武豊
武豊 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 |
日本・京都府京都市伏見区淀 出生は滋賀県栗太郡栗東町 (現・栗東市) |
生年月日 | 1969年3月15日(55歳) |
身長 | 170.5cm |
体重 | 51kg |
血液型 | O型 |
騎手情報 | |
所属団体 | 栗東トレーニングセンター |
所属厩舎 | フリー |
初免許年 | 1987年 |
免許区分 | 平地競走 |
経歴 | |
所属 |
1987年-1991年 栗東・武田作十郎厩舎 1992年- フリー |
Template:漫画 は 廃止されました |
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武 豊 (たけ ゆたか、1969年3月15日- ) とは日本中央競馬会(JRA)の騎手である。栗東所属で、現在はフリー。身長170.5cm、体重51kg。血液型O型。京都府京都市伏見区淀 (本人公式サイトでは滋賀県 )出身[1]。滋賀県栗太郡栗東町 (現・栗東市) 育ち。また漫画原作者としての活動歴もある。
来歴
小学校は栗東町立金勝小学校卒で、池江泰寿と同級生だった。
騎手の福永祐一とは実家が隣同士であることを2007年に放送された武=孝太郎にて公表。
1987年の騎手デビュー以降、JRAにおいて数々の記録を更新し、「天才」と呼ばれることも多い。2010年4月12日に日本騎手クラブの東西役員総会で柴田善臣の後任として会長に選出され[2][3]、同年9月16日に就任した[4]。
家族など
武一族の出自は鹿児島県の武家 (薩摩藩士) であり西郷隆盛とも縁戚関係にある、日本でも有数の競馬一族の出自である。
- 父の邦彦は、元騎手・元調教師。
- 兄 (長男) の伸はスポーツライター。
- 兄 (次男) は一般人。
- 豊 (三男)
- 弟 (四男) の幸四郎も騎手。
- 祖父の武芳彦は馬主協会元会長。
- 曽祖父の武彦七は函館大経の弟子。
- 叔父の武平三は元調教師、武宏平調教師、武永祥調教助手は『いとこ』、武英智騎手は『はとこ』の関係。
- 妻は元タレントの佐野量子。
戦績
2012年2月12日現在、GIおよびJpnI競走通算 中央65勝、地方交流GI25勝 (うちJpnI11勝) 、日本国外GI競走7勝。
未勝利の国内平地GIおよびJpnIはマイルチャンピオンシップ、朝日杯フューチュリティステークス (JRA主催分) 、かしわ記念。1988年より2010年までJRA・GI競走を23年連続で制覇していたが、2011年は未勝利に終わった。
成績
記録年表
- 1987年
- 栗東・武田作十郎厩舎所属でデビュー。初騎乗は3月1日1回阪神2日目第4競走アグネスディクター (2着) 。初勝利は、3月7日1回阪神3日第3競走のダイナビショップ。11月14日5回京都3日第6競走にリードトライデントで勝利し59勝目を挙げ、小屋敷昭の持っていた関西新人記録の41勝と加賀武見の持っていた新人記録の58勝を更新する。最終的に69勝で1年目を終えた (この記録は2008年に三浦皇成によって21年ぶりに更新された) 。
- 中京記念でマチカネイシンに騎乗し、重賞初騎乗 (5着) 。京都大賞典でトウカイローマンに騎乗し、重賞初勝利。
- 菊花賞・ジャパンカップに新人として初めて騎乗。
- 1988年
- 4月16日に史上最年少 (19歳1ヶ月) でJRA通算100勝達成。 (史上最速100勝記録は2009年2月7日に三浦皇成が更新) 。
- 菊花賞でスーパークリークに騎乗し初GI勝利にして史上最年少 (19歳8ヶ月) でクラシック制覇。
- 田原成貴以来となるデビュー2年目での関西リーディング獲得
- 1989年
- 3月4日に史上最速・最年少 (19歳11ヶ月) でJRA通算200勝達成。
- 11月25日に史上最速・最年少 (20歳8ヶ月) でJRA通算300勝達成。
- この年は133勝を挙げ、自身初の全国リーディングジョッキーとなる。
- 1990年
