練馬 (練馬区)

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練馬(ねりま)は、東京都練馬区町名。現行行政地名は練馬一丁目から四丁目。住居表示実施済み。郵便番号は176-0001。

目次

[編集] 地理

練馬区のやや中央東寄りに存在する。北部を早宮、南部を中村北豊玉北豊玉上、東部を桜台、西部を向山と接している。

練馬区役所本庁舎は、豊玉北に所在。豊島園駅は練馬所在だが、としまえんは向山所在。

[編集] 歴史

[編集] 地名の由来

旧・武蔵国豊島郡下練馬村。地名は駅名から付けたもの。下練馬村(本村は平和台)や練馬区の中心地であることが由来ではない。

[編集] 旧小字

地租改正後の記録として残る小字は以下のとおり。左が現町名、右が小字名である。

  • 練馬一丁目 - 栗山(くりやま)、谷戸(やと)
  • 練馬二丁目 - 栗山、栗山下(くりやました)、糀谷(こうじや)
  • 練馬三丁目 - 出頭(でがしら)、谷戸
  • 練馬四丁目 - 栗山下、谷戸山(やとやま)

[編集] 沿革

  • 8世紀半ばごろ、武蔵国に乗潴駅が所在(10世紀初頭には消滅)し、その所在には練馬区練馬説と、杉並区天沼説がある。練馬区練馬説における、乗潴駅の所在地は、白山神社 (練馬区)付近であると推定されている。
  • 1083年永保3年) - 源義家練馬白山神社の大ケヤキを奉納したと伝えられている。
  • 1281年弘安4年) - この年の板碑が、白山神社周辺から出土。当時、白山神社周辺に集落が発達していたと考えられている。
  • 1868年8月7日慶応4年6月19日) - 武蔵国豊島郡豊島郡下練馬村は、武蔵知県事松村忠四郎長為が管轄。
  • 1869年2月15日明治2年1月13日) - 小菅県豊島郡下練馬村となる(小菅県新設による)。
  • 1869年3月21日(明治2年2月9日) - 品川県豊島郡下練馬村となる(品川県新設による編入)。
  • 1871年12月25日(明治4年11月14日) - 東京府第3大区22小区新宿口下練馬村となる(東京府編入および大区小区制実施による)。
  • 1873年(明治6年)3月18日 - 東京府第8大区7小区下練馬村となる(再編成)
  • 1878年(明治11年)11月2日 - 東京府北豊島郡下練馬村となる(郡区町村編制法施行による)。
  • 1889年(明治22年)5月1日 - 本区域で、市制町村制施行されるが、地名変更なし。
  • 1915年大正4年)4月15日 - 武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)の練馬駅が開業。
  • 1919年(大正8年)10月10日 - 練馬駅北口で、大日本紡績練馬工場が操業開始。
  • 1927年昭和2年)10月15日 - 武蔵野鉄道豊島線の豊島駅(現在の西武豊島線豊島園駅)が開業。
  • 1929年(昭和4年)4月1日 - 東京府北豊島郡練馬町となる(町制施行による)。
  • 1932年(昭和7年)10月1日 - 東京府東京市板橋区練馬南町となる(東京市編入および板橋区新設による)。
  • 1938年(昭和13年)4月 - 中央大学練馬競技場(現在の練馬総合運動場)が開場する。
  • 1940年(昭和15年)4月 - 私立豊島ケ岡青年学校東洋紡織工業練馬工場内に開校。
  • 1942年(昭和17年) - 豊島園駅そばに、私立練真中学校が開校。
  • 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都板橋区練馬南町となる(東京都制施行による)。
  • 1947年(昭和22年)8月1日 - 東京都練馬区南町三丁目から五丁目までとなる(練馬区設置による[1])。
  • 1949年(昭和24年)5月2日 - 練馬区立開進第二中学校が、開進第二小学校内から現在地(現在の練馬二丁目)に移転する。
  • 1949年(昭和24年)8月1日 - 練馬授産場を開設。
  • 1952年(昭和27年)9月1日 - 練馬区立南町小学校が、開進第二小学校を学区分割して開校。
  • 1955年(昭和30年) - 私立練真高等学校が廃校。
  • 1955年(昭和30年)4月23日 - 練馬和光保育園が開園。
  • 1959年(昭和34年)3月11日 - 練馬南町四郵便局(特定郵便局)を置く[2]。電話通話および和文電報受付事務を取り扱う。
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 練馬授産場が改築。
  • 1963年(昭和38年)2月1日 - 東京都練馬区練馬一 - 四丁目となる(住居表示実施[3]による)。
    都内第一号の住居表示実施である。左が実施後の町名、右が実施前の町名である。
    • 練馬一丁目:南町四および五丁目
    • 練馬二丁目:南町三および四丁目
    • 練馬三丁目:南町五丁目
    • 練馬四丁目:南町四および五丁目
  • 1963年(昭和38年)8月5日 - 練馬南町四郵便局を、練馬二郵便局へ改称する[4]
  • 1966年(昭和41年)11月11日 - 学校給食第二総合調理場が開場。
  • 1970年(昭和45年)12月21日ころ - 鐘渕紡績練馬工場が廃場となる。
  • 1972年(昭和47年)7月1日 - 練馬四郵便局(特定郵便局)を置く[5]
  • 1973年(昭和48年)4月1日 - 練馬保育園が開園(厚生文化会館内)。
  • 1973年(昭和48年)5月1日 - 厚生文化会館が開館。
  • 1974年(昭和49年)10月 - 中央大学練馬グラウンド(現在の練馬総合運動場)を、東京都が用地買収。
  • 1976年(昭和51年)6月23日 - 区立豊島園駅西自転車駐車場を開設。
  • 1977年(昭和52年)3月 - 鐘淵紡績練馬工場跡地の開発を、株式会社ディベロッパーカネボウが断念し、同地を東京都と練馬区が買収。
  • 1977年(昭和52年)4月1日 - 練馬一丁目公園が開園。
  • 1978年(昭和53年)6月1日 - 旧中央大学練馬グラウンド(現在の練馬総合運動場)を一般開放。
  • 1978年(昭和53年)8月2日 - 鐘淵紡績練馬工場跡地を区民に暫定開放。
  • 1983年(昭和58年)4月3日 - 鐘淵紡績練馬工場跡地に練馬文化センターが開館。
  • 1985年(昭和60年)6月18日 - 練馬駅前再開発に伴い、練馬一丁目地区市街地再開発準備組合が発足。
  • 1991年平成3年)12月10日 - 都営地下鉄12号線(現在の都営大江戸線)豊島園駅が開業。
  • 1993年(平成5年)7月1日 - 厚生文化会館が改築開館。
  • 1994年(平成6年)4月15日 - 鐘淵紡績練馬工場跡地に平成つつじ公園が開園。
  • 1995年(平成7年)7月18日 - 鐘淵紡績練馬工場跡地に練馬駅北口地下駐車場が開場。
  • 1996年(平成8年)10月1日 - 練馬デイサービスセンターが開設。
  • 2002年(平成14年)3月31日 - 練馬授産場を廃止。

