ワーナーミュージック・ジャパン
種類 | 株式会社 |
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略称 | WMJ |
本社所在地 |
日本 〒107-8639 東京都港区北青山1-2-3 青山ビル3階 |
設立 |
1970年11月11日 (ワーナーブラザーズパイオニアとして) |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 7010401002133 |
事業内容 | 音楽・映像ソフト制作及び販売、音楽著作権管理、原盤制作ほか |
代表者 |
小林和之 (代表取締役会長兼最高経営責任者) 内海州史 (代表取締役社長兼最高執行責任者) |
主要株主 | ワーナー・ミュージック・グループ |
関係する人物 |
ラクラン・ラザフォード (元・ワーナーミュージック・アジア・パシフィック President) 石坂敬一 (元・ワーナーミュージック・ジャパン取締役名誉会長) |
外部リンク | wmg.jp |
株式会社ワーナーミュージック・ジャパン (Warner Music Japan Inc.) は、米国・ワーナー・ミュージック・グループ傘下の日本のレコード会社。
沿革
- 1970年 - 当時の日本ではアメリカ資本のみではレコード会社を創立出来なかった為、米国ワーナー・ブラザーズが50%と日本のオーディオ機器メーカーのパイオニアが25%、日本の芸能プロダクションの渡辺プロダクション[1]が25%を出資し、「ワーナー・ブラザーズ・パイオニア株式会社」を設立。規格品番のWP(Warner Pioneer)は、その名残である。通称ワナパイ。日本では日本グラモフォンからデビューしていたレッド・ツェッペリンの日本販売権を獲得。英米のロックが主力のレコード会社であった。
- 1971年 - 渡辺プロダクションの小柳ルミ子がデビュー。シングル部門の売り上げトップとなる。ナベプロ在籍歌手を中心に、邦楽部門も軒並み好調な売り上げを見せる。
- 1972年 - 社名を「ワーナー・パイオニア株式会社」に変更。
- 1978年 - 渡辺プロダクションがワーナーと並行する形で出資していた「アポロン音楽工業」へ音源の発売権を一本化することを発表し、資本撤退。
- 1990年 - パイオニアが自社系列で音楽・映像ソフト制作に乗り出す方針を固め、1981年設立の「レーザーディスク株式会社」を1989年、「パイオニアLDC」(現・NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン)に商号変更し、この年、正式に資本撤退[2]。ワーナーブラザーズグループの100%子会社となる。
- 1991年 - 社名を「株式会社ワーナーミュージック・ジャパン」に変更。
- 1994年 - マイカルハミングバードの音楽・映像事業を譲受される[3]。
- 1996年 - 邦楽の演歌部門から撤退。小林幸子ら所属演歌歌手が他社への移籍を余儀なくされる。
- 2002年
- 関連会社の株式会社イーストウエスト・ジャパン、株式会社ワーナーミュージック・ジャパン、タイム ワーナー エンターテイメント ジャパン株式会社の3社が合併し、「ワーナー エンターテイメント ジャパン」となる。
- 8月1日 - デフスターレコーズ代表取締役だった吉田敬が代表取締役社長に就任。
- 2004年 - ワーナー・ブラザーズの親会社である米国タイム・ワーナーが音楽部門を分離・売却。それに伴い、ワーナー エンターテイメント ジャパンも音楽ソフト部門を分離、社名が再び「ワーナーミュージック・ジャパン」となる。
- 2008年10月1日 - CEOだったラクラン・ラザフォードが代表取締役会長専任となり、吉田敬が代表取締役社長兼CEOに就任。
- 2010年10月7日 - 吉田の急死に伴い、ワーナーミュージック・アジア・パシフィック会長・プレジデントのラクラン・ラザフォードがワーナーミュージック・ジャパン代表取締役会長兼CEOを兼務。
- 2011年
- 11月1日 - 前日10月31日にユニバーサル ミュージック合同会社相談役を退任した石坂敬一が代表取締役会長兼CEOに就任。
- 2013年
- 5月 - 社名の『WARNER MUSIC JAPAN』の書体だけが変更され、ロゴマークに変更はない。
- 9月 - 同年の2月7日、 ワーナー・ミュージック・グループが、ユニバーサル ミュージックから、EMIレコードの主要部門であるパーロフォン・レーベル・グループを買収したことに伴い[5]、日本でのEMIクラシックス(旧EMIミュージック・ジャパン原盤を除く)や欧州のEMI(ビートルズを除く)の販売権が、日本のユニバーサル ミュージックから移行される。
- 2014年
アーティスト
2016年3月現在、五十音順。
邦楽
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洋楽
過去
ワーナー・パイオニア名義も含む。
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社内レーベル
消滅レーベルも含む。
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その他
- 元プロ野球選手の難波昭二郎[11]が、球界引退後に入社したパイオニアから出向して社員として在籍し、営業や制作ディレクター等を務め、その後取締役となる。
- ワーナーブラザーズパイオニア設立前の日本におけるワーナーブラザーズレコードの販売権は1960年から1961年は日本コロムビア傘下の日蓄工業、1962年から1970年は東芝音楽工業(後の東芝EMI、現在のユニバーサル ミュージック EMI R/EMI RECORDS)にあった。
関連項目
- エレックレコード - 2013年より業務提携。
脚注
- ^ 現在は持株会社制に移行。
- ^ 米国本社でのディスク原盤製造の撤退に伴い、パイオニアLDCを通じての販売元としての契約は継続。現在は同社の後身であるNBCユニバーサル・エンターテイメントジャパンが担当。
- ^ 日本経済新聞・1994年8月19日付の記事より。
- ^ Kristen Schweizer; 藤森英明 (2011年5月7日). “ブラバトニク氏:ワーナー・ミュージック買収で合意-33億ドル(1)”. ブルームバーグ. 2011年5月8日閲覧。
- ^ “ワーナー・ミュージック、EMIの欧州資産買収へ”. THE WALL STREET JOURNAL 日本版. (2013年2月8日) 2014年8月7日閲覧。
- ^ “ワーナー、石坂敬一代表取締役会長兼CEOの退任を発表”. Musicman-NET. (2014年2月25日) 2014年8月6日閲覧。
- ^ “ワーナー会長兼CEOに小林和之氏、社長兼COOに内海州史氏が就任”. Musicman-NET. (2014年3月26日) 2014年8月6日閲覧。
- ^ a b c d e 原盤権は渡辺音楽出版が所有。
- ^ 「あいたいよ」と「京都哀愁」の2枚のシングルのみの在籍
- ^ a b 原盤権はヤマハミュージックパブリッシングが所有。
- ^ 長嶋茂雄に関する音源の発売権を取得し、「ミスターG 栄光の背番号3」を発売。営業部時代にはカタログ『WEA-WAY』第1号(1979年)の編集を担当した。2009年8月14日没、享年74。
外部リンク
- ワーナーミュージック・ジャパン
- Warner Music Japan Inc. (warnermusicjapan) - Facebook
- ワーナーミュージック・ジャパン (@warnermusic_jp) - X(旧Twitter)
- ワーナーミュージック・ジャパン洋楽担当 (@wmj_intl) - X(旧Twitter)
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