- 8月5日に史上最速・最年少 (21歳5ヶ月) でJRA通算400勝達成。
- 1991年
- 7月21日に史上最速・最年少 (22歳4ヶ月) でJRA通算500勝達成。
- アメリカ・サラトガ競馬場のセネカハンデキャップ (G3) でEl Senor(エルセニョール)に騎乗し、初めての海外グレード競走 (およびグループ競走) 制覇。
- 天皇賞・秋でメジロマックイーンに騎乗し1位入線するも、進路妨害で18着に降着となる。GI競走での1位入線馬に対する降着処分は史上初めて。
- 1992年
- 武田作十郎調教師の定年による厩舎解散に伴い、フリー転向。
- 天皇賞 (春) でメジロマックイーンに騎乗し、史上初の同一競走4連覇を達成。
- 8月29日に史上最速・最年少 (23歳9ヶ月) でJRA通算600勝達成。
- 9月7日、アーリントンパーク競馬場で行われたセクレタリアトステークスで、海外GI初騎乗を果たす (4着)
- 12月5日・6日に行われたワールドスーパージョッキーズシリーズで初優勝を飾る。
- 1993年
- 4月17日に史上最速・最年少 (24歳1ヶ月) でJRA通算700勝達成。
- 桜花賞 (ベガ) ・皐月賞 (ナリタタイシン) ・優駿牝馬 (ベガ) と春のクラシックを3連覇。
- 1994年
- 1月6日に史上最速・最年少 (24歳10ヶ月) でJRA通算800勝達成。
- 7月23日、キングジョージ初騎乗 (ホワイトマズル、2着)
- 9月4日、フランス・ロンシャン競馬場のムーラン・ド・ロンシャン賞でスキーパラダイスに騎乗し、JRA所属の騎手としては初めての海外G1勝利。
- 9月11日に朝日チャレンジカップ (騎乗馬ツルマルガール) を勝ち、史上最速・最年少 (25歳5ヶ月) でJRA通算900勝達成。
- 10月2日、凱旋門賞初騎乗 (ホワイトマズル、6着)
- 1995年
- 5月6日、ケンタッキーダービー初騎乗 (スキーキャプテン、14着)
- 7月23日に史上最速・最年少 (26歳4ヶ月) でJRA通算1000勝を武邦彦管理馬のエールノコイビトで達成。
- 1996年
- 2月10日の京都競馬第8競走で勝利し、1999年9月5日に途絶えるまでの騎乗機会連続週勝利の開始。
- 4月13日に史上最速・最年少 (27歳1ヶ月) でJRA通算1100勝達成。
- 11月9日に史上最速・最年少 (27歳7ヶ月) でJRA通算1200勝達成。
- 1997年
- 6月28日に史上最速・最年少 (28歳3ヶ月) でJRA通算1300勝達成。
- 北九州記念でダンディコマンドで優勝し、史上最速・最年少 (28歳4ヶ月) でJRA重賞通算100勝達成。
- 函館3歳ステークスでアグネスワールドに騎乗、史上2人目の中央競馬全10場重賞制覇達成。
- この年は初めて騎手主要3タイトルを総なめにし、史上2人目の騎手大賞を受賞。
- 1998年
- 1月24日に史上最速・最年少 (28歳10ヶ月) でJRA通算1400勝達成。
- 6月7日、東京優駿 (日本ダービー) でスペシャルウィークに騎乗。東京優駿を初制覇を果たすとともに保田隆芳以来30年ぶり史上2人目となる八大競走完全制覇達成。
- 8月9日、フランス・ドーヴィル競馬場のモーリス・ド・ギース賞でシーキングザパールに騎乗し、日本調教馬初の海外G1制覇に導く。
- 8月23日に史上最速・最年少 (29歳5ヶ月) でJRA通算1500勝達成。
- 1999年
- 3月28日に史上最速・最年少 (30歳1ヶ月) でJRA通算1600勝達成。
- 6月6日、東京優駿 (日本ダービー) でアドマイヤベガに騎乗、史上初となる日本ダービー連覇達成。
- 8月22日の札幌競馬第1競走で勝利し、1996年2月10日から続く騎乗機会169週連続勝利達成。
- 10月30日に史上最速・最年少 (30歳7ヶ月) でJRA通算1700勝達成。
- 2000年
- 4月23日に史上最速・最年少 (31歳1ヶ月) でJRA通算1800勝達成。
- 7月13日、イギリス・ニューマーケット競馬場のジュライカップでアグネスワールドに騎乗し、近代競馬の発祥地英国での初G1制覇。
