中村梅吉

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中村 梅吉
なかむら うめきち
生年月日 1901年3月19日
出生地 日本の旗 日本 東京府北豊島郡下練馬村(現練馬区練馬
没年月日 (1984-08-04) 1984年8月4日(83歳没)
出身校 法政大学
称号 従二位
勲一等旭日桐花大綬章
親族 長男・中村靖

日本の旗 第57代 衆議院議長
在任期間 1972年12月11日 - 1973年5月29日

日本の旗 第32代 法務大臣
内閣 第2次田中角榮第1次改造内閣
在任期間 1973年11月25日 - 1974年11月11日

日本の旗 第86代 文部大臣
内閣 第1次佐藤第1次改造内閣
在任期間 1965年6月3日 - 1966年8月1日

日本の旗 第9-10代 法務大臣
内閣 石橋内閣
第1次岸内閣
在任期間 1956年12月23日 - 1957年7月10日

選挙区 東京都第5区
当選回数 9回
在任期間 1952年10月2日 - 1976年12月9日

その他の職歴
日本の旗 第20代 建設大臣
1960年12月8日 - 1962年7月18日
日本の旗 衆議院議員
1936年2月21日 - 1945年12月18日
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中村 梅吉(なかむら うめきち、1901年3月19日 - 1984年8月4日)は日本政治家弁護士、第57代衆議院議長(在任期間・1972年12月22日 - 1973年5月29日)。長男は元衆議院議員の中村靖

来歴・人物

東京府北豊島郡下練馬村(現在の練馬区練馬)出身。農家の次男に生まれる。

1923年法政大学を卒業後、三木武吉法律事務所で弁護士修業を始めたのが政治に関わるきっかけとなる。1928年に東京府会議員、1936年立憲民政党から衆議院議員に初当選。以後通算当選12回。三木武吉の直系として行動を共にする。

1946年から1951年まで公職追放。国政復帰後の1953年、三木の盟友鳩山一郎吉田茂の対立が抜き差しならないものになり、他の鳩山派のメンバーとともに自由党を離党。鳩山の復党後も反吉田「8人の侍」として三木、河野一郎らと日本自由党を結成、政務調査会長となる。日本自由党はその後自由党の鳩山派・派、改進党ともに日本民主党を結成する。

保守合同で自由民主党結成された後は河野一郎派 - 中曽根康弘派の幹部として重きをなし、温厚な人柄から各内閣で閣僚・党幹部に起用された。1956年石橋内閣法務大臣1957年第1次岸内閣で引き続き法務大臣1959年政務調査会長1960年第2次池田内閣建設大臣1964年総務会長1965年第1次佐藤内閣第1次改造内閣文部大臣。他に党国会対策委員長、党東京都連会長等も務めた。また、1967年に河野派が分裂して中曽根派が結成された際には、野田武夫とともに長老として派内融和に努めた。

1972年、田中角栄内閣時、衆議院議長に就任したが、翌年の1973年5月船田中元衆議院議長の叙勲祝賀会の席上で「野党から強行採決をするなと言われたが、慎重に処理すると言って(野党を)ごまかしておいた」発言。野党から「与野党を取りまとめる立場の議長発言とは思えない」と追及され、辞任に追い込まれた[1]。同年第2次田中角榮内閣第1次改造内閣法務大臣を務めたのち、1976年政界を引退。1983年11月に勲一等旭日桐花大綬章を受章した。1984年8月4日死去。83歳没。

脚注

  1. ^ この一件が契機となり、両院の正副議長は所属党派を離脱することが慣例となったといわれる。
議会
先代
船田中
日本の旗 衆議院議長
第57代:1972年 - 1973年
次代
前尾繁三郎
先代
菅家喜六
日本の旗 衆議院議院運営委員長
第9代:1955年
次代
椎熊三郎
公職
先代
田中伊三次
牧野良三
日本の旗 法務大臣
第32代:1973年 - 1974年
第9・10代:1956年 - 1957年
次代
浜野清吾
唐沢俊樹
先代
愛知揆一
日本の旗 文部大臣
第86代:1965年 - 1966年
次代
有田喜一
先代
橋本登美三郎
日本の旗 建設大臣
第20代:1960年 - 1962年
次代
河野一郎
党職
先代
藤山愛一郎
自由民主党総務会長
第10代:1964年 - 1965年
次代
前尾繁三郎
先代
福田赳夫
自由民主党政務調査会長
第5代:1959年
次代
船田中
先代
結党
自由民主党国会対策委員長
初代:1955年 - 1956年
次代
倉石忠雄
先代
結党
日本自由党政務調査会長
初代:1953年 - 1954年
次代
解党