バンブーメモリー
| バンブーメモリー | |
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マイルチャンピオンシップ出走時
右側の赤帽がバンブーメモリー |
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| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 栗毛 |
| 生誕 | 1985年5月14日(27歳) |
| 父 | モーニングフローリック |
| 母 | マドンナバンブー |
| 生国 | 日本(北海道浦河町) |
| 生産 | バンブー牧場 |
| 馬主 | 竹田辰一 |
| 調教師 | 武邦彦(栗東) |
| 厩務員 | 出口光雄 |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 39戦8勝 |
| 獲得賞金 | 5億810万8200円 |
バンブーメモリー(1985年 - )は日本の元競走馬、種牡馬。半弟にバンブーゲネシス(マーチステークス優勝、父バンブーアトラス)がいる。1989年、1990年JRA賞最優秀スプリンター(現在のJRA賞最優秀短距離馬)。
※馬齢は旧表記で統一する。
目次 |
[編集] 戦績
短距離の追い込み馬として活躍し、2年連続の最優秀スプリンター受賞を果たした。しかし、同時期の活躍馬オグリキャップらによって安田記念やマイルチャンピオンシップの優勝を阻まれ、短距離のGIは2勝にとどまった。
[編集] 条件馬時代
裂蹄気味だったために1988年にデビューしてからしばらくは負担の小さいダート戦ばかりを走っていた。明け5歳となった1989年、蹄も大分良くなったため、4月の道頓堀ステークスで初めて芝のレースに挑戦すると5馬身差で勝利。次走シルクロードステークス(当時はオープン特別)でも3着と好走し、芝コースへの適性を示した。陣営は連闘で重賞初挑戦ながら岡部幸雄鞍上で安田記念へ参戦を決定する。
[編集] 初タイトル獲得
前年まで短距離路線の中心だったニッポーテイオー、ダイナアクトレスが引退し、当時の短距離界は有力馬がおらず、安田記念の1番人気は最後に勝ったのが半年前のGIIIというホクトヘリオス、2番人気は前走京王杯スプリングカップを勝利したリンドホシ、3番人気は前年の日本ダービーをレコード勝ちして以来の出走となるサクラチヨノオーだった。前半は激しい争いとなって先行馬が総崩れとなり、残り400メートルで12番人気のダイゴウシュールが抜け出し、逃げ込みを図った。後方待機策をとったバンブーメモリーは、直線坂上から一気に伸びてダイゴウシュールを捉え、最終的には後続を1馬身半突き放して優勝、GIタイトルを獲得した。武邦彦厩舎にとっても初GIタイトルでもあった。10番人気の無名の関西馬と、12番人気の2頭での決着だったが、それぞれの同枠にホクトヘリオスと4番人気のトウショウマリオがいたため、枠番連勝式の馬券は2番人気での決着となった。実況したフジテレビの堺正幸アナウンサーは「これはびっくり関西馬、(中略)これは岡部の魔術でしょうか!」と実況をしている。
[編集] 最優秀スプリンター受賞
秋シーズンでは松永昌博鞍上でスワンステークスに出走、最重量となる59キロを背負うが、後方から追い込み、全馬をかわして3馬身半差をつけて勝利した。続く第6回マイルチャンピオンシップでは鞍上に武豊を迎えて挑んだ。道中は本命のオグリキャップよりも後方に待機し、最終コーナー手前でスパートすると先行するオグリキャップを外からかわし、直線に入って単騎抜け出した。一方のオグリキャップが遅れて馬群の中央から抜け出すと、バンブーメモリー騎乗の武豊は内ラチ沿いに迫るオグリキャップの進路を敢えて空け、一騎打ちを挑んだ。後に武豊は、“バンブーメモリーを内に入れて後方のオグリキャップの進路を阻むことも可能だったが、勝負したかった”と述懐している。このデッドヒートを関西テレビの杉本清アナウンサーは『負けられない南井克巳、譲れない武豊』と実況した。両馬は並んでゴールし、長い写真判定の末、ハナ差でオグリキャップの優勝となった。この年、安田記念・スワンステークス優勝が評価され、JRA賞最優秀スプリンターを受賞した。
[編集] 2度目の最優秀スプリンター受賞