- 2001年
- 1月13日に史上最速・最年少 (32歳7ヶ月) でJRA通算1900勝達成。
- 3月24日、ドバイワールドカップ初騎乗 (トゥザヴィクトリー、2着)
- フランスを拠点とし長期海外遠征を敢行。そのため、前年まで9年連続、また2002年以降7年連続保持し続けていたリーディングジョッキーの座を蛯名正義に譲った。
- 2002年
- 2月23日、阪神競馬場の第9レースで通算1万回騎乗達成
- 5月26日、東京優駿 (日本ダービー) でタニノギムレットに騎乗、史上初となる東京優駿 (日本ダービー) 3勝目。
- 9月21日に史上最速・最年少 (33歳6ヶ月) でのJRA通算2000勝達成。
- 12月7日、阪神競馬場にてJRA新記録、世界タイ・レコードとなる1日8勝を記録
- 2003年
- 3月21日に史上最速・最年少 (33歳11ヶ月) でJRA通算2100勝を達成。
- 9月14日に史上最速・最年少 (34歳5ヶ月) でJRA通算2200勝を達成。
- JRA史上初の年間200勝達成 (最終的には204勝) 。
- 年間通じて、JRA・地方における全GIに騎乗。
- 騎手としては初めて東京競馬記者クラブ賞・関西競馬記者クラブ賞を同時受賞。
- 2004年
- 2月15日に史上最速・最年少 (34歳10ヶ月) でJRA通算2300勝を達成。
- 8月22日に史上最速・最年少 (35歳5ヶ月) でJRA通算2400勝を達成。
- 11月14日にエリザベス女王杯でアドマイヤグルーヴに騎乗、史上初となる同競走4連覇達成。
- 12月8日、香港のハッピーバレー競馬場で行われたインターナショナルジョッキーズチャンピオンシップの第1戦を勝ち海外通算100勝を達成。 (クリストフ・スミヨンと同点優勝)
- 12月12日、中央競馬史上初の2年連続で年間200勝を達成、前年に自ら記録した204勝の年間最多勝利記録を更新する211勝。
- 2005年
- 1月23日に史上最速・最年少 (35歳10ヶ月) JRA通算2500勝を達成。
- 2月26日、アーリントンカップにビッグプラネットで優勝し、中央競馬史上初の重賞競走通算200勝を達成。
- 3月27日、中京競馬場で行われた高松宮記念にアドマイヤマックスで勝利し、JRAのGI競走が行われた全ての競馬場でGI勝利。
- 5月29日、東京優駿 (日本ダービー) でディープインパクトに騎乗し東京優駿 (日本ダービー) 4勝目。また同競走により、年間100勝最速記録を更新。
- 7月17日にJRA2600勝を史上最速・最年少 (36歳4ヶ月) で達成。
- 9月4日、小倉2歳ステークスをアルーリングボイスで優勝。史上初の同一年小倉開催平地重賞完全制覇達成
- 9月24日、1日の騎乗機会6連勝のJRA新記録を達成。
- 10月23日、第66回菊花賞でディープインパクトに騎乗し三冠 (史上2頭目の無敗三冠) 達成。また同競走によりGI通算50勝達成
- 11月26日、ジャパンカップダートにカネヒキリに騎乗して優勝、JRAのGI年間6勝の新記録達成 (地方交流統一GIを含めると年間10勝の日本記録を達成) 。
- 12月18日、阪神牝馬ステークスにアドマイヤグルーヴに騎乗して優勝し、年間重賞勝利23勝とし、自らの記録を上回る新記録を樹立。
- 年間勝利数を212とし、前年の自らの最多勝記録を更新。
- Sports Graphic Number (文芸春秋社) 年間MVP賞受賞 (競馬関係者として初の快挙)
- 2006年
- 1月8日の京都競馬福寿草特別 (騎乗馬フサイチジャンク) にてJRA2700勝を史上最速・最年少 (36歳10ヶ月) で達成。
- 7月23日の小倉競馬第12競走にてJRA2800勝を史上最速・最年少 (37歳4ヶ月) で達成。
- ディープインパクトに騎乗して第85回凱旋門賞に出走。1番人気で3位入線するも、のちに馬は失格処分となる。
- 2007年
- 4月21日の京都競馬第7競走にてJRA2900勝を史上最速・最年少 (38歳1ヶ月) で達成。