[編集] 交通

[編集] 鉄道

[編集] バス

  • 練馬一丁目停留所(国際興業バス)
    • 赤01系統 - 練馬駅行、赤羽駅西口行
    • 練95系統 - 練馬駅行、練馬北町車庫行
  • 豊島園停留所
    • 赤01系統 - 練馬駅行、赤羽駅西口行(国際興業バス)
    • 練95系統 - 練馬駅行、練馬北町車庫行(国際興業バス)
    • 練47系統 - 練馬駅北口行、成増駅南口行(西武バス)

[編集] 道路

[編集] 文化財・遺構・史跡

  • 栗山 - 練馬区立開進第二中学校付近。旧石器時代 - 平安時代の間の集落。東京都教育委員会遺構番号練馬区108。
  • 右馬頭屋敷跡 - 練馬区立開進第二中学校付近。中世の城館。東京都教育委員会遺構番号練馬区138。

[編集] 施設

[編集] 練馬一丁目

[編集] 練馬二丁目

[編集] 練馬三丁目

[編集] 練馬四丁目

[編集] 参考文献

  • スーパーマップル③関東道路地図 2001年5月2版10刷発行、昭文社

[編集] 脚注

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  1. ^ 同年7月31日、内務省告示第253号
  2. ^ 同年3月12日郵政省告示第158号
  3. ^ 1965年(昭和40年)6月15日自治省告示第91号
  4. ^ 同年8月22日、郵政省告示第548号
  5. ^ 同年7月11日、郵政省告示第577号
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