であった。のちに清朝を立てる人びとと高句麗とは系譜的につながっている。満州族は、あるときは中国の支配下におかれ、あるときは渤海などの独自の王朝のもとにまとまり、近代にいたった。」と記述している[33]

松本雅明は、「満州族(夫餘の一派)が独立して、高句麗を建国した。」「その王族は夫餘高句麗と同じく満州族」「北部から北朝鮮にかけて、満州族の高句麗がおこり」と記述している[34]

奈良本辰也編集『日本歴史大辞典 第19巻』河出書房、40頁、1959年には、「北方鴨緑江流域から南下しきた高句麗(満州族)のために滅ぼされた。」との記述がある。

藤田亮策は、「満州族たる高句麗人の馳駆する」「其文化は六朝の夫れをうけ高句麗は満州人によって建てられた最初の大国である。」と記述している[35]

夏川賀央は、「中国国東北部に住んでいた女真族は、朝鮮半島の高句麗や、満州の渤海、華北に進出した金など、たびたび国家を建国してきました。」と記述している[36]

南出喜久治は、「高句麗は、建国の始祖である朱蒙がツングース系(満州族)であり、韓民族を被支配者とした満州族による征服王朝であって、韓民族の民族国家ではない」と述べている[37]

室谷克実は、中国の史書は「春秋の筆法」が基本で当たり前のことは書いていないため、「(中国の史書には)高句麗などのツングース系民族と韓族との間には、比較の記述がない。(民族が)違うことが大前提であり、わざわざ違うとは書いていない」と述べている[38]

倉山満は、「韓国人は平気で、高句麗や渤海を朝鮮民族に分類し、日本人も言われるままに信じています。しかし、高句麗も渤海も満州人です。より正確に言えば、満州から現在の極東ロシアや北朝鮮までに広がって混住・混在・混血している人たちです。少なくとも純粋Korea人でないことだけは確かです。中韓の間で、高句麗は中国か朝鮮かという歴史論争がありますが、どちらでもないが正解です。今我々が住んでいるところに昔住んでいた人たちの領土は、我々のものだという思想を、ナチズムと言います。現在の国境からさかのぼって過去の歴史を考えてはなりません。」[39]は渤海(のちの満州人)との対立と新羅の謀反で日本どころではなくなります。ついでに言うと、韓国人はこの渤海の歴史も韓民族の歴史に組み込んでいます。渤海の侵略を防いだり、渤海の栄光を誇ったり、忙しいのが韓国人の歴史観です。」と記述している[40]

横田安司は韓国で渤海を朝鮮史の一部とみなし、朝鮮史に含める南北国時代論があらわれるようになったのは日本の植民地化での民族主義史学以降である事から、渤海を朝鮮史に含み古代朝鮮の活動範囲を満州にまで広げている韓国の歴史教科書を強烈な民族主義自意識の発露と指摘している[41]。戦後になると石井正敏を初めとする研究者により当時の日本朝廷が国書において新羅と渤海を明確に区分していた事実が指摘されるなど更なる研究が進められ、韓国史学会の述べる南北国時代論は日本においては定説とはなっていない。また戦後、満鮮史観を批判した旗田巍も渤海史を朝鮮史の一部と見做すことに疑義を持っていたことが知られている[42][43]

東京大学社会科学研究所のグレゴリー・ノーブル教授は、高句麗が中国との深い交流のなかから生まれてきたことを考えると、中国側の見方に根拠がないわけではない、と述べている[44]

現在の日本の教科書では、高句麗は中国史でもなく朝鮮史でもなく、東アジア世界という地域史として扱われるが[45]、「高句麗や渤海といった古代国家を現在どの国の歴史と見なすかは、複雑な問題だ」という記述の教科書もある[46]

第二次世界大戦前の日本での研究[編集]