- 7月21日、JRA歴代最多勝記録2944勝 (これまでの記録は岡部幸雄の2943勝) を更新、小倉ターフ賞も初受賞した。
- 8月11日、騎手招待競走のシャーガーカップ (4Rステイヤーズ) を勝ち、アスコット競馬場日本人騎手初勝利。
- 11月3日、京都競馬第1競走で史上初となるJRA通算3000勝を達成 (38歳7ヶ月) 。
- 11月24日、ジャパンカップダートでヴァーミリアンに騎乗し、重賞250勝達成
- 3年ぶり8度目となる関西競馬記者クラブ賞を受賞。
- 2008年
- 5月10日、京都競馬における通算1000勝を達成。
- 6月15日、JRA通算3100勝を達成 (39歳3ヶ月) 。
- 11月2日、天皇賞 (秋) 競走をウオッカで勝利し天皇賞通算11勝目を挙げ、それまでの最多記録保持者であった保田隆芳を抜いた。
- 11月3日、JBCクラシックをヴァーミリアンで勝利し、前日の天皇賞 (秋) の勝利とあわせ日本人騎手では初となる2日連続GI・JpnI勝利という快挙を達成。
- 2009年
- 4月12日、JRA通算3200勝を達成 (40歳1ヶ月) 。
- 6月27日、阪神競馬場における通算1000勝を達成。
- 12月13日、JRA通算3300勝を達成 (40歳9ヶ月) 。
- 近年の地方トップ騎手の中央移籍等による騎手リーディング競争激化から、長期海外遠征していた2001年を除きおよそ16年間保持し続けてきた最多勝利騎手の座を内田博幸に明け渡す。
- 2010年
- 3月27日、毎日杯でザタイキに騎乗し落馬。重傷を負い、4ヶ月間の休養。このため、18年ぶりに東京優駿に騎乗できなかった。
- 11月28日 ローズキングダムでジャパンカップを制し、デビュー2年目から続く23年連続JRA・GI制覇を達成した。
- この年は怪我による長期離脱が響いて、騎手主要3タイトルを全て受賞できず、長期海外遠征の2001年を除きおよそ17年連続クリアしてきた中央成績100勝達成も出来ず、デビューした1987年と同じ69勝にとどまった。
- 2011年
- 6月4日、JRA通算3400勝を達成 (42歳3ヶ月) 。
- 11月3日、JBCクラシックをスマートファルコンで勝利し、騎手として同競走5年連続優勝 (ヴァーミリアンで3連覇、スマートファルコンで連覇) 。
- 近年の低迷振りから、およそデビュー2年目から続いた23年連続クリアしてきたJRA・GI (JpnI含む) 競走制覇を達成出来ず連続記録にピリオドが打たれた。中央成績も2001年長期フランス遠征を行った65勝を下回る64勝に終わり、また勝率・連対率ともに過去最低の成績に終わった。
- 2012年
- 2月25日、トレイルブレイザーにて京都記念を勝利し、デビューから続いている連続重賞勝利記録を25年に更新。
成績表
西暦 | 勝利数・勝率 | 連対率 | 表彰歴 |
---|---|---|---|
1987年 | 69勝 (.125) | (.238) | JRA賞 (最多勝利新人騎手) |
1988年 | 113勝 (.169) | (.306) | 史上最年少関西リーディングジョッキー |
1989年 | 133勝 (.183) | (.340) | JRA賞 (最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手) |
1990年 | 116勝 (.160) | (.324) | JRA賞 (最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手) |
1991年 | 96勝 (.150) | (.291) | 優秀騎手賞 |
1992年 | 130勝 (.215) | (.345) | JRA賞 (最多勝利騎手) |
1993年 | 137勝 (.196) | (.392) | JRA賞 (最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手) ・フェアプレー賞 |
