衛満
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| 衛満 | |
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| 各種表記 | |
| ハングル: | 위만 |
| 漢字: | 衛満 |
| 日本語読み: | えいまん |
| 2000年式: MR式: |
Wi Man Wi Man |
衛 満(えい まん、生没年不詳)は、紀元前2世紀に朝鮮半島北部に衛氏朝鮮を建国した人物。朝鮮史において同時代の歴史書に明記される最初の君主である。『史記』朝鮮伝では名のみ「満」と記す。姓を「衛」と記すのは『三国志』裴松之の注で引かれた『魏略』以降である。
『史記』によれば衛満は中国燕の出自[1]で、燕王であった盧綰の部下[2]であった。盧綰は漢朝の高祖の幼馴染であったが、謀反の嫌疑により漢軍の討伐を受け、前195年に盧綰は匈奴に亡命、衛満も東方へ逃れた。その際に衛満は千戸を率い浿水(現在の鴨緑江[3])を渡河。さっそく衛満は、我ら亡命者が朝鮮を護ると箕子朝鮮王の準王にとりいり、朝鮮西部に亡命者コロニーを造った[4]。秦・漢の混乱期以来、この亡命者コロニーに逃げこんだ中国人は数万人にのぼっていた[5]。さらに衛満は燕・斉・趙からの亡命者を誘いいれ、亡命者コロニーの指導者となり、朝鮮を乗っ取る機会を虎視眈々とうかがい、ある時、衛満は芝居をうった[6]。前漢が攻めてきたと詐称して、準王を護るという口実で、王都に乗りこんだ[7]。その時、準王は衛満に応戦したが、『魏略』は、「準は満と戦ったが、勝負にならなかった」と戦況を記した。そして箕子朝鮮を滅ぼして、衛氏朝鮮を建国した。王険城(現在の平壌市)を王都とした。衛満は、前漢皇帝の外臣となり、前漢皇帝は、自分を亡命に追いやった追究者、朝鮮乗っ取りの口実、再び君主と三度変わることになる[8]。漢朝は前191年頃、衛満を遼東太守の外臣とし東方からの異民族の侵入に備えるとともに、衛満の朝鮮方面における支配圏の拡大を支持した。
『新撰姓氏録』によると日本の筆氏という帰化人系の氏族は、この衛満の子孫と称していた。
家族[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 礪波護・武田幸男 『隋唐帝国と古代朝鮮 世界の歴史6』 中央公論社、1997年。ISBN 978-4124034066。
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