戦前に高句麗史・渤海史の研究を行った南満洲鉄道株式会社東京支社内に設置された満鮮歴史地理調査部やその事業を東京帝国大学文科大学で移管調査した研究者(白鳥庫吉箭内亙松井等稲葉岩吉池内宏津田左右吉瀬野馬熊和田清)は、高句麗人・渤海人は北方のツングース民族であり、今日の朝鮮民族の主流をなす韓族ではないと認識し、朝鮮古代史の中心を新羅と見て、満州を舞台に活動した高句麗や渤海等は「満州史」の一部である(ただし、高句麗は朝鮮史の一部でもある)という認識をしていた[47]今西龍は、「而して特に注意すべきは檀君は本来 、扶餘・高句麗・満洲・蒙古等を包括する通古斯族中の扶餘の神人にして、今日の朝鮮民族の本体をなす韓種族の神に非ず[48]」と述べている。また、稲葉岩吉は「兎に角三国時代の三分の二は満州民族が此の領土に移住して当時の文化を植付けて居ったということは争われない[49]」と述べている。朝鮮総督府朝鮮史編纂事業によって刊行された『朝鮮史』には、渤海に関する記事はがほとんど収録されていない[50]。 その理由は、当時の日本人研究者の間において、渤海が朝鮮史ではなく満州史の一部と認識されていたためである[51]。 朝鮮史編纂事業を行った朝鮮史編纂委員会の第1回編纂委員会で、その席上、李能和からの「渤海は何処へ這入りますか」という質問 に対して、稲葉岩吉は、「渤海に就きましては新羅を叙する処で渤海及び之に関聯した鉄利等の記事をも収載する積りであります」と回答している[52]。 今西龍は1930年8月22日に開かれた朝鮮史編修会第 4 回委員会の席上、崔南善からの質問に答えて「渤海も朝鮮史に関係ない限りは省きます」と発言している[53]。また、戦前刊行された朝鮮通史である『世界歴史大系 第十一巻 朝鮮・満洲史』では、高句麗は朝鮮史と満州史の両方でとり上げられているのに対し、渤海は満州史でのみとり上げられ、朝鮮史ではほとんど記述されていない[54]。執筆した稲葉岩吉は、高句麗人や渤海人や女真人といったツングース系満州民族である高句麗と百済を韓族である新羅が統一したと認識していた[55][56]

脚注[編集]