1994年 | 134勝 (.230) | (.388) | JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手) |
1995年 | 134勝 (.193) | (.343) | JRA賞 (最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手) |
1996年 | 159勝 (.211) | (.340) | JRA賞 (最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手) |
1997年 | 168勝 (.233) | (.371) | JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) ・フェアプレー賞 |
1998年 | 169勝 (.226) | (.366) | JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) |
1999年 | 178勝 (.220) | (.396) | JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) ・フェアプレー賞 |
2000年 | 130勝 (.236) | (.362) | JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) |
2001年 | 65勝 (.183) | (.315) | |
2002年 | 133勝 (.291) | (.435) | JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) ・フェアプレー賞 |
2003年 | 204勝 (.236) | (.384) | JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) |
2004年 | 211勝 (.231) | (.372) | JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) |
2005年 | 212勝 (.248) | (.398) | JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) 、Sports Graphic Number年間MVP賞 |
2006年 | 178勝 (.225) | (.375) | JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手・最多賞金獲得騎手・騎手大賞) |
2007年 | 156勝 (.219) | (.372) | JRA賞 (最多勝利騎手・最多賞金獲得騎手・特別賞) 、関西スポーツ賞 |
2008年 | 143勝 (.219) | (.355) | JRA賞 (最多勝利騎手・最高勝率騎手) |
2009年 | 140勝 (.182) | (.320) | JRA賞 (最多賞金獲得騎手) |
2010年 | 69勝 (.167) | (.281) | |
2011年 | 64勝 (.101) | (.211) |
GI・JpnI競走勝利一覧 (年度別)
(斜字は統一GI・JpnI、太字は海外GI、:*印はJpnIを指す。)
- 1988年
- 1989年
- 1990年
- 1991年
- 1992年
- 1993年
- 1994年
- 1995年
- 1996年
- 1997年
- 1998年
- 1999年
- 天皇賞 (春・秋) (スペシャルウィーク)
- 東京優駿 (アドマイヤベガ)
- アベイユ・ド・ロンシャン賞 (アグネスワールド)
- マイルチャンピオンシップ南部杯 (ニホンピロジュピタ)
- ジャパンカップ (スペシャルウィーク)
- 2000年
- 2001年
- NHKマイルカップ (クロフネ)
- アベイユ・ド・ロンシャン賞 (インペリアルビューティ)
