ロンシャン競馬場

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座標: 北緯48度51分31.50秒 東経2度13分58.0秒 / 北緯48.8587500度 東経2.232778度 / 48.8587500; 2.232778

ロンシャン競馬場の位置
ロンシャン競馬場
パリ内の位置
エドゥアール・マネ, Rennen im Bois de Boulogne, 1872

ロンシャン競馬場 (ロンシャンけいばじょう、Hippodrome de Longchamp) とは、フランスパリ西のセーヌ川沿い、ブローニュの森の中にある世界で1番美しいと言われる競馬場である。平地競走専用の競馬場であり、凱旋門賞をはじめとするフランス競馬の主要な競走が行われることで知られる。

競馬場の正門にはフランス競馬史上最高の国民的英雄と評された史上2頭目のイギリスクラシック三冠グラディアトゥール (Gladiateur) の銅像がある。

目次

歴史 [編集]

年表 [編集]

  • 1857年 - ロンシャン競馬場が開場[1]
  • 1863年 - フランス初の国際競走、第1回パリ大賞典が創設される[1]
  • 1865年 - フランス産馬として初めてダービーを勝ったグラディアトゥールが、イギリス凱旋帰国初戦のパリ大賞典で優勝。同馬を祝福しようと15万人の観客が柵を倒し馬場へなだれ込む(俗に言うワーテルローの復讐)。
  • 1904年 - 新スタンドを改築[2]
  • 1908年 - 新コースと呼ばれる5本目のコースが完成[3]
  • 1916年 - 第一次世界大戦によりスタンドが破壊される。[要出典]
  • 1920年 - 大戦によって荒廃したフランス競馬再興を掲げ、第1回凱旋門賞が行われる。
  • 1936年 - パリ大賞典当日の6月28日、婦人参政権を求める婦人の一団が走路に侵入しデモ行進を行う[4]
  • 1943年 - 第二次世界大戦中の4月4日、競馬開催中に爆弾投下される[5]
  • 1962年 - スタンドの増改修が始められる。
  • 1966年 - 新スタンド完成[6]
  • 2014年 - 同年の凱旋門賞開催後から、馬場のオールウェザー化などの大規模改修工事をする予定[7]

ロンシャン競馬場の創設 [編集]

1833年11月11日にフランス馬種改良奨励協会 (フランスギャロの前身、以降は奨励協会と表記) が組織され、1834年5月4日にはロンシャン競馬場の前身とされるシャン・ド・マルス競馬場において、奨励協会による最初の競馬が行われた[8][† 1]

シャルル・ド・モルニーの働きかけにより、セーヌ県知事ジョルジュ・オスマンの協力を得て、奨励協会は1854年8月18日にパリ市議会からブローニュの森にあるロンシャン平野において競馬場の建設を許可を得る[9][10]。さらに、1856年6月には1856年7月1日から1906年6月30日までのリース契約を結んだ[9][† 2]

最初の競走は1857年4月27日の日曜日に大勢の群集の前で開催されている。そこにはナポレオン3世とその妻ウジェニーが親臨し、ジェローム・ボナパルトとその息子ナポレオン公ナッサウ公子ミュラ公英語版、モルニーといった面々がロイヤル・エンクロージャーに顔をそろえた。非貴族の上流階級はロイヤル・エンクロージャーに入れなかったためバルーシュ英語版キャリッジからの観戦ととなった[† 3]。また、パリ市民の大半もヴィクトリア英語版型キャリッジや水上バス外輪船などでこの新しい催しに集まっている[9]

シャン・ド・マルスから移転した理由などの詳細はパリ大賞典#ロンシャン競馬場の創設を参照

ロンシャン競馬場の施設変遷 [編集]

競馬場が建てられた57ヘクタールにおよぶ土地は、フランス革命時に破壊された女子修道院の跡地であった。現在でも残っている赤い風車がその名残である[† 4]

開設時は木造だったロンシャン競馬場のスタンドが老朽化したため、1904年に石造で建てなおされた[2]。また、1908年には新コースと呼ばれるポケットから大外回りコースのフォルスストレートに合流する5つ目のコースが完成している[3]

1957年から1958年まで開催期間外である冬季に最終コーナーの改修が行われる。これにより直線コースの最初の標識柱が370mから600mに延長された。この新直線コースは芝が定着した1960年9月11日まで使用されなかった[11]。続く1961年、12月5日の奨励協会の役員会において新スタンドの改築が決定され、1962年11月から工事が開始された[12]1964年には観客を横切らなくてすむスタンドに囲まれた新しいパドックと、前馬が同じ方向に向いてスタートできる新しい発馬機が設置されている[13][† 5]。1966年4月3日に新メインスタンドが開場された[6]。そのときに別館スタンドは残されたが、老朽化のため1977年に閉鎖されている[14]

コース形態 [編集]

コース図

右回りの芝コース。大外回り1周2750メートル、中回り1周2500メートル、小回り1周2150メートル、第3コーナーのポケットからのコースは1400メートル、直線コースは1000メートルと5つのコースがある。

向こう正面のコースは中間から第3コーナーまでゆったりとした上り坂が続き、そこからゆったりとした下り坂が続く。大外回りコースは最大10メートルの高低差となっている。

中回りコース、大回りコースのみ第4コーナーまではフォルスストレート(false straight、「偽りの直線」の意味)と呼ばれる最大650メートルの擬似直線が続く。

直線はゴール板は2つ有り手前のゴール板までは533メートル、奥手のゴール板までは650メートルの平坦なコース。

直線コースはゴールまで平坦なコースが続く。

おもな競走 [編集]

ゴール板

廃止されたおもな競走 [編集]

脚注 [編集]

注釈 [編集]

  1. ^ 競馬は続けて8日と11日にも行われ、15日には場所を移しシャンティイ競馬場でも行っている[8]
  2. ^ なお、現在でも土地所有者はパリ市のまま契約の延長を行っている[7]
  3. ^ このときのモルニーはまだ公爵になっていないため、文面が正しければロイヤル・エンクロージャー内に入れないはずだが、フランスギャロの記述をそのまま記載した。
  4. ^ アベイ・ド・ロンシャン賞ムーラン・ド・ロンシャン賞の名はこのことから名付けられた。
  5. ^ 新しい発馬機が従来の発走地点に設置できなかった3000mの競走はすべて3100mに変更された。[13]

出典 [編集]

参考文献 [編集]

ウェブサイト
出版物
  • 大串久美子 『華麗なるフランス競馬』 駿河台出版社、2011年ISBN 978-4411040121
  • ギイ・チボー 『フランス競馬百年史』 クロード・ロベルジュ監修、真田昌彦訳、財団法人競馬国際交流協会、2004年

外部リンク [編集]