  1. ^ 聯合ニュース 『高句麗史問題、韓中が「思慮深い措置」で合意』 2006年10月13日
  2. ^ 中央日報 『習近平の「新・朝鮮策略」』 2014年7月10日
  3. ^ 金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』
  4. ^ a b 高句麗史の帰属をめぐる韓国・朝鮮と中国の論争 新潟産業大学人文学部起要16号 金光林
  5. ^ 2007年6月4日 朝鮮日報東北工程:百済・新羅も「中国史の一部」=中国社会科学院
  6. ^ 北京大、「高句麗は韓国史」と教育『朝鮮日報』2004年2月3日
  7. ^ a b 『朝鮮日報』2004年9月16日
  8. ^ 中国遼寧省の石碑「高句麗は中華民族」『朝鮮日報』2005年12月13日
  9. ^ 【高句麗史歪曲】中国、「5項目の口頭了解」順守確認『朝鮮日報』2004年9月21日
  10. ^ 高句麗史、いつまで中国に引きずられるのか『朝鮮日報』2004年9月17日
  11. ^ 中国、「政府樹立前」韓国史をHPから削除『朝鮮日報』2004年8月5日
  12. ^ a b c d 【ルポ】中国集安は今「高句麗史歪曲中」『朝鮮日報』2004年7月30日
  13. ^ 2011年8月15日 朝鮮日報「高句麗が中国の国だって? なんでそんなことを…」
  14. ^ 別冊宝島『嫌韓流の真実』2005年 78頁
  15. ^ 『朝鮮日報2006年8月9日』【歴史】中国の大学教材も「高句麗・扶余は中国史の一部」[1]
  16. ^ 東北工程:高句麗史の歪曲やめない中国政府(上)『朝鮮日報』2011年9月19日
  17. ^ 東北工程:高句麗史の歪曲やめない中国政府(下)『朝鮮日報』2011年9月19日
  18. ^ "한국문화는 온통 표절한 것" 왜곡 동영상 인터넷 떠돌아 朝鮮日報 2010年1月20日
  19. ^ “거짓말쟁이 한국인”한국비하 동영상 나돌아 Newdaily 2010年1月20日
  20. ^ ansan's楽しい中国新聞(中国ニュース)2009年9月9日
  21. ^ 2004年になって、竹島領有の正当性を補強するために設立された北東アジア歴史財団と統合されている。
  22. ^ 中国には何も言えない盧大統領」『朝鮮日報』2006年9月9日。
  23. ^ 東北工程/“高句麗帰属問題”で韓国・北朝鮮と軋轢」現代中国ライブラリィ。
  24. ^ 知れば知るほど面白い 古代韓国の歴史と英雄 (じっぴコンパクト新書)康 熙奉 (著)
  25. ^ 原産地表記めぐり韓流スターが中国CF出演契約を解消」『朝鮮日報』2014年6月10日。
  26. ^ 워싱턴에서 읽은 '한일 관계를 보는 미국의 속내'『東亜日報』2014年8月8日
  27. ^ 「東北工程」に沈黙する北朝鮮」『朝鮮日報』2006年9月10日。
  28. ^ 濱田耕策『渤海史をめぐる朝鮮史学界の動向-共和国と韓国の「南北国時代」論について』朝鮮学報86、朝鮮学会
  29. ^ 초등교과서, 고려때 ‘23만 귀화’ 언급도 안해『京郷新聞』2007年8月21日
  30. ^ 초등 4~6학년 교과서, 단일민족·혈통 지나치게 강조『Yahoo!Koreaニュース』2007年8月21日
  31. ^ 『東亜日報』2006年3月14日
  32. ^ a b 黄文雄『満州国は日本の植民地ではなかった』77頁~80頁 ワック 2005年
  33. ^ 武光誠『真説日本古代史』PHP研究所 2013年、7頁
  34. ^ 松本雅明著作集編集委員会『松本雅明著作集8』弘生書林1988年、32頁、33頁、160頁
  35. ^ 『朝鮮学論考』藤田先生紀念事業会刊行、1963年、600頁、613頁
  36. ^ 夏川賀央『仕事ができる人の「アジア史」入門』、きずな出版2016年
  37. ^ いはゆる「保守論壇」に問ふ<其の五>日韓の宿痾と本能論
  38. ^ 室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』新潮新書
  39. ^ 倉山満『嘘だらけの日韓近現代史』、扶桑社2013年、23頁
  40. ^ 倉山満『嘘だらけの日韓近現代史』、扶桑社2013年、26頁
  41. ^ 鄭大均 古田博司編『韓国・北朝鮮の嘘を見破る』
  42. ^ 酒寄雅志『渤海と古代の日本』「あとがき」
  43. ^ 古畑徹「戦後日本におけ る渤海史の歴史的枠組みに関する史学史的考察」『東北大学 東洋史論集』
  44. ^ [2]
  45. ^ 日中首脳会談の合意に基づき行われた日中有識者による歴史共同研究の報告書[3]
  46. ^ 韓国はポルトガルの植民地だった?『朝鮮日報』2009年2月15日
  47. ^ 新潟大学『現代社会文化研究No. 39』
  48. ^ 今西龍「檀君考」『朝鮮古史の研究』
  49. ^ 「朝鮮の領土問題民族問題及び鮮満文化関係に就て(一)―鮮満関係史の一節―」『朝鮮』 第148号
  50. ^ 朝鮮史編修会編『朝鮮史』朝鮮総督府
  51. ^ 新潟大学『現代社会文化研究No. 39』
  52. ^ 第1回朝鮮史編纂委員会 『朝鮮史編修会事業概要』
  53. ^ 朝鮮史編修会第4回委員会『朝鮮史編修会事業概要』
  54. ^ 稲葉岩吉・矢野仁一『世界歴史大系 第十一巻 朝鮮・満洲史』
  55. ^ 『満鮮不可分の史的考察』
  56. ^ 「朝鮮の領土問題民族問題及び鮮満文化関係に就て(二)―鮮満関係史の一節―」『朝鮮』 第149号

関連項目[編集]

外部リンク[編集]