- エリザベス女王杯 (トゥザヴィクトリー)
- ジャパンカップダート (クロフネ)
- 香港ヴァーズ (ステイゴールド)
- 2002年
- 2003年
- 2004年
- 2005年
- 2006年
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 2010年
- 2011年
- 2012年
騎手招待競走
- 1992年
- ワールドスーパージョッキーズシリーズ (日本) 総合優勝
- 2007年
- 佐々木竹見カップ・ジョッキーズグランプリ (川崎競馬場) 総合優勝
- 2004年
- インターナショナルジョッキーズチャンピオンシップ (香港) 総合優勝 (2000年-2006年まで7年連続日本代表として出場)
- 2003年、2004年、2007年、2008年、2011年
- 2008年
エピソード
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
競馬に関して
- 最も多く勝った重賞は阪神大賞典の8勝。春秋を合わせた天皇賞11勝 (春6勝 秋5勝) は単独1位。一方でマイルチャンピオンシップとは相性が悪く、関西のGIで唯一未勝利である (0-4-3-12; 1着-2着-3着-4着以下、2010年終了現在) 。
- また、朝日杯フューチュリティステークス (旧朝日杯3歳ステークス) とも相性が悪い (0-3-2-7; 1着-2着-3着-4着以下、2010年終了現在) 。上記のマイルチャンピオンシップとこの競走を制覇すると、前人未到の「全GI完全制覇」となる。
- 3月15日の誕生日には、5度の重賞騎乗機会があり、23歳の1992年の阪神大賞典、28歳の1997年のフラワーカップ、29歳の1998年の中山記念、39歳の2008年のファルコンステークスを制して、重賞を4勝している。
武豊展
騎手デビュー20周年にあたっては、日本各地で記念展が開催された。優勝カップや馬具、プライベート写真などの展示、VTR上映等が行われた。
- 2006年2月23日 - 27日タカシマヤ新宿店
- 2006年4月19日 - 24日高島屋京都店 (四条河原町)
- 2006年8月30日 - 9月4日伊勢丹小倉店 (北九州市)
- 2007年2月7日 - 15日高島屋大阪店 (なんば)
- 2007年4月25日 - 5月6日高島屋米子店
- 2007年12月18日 - 24日三越名古屋店 (栄)
その他、ウインズ広島にて2006年9月23日 - 10月1日にパネル展が開かれるなど、競馬場内やウインズ各地にて、さまざまなイベントが行われている。
その他
- 佐野量子との結婚式は1995年6月5日に京都の教会で伊集院静・篠ひろ子夫妻を立会人に行われた[5]。結婚披露宴は1995年11月20日に京都府の都ホテルで行われたが「1000勝祝賀会」も兼ねたものだった[6]。この結婚式のために、SING LIKE TALKINGは「Spirit Of Love」を作曲した。
- 趣味はゴルフで、ゴルフ誌に登場したこともある。また競輪も趣味である。
- 『SMAP×SMAP』出演時に「酒がご飯の代わり」というほど酒豪であることを明かしている。大阪税務署主催の「利きビールコンテスト」では出場者の中でただ一人全銘柄を的中させた。
- 芸能人やスポーツ選手と交流があり、とんねるず、明石家さんま、島田紳助、中居正広、木村拓哉などと親交が深い。プロ野球選手では野茂英雄、イチロー、吉井理人、サッカー選手では川口能活と親交がある。競艇の松井繁とは非常に仲が良く (生まれた年は同じだが、武が早生まれのため武が1学年上になる) 、2006年には第21回住之江賞金王を制した松井にゴルフ代と食事を奢ってもらった経験もある。
- 阪神タイガースファン[7]で、阪神の選手と親交も深い。甲子園で阪神-巨人戦の始球式を務めたり、試合のテレビ中継のゲストとして出演したこともある。
- 2005年、「ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー2005」受賞[8]。