翌1990年は、初戦に予定していた金杯(西)を疾病で出走取り消しとなり、蕁麻疹による休養を経て短距離路線を進んだものの、不振でよいところなく春シーズンを終えた。CBC賞2着で経て出走した高松宮杯でようやく優勝して復調、秋シーズンは天皇賞(秋)では後方から追い込み、ヤエノムテキの3着。単枠指定で本命に迎えられたマイルチャンピオンシップでは、いつもと違い早めに抜け出したところを外からパッシングショットに抜かれて2着と惜敗した。この年からGIに昇格したスプリンターズステークスでは、後方から一気に抜け出すと後続に1馬身半差の日本レコードで快勝。2年連続でJRA賞最優秀スプリンター受賞となった。
[編集] 引退
1991年も現役を続け、緒戦の京王杯スプリングカップでは出走馬中最も重い59キロを背負い最後方待機策をとるが、先行勢を捉えきれず4着。続く安田記念でも本命となるが、内へ入って直線で前がふさがり、坂上でようやく馬群を抜け出して猛追するも3着と惜敗した。続く宝塚記念で最下位負けを喫した後は低迷、同年のマイルチャンピオンシップ8着を最後に現役を引退し、種牡馬となった。
種牡馬としては初年度の種付け頭数がわずか7頭にとどまるなど人気が出ず、13年の種牡馬生活で出走頭数は35頭。地方競馬の重賞勝ち馬を2頭出すのが精一杯であった。2005年の種付けシーズン前に種牡馬を引退。故郷のバンブー牧場で余生を過ごす。
[編集] 主な産駒
[編集] 年度別競走成績
- 1987年(3戦1勝)
- 1988年(8戦2勝)
- 1989年(12戦3勝)
- 安田記念(GI)、スワンステークス(GII)
- 1990年(9戦2勝)
- スプリンターズステークス(GI)、高松宮杯(GII)
- 1991年(7戦0勝)
[編集] エピソード
- 1991年の宝塚記念で後に杉本清の名物実況となる「私の夢(馬券)」対象馬として初めて指名されたが、バンブーメモリーは最下位入線の惨敗で、杉本は大恥をかいたと後に自著で記している。
- その宝塚記念で騎乗依頼を受けた岸滋彦は、「バンブーメモリー特別メニュー」なる筋肉トレーニングをジムでこなしている。というのも、バンブーメモリーはムキになって走る馬で、普通の腕力では馬を制御できないからである。しかも、そのムキになって走る理由が気性の問題ではなく、武豊曰く「走りたくてウズウズしているから」とのこと。引退式でも「暴走」していたという。
[編集] 血統表
| バンブーメモリーの血統 (ダークロナルド系/Nearco5×4=9.38%) | |||
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父
*モーニングフローリック Morning Frolic 1975 栃栗毛 |
Grey Dawn 1962 芦毛 |
Herbager | Vandale |
| Flagette | |||
| Polamia | Mahmoud | ||
| Ampola | |||
| Timely Affair 1971 黒鹿毛 |
Bold Hour | Bold Ruler | |
| Seven Thirty | |||
| Friendly Relations | Nearctic | ||
| Flaring Top | |||
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母
マドンナバンブー 1978 鹿毛 |
*モバリッズ Moubariz 1971 鹿毛 |
Sing Sing | Tudor Minstrel |
| Agin the Law | |||
| Musaka | Guard's tie | ||
| *アーテミサ | |||
| ニンバスバンブー 1964 栗毛 |
*Nimbus | Nearco | |
| Kong | |||
| ヤシマテンプル | *Theft | ||
| 神正 F-No.5-h | |||
[編集] 参考文献
- 山野浩一 週刊競馬ブック「全日本フリーハンデ」1989年ほか、(『全日本フリーハンデ 1989-1994』リトル・モア、1997年)
- 島田明宏「走りたくてウズウズ バンブーメモリー」『別冊宝島223 競馬名馬読本3』宝島社、1995年
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