- 2005年、雑誌「Number」が選ぶ2005年度MVP受賞。
- 愛知県知多郡にある武豊町 (たけとよちょう) には数回招かれ、1989年には一日町長を務めたこともある[9]。同町にあるJR東海・武豊線の武豊駅の改札口上には一時期サイン色紙が飾られていた。
- 2006年10月20日、福岡中2いじめ自殺事件の中学2年の生徒がディープインパクトのファンであったため、両親に対し「天国で応援して」と色紙を送った。
- 手首を見れば自身の体重が±300gの範囲で、握れば100g単位までバッチリ分かる。
- 好みのブランドはヒューゴ・ボス、ジャンニ・ヴェルサーチ。また腕時計はタグホイヤーがお気に入り。
- ジーパンのサイズは26インチ。
連載
- スポーツニッポン (スポニチ) を愛読しており、同紙・競馬ページにコラム「武豊のサタデー・サンデー物語」を執筆している (GI時はGIスペシャル手記) 。そのためかスポニチは彼の騎乗馬の印に甘いと言われる。ディープインパクトに「英雄」と名づけたのもスポニチが最初である。
- 週刊現代「この馬に聞いた」
- 週刊ヤングサンデー 漫画「ダービージョッキー」 (原作・原案担当/作画: 一色登希彦)
- ALBA「オンのターフ、オフのターフ」
テレビ出演
マスメディアへの初出演は1987年の『素敵!KEI-SHU5』であった。このときの新聞テレビ欄の見出しには「18歳の天才騎手登場!」と書かれていた。
- 武=孝太郎 (2007年、フジテレビ)
ドラマ (いずれも本人役)
- 拝啓オグリキャップ様 (1991年9月30日、TBSの2時間ドラマ「月曜ドラマスペシャル」)
- ファイト (2005年、NHK「連続テレビ小説」)
- 特別出演 (9月放映) 。
- ごくせん (第3シリーズ) (2008年6月28日、日本テレビ)
- 科捜研の女 (2011年11月3日、テレビ朝日)
その他の番組
レギュラー
CM
- サッポロビール (1989年) 父・邦彦と共に出演
- 世界リゾート博 (1994年)
- 日産自動車 『エアバッグならイチロ・ニッサン』 (1995年)
- スクウェア『チョコボスタリオン』 (1997年)
- トヨタ 『カローラ』 (2000年)
- 三菱自動車 『アウトランダー』 (2005年11月 - )
- NTTドコモ 番号ポータビリティ制度向けテレビCMシリーズ「だから私はドコモです」『武豊 - だから私はドコモです篇』 (2006年10月 - )
- サントリー 『ザ・プレミアム・モルツ』 (2007年) 浅尾美和と共演
- 村田製作所
PV
- LIFE is... 〜another story〜 (平井堅、2003年) - 数秒、骨折していた骨盤部分も映っている。
映画
- ジョッキーを夢見る子供たち - 名馬ディープインパクトとともに登場。2006年のフランス凱旋門賞の模様が挿入されている。
DVD
- ターフのヒーローシリーズ (1 - 11はVHSも)
写真集
作詞
- コロンブスの卵 (とんねるずアルバム「お前百まで わしゃ九十九まで」収録)
脚注
- ^ JRAの公式サイトおよび出版物では「京都府出身」、本人の公式サイトでは「滋賀県出身」となっている。
- ^ 武豊騎手、騎手会長に ラジオNIKKEI 競馬実況web 2010年4月21日閲覧
- ^ 関西初! 日本騎手クラブ新会長に武豊を選出 スポーツニッポン 2010年4月23日閲覧
- ^ sanspo.com 2010年9月16日付
- ^ 中央競馬を振り返る 1995年6月 (競馬ニホン)
- ^ 中央競馬を振り返る 1995年11月 (競馬ニホン)
- ^ 片山良三 (2009年8月28日). “武豊「今のままの顔でまた表紙を飾りたい」”. Number Web. pp. 2. 2011年3月22日閲覧。
- ^ ベストスマイルヒストリー (ベストスマイル・オブ・ザ・イヤー)
- ^ 武豊騎手特集 (武豊町)
参考文献
- 『武豊・武幸四郎徹底分析―天才騎手の系譜』